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レイミーの車で二人は現場に急行した。
連絡を受けてすぐアイクの自宅アパートから駆けつけたのでアイクも私服のままだった。
場所はサンセットBlvdとサンタモニカBlvdに挟まれた繁華街の一画。
パトカーの非常灯が明滅し、立ち入り禁止の黄色いテープが張り巡らされたボトルネックのその果てで、忙しく蠢いていた鑑識課の面々はレイミーが到着すると静止して道を作った。
無駄のない動きで突っ切って、被害者を覗き込むレイミー・ボトムズ。半歩遅れて、アイクも続いた。
「被害者の身元は?」
レイミーの問いに一番近くにいた警官──この区域担当──が即答する。
「現時点では未確認です。が、そう時間はかからないでしょう。じきに──」
「ロドニー・ハワーズ……」
搾り出すようなアイクの声にその場にいた全員が動きを止めた。
レイミーが肩越しに振り返った。
「この子を知ってるの、アイク?」
斬り刻まれた血塗れの死体を膝を突いて見下ろしているアイクの顔は蒼白だった。
「何てこった……畜生……!」
署内、レイミー・ボトムズのオフィス。
ロドニー・ハワーズ殺害事件に関する情報は続々と入って来ている。
犯行現場は殺害現場と同一/ 犯行時間は未明4時~6時/ 直接の死因は出血多量による……
「被害者がケイレヴ・グリーンの情夫の一人だったって言うのは事実のようね?」
レイミーは椅子を勢いよく反転させると現時点で判明している事実を書き留めた紙片を机に叩きつけた。その上に肘を突き両手を組み合わせる。一見、祈っているように見える(本人は気づいていない)このポーズは熟考する時の癖だった。
「これで一挙に我等が手中のグリーン候補、ポイントが加算されました……ってとこね? 信じられないけど」
半眼になって鼻に皺を寄せる。
「惜しむべきはここ一週間のグリーンの行動をマークできなかったこと。でもそれは私たちの失策じゃない。出張でこの街を離れた彼を追跡するほど予算を回してくれなかった上層部の責任よ!」
深く座り直すと背凭れに頭をつけて椅子をキィキィ軋ませた。
「チームを再編するわ! 要員を増やすわよ! 徹底的に本腰を入れてグリーンを張るわ! もうお偉方に文句は言わせない!」
「レイミー、話がある」
アイクが近寄って来た。少年の斬殺死体を確認して以降、署に戻ってからも殆ど口を聞いていなかったことをレイミーは思い出した。
「君もよ、アイク! 〈延命治療〉だろうと〈リハビリ〉だろうと、もうそんなことはどうでもいい。この件だけはキチンと片付けてもらうからそのつもりでいてよ!」
「どうしても聞いてもらいたいことがあるんだ、レイミー」
「ロドニー・ハワーズのここ二、三日の足取りの裏が取れました!」
駆け込んで来た若い刑事を見てレイミーは腕を振ってアイクを遮った。
「最新はどうなってる、ミーチャム? 殺害される前よ、何よりそれが聞きたいわ」
「かなり明白だし、シンプルですよ」
アイクは一歩下がってミーチャムと呼ばれた刑事に場所を譲った。
「被害者は文字通り男娼だったから──客を取ってたんだ。殺される前夜も」
レイミーもアイクも無反応だった。その程度の情報ならとっくに把握している。
「その夜、しけこんだホテルも割れました。サンセット沿線の〈ベストウェスタン・プラス〉。被害者がいつも利用していたと従業員も認めています」
「お相手はケイレヴ・グリーン……ってほどラッキーは続かないわよね?」
レイミーは皮肉で言ったのだがこの刑事には通じなかった。
「ええ、勿論、グリーンじゃない。彼は今現在、当州を離れて──他州へ行ってるんでしょ?」
「〝担当者〟の報告が正しければ、ね?」
再度皮肉を込めて、今度はアイクを横目で見るレイミー。アイクは硬い表情を崩さなかった。
若い刑事は手帳の頁を繰りながら報告を続けた。
「ええと、一緒に泊まった相手の正確な身元は現在追跡中ですが──ホテルの連中の証言に拠れば『身長6フィートで160~170ポンドくらい』これじゃグリーンにしては細身過ぎるし、そもそも『ケイレヴなら顔を見知ってる。昨夜のは見たことない相手だった』と。『ダークヘアで目の色は不明』。おっと、特定要因かな? 『翳のあるハンサム』『ここらでは初めて見る顔』……現段階では以上です」
「ありがとう。即、簡潔に文章化して提出して。──何よ?」
ずっと机の前に立ち続けているアイクに視線を戻した。
やって来た時同様、慌ただしく若い刑事が出て行くのを待ってから、
「言ったはずよ。辞表の件なら後にして。この事件が解決するまでポケットにでも入れ続けるのね」
「そのことじゃない。俺はまたミスをやらかした……」
「ええ、そのようね」
机の上の書類を引き寄せるとそれに視線を落としながらレイミーは冷淡に頷いた。
「君はずっとグリーンの専属だったくせに、そして今回の被害者、ロドニー・ハワーズを知っていたくせに、この坊やのこと報告書に記すのを怠った。でも、今回は許してあげる。要はこれから」
「そのことでもない。お願いだから、レイミー、最後まで聞いてくれ」
いつにも増して切実な声だった。
「ロドニーのことを記さなかったのは凡ミスだ。うっかりしてたのと、同時に、さほど重要じゃないとその存在を軽く考えていた」
「そこよ! 君個人の判断は不必要だわ。完璧な報告書とは私情を交えず有りのままを最大限漏らさず書き込むことだって私は何度も注意したはずよ!」
「俺なんだ」
「え?」
「ロドニー・ハワーズと最後に会ったのは俺なんです」
「──……」
暫くレイミーは部下の言葉が理解できない様子だった。
「さっきの刑事の言っていた〈昨夜のロドニーの客〉は俺です。俺は捜査段階であいつと知り合って、それで──」
レイミー・ボトムズの瞳がこれ以上ないくらい見開かれる。
「……仲良くなったってわけ?」
「俺は先にホテルを出た。まだ夜明け前で──5時位だったと思う。それで、アパートに戻ったらあんたが俺を待っていた……」
上司の真っ青な双眸を見つめてアイクは詳細に説明し続けた。
「俺がホテルの部屋を出た時、ロドニーはベッドでまだ眠ってた。あとのことは知らない」
机の縁を掴んだ指が白くなっている。
「俺は……またしてもたくさんのミスを重ねたけど……これだけは言える。レイミー、俺じゃない……」
搾り出すような声でアイクは首を振った。
「俺は……殺ってない……!」