第二章 黙って俺に護らせろ
翌日から、拓人たちと不良学生との戦いが始まった。
朝は加藤が来られないので拓人一人で苺花を迎えに行き、教室まで送り届ける。休み時間には職員室から丸見えになっている同階の渡り廊下に避難し、昼は人目の多い場所をわざと選んで、日頃足を踏み入れない学食を利用、極力相手の行動を阻害する方向に注力した。
しかしクラスが違うため、どう頑張ってもスキが発生する。教室を移動しなければならない教科がそれに当たる。移動中などに苺花が人気のないトイレに連れ込まれ、乱暴をされる事も少なくなかった。また、彼等の巧妙な手口で拓人のいるクラスにまで悪い噂が流れ、彼自身も普段以上の嫌がらせを受けていた。
苺花が転校してきてから約一週間後、拓人たちは昼休みの学食にいた。数多くの生徒たちが入り乱れ、騒ぎを起こすには度胸のいる状況だった。その中で、さらに人目につきやすい場所に彼等は陣取っていた。
「こいつ、苺花ちゃんのクラスで俺の知り合いの山本。ちょっと情報提供してもらおうと思って呼んだんだ」背中合わせの席に座る、加藤と、男子生徒の山本。彼は学園でもかなりの情報通だった。
「あんまり同級生に見られたくないから、こっち向かないでね……」おっかなびっくり話す山本。
「で、どうだった? 山本」加藤が見えないように、山本の太股をつつく。
「調べて欲しいって言ってたアレなんだけど、やっぱり最初から高塚さんを狙ってやっていたみたいなんだ。転校してくることも知っていたような感じで」小声で話す山本。
「それってどういう事なんだ? 山本君」拓人が尋ねた。
「実は……NBがらみかもしれないって噂だよ。これ以上は分からないけど」
「まさか、追ってきたって事なのか? テロリストが街に入り込んでるっていうのか?」 拓人が渋い顔になる。
「でも、それならわざわざ学校で、ちまちま嫌がらせをする意味がわからないぜ」
と加藤が手元のウィンナーをフォークでつつきながら言う。
「確かにそうなんだよ……。一体何が目的なんだろうか。街の中じゃ手が出せないから、自殺にでも追い込もうって腹なんだろうか? それもまどろっこしいし……。ああ~~~~、わかんねぇ」椅子の上でふんぞり返り、足を床に投げ出す拓人。
「高塚さん、いつも見て見ぬ振りしててごめんね。でも、僕怖くて……」山本が申し訳なさそうに言った。
「ううん、だれかが巻き込まれるのはやっぱり嬉しくないから……気にしないで。それに、こうして協力してくれてるし。落ち着いたら、お礼をさせてね」
「僕は、加藤の頼みだからやってるだけ。お礼なんかいいよ。じゃ、そろそろ」そう言って山本は学食のトレーを持って立ち去っていった。
「少なくとも分かったこととしては、こうして人目の多い場所では、あまり奴らも手出しをして来ないってことだな。じゃあ、賑やかな場所なら出かけても大丈夫って事だ」
「うーん……、そう、なのかなぁ」半信半疑な苺花。
「かもな! なんか最近ストレス貯まっててさぁ俺。放課後どっか行かねえ?」加藤が寄り道を提案してきた。
「悪いけど、俺も正直ちょっと遊びに行きたいと思ってたとこなんだ。ねぇ、どこか行きたいとこない? 苺花さん」拓人は、弁当箱を片付けて巾着袋に詰めている。
「そうだなぁ……引っ越してきてからあまり買い物とか出来なかったから、ショッピングモールに行きたいかな。付き合ってくれるよね?」心なしか苺花は嬉しそうだった。
「もちろん。荷物持ちでもなんでも。コイツもね」と、拓人は加藤の首に腕を回した。
「はいはいさー!」敬礼する加藤。
三人は、放課後になると学園からバスに乗り、市街地の中心部にあるショッピングモール『ロードス』にやってきた。
「鞄とかかさばるから、まとめてコインロッカーに入れていこうぜ」と加藤が提案したので、一階サービスカウンター近くにある、コインロッカーに三人分の荷物を詰め込み、手ぶらで買い物を楽しむことにした。
◇
ここ『ロードス』も、ご多分に漏れずGBI社系列のショッピングモールだ。
直営のスーパーマーケットブース、大型カフェテリアや専門店などの飲食店街、ゲームコーナーなどの遊興施設、地方のショッピングモールに付きもののシネマコンプレックス、大型書店やレンタルショップ、そして一般のテナントが混在する、ごく普通の形態の複合商業施設だった。若干違うのは、母体が外資系であるために、海外ブランドの直営店や、輸入品を扱う店舗が他のショッピングモールよりも多い点だろうか。
◇
苺花はどうやら、これからの季節の衣類と靴が欲しかったらしい。
何店舗か回って、比較的着回しのきくアイテムを選んで購入していた。
基本的に利発な少女なせいか、買い物は思いの外計画的だった。
「ちょっと小腹すいてこないか?」荷物の袋をかかえた加藤が言った、
「ん~、俺も。苺花さんなんか食べたいものある?」拓人も広い構内を歩き回って、腹がすいてきたようだった。とりあえず苺花の意見を聞いてみた。
「そうだなぁ……、ここって、さっき見たらすがきやが入ってたよね。いきたいな」
「苺花さん、すがきや知ってるの?」加藤が聞いた。
「うん。小さいときに住んでたところに大きなスーパーにあったの。近所に小さくてお花がいっぱい咲いてた遊園地があってね。でも、すがきやも、遊園地もいつのまにかなくなっちゃって。だから、すごくなつかしい。まだあの味のままなのかなって。」
「あ~、一時期DA系列のスーパーには出店してたよな、確かに。でも羽振りが悪くなると撤退して、で、またしばらくするとまた出店して……なんてのを、数回繰り返してたみたいなんんだよな。俺もここ好きでお袋とよく入ったよ。デザートも一緒に食えるとこがいいんだよな」拓人はメインメニューよりも、おやつの方に興味があるようだ。
「お前、変に経済とか政治とか詳しいときあるよな。やっぱ伯父さんが系列親会社の社長ってのがデカイのかねぇ」
「ん~、怜央おじさんはさ、商売とか経営とか、そういう事を娯楽にしちゃってるような人なんだよね。根っからの企業人っていうのかな。だから、たしかに俺も影響は色々と受けてるとは思うよ。……って、そんな話はいいから、さっさとカフェテリア行こうぜ」
「なんか拓人くんって、別次元に住んでるひとってカンジだなぁ。ふぅ」
「あ~、苺花さん勝手に壁作るのやめて~」
「拓人くんごめん……。気にしてた?」
「んー。ちょっと。俺、いつも周りに壁作られちゃってるから……」
拓人は、視線を落として淋しそうな顔をした。
「ほらほら、暗くなってないで、カフェテリア行こうぜ!」
加藤が拓人の肩を抱いて言った。
「おう」拓人は無理矢理明るい顔を作って、カフェテリアのある階層に移動を始めた。
***
拓人が家に帰ると、父親が先に帰っていた。
父親の有人は、居間のソファで猫と遊んでいた。
「拓、ちょっと」
「なに?」
「ちょい、ここ座れ」
「なにさ」そう言いながら、父の隣に座った。
有人は、猫を膝から降ろした。
「お前等、なんか隠してるだろ」普段の有人とは違う、押さえた口調だった。
「別に」
「理由があってやってるんだろうが、せめて俺には教えてくれないか。
防刃ベストまで持ち出して、一体何をしてる。
怒らないから、な?」
拓人は、大きくため息をついた。
「親父にはバレバレだな。――もう、初日からあったんだよ。色々とね」
「みたいだな。お前、腕やられてたしな」
「そこまで知ってて」次の言葉を父に遮られた。
「拓、お前が言い出すの待ってたんだけどさ、いつまでたっても言ってくれないから、こうして早く帰ってきて聞いてるわけよ」
「……苺花が、これ以上親を心配させたくないからって、
クラス替えをせずに何とかやり過ごそうとしてるんだ。
でも、想像以上にいじめが激しくて。
このままエスカレートしたら俺でもどこまで守り切れるか分からない、
ってカンジなんだ……。
こないだの腕の件だって、俺が受け止めるの分かってて、
わざと彼女にナイフ投げて来たんだぜ?」
有人は深くため息をついた。
「安易に俺が息お前に押しつけた結果がこれか。
俺にも責任はあると思うんだがな……」
有人は自責の念に駆られ、一人で落ち込んでいる。
「おい、また勝手に落ち込むなよ」
拓人の父は、基本的に鬱体質だ。
比較的安易に落ち込んだり泣いたりするので、時々家族も手を焼いている。
「済まない、拓人。俺みたいな欠格者が、やはり親なんかになるべきじゃなかった……」
「俺は別に、親父を悪く思ったことなんて、今まで一度もないよ。
親失格だとも思ったことはない。
だから、その自己評価のでたらめな低さをなんとかしてくれよ。
あんたがそんなんだと、俺が惨めなんだよ……」
「惨めって何だよ」
「ほんとあんたって自覚ないよな。俺って誰よ?」
「俺の息子だけど」
「じゃなくて、立場だよ」
「……ちょっとまて、なんかこの展開、どこかで……ああ、異様にデジャブを憶える」
「は?」
「わかった。そう、立場ね。うん、皆まで言うなよ、息子よ。えーっと……」
「……」(親父は何を思いついたんだろう……)
「先の戦争でGSSの総司令官で、かつこの街の創設者かつ白波学園の理事長、
――の息子で、将来を嘱望されていて、
えーっと……その責務と周囲の期待から来る重圧
に……ってそこまで要求してないか、この質問は。
とにかくそういうカンジだろ?」
「ああ、そうだよ。
あんたは一応偉大な父親ってことになってんだよ、俺的に。
その後を継がないといけないのが俺で、周りもそういう目で見てる。
そういう状況でだな、あんたが卑屈になられたら、
俺の立場がなくなるって言ってんだよ、この根暗!」
「…………すいません。返す言葉もないです。
確かにそういう立場だったし、そういう仕事もしたけども。
でもね? 俺とお前の生きてきた時間を比べてみたことあるか?
