#4
4
早朝、食料品の包みを抱えてアイクはウエストサイドの自宅へ帰って来た。サンタモニカBlvd沿いのアパート。
「……ただいま、サラ?」
キッチンのテーブルに荷物を置き、寝室を覗く。だが、そこには誰もいなかった。
「───」
夜勤明けで疲れ果てているアイクはそのまま空っぽのベッドに倒れ込んだ。
(これも? 俺の数多いミスの一つか?)
あいつを引っ張り込んだことを上司に告げるべきだ。
だが、そもそもこんなやり方、あの女が許すはずない。
『気でも狂ったの?』
レイミーが激怒する姿が見える気がした。
『まあ、前から君はマトモじゃないと思ってたけど』
『君の裁量で決定できることじゃないでしょ? この件で一般人を使って囮捜査ですって? 何考えてるのよ?』
『そもそもケイレヴ・グリーンはそんなに怪しいの? だったら何故もっと早い段階で詳細にその旨、私に報告しなかったの?』
『そう言うことなら私が上と掛け合ってチームを再編成するわ。本腰を入れて、もっと優秀な人員を選り抜いて完璧な体制で望むわよ』
(となると、俺は外されるわけだ。これぞ〝完璧〟!)
寝返りを打ってアイクは天井に笑いかける。
(でも大丈夫。何故ならケイレヴ・グリーンはシロだから。)
奴は何処にでもいるかなり凶暴で乱暴でサデスティックな〈可愛子ちゃん狂い〉ってだけ。俺が連日作成し提出し続けてる報告書参照のこと、だ。
(では、何故、俺はこんな真似をする?)
……あいつの方から言い出したんだ。そして、あいつは毎日連絡してくる。
『アロー、アイク?』
グリーンがどんな男かを逐一俺に報告する。グリーンが一緒にいる時、何を見、何を言い、何をやったか──
(〝接点〟……)
いつしかアイクは深い眠りへと墜ちて行った。
電話のベルで目が醒めた。
ベッド横の電話の受話器を掴むと、
「サラか?」
「あれ、珍しい! 彼女、留守なんだ?」
ジェイミー・クルスの声だった。
「ジェイミー? どうした、今頃?」
咄嗟にチェストの上の時計に目をやり、今、午後3時過ぎだと確認する。
「何かあったのか?」
「……あんたに会いたくて……話したいことがあるんだ。今出られる?」
「ああ。何処にいるんだ? バーニーズビーナリー?」
アイクがダイナーのドアを開けて入って来た時からジェイミーはその姿を捕らえていた。
ブースを見回して自分を探している様子をこっそり眺め続ける。
相変わらずハンサムな警官だな? いや、制服を着ていないから誰も警官だなんて思わないだろう。
今日の服装は白のシャツにジィーンズ、M65フィールドジャケットか。在り来たりの組み合わせなのによく似合ってる……
やがて、こっちに気づいた。右手を上げて笑いながら近づいて来る。が、途中で表情が険しくなり、テーブルに着いた時には、アイク・サクストンは露骨に顔を顰めていた。
「どうした、それ?」
ジェイミーの顔面には明らかに殴られたと思しき痣があった。
「騒ぐなよ。何でもない。こんなの儀式みたいなもんさ」
「グリーンか?」
アイクはジェイミーの顔に手をやって怪我の具合を調べた。
「何をされた?」
その問いには答えず、
「これで奴がサディストだって証明になる?」
アイクは向かい側のシートに乱暴に腰を落とすと吐き捨てるように言った。
「そんなのはハナからわかってる。当局が今回、野郎に目をつけた理由はソレさ。奴は何回もやらかしてるんだ。その手の〝軽微な〟虐待事件。仲間内では噂の人物だが内々で上手く収めて訴えられたことも、逮捕されたこともない。勿論、殺したことも」
「知られてる限りにおいては──だろ?」
アイクは頷いた。
「今回CBI発案でマークされた連中はその手の危険なくせに逮捕歴のない連中なのさ。それにしても──酷い目にあったな、ジェイミー?」
「言ったろ、こんなのは何でもない。遊びの領域さ」
「もう降りていいぜ。どうせ──」
ここで