#5
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その日もアイクは勤務を終えると食料品の包みを抱えて帰って来た。
鍵を開けて家の中に入る。キッチンのテーブルに荷物を置く。そうして、それに気づいた。
寝室に通じるドア──
ドアは細く開いていた。それだけでも中の様子を知るには充分だった。
室内では男と女が激しく愛し合っている。交錯する荒い吐息と乱れた声音……
「────」
「嘘だろ?」
これはジェイミーの喘ぎ声。
「あんた、アイク? こんなとこで何やってんだ?」
「見た通り酔っ払ってんのさ! わかんねぇか?」
いつものBAR〈サイドカー〉とは違う小さな店。
その狭いカウンターに突っ伏してアイク・サクストンは酔い潰れていた。
派手に酔っ払っているいい男がいると聞いて──この種の情報は当地域では驚くほど早く仲間内に伝播するのだ──その姿形が気になって、まさかと思って駆けつければ……
ジェイミーは隣のスツールに腰掛けた。顔を覗き込んで訊く。
「いいのかよ? 明日の仕事に差し支えるだろ?」
時刻は午前2時をとっくに過ぎている。
今週、ケイレヴ・グリーンは創作家具協会の大型イベントとやらで東海岸の州へ出かけていた。従ってアイクも張り込む必要がなく通常勤務に戻っていたのだ。それを、よもやこんなところに見出そうとは。
「畜生! あの雌犬め! 俺のいない間に男を連れ込んでやがった……!」
「ああ、それか」
苦笑するジェイミー。
「そう言うことか」
「勿論、これが初めてってわけじゃない。俺の勤務が不規則なのをいいことに、あいつ、今までだって散々……」
アイクは完全に泥酔していた。
この男のこんな姿をジェイミーは初めて見た。職業柄、そして、実は〝勤務中〟と言うこともあって〈サイドカー〉ではいつも素面だったから。
「最低の女だ! 俺が今日までどんな思いで面倒見て来たと思ってるんだ? それを……それを……」
ジェイミーにと言うより虚空に向かってアイクは毒づいた。
「あいつ、アル中のヤク中……ほとんど狂ってやがる……!」
酔っ払いの扱いは慣れている。殊更明るい口調でジェイミーは受け流した。
「よくあることさ。リハビリセンターに相談すればいい。面倒見てくれるんじゃないかな?」
「ミンクみたいにしょっちゅうヤリたがる。四六時中、暇さえあれば求めやがって……こっちの方もリハビリセンターは面倒見てくれるのか?」
「────」
「……母親なんだ。言ったろ? 女房じゃない。恋人でもない。ありゃ俺の母親だ」
「うん」
「知ってたのか?」
逆に驚いたのはアイクの方だった。
「薄々は……そんな気がしてた」
「クソッ!」
更に深くカウンターに突っ伏すアイクだった。
「サラと俺はオヤジに捨てられたんだ。これもよくあることだけどな」
バーボンを一気に呷ってから、唐突にアイク・サクストンは話し出した。
「オヤジは警官だった。俺なんかと違って自他共に認める〝優秀〟な、さ。熱血で正義感の強い〈燃える警官〉殿!」
「へえ? あんたがよく口にする上司……ほら、何てったっけ、レイミー・ボトムズ刑事みたいな?」
それには答えず、
「だが、結局、そのご立派な警官が何をしたよ? よりによって、自分の関わった強盗殺人犯の女房とデキちまって、二人手に手を取って逃げちまった。俺が六歳の夏。おふくろはまだ三〇前──二七歳だった。以来、今日に至るまで何の音沙汰もなし。金一ドルだって送ってきた試しはない」
新たに注がれた一杯も即座に流し込む。
「おふくろの気持ちはわからないでもないよ。なあ?」
グラスを置いてそう言った時のアイクの眼差しは優しかった。
「最初の内は俺を抱えて、一人でそりゃ懸命に働いてたんだ。でも、気づいたらこれさ。取っ変え引っ変え男を連れて帰るようになって……つまり、そういうお仕事。それから、酒と薬。でも、俺が働けるようになるまでは母親が身体で稼ぐ金が我が家の唯一の収入源だった」