どんなバカでも一万年も生きていりゃ、
何のスペシャリストにでもなれると思わないか?」
「まあ……一つの職業を極めるには、百年もあればいいわけだし……」
「だろ。俺の褒められる所なんて、手先が器用な所だけだ。
本当にそれだけだ。
……後は、全て後天的に身に付けた技能、知識ばかりなんだよ。
それも女に会えない寂しさを紛らわせるために、
荒んだ世界に身を置いていて憶えた事ばかりだ……。」
「母さんのことか……」
「あんまり、聞いて気持ちのいい話じゃないから、お前にはしてなかったんだが」
そう、有人は前置きをすると、手を頭の後ろで組んだ。
「大昔、俺がお前くらいの頃の話。
俺と彼女は出会ったんだが、彼女は人間だったんだ。
付き合うことを躊躇したんだが、強く求められてしまって……。
いずれ早々に訪れる別れがつらくて、
俺はつい『死んで生まれ変わっても、必ず俺の所に戻ってきてくれ』
なんてとんでもない事を願ってしまった」有人は深いため息をついた。
「おかげで、何度も何度も彼女を冥府に見送り、
彼女が生きていた時間よりも長い時間、
ひとり地上で待っていた。
そして、ほんの短い時間を共に過ごす、なんて生き地獄を、
一万年も繰り返してしまった。どうしようもない男だろ?」
「って言われたって、どんなリアクションすりゃいいかわかんないよ……」
「だよな……。その間、俺は子を儲けることは避けてた」
「じゃ、なんで俺いるんだよ?」
「魔が差した……というか、もうとことん疲れてたんだよ。
いい加減精神的にも限界で、麗の父さんたちの前で大泣きしたこともあった。
まったく、俺も途中で気づけっての。
まあ、だれも突っ込んでくれなかったんだけどな」
拓人は、苺花が人間だったら、と想像してゾっとした。
父のあまりにも異常で無残な生き方を思うと、
自分にはとても耐えられないと感じた。
「それまで、彼女を頑なに神族にすることを拒んでいたんだ。
まぁ、最初はコネもなかったからしたくても出来なかったんだけども。
なんというか……彼女の人生を否定してしまう気がしたし、
自分が人間じゃないってなかなか言えなくて」
「……怖かった、っていうカンジか」
拓人は、父の言葉に胸が締め付けられる思いがした。
「そうかもしれん。で、今のバージョン、
って言ったらヘンだけど、お前の母さんは体が生まれつき弱かったんだ。
危篤になったとき兄貴にドナー探してもらってさ、臓器移植もしたんだ。
でも、どうがんばってもババアになるくらいまで生きることはムリでな。
……会ったばかりで、すぐ死んでしまう。
そんな事に、俺はもう耐えられなかった」
有人は目にいっぱい涙を貯めていた。
その顔はまるで、この世の悲しみを一人で背負っているかのようだった。
「だから、俺は決心した。彼女を神族にするとに」
母の啜り泣きが聞こえてきた。
猫がダイニングテーブルの上で、母の頬を伝う涙を舐めていた。
「すまん……。やっぱ俺ってダメだな。また嫁泣かせてる」
「ああ、そういうとこダメだな」手の甲で父の胸を軽く叩いた。
「うん。ごめん」
「いい加減、大人になれよ、親父」
「うん……でも俺、大人が大嫌いなんだよな」
「なんだよソレ。ま、あんたがそんなんだから、俺が大人にならないといけないんだろ」
「かもな。やっぱ親失格だわ、俺」
母が父の隣に座って、父の手を握った。
「そんなこと、ないよ、有人、さん。わたし、が、保証、するもの」
「うん……ありがと、麗さん」
「で、もうその話いいか? 親父」
「ん? ああ。何だ?」
「俺、イヤな噂を聞いたんだよ」
拓人は、2魔Aの山本から聞いた情報と、自分で彼等に接触した感想を手短に伝えた。
最初から苺花を狙っていたこと、NB絡みかもしれないということ、細かい嫌がらせばかりで殺意があまり感じられないこと、人目を気にしていることなど。
「何だと?」
そこにはさっきまでぐずっていた青年の顔ではなく、厳しい司令官の顔があった。
「NBが侵入している可能性……か。
否定は出来ないかもしれないが……そっちは俺が洗ってみる。
頑張るのも結構だが、本格的にヤバくなる前に俺の所に来いよ」
「分かってるよ……。それは、彼女にも言ってはある。
でも、心配させたくないっていう気持ちも分かるんだよ。――俺と同じだから」
そう言うと拓人は立ち上がった。
「おい、同じってどういう事だよ……」有人が息子の腕を掴んだ。
「だからあんたは鈍いって言われんだよ!」
そう言い捨てて、父親の手を振り払い居間を出て行った。
***
拓人が部屋に戻って着替えていると、携帯にメールが着信した。
(誰だろう?)
開いてみると、苺花からだった。
一応、ということでメアドの交換をしておいたのだ。
拓人はベッドに寝転んで、メールを読んだ。
『To 拓人くんへ From Maika:
Title:今日はありがとう
さっきはいっぱい付き合ってくれて
どうもありがとう! いろいろ助かりました。
そういえば、メアドもらってたけど、
こうしてメールするのって初めてだよね。
もし迷惑でなかったら、またメールを
送ってもいいですか?
普段、送る相手もいないので、
あまり早くは返せませんが・・・』
「いいに決まってるじゃん……苺花。
……って、俺なに呼び捨てにしてんだ? ふふふ」
顔がにやけまくる拓人。
拓人は、慣れない手つきで返事を打った。
彼もまた、メールを出すような相手などいなかったから。
『To 苺花さん From 拓:
Title:無題
メールありがとう。ちっとも迷惑じゃないから、
いつでもメール下さい。俺も、メールする相手いないから、
返事遅いですが。それでも良ければ、ぜひ送って下さい。
PS またロードスに一緒に行きましょう。』
「送信、っと。……ああ、なんかこういうの、いいなぁ……」
拓人は、携帯を抱いてベッドの上でゴロゴロと転がり回っている。
「女の子からのメールって、なんでこんなに待ち遠しいんだ?」
ゴロゴロゴロ……
拓人はしばらくベッドの上で悶々としていた。
「ていうか……。やっぱ俺、彼女の事、
好きなんだな……。そっか。そうなんだ」
最初は使命感と、似た境遇からのシンパシーが感情のほとんどを占めていた。
しかし、彼女と一緒に過ごすうちに違う感情へとすり替わっていったようだ。
拓人は自分の気持ちがいきなり腑に落ちて妙にすっきりすると、
次の段取りについての思考を開始していた。
――即ち、自分の気持ちを伝える事。
十分ほどして、メールの着信があった。
『To 拓人くんへ From maika:
Title:お返事ありがとう
さっそくのお返事ありがとう。
とてもうれしいです。
でも、メールする相手いないって本当?
拓人くんは、お父さんに似て美形なのに、
付き合ってる人とかいないんですか?
って、失礼なこと聞いてごめんなさい。
それと、私のせいで危険な目に遭わせてしまって
ごめんなさい。意地を張ってるだけなのかな・・・
拓人くんはどう思う?』
美形と言われて少しにやけたが、後半の文面を読んで表情が曇った。
正直、何と返事をすればいいのかと拓人は悩んだ。しばし考えて、返事を打った。
『To 苺花さん From 拓:
Title:無題
メールする相手がいないのは本当です。
苺花さんが初めてのメル友ですね。
美形とか言われると困ります。
別にそれで得したこともないし。
付き合ってる人はいません。
付き合いたいと思ってる人はいますが。
護衛のことは、全然気にしないで下さい。
親父に言われたことではあるけど、
今は好きでやっている事だから。
>意地を張ってるだけ
その気持ちは俺にはよく分かります。
俺も、学校でハブられてる事は親には
言っていません。
絶対に心配するのも分かってるし、
一番悲しむのが親父だって分かってるから。
あんな親父だけど、愛されてるのは
すごく分かってるつもりだから、
・・・だから、苺花さんの気持ちが、
すごくよく分かります。
俺のことは心配しなくていいです。
殺したって、そうそう死にはしない。
丈夫なのには自信あるし。
俺は、苺花さんの気持ちを大事にして
あげたいから、
ずっと君を守ると約束するね。
長くなってごめんなさい。』
送信をした後、なぜか涙が出てきた。
確かに、今まであまり自分の気持ちに向き合うこともなく、家庭の事情や立場などのしがらみから、他人に正面から見られることもなく、また見せることもなく、ただ黙って親の愛情を裏切らないように、ひたすら我慢をして生きてきた。
耐えることに慣れすぎて、最早感覚が麻痺していた。感情を鈍化させることで、受ける痛みや悲しみを減らそうとする本能が働いていた。
自分は、神崎有人という偉大な父の後継者であり、その重責に堪えうる人材であらねばならないと思っていた。日頃、父親に軽口を叩いてはいるが、その功績と卓越した能力については、どうしようもない大きさを感じていた。
でも、今は『神崎拓人』という一人の高校生として、『高塚苺花』と向き合っている。同じ痛みを共有する友として、そして、彼女を想う一人の男として、己の出来得る限りのことはしてやりたい、たとえどんなに傷付くことだったとしても。そう思っていた。
背中を丸めてベッドの上で泣いていると、また十分ほどして返信が来た。
『To 拓人くんへ From maika:
Title:付き合いたい人って?
拓人くんの本音が聞けて、正直驚いています。
思ったより、ずっと多くのことを
考えていたんだなっておもいました。
べつに、変な意味じゃなくて。
付き合いたいと思っている人って、
私の知ってる人ですか?
こういうのは、あんまり聞いちゃ
いけないかな。
>殺したって、そうそう死にはしない。
死なないからって、拓人くんが傷つくのを
見るのはやっぱりイヤです。
拓人くんが痛い思いをすると、
私も同じようにつらくなります。
私をかばってつらい思いをしてきた
両親と同じような目にあわせるのは、
正直、とてもつらいです。
自分さえいなければ、と何度も思いました。
こんなお荷物いなければ、と思って、
何度も死のうとしたことがありました。
>ずっと君を守ると約束するね。
とても嬉しいです。ほんとうに。すごくうれしいです。
でも、
すがりたいけど、
傷付けたくない。
私は、どうしたらいいのですか?
傷ついて欲しくない人が、
大切な人が傷付くのを、黙って見ているだけなんて、
頭がおかしくなりそうです。
頭を冷やしたいので、
明日は一人で登校します。迎えはいりません。
おやすみなさい。』
拓人はいたたまれなくなって、苺花に直接電話をかけた。
『――はい……』
「なんであんなこというの?」拓人は苛立ちを隠せなかった。
『なんで拓人くんが……逆ギレしてるの?』
「俺って、そんなに負担?」
『……かもしれない』
「俺だって、大切な人を守りたいんだ。それってダメな事なの?」
『…………誰。が? よくわかんないけど、
拓人くんが付き合いたい、とか思ってる人?』
「なんでそこいちいち食いついてくんだよ、いまこの話に関係ないでしょ?」
『関係あるよ! ほかの誰かと付き合いたいとか思ってる人に、
わたし守られたくなんかないもん!』
「なんでそうなるわけ? お前、言ってることおかしくない?」
『おかしくなりそうだって言ってるじゃない! 混乱してるよ! 拓人のバカ!』
苺花が一方的に電話を切った。
「くそ、勝手な事ばっかり言って!」
拓人は再度苺花に電話をかけた。即つながった。
『なによ』
「お前、なんか勘違いしてないか?」
『なにが』
「俺が付き合いたいと思ってる奴のこと」
『………………だれ』
「お前に決まってるだろう! 他に誰がいるんだよ! 何でわかんないわけ?」
『え……』
「え、じゃないでしょ? もう! 待ってろよ、今からそっち行くから!」
『あ、あの』
今度は拓人が一方的に電話を切った。
二階の自室から階下に降りてきた拓人は、居間にいる両親に声をかけた。
「ちょっと出かけてくる。遅くなるかもしれないから、メシいらない」
「女の子の家にでも行くのか?」興味本位に聞く有人。
「っせえな! だったら何だよ」
「いや、青春を堪能してこいや」そう言って、有人は息子に手を振った。
「ああ、いやっつうほどな!」
吐き捨てるように言うと、拓人はドタドタと廊下を歩いて家を出て行った。
***
拓人は自転車を駆って、カーブの多い市道を後輪を滑らせながら疾走し、あっという間に苺花の家に到着した。
インターホンを押し、踵を小刻みに上下し貧乏ゆすりをして待っていた。拓人はドアが開くまでの少しの間が待てず、イライラしているようだった。
ドアが開くと、苺花が出て、サンダルを履いてそそくさと廊下に出てきた。二人は人目を避け、非常階段に移動した。
「ホントに……来たんだね」苺花は顔を真っ赤にして下を向いている。
「あんだけ言って、行かなかったら頭おかしいだろ?」
「拓人くん、何そんなにイライラしてるの?」壁に寄りかかりながら苺花が言った。
「べつに」口をへの字にして否定をする。
「してるよ」
「………………」
拓人は、苺花の後ろの壁に、両手で乱暴に手を突き、壁と自分の間に苺花を挟んだ。
彼の瞳がうっすらと紅くなっていく。感情が暴力的な方向に振れるとき、彼の目は父親と同じように、紅く変色していく。
「やっ……なに……」苺花の顔が引きつった。
「……誰がイライラさせてっと思ってんだよ!」拓人は苺花を睨み付けている。
「やめてよ……」苺花が顔を背けた。
「やだ。お前が認めるまで、どかない」更に距離を詰める。
「や……」顔を真っ赤にしてうつむく苺花。
「ダメだ」体を密着させ、苺花の手首を掴んで壁に押しつける拓人。互いの激しい鼓動が、薄いシャツを挟んで伝わっている。
「どいて……よ……ぉ」苺花の息が荒くなっていく。
「今の俺、すごく気が短いから……早く答えないと、襲うよ」苺花の太股が拓人の下腹部に当たり、彼の言葉がはったりではないことが分かる。
「わ……わたしが、拓人くんを……イラつかせてる……?」
「いま、襲われたくないって思って言ったでしょう」
「だって……ここじゃやだ……じゃなくて、
あの……結局体?みたいなのヤダし……」
「バカにしてんの? お前の体欲しさに、
俺がいつ刺されるかって生活してると思うの?」
「ご、ごめん……なさい」
「ま、ちょいちょい刺されてっけどさ。 ここんとこ毎日上着の下、
防刃ベスト着てるしな。
よくよく考えたら……そのくらいしてもバチあたらないよね……俺」
「え…………」苺花が体を硬くした。
「本気にした? ……見損なわないでくれるかな。
一応これでも、お前に命かけてんだけどさ」
拓人は、額と額をくっつけた。
「おねがい……もう、
いじめないでよぉ……拓人くん」苺花は目に涙を貯めている。
「ふーん……どうしようかな。」
苺花をしばらくいじめて気分が晴れてきたのか、瞳の色が徐々に戻ってきた。
「じゃぁ、『俺と契約して彼女になってよ』……って相当古いネタだな、