額に落ちてくる髪を掻き上げる。
「中学さえ出たら今度は俺が頑張ろうと思ってた。それまでにもできるバイトは何でもやったし。その頃さ、俺たちの悲惨な実情を察知した親父の同僚の警官仲間が金を出し合って高校へ進学させてくれた。それで、借りた金と恩を返す意味も含めて、卒業後、進められるままに俺もこっちのコース、警官になったんだ」
金は今もきちんと返し続けている、とアイクは言った。
「……その上で、俺の給料で母親の面倒くらいは充分見ていける。でも、どうやっても直せないことがある。どんなに注意を払って見張っていてもやめさせられない。酒や薬のことじゃない。そんなものはいいさ、もう。俺が我慢ならないのは──男漁りだ!」
カウンターの上の握り締めた自分の拳をアイクは見つめた。
「次から次へと男を連れ込みやがる! 今じゃ息子がいるって認識さえあいつにはない。いや、おふくろにとっての息子は、永遠に、半袖を着た六歳の男の子なのかもな? 親父に捨てられたあの夏の。で、俺は? おふくろにとって今じゃ俺は……亭主なのさ」
それを言うアイクの顔は引き攣って醜く歪んでいた。
「この意味わかるよな? でも、外で行きずりの男、片っ端から連れ込まれるよりはマシだと思って、俺……」
「アイク……」
「信じられないよ、今でも自分が……そんな真似続けてる自分が。だが、他に何ができる?」
ここでアイクは微笑んだ。
「レイミー・ボトムズはさ、俺を援助してくれた親父の警官仲間の、娘なんだ」
「ああ、そうか! そういう関係なんだ?」
「一番の親友だったらしいや。昔は家族ぐるみで付き合ってて──勿論、親父が駆け落ちする以前のことだけど。俺達、姉弟みたいにして育った時期もあったんだ」
アイクの顔から微笑が消える。アイクはさっきとは違う笑い方をした。
「レイミーは俺の親父を、そして俺自身を……それこそ全てを知っているから、その分俺たち似非警官父子を嫌悪してるのさ。まあ、あいつはあいつの親父同様、エリート街道まっしぐらだしな。ほんと、DNAを恨むぜ」
「そーいう考え方、良くないと思うな!」
自分の注文したミルキィ・ウェイを舐めながらジェイミー、茶目っ気たっぷりに人差し指を振って嗜める。
「あんたの親父さんがハズレだとしても、でも、あんたまで失敗作とは限らないだろ?」
「バーカ、俺もやらかしちまったんだよ! 俺は親父みたいに逃げはしなかったけど……」
「?」
「でも、地理的な意味じゃなく、実は俺だって〝逃げた〟のかも知れない。〝逃げ続けている〟のかも」
ずっとカウンターの正面を向いていた(目を合わせようとしなかった)アイクが、ふいに振り向いた。
真っ直ぐにジェイミーの瞳を覗き込んでくる。
「いつだったか、そうだ、出会った日におまえは言ったっけな?」
「え?」
「俺の頬に触れながら、弄るように愛撫するように──」
ジェイミーの頬に触れ、同じ仕草で再現して見せるアイク。
──── あんたはわかっているのかい? 自分が何処にいるのか……?
そう、俺はわからない。自分が、今、何処にいるか。
警察署内でも、おふくろのベッドの中でも、いつも、俺が何処にいるのか。
嘗て一度。一度だけ、自分の居場所を見つけたと思った時があった。
あれはいつ? そして、何処だった?
ハイウェイ、夏の空と乾いた風。事故を起こしてガードレール沿いに停まっている濃紺のカマロ。
砕けたガラスを避けながら近づいて行って後部座席を覗き込む……
思い出の断片は錯綜する。
続いて目の前に現れるのは、果てしなく続いている豪奢なプライベート・ドライヴウェイ。敷石の軋む音。
パトカーの窓越しに差し出される華奢な掌……
クソッ、俺は、今、本当に何処にいるんだ?