これは。十年以上は経ってる。
――――苺花、俺の恋人になってくれないか?」
「……うん。なる。拓人くんは私の彼氏になってくれるの?」
「普通、この流れではそうなるよね。
これで違うとなると……何のプレイだ? それ」
「えっと……何を言ってるのかよくわかんないんだけど……」
「わかんなくていいよ」
拓人は苺花の頭を優しく撫でた。
「安心しろ。俺はお前のものだから。
――本当は、もっと前からそうだったけど」
「そうなんだ……」
「まぁ、気が付いたのさっきだけどな」
「ええーーっ」
「わ、悪いかよ」
「拓人くんって、正直な人だね」
「加藤には、裏表ねえなって言われてるよ」
「でも……うれしかった」
「なにがさ」上から目線な苺花に、微妙にふてくされる。
「こんなに私のことを、真剣に考えてくれる人に会えたから」
「なぁ、俺のこと、呼び捨てでいいよ」
「……すぐには恥ずかしい……」
「ねぇ、……していいか?」
「Hはだめだよ?」
「ちげーよ……キス」
「……ならいい」そう言うと、苺花は目を閉じた。
「俺、初めてだから……うまく……ないよ」
「わたしもだから……平気」
拓人は、苺花の唇に不器用に唇を重ねた。
ゆっくりと唇を離し、
「…………な?」
「な、って言われても……困る……けど」
「うーん……ちょっと恥ずかしいな、ヘタで」
「私はうれしいよ」
「なんで?」
「だって……拓人の『ファーストキス』もらえたんだもん」
「そっか。……まぁ、俺も同じだけどな」そう言うと、拓人は苺花を抱きしめた。
非常階段に並んで座る二人。互いの手を握り合っている。
「家の人、心配しないの?」
「うーん……してるかも」
「俺、顔出そうか」
「でも……」不安そうな顔をする苺花。
「構わないよ、俺。
お付き合いしてますって挨拶しても。
……本気だから」
「ほんと?」
「うん。よし、行くか」拓人は立ち上がった。
苺花と一緒にマンションの部屋に入った。
時刻は八時を回ったあたりだった。
「ただいま」
「おじゃまします……」
リビングには、苺花の両親がいた。
「おかえりなさい。あら、神崎くん一緒だったの?」
「うん」不安げに苺花が返事をした。
「遅くにすいません、おじゃまします」
苺花が拓人の横でもじもじしている。
「いまお茶入れるから、座って」苺花の母に席を勧められた。
「神崎くんにはいつも苺花が世話になってるね。
毎日送り迎えにも来てもらってるし。
学校の方はどう? うまくいってる?」苺花の父が尋ねた。
「特に、問題はありません。ね?」と、拓人は苺花に同意を求めた。
「うん。みんなと仲良くやってるよ」作り笑いをする苺花。
苺花の母がお茶を持ってきた。
「私ね、息子が欲しかったのよね~」
「えー、それ初耳だよ? ママ」
「そうだったのかい? ママ」
「言ってなかったかしらねぇ」
拓人は、微笑みながら一家を見ていた。
こんな風に談笑出来るまでになったのか、と感慨深い気持ちになっていた。
「こっちに来られて、だいぶ落ち着かれましたか?」拓人が父に声をかけた。
「理事長さんのお計らいには、本当に心から感謝している。生
活もすっかり落ち着いたし。新しい職場では、とてもいい仕事をさせてもらって、
本当にありがたいと思っているんだ。これからは人並みに暮らせるんだなぁ、
……と家族で安心していところだよ。」
「そうですか……よかった。
そう言ってもらえると、父も喜びます」
「本当に、何から何までお世話になってしまって……」
苺花の母も拓人に恐縮している。
「いえ……うちは当然のことをしているだけなので、
あまり気にしないで下さい」
「お父さんに、よろしくお伝えください」
「はい。分かりました。
――ところで、今日は僕からお話があるんですが」
「学校の事か何かかな?」
「いえ……苺花さんのことで」緊張で胸が高鳴る。
「何だろう?」
拓人は、姿勢を正して息を吸い込んだ。
「今日から、苺花さんとお付き合いさせて頂くことになりました。
どうぞよろしくお願いします。」
拓人は、勢いに乗って一気に言うと頭を深々と下げた。
苺花は、恥ずかしいのか、目だけ出して両手で顔を覆っている。
両親は一瞬固まっていたが、すぐに笑ってくれた。
「そうか……神崎くんのような立派な青年が苺花の彼氏なら、
僕は大歓迎だよ。かえって恐縮してまうよ。
ああ、よかったなぁ、苺花」
「そうよね~。カッコイイし、セレブだし、理想のナイト様じゃないの」
「いや~そんなに言われると……恥ずかしいです」拓人は頭を掻いている。
「今時、こんな礼儀正しい青年いないよな、ママ」
「そうよね~。さすがは理事長さんの息子さんだわ」
拓人の胸がチクリとした。
やっぱりこの人たちも自分を立場で見るんだ、と。
しかし、苺花との交際をスムーズに言い出すのにも、
自分は立場を利用している。
アンビバレンスな気持ちが拓人を襲う。
「ママ、あんまりそういうの言ったら可哀想だよ?」
苺花が拓人の気持ちを察して言った。
「あ、ごめんなさい……そういうつもりじゃ」
「いいんです。いずれは親父の後も継がないといけないし……
だから別に……気にしてないですから」
徐々にトーンが下がっている拓人。
「やっぱりプレッシャー大きいのかな、神崎くん」
苺花の父が優しく声をかけた。
「ない、って言ったら正直嘘になります。
若くてすごくチャラく見えるけど、
あれだけのことをした父ですから、
やっぱり……敵わないって思います。」
「神崎くんは正直者だね。
……娘をどうかよろしくお願いするよ」
「はい。……じゃ、もう遅いので、僕は帰ります」
母は玄関まで見送り、苺花は一階のロビーまで一緒に降りてきた。
「じゃ、もうここでいいから。家、戻りなよ」
「うん……」苺花は拓人のパーカーの裾を持って離さない。
「また明日の朝来るから。な?」困った表情で苺花の頭を撫でる。
「うん…………」唇を尖らせて、上目遣いで拓人を見る苺花。
「俺、メシまだだし、腹減ったから早く帰りたい」
「えー、なにそれ。もう、知らないー」苺花がむくれだした。
「じゃな」額に軽くキスをすると、手を挙げて拓人は去って行った。
***
拓人がマンション裏の自転車置き場に来ると、数人の人影に囲まれた。
街灯が故障しているせいか、薄暗くて顔の判別は出来ない。
「何か用か」拓人は脇のベレッタPx4に手をかけた。
「いい加減、あの子の周りをチョロチョロすんのやめてくんないかな」若い女の声だ。
「悪いが、あれは俺の女だ。手を引くつもりはない」ホルスターのスナップを指で弾いた。
「怪我しちゃうけどいいのかな~。いいよね~?」ジャラリと鎖のようなものが地面を這う音がした。微かに錆の臭いと、獣臭い空気が漂ってくる。
「お前等、NBか?」
「あたらずともとおからず、といった所かな」今度は若い男の声が言った。
「あの子になぜ付きまとう?」拓人の背中に、冷たい汗が流れる。
「貴様が知る必要はなかろう……強いて言えば、
『エコロジー&エンターテインメント』という所だな」
「はぁ? さっぱりわからんが……あの子に手を出すやつは殺す。」
拓人はベレッタPx4を素早く抜き歩道を転がると、
鉄パイプを持った男の背後を取り、頭に銃口を突きつけた。
「フン、そんな奴の頭一つ吹っ飛んだ所で、
俺には何のダメージもないぞ?」若い男が何の感慨もない、という風に言った。
「……捨て駒か。哀れな奴だな。お前、ここで死んどくか?」
拓人は抑揚のない声で容赦のないセリフを吐いた。
「み、見捨てないで下さいよ! 兄貴!」
拓人に捕まった獣臭い男が懇願している。
「使えないヤツに用はない」
その男は、兄貴と呼ばれた男に、本当に見捨てられたようだ。
相手がテロリストと判明した以上、基本的に全員処分することが好ましく、
この街においては拓人にもその義務と権限が与えられていた。
「俺には、この街を守る義務があるんでな、悪く思うなよ」
拓人はそう言い捨て、返り血を避けるため男の尻を蹴り出す。
その瞬間後頭部と背中に計4発の銃弾を連射する。
獣臭い男はそのまま動かなくなり、赤黒い血溜まりが歩道を汚していた。
「フーン……学校じゃ、善良で品行方正な理事長のお坊ちゃんなのに、
こんな汚れ仕事も顔色一つ変えずに出来るのね。
ちょっと見直しちゃったわ……」
女が動くと、鎖もジャラリと音を立てる。引きずっているのだろうか。
「別に好きでお坊ちゃんを演じているわけじゃない。
周りにそういう演技を求められているだけだからだ。
でも、そうお前等にも見えていたのなら、
俺の演技力も捨てたもんじゃない、ってことだろう?」
拓人は周囲に注意を払いつつ、間合いを計っている。
「済まんな、俺が求めているのは男優じゃなくて『女優』の方なんだよ」
そう男が言った瞬間、手元で何かがきらめき、
拓人の足、腕、腹に十数本、ナイフ状の鋭い金属片が突き刺さった。
内蔵にも食い込み、痛みとも熱さともつかないものが襲う。
「がっっ!」
拓人が倒れ込みそうになった時、急に首に鎖が巻き付き、
街灯の上まで吊り上げられた。
鎖が巻き付く瞬間に手で掴み、辛うじて窒息を逃れている状態だったが、
全身の出血も多く、このままでは長時間持ちこたえるのは難しかった。
「あははははは、白波のナイト様も、これじゃ形無しだね~~。
かっこわる~」チェーンの女が、楽しそうに拓人の体をブラブラと揺すっている。
「これに懲りて、もう俺等の邪魔しないでくれよ、お坊ちゃん」
男と女は手を振って、近くに駐車してあったワンボックス車に乗り込み、
走り去っていった。
しばらくして、銃声を聞いた住人からの通報で白波署のパトカーが到着、警官に街灯から降ろされた拓人は、そのまま白波中央総合病院に運び込まれた。
***
「拓、大丈夫か?」有人が息子に呼びかけた。
目が覚めると、拓人は自分が病院にいることに気が付いた。傍らには両親と医師が自分を見守っていた。
父は腕まくりをして、ひじの内側に脱脂綿を押し当てている。
拓人は警官に担ぎ込まれた後に緊急手術を受け、刃物の除去と皮膚の傷口、損傷した内臓などの縫合が行われた。
元から再生能力の高い拓人ではあるが、内臓に関しては放置をすると支障が大きいため、ていねいに縫合をしておくに越したことはなかった。
職能的に治癒を行う人外も無論いるが、当人の生命力や精神力を削ぐ行為を日常業務とすることは、一般的に有事以外は求めるべきでないという社会的風潮があった。ただし、一般的な医療行為であっても、それを施術するのが人外であれば、そのパフォーマンスが人間を遙かに凌駕することは想像に難くない。
「たっくん……いたく、ない?」母が心配そうな顔で覗き込む。
「ん……痛い。でもほっとけば治るよ」ムリして笑顔で母に応える。
「可哀想に……。欲しい、ものない?」
「じゃ、俺の携帯取って……」
母から自分の携帯を手渡される。
早速メールの着信を調べる。何通かメールが来ていた。苺花からだ。
『To 拓人くんへ From maika:
Title:無題
さっき銃声が聞こえました。
何かあった?
無事なら無事でいいので、
連絡下さい。
心配してます。』
『To 拓人くんへ From maika:
Title:無題
いまパトカーが来ました。
上からじゃ良く見えないけど、
自転車置き場の方で、
何かあったみたいです。
大丈夫ですか?』
『To 拓人くんへ From maika:
Title:無題
何かあったの?
すごく心配です。』
このメールを最後に、後は電話の着信履歴が三十件ほどあった。
現在の時間を見てみると、事件からおよそ四時間が経過していた。
拓人は、苺花に電話した。苺花はすぐに電話口に出た。
「……俺、連絡遅くなってごめん」
『なにかあったの?』
「いや、帰りに……携帯落としちゃってさ、
暗くてわかんないしでずっと探してて。
それで遅くなったんだ。ごめんな、心配かけて」
『そうなんだ。よかった。』
「遅いから、もう切るよ。また明日」
『うん、おやすみ』
拓人は、携帯をパチリ、と畳むと大きなため息をついた。
「やってらんねぇなぁ……」
拓人はうんざりした気分でいっぱいだった。
拓人は、医者に頼んでモルヒネを打ってもらい、無理矢理深夜に退院して自宅に戻った。明朝苺花を迎えに行くためである。車の助手席でぼーっとしていると、運転をしている有人が声をかけてきた。
「拓、あそこで何があったんだ?」
信号で車が止まった。新聞配達のバイクが横で信号待ちをしている。
「……NBが待ち伏せしてたんだ。男二人と女一人。
やつらは、NBなような違うような……ってよく分からない言い方をしてたけど。
でも、やっぱり最初から彼女を狙っていたんだ。俺に手を引けと言ってきた」
「何だと?」
「それで、手下の男一人は始末したんだけど、若い別の男の方に刃物で襲われて、それから女にチェーンで吊り下げられたんだ。しばらくして警官が降ろしてくれたけど……」
「ふーーーーむ…………」有人は考え込んでいた。
「でも、ちょっとおかしいんだよな。彼女の事はすぐには殺すつもりもないみたいだし、俺に対してもただの警告だった。手下を始末した俺の事を、品行方正なお坊ちゃんが汚れ仕事もするのか……みたいに言っていたってことは、多分俺のこと知ってる……」
拓人はどろりとした目で、明るくなり始めた車窓の外を眺めていた。
「学内にまで侵入されているという事、か……」
信号が青に変わり、有人は車を発進させた。
「あと、あいつら変なことも言ってた」
「ん? どんな?」
「『エコロジー&エンターテインメント』とか『女優』ってさ。……何なんだろう?」
「俺にもわからんなぁ。ま、あとで調べてみるさ」
有人はそう言うと、息子の頭をごしゃごしゃと撫でた。
***
自宅につき、二階の自室に行こうと階段を昇る。
傷に響いてなかなか昇れない。やっとの思いで部屋に辿り着いた。
部屋でメールチェックしたが、あのあと苺花はすぐに寝てしまったのか、着信はない。安心してくれたのだと思い、少しほっとする。しかし、彼女に嘘をついたことには替わりはなく、心が少し痛んだ。
体中包帯だらけで、刺された傷も鎖の食い込んだ痕もまだ痛むが、一番つらかったのは腹に喰らった部分だった。いくら彼ら親子の体が高速で再生するとはいえ、人並みに痛覚はある。本当なら泣きたくなるくらいの痛みだが、強力な鎮痛薬で抑制している。それでも苦しい。結局、拓人はその晩痛みで眠れなかった。
翌朝、病院から処方された鎮痛薬を倍も飲み、ウエストニッパーで無理矢理腹を固定し、普段の装備に加え、腰にナイフも括り付けて階下に降りた。
ダイニングキッチンでは、両親が朝食を採っていた。
「おはよう……」気怠そうに挨拶する拓人。
「拓、もう起きて大丈夫なのか?」切なそうな顔をする父。
「たっくん、学校、休んで、もいい、のよ? むり、しないで」
母は不安で仕方無い様子だ。
拓人は、スクランブルエッグを掻き込み、トーストを二つ折りにすると三口くらいで無理矢理押し込む。そして、テーブルの上にあった牛乳パックにそのまま口をつけ、咀嚼した物を強引に喉の奥に流し込んだ。
「親父、明日から苺花のクラス替えてくれ。まぁ、替える程度で済む話じゃないが、とにかく今日中に手配してくれよ。」
「そのくらい分かっているさ。あとで礼子さんに手続きしてもらうから、安心しろ」
「じゃ、もう行くから」テーブルの上の弁当袋を掴むと、無言で家を出て行った。
***
その日の朝は、一階のロビーで苺花が待っていた。
マンション前の道路の向こうに拓人の姿を見つけると、嬉しそうに手を振り、オートロックの自動ドアから出てきた。
「おはよう、拓人くん」
「や。おはよ」拓人は、寝不足と痛みと、鎮痛剤で若干朦朧としたり、といった状態で微妙な顔になっていた。
「……どうかした? 具合でも悪いの?」
「あ、いや……。昨日あんなだったからさ。
ずっとお前のこと考えてて……眠れなかっただけ」
「やだ……」
「えー、考えてちゃいけないのかよ?」
「どうせHなことでも考えてたんでしょう」
「それも考えちゃいけないのか?」
「む……。いないとこでなら……いいけど」微妙にむくれている。
――苺花を心配させたくなくて、一生懸命笑顔を作る。
――言葉どおり、本当に、全身の痛みに耐えながら一生懸命に。
どうして自分は、こんなに息を吐くように嘘がすらすらと口をついて出てくるのだろう。
こんなにも愛している相手に対しても、自分は正直でいられないのか?
でも、それは心配させたくないからで……。
どんなに自分を正当化しようとしても、心は正直に痛みを訴えてくる。
――己の使命と心の正しさの挾間で拓人は苦しんでいた。
二人は、いつもの通学路を、今日は『手を繋いで』歩き出した。
ぱらぱらと同じ制服の学生が二人をじろじろ見ながら歩いていたが、もう拓人は気にも留めなかった。
「ん? あ……そういや苺花、眼鏡は? コンタクトにでもしたの?」
「やっと気が付いたー。あのね……、元々目悪くないの。これ度の入ってない伊達眼鏡なんだ。いままで転校とか多かったし、キャラ作ったりしてたし、眼鏡で他人と壁作ってたから……。」
「そうか……。うちの伯父さんと同じ、だな。あの人も伊達眼鏡なんだよ。大会社の……GBIの社長なんかやってっと、色々あんだってさ。なんていうか……、『裸眼だと、本当の自分を覗き込まれそう怖い』んだって。そう親父から聞いた。俺は覗かれたって困るようなもんは特にないけどな」
(ほら、また余計な事を言って正当化している)
と、拓人は苦々しい気持ちになる。恐らく、この街における自分の立ち位置を常に意識し、外面を繕うことが習慣化している彼にとって、こういう言動や行動は、意識するしないにかかわらず出てしまうものなのだろう。
「ふーん……やっぱそういう人っているもんなんだね。で、どう?」
苺花が顔を覗き込んでくる。
「……どう、って?」拓人には、精神的な余裕などなかった。
「だから……眼鏡ないの、どうかって」苺花が微妙にむくれ始めた。
「あ、ああ。かわいいよ、すごく。うん、そっちの方がいい」コクコクと慌てて頷く。
「なにその『取ってつけた感』バリバリの感想……。でも、嬉しい」苺花が微笑んだ。
「そか……」時々、もつれそうになる足。拓人は必死に歩行スピードを維持している。
「……あの……素のままの私を見せたいって思ったから……」
顔を赤らめ、うつむき加減に歩く苺花。
「そか…………。ありがとう。俺のこと、そう思ってくれるだけで、うれしいから」
時折飛びそうになる意識をつなぎ止めるかのように、繋いだ手を握り返した。
苺花を教室に送り届けると、拓人は保健室に直行した。
とてもではないが、授業を受けられる状態ではない。
「先生、授業終わる五分前に起こして……」
「はいよ。にしても、重傷だねぇ、たっくん」
「いいから静かに寝かしてくれ」
飲み過ぎた鎮痛剤で意識は朦朧としている。
授業が終わる毎に二年生の教室階に昇り、ひととき苺花と過ごし、始業のベルが鳴るとまた保健室に戻ってくる、ということを繰り返していた。
そして、三時間目と四時間目の間の渡り廊下。
「おやおや……もう元気みたいだね、お坊ちゃん?」
苺花と同じクラスの不良、立花がやってきた。
……どこかで聞いたことのある声だが、微妙に頭がボーっとしてすぐに思い出せなかったが、少しして思い出した。
「お前……!」昨夜、拓人を刃物の投擲練習台にした男だ。
拓人は苺花をかばいつつ歯噛みをする。
「もう、この子に構わないでって言ったよね?」
こちらは、拓人を絞首刑にした鎖女だ。
「拓人くん、どういうこと? ねえ、やっぱり昨日の晩に」
背後から苺花が腕に強くしがみついてきた。
その拍子に、拓人が痛みで体を折った。
「うっ…………」
「俺らの忠告、分かってもらえなかったのかな? ん?」
そういうと、立花は職員室から死角になる方向に、拓人を蹴り飛ばした。
腹を強く蹴られた拓人は、身動きを取ることが出来なかった。
「いやっ、やめ」背後から鎖女――滝が苺花の口を塞ぎ、体を抱え込んだ。
「彼女には、エコロジカルかつエンターテインメントなお仕事をお願いするんだから、お前さんにうろちょろされると、俺様の商売の支障になるんだよ」
立花はそう言いながら、渡り廊下に横たわっている拓人の腕や足、腹などを何度も踏みつけた。激痛に叫び声をあげ、身をよじる拓人を面白がっては更に踏みつけている。
立花に踏まれ、蹴られた傷が開き、拓人の制服に血が滲み出す。
コンクリートの渡り廊下に、拓人の血の痕があちこち付着した。
口を塞がれながら絶叫する苺花の目から、大粒の涙がとめどなく流れた。
ふと、始業のベルが鳴った。
「ふー、ちょっと運動になったかな。おう、そろそろ行くか。坊ちゃんよ、彼女は俺等と同じクラスだからな、俺等でちゃん、と連れていってやる。安心しな。」そう言って最後のひと蹴りとばかりに拓人の顔を蹴り飛ばし、泣きじゃくる苺花を渡り廊下から連れ出していった。
保健室に戻ってこない拓人を心配して中島が探しに来た。
そして、渡り廊下の隅に転がっている拓人を発見した。
「たっくん、大丈夫? ちょっと待ってて。人呼んで来るから」
拓人は中島の手首を掴み、引き留めた。
「い、今起きるから、肩貸してくれ……」
中島に引っ張り上げられてようやく立ち上がる。
「まったく……あなたたち親子って、本当に似てるわね」
中島は苦笑しながら、拓人に肩を貸して歩き出した。
「どこがだよ」
「そういう極端な自己犠牲精神、っていうか自虐的な所かしらね。
もうアホだわ、あんたたち。でも、そういう所に惚れるんだろうな……神崎司令のね」 彼女も礼子嬢同様に、きっと戦時中、神崎有人の部下だったのだろう。
保健室で簡単な処置を受け、ロッカーに常備していた制服に着替えた拓人は、昼休みに加藤を伴って苺花の教室に行った。さすがに人目が多いせいか、奴らは手を出して来ない。苺花は涙目になりながら、廊下にいる拓人たちの所にやってきた。
「拓人くん……大丈夫、なの?」
「ほら、見てのとおりだよ。丈夫だからって言ったろ?」
微笑を浮かべながら、両腕を広げて見せた。
実際には、錠剤の鎮痛剤に加え、保健室で軍用のモルヒネを打ってきた。
そこまでしなければ、とても耐えきれる痛みではない。」
三人は、いつものように学食に行った。
「加藤、お前これ食えよ」拓人は自分の弁当を袋ごと親友の目の前にぶら下げた。
「どうした? この育ち盛りが、メシいらないってどういうことだよ」
「ちょっと薬の飲み過ぎで気持ち悪いんだ。
なんか軽いもん買ってくるからさ、それお前が食ってくれよ……」
そう言うと、二人を残してトレーを手にし、学生たちの列に並んだ。
拓人を見送った苺花に加藤が声をかけた。
「なぁ、あいつ一体なにがあったんだ? ちょっとおかしいんだけど。
苺花ちゃん、何か知らないか?」拓人の弁当を広げながら言う。
「昨日の夜、彼がうちに来たあと、うちのマンションの裏で発砲事件があったの。詳しいことは教えてくれなかったけど、多分その事件に関わっているみたいで……。」
そう言うと大きく息を吸い込み、苺花は涙をこらえた。
「そ、それで?」
「さっき渡り廊下で……」
苺花は、拓人が一人で休み時間毎に顔を出していた事、昨晩立花と滝に乱暴をされて、全身にけがを負っている事や、休み時間にも乱暴をされた事などを話した。
「ちょっとまって。あいつ、さっき学校に来たばっかじゃなかったのか?」
「え? 朝も一緒に来たし、休み時間のたびに来てくれてたよ……」
「あいつ……一人で何やってんだろうか」
「…………」
しばらくして、拓人が山菜うどんを持って帰ってきた。
「ただいま……って、なんかあった? 二人とも」
自分を見る、加藤と苺花の様子がおかしいのに気づいた。
「ま、いいから座れ」
「う、うん」
拓人はトレーをテーブルに置くと、据わりの悪い学食の椅子を引いて腰掛けた。
「お前、昨日何があった?」
「別にない」
拓人は、七味をうどんにかけている。出が悪いのか、何度も何度も振っている。
「はい、これ。こっちのが出るよ」隣のテーブルの七味を苺花が手渡した。
「ありがと……」確かに、こちらの方が出がいい。数回振って、割り箸を割る。
「言えよ」加藤は、角を挟んで座る拓人を睨んでいる。
「なんもねえよ」拓人は加藤と目を合わせないよう、わざと正面を向きながら、うどんのつゆをすすり始めた。
「買い物から帰った後に、わざわざ苺花ちゃんの家に行ってきたんだろ」
「……なんだよ、お前狙ってたのか?」山菜を口に運ぼうとした箸が止まった。
「違うよ、そういう話じゃない。別にお前等が両思いだなんて事は、とっくの昔から知っているさ。――そうじゃなくて、マンション裏での発砲事件。お前絡んでんだろ?」
拓人は箸をどんぶりの端に置き、加藤に向き直った。目を瞑り一度深呼吸をし、再び目を開けて加藤を見る。
「わかったよ。話すよ。……マンションを出てから、自転車置き場に行った。そこに武装した数人の暴漢がいた。俺は自衛のために、親父に持たされていた銃を発砲した。しかし数に物をいわせた暴漢に怪我を負わされた。その後暴漢は逃走。銃声を聞いた住民からの通報で警察が到着。俺は病院に担ぎ込まれた。……そして、その暴漢の中に、苺花のクラスの立花と滝がいた――。これが昨日起こったことだ」
そう一気に言うと、拓人はうどんをすすり始めた。
「では、なぜそこに暴漢がいたんだ?」
「知るか」
「……ごめん、苺花ちゃん、ちょっと席外してくれるかな」
「わかりました……」不安を隠せない苺花。窓際のベンチに一旦移動した。
苺花を見送ると、加藤が拓人に体を寄せてきた。
「これなら言えるか?」
「本当にお前は気が利くな。あやかりたいよ」
拓人は早々にうどんを食べ終わり、箸をトレーに置いた。
「軽口はいい、あったこと全部言え」
拓人はため息をひとつついて、話し始めた。
「あいつら、NBだ。苺花から手を引け、と言ってきた」
「なんだって……?」
「末端の一人は始末したが、あの二人にコテンパンにやられたよ。チェーンで首吊りされるは、投げナイフを十数本喰らうは、速攻で警官が来なかったら俺ちょっとヤバかったぜ、まったく」
「ひでえ話だな。しかし、よく無事だったな」
「ああ、昨日のは警告だ。街の中で俺を殺せば色々と面倒だからな。あと、おかしな事を言っていたな。たしか……『エコロジー&エンターテインメント』とか……。それと、苺花のことを、『女優』とか言っていたような……一体何のことだろう?」
拓人は顎に手を当て、首をかしげている。
それを聞いた加藤の顔が蒼くなった。
「お前それ……。俺には分かった。
あいつらが、苺花ちゃんに何をさせようとしているのかがな!」
加藤の両手は、テーブルの腕で強く握りしめられた。
「どういう話だ?」
「お前に時々貸しているオカズがあんだろ」加藤は声をひそめた。
「あ、ああ。AVな。うん、それが?」
「あの中に、『エコロジー&エンターテインメント』をキャッチフレーズにしているレーベルがあるんだ」加藤の声が一層低くなった。
「……それって、つまり……」
「苺花ちゃんを、AV女優にして撮影したあとで殺す……ということだろうか。あくまでも憶測の域は出ないけどな」加藤がひどく苦々しい顔をした。
「させるかよ……絶対に!」
「ああ、俺も手伝うからな」
「すまん、心配かけて。そうそう、明日にはこっちのクラスに替えるように親父に言っておいたから、少しは楽になるかもしれないよ」
「そっか……。それにしても、どこまでしつこい奴らなんだ?」
「一度狙った獲物は、必ず仕留める。それがNBのポリシーだからな。理屈も何もあったもんじゃないよ。しかし、そろそろ俺等の手には負えなくなってきたな……」
拓人は、鎮痛剤を数粒噛み砕いて、お茶で流し込んだ。
苺花は、一旦窓際の席に移動したあと、拓人たちの内緒話が始まると同時に、室内を回り込んで彼等のいるテーブルの下に潜り込んでいた。
一部始終を聞いた苺花は、そのまま教室に戻っていった。
「あれ? 苺花ちゃんはどこにいったんだ?」
「いないな……トイレでも行ったんだろうか……。」
食器を下膳口に戻し、二人は廊下で苺花を待つことにした。
始業十分前になって、拓人の携帯にメールが着信した。――苺花からだった。
「気分が悪いから、そのまま保健室にいってまっすぐ教室に帰ったってさ」
「そっか……。アレかな?」ニヤリとする加藤。
「バカ! ま、そ、そうかもしれないけど。なんかそんな風だったし……」赤面する拓人。
「え、なになに、なにがそんな風なんだよ、おい。もうそういう関係?」
「ちげーよ、バカ! まだ……キスしかしてないし」
「このリア充め、爆発してしまえ!」加藤は拓人の足を蹴った。
「ギャッ…………………………………………テメエ……」足をかかえて悶絶する。
「あ、すまん……」拓人の頭をごしゃごしゃと撫でてやる加藤。
「ふう、仕方ない。上戻ろう」
「おう」二人は二年生の校舎に向かって歩き出した。
***
「ごめん……拓人くん。でも、もうやだ……。
自分が苦しむのは構わない、でも好きな人が苦しむのは、もう見たくない……」
とにかくつらかった。
これ以上、自分のために傷付く拓人を見るのが耐えられなかった。
苺花は、午後の授業が終わると拓人たちが来るまえに、急いで学園を後にした。
(やっぱり、ここに来てはいけなかったんだ……)
苺花は自責の念にかられていた。
とにかく街を出よう、と思い、彼女は外の街に繋がっている市道を歩いていた。
◇
戦前は白波学園都市も平和な街だったが、戦後は様々な理由でNBを始めとするテロリスト達の標的になっていた。その理由は――
一つ目は、白波学園都市が、かつて広域領海紛争で非公式に多大な功績を挙げた傭兵部隊を擁するGSS社の親会社、GBI社の企業城下町であること。
二つ目は、白波学園都市が『神魔不可侵』を掲げた中立地帯として、人外の保護政策を行い、テロの標的となった市民のシェルターと化していること。
三つ目は、一つ目と重複するが、当時GSS社傭兵部隊の実質的な最高司令官であった『神崎有人』の統治する都市であるということで、戦争に荷担した他国の人外から多大な恨みを買っていること。
昨今、このようにテロの標的となっていることもあり、街と外部を繋ぐ道路や鉄道では警戒が厳重になっている。
白波学園都市は、安全上の理由により直接陸路での侵入が出来ない設計になっている。主要道路や鉄道は、街の外郭で地下トンネルへと通じており、その出入り口では自動的にセキュリティチェックを行っている。
この都市で市民登録をする者は、全員マイクロチップによる身分証明のインプラントが義務付けられており、有事の際には即座に所在を確認することが出来る。また、街への出入りの際にも記録がされるようになっていた。このインプラントによって神崎が市民を管理しようとする意図は全くなく、あくまでも市民の安全のためであることは広く認知されているため、特に市民からの反発は現在までに起こってはいない。
◇
拓人と加藤が迎えに行くと、既に苺花は帰った後だった。
「あの……高塚さんなら、HR終わってすぐに帰ったよ」
加藤と交流のある、このクラスの山本が教えてくれた。
「どうしたんだろう……。一人で帰るなんて、今までなかったのに」
拓人は一抹の不安を覚えた。
「拓、電話してみろよ」加藤が拓人に言った。
「そうだな……出てくれるといいんだけど」
拓人は苺花の携帯に電話をかけた。1分ほどコールしたが、出る気配がない。
「何かあったんだろうか……。とにかく、外に出よう」
二人は苺花の上履きがあるのを確認すると、校舎の外に出た。拓人は、人気のない方に向かって構内を歩き出した。
「位置情報を調べてみる……」拓人は上着から携帯を取り出した。
「どうやってさ。携帯会社にでも聞くってのか?」
「いや……、ここの監視システムにアクセスするんだ。」
「そんなこと出来るのかよ? 都市監視システムだぞ」
拓人は携帯を片手で操りながら、監視システムの深部に入っていった。
「さすがだな……」拓人の携帯画面を覗き込んでいた加藤が、感嘆の声を上げる。
「万一の時のために、って俺にも限定的な権限が与えられているのさ。この程度のことくらいは調べられる。……実際、親父に何かあった時には、GBI本社からの応援が来るまでは、俺が一時的にこの街の一切の権限を委譲されることになっている。ナイショだぞ? バレたら俺もテロリストに殺されるからな……」
「まったく、お前んちってスゲエなぁ……で、どうなんだよ、彼女の居場所」
「分かった。――市道三号線を、西ゲート方面に向かって移動中だ。このスピードだと、恐らく徒歩だろう。……でも、なんで一人でそんな所に?」
「当人に聞いてみりゃわかるだろ。さ、急ごうぜ!」
「ああ。こんな時に連れ去られたりでもしたら大変だからな」二人は、市道三号線に向かった。
***
とぼとぼと、ひたすら西に向かって歩道を進んでいく。
苺花の横を、何台もの車が追い越していく。街の外に通じるこの道に、人影はなかった。
このまま一人で街を出たところで、はなからアテなどない。ないからこの街に家族と共に来たのだから。でも、このままでは拓人がどんどん傷付いていってしまう。日に日に自分と拓人への嫌がらせ、いや最早暴力というレベルになっているそれは、勢いを増していく一方だ。万一、彼が死にでもしたら自分は到底生きてはいけない。混血である自分さえいなくなってしまえば、父母にももう迷惑はかからないだろう、苺花はそう自分を追い詰めていた。
(外の街に出て、テロリストに見つかって殺されるなら、もうそれでもいい……)
(これ以上、誰かを、拓人を犠牲にしてまで生きていたくない)
――苺花には、もう生きる気力がなくなっていた。
「苺花! どこ行くんだ」
背後から、自分の名を叫ぶ声がした。
息が荒い。走ってきたのだろうか。
立ち止まり、振り返る。
怒った顔の拓人と、息を切らした加藤がいた。
「ここから出てくつもりなのか?」
拓人は大股で近づいてきて、苺花の腕を掴んだ。
「ほっといてよ! 私なんか、もう、いない方がいいんだから!」
苺花は叫びながら拓人の手を振り払った。
「ふさけんなよ! 何がどうでもいいんだよ!」再び苺花の腕を掴む拓人。
「もうやだ! やだやだやだやだ! 私のせいで、もう誰かが傷付くのなんか見たくない! いいから離してよ! 私なんか、死んだ方がいいんだ!」
苺花は抵抗したが、さらに強く腕を握られていて振り払うことが出来なかった。そして、最後の方は泣きながら叫んでいた。
拓人は衝動的に苺花の頬に平手打ちをした。その時、彼の瞳は紅く変色していた。
ほとんど手加減のないその衝撃で、苺花は激しく歩道に倒れ込んだ。
「おい! 拓、やりすぎだ!」加藤が慌てて苺花に駆け寄り、抱き起こした。
「苺花ちゃん、おい、大丈夫か?」苺花は口を切ったのか、唇に血が滲んでいた。
彼女は大粒の涙をぽろぽろとこぼしている。
加藤はポケットからハンカチを取り出して苺花の口と涙をぬぐっている。
拓人は棒立ちのまま、無表情にそれを見下ろしていた。
「拓人……お前。見ろよ、血出てたぞ。
何やってんだよ……おい……。大丈夫か? 苺花ちゃん……」
加藤が拓人をにらみつけ、苺花を抱きしめている。
「何してんだよ、手加減もしないで!
彼女可哀想だろ! 何とか言えよ! おい!」
拓人は、加藤を無言で蹴り飛ばした
加藤は、ガードレールに体をしたたかに打ち付け、歩道で昏倒している。
加藤の腕から放り出された苺花の前に、拓人はゆっくり近づいた。
「……苺花。お前は、『死にたい』のか?」
冷酷に苺花を見下ろす拓人。
そして、血の滲む口元を歪ませながら、拓人をにらみ返す苺花。
「だ、だったら、何なのよ!」気丈さを装っているが、温厚な拓人の豹変ぶりを目の当たりにして、その目は恐怖で彩られている。
「そうか……。じゃあ、誰かに殺される前に、――俺がお前を殺してやる」
「!」苺花は歩道に座り込んだまま、後ずさりした。
「俺は、自分のものを他人の好き勝手にされるくらいなら、自分で処分すると言っているんだが……」一歩、一歩近づいていく。苺花は後ずさりしている。
「俺は、自分が命がけで守っているお前を、他の男に嬲られて回されて殺されるくらいなら、俺が縊り折って一瞬で殺してやると言っている」
苺花は、恐怖に顔をひきつらせながら、後ずさっている。
拓人が片膝を落とし、苺花の細い首を掴んだ。
「選べよ。今ここで俺に首をへし折られるか、おとなしく俺と帰って、もう二度とこんな真似をしないと誓うか……」
「俺は……お前を殺したら、これで頭をブチ抜いて俺も死ぬ」
拓人はホルスターから拳銃を抜き、自分の頭に当てた。
「たく……とく……ん」苺花の目から涙が流れている。
「苺花……これが、俺の覚悟だ。
俺がお前のために傷付いたからといって、嘆く必要はない。
誰に命じられたからじゃない、俺自身が選んで、望んだ事だ。
だから、お前自身が生きることを放棄するのだけは、やめてくれ……。
じゃないと……俺は、もう、生きていけないから……」
拓人の瞳から涙が溢れている。
苺花は泣きながら、自分の首を掴んでいる拓人の手を、両手でそっと握った。
「苺花、……どちらを、選ぶ?」そう問いかける拓人の瞳は、もう普段に戻っていた。
「……一緒に、帰る……」
「うん、一緒に、帰ろう。……ごめんよ、痛い事して……」
拓人は、苺花の首を掴んでいた手を離し、銃をホルスターに納め苺花を抱きしめた。
「拓人くんは……怒ると怖いよ……」
「お前に本気じゃなきゃ、あんなに怒らない」
拓人は、苺花に口付けをした。微かに血の味のする口付けだった。
「あのー……お取り込み中悪いんだけど……」加藤が目を覚ました。
「わっ、あ、え、えと、き、気が付いたのか、加藤」
慌てて、急に体を離した拓人と苺花。
「はーーーーー……。やっと正気に戻ったか、拓。やれやれ」
加藤は立ち上がり、ズボンをパンパン、とはたいた。
「ところで拓人くん、さっきのピストル……本物、だよね?」
「ああ、これか?」そう言って、拓人はホルスターからベレッタPx4を取り出した。
「一応、本物……だ。最近連中の動向も悪質になってきてるからさ。――いざとなれば、相手を殺してでもお前を守る」
拓人は銃をくるくると回すと、再びホルスターに戻した。
「なんでそんなのいつも持ってるの?」苺花は不安そうな顔をした。
「なんでって言っちゃうとアレなんだけど……。
うち特殊だから、護身用にって親に持たされてんの。
今まではあまり学校に持ってってなかっただけ」
「そう……なんだ」
「親父も俺も、戦神としては三流なんだよ。
素じゃ大して強くない。だから近代兵器が必要なわけだ。
よほどの大物でもなければ、今は人間の武器で、神も魔族も殺せるからな」
拓人は指で頭を打ち抜くジェスチャーをしてみせた。
「俺だって、ノーガードで頭ブチ抜きゃ死ぬし」
「ま、そういうこった」加藤も同意した。
「ふーん……でも、そういうの持ち歩くのって、ちょっと怖い。」
「だろうと思って、あまりこういう所を見せたくはなかったんだが……。
だから、昨日の晩の事も言いたくはなかった。
でも、大切な何かを守るにはそれ相応の用意が必要ってこともある。
『やれば出来た手段』を講じなかったせいで、守れなかったじゃ済まされないんだ。……若干納得いかないかもしれないけども、そこまでして守られる価値が、自分にはある、って思ってくれないか?」拓人は少し淋しげに苺花を見た。
「俺からもたのむよ、苺花ちゃん。俺にとっても、君は大事な友達なんだぜ? いなくなったり、ましてや殺されたりなんて事は、絶対にご免だからな」加藤は苺花に向かって拝んだ。
「うん。……二人とも、ごめんなさい。もう、勝手にいなくなったりしないから……」苺花はぺこりと頭を下げた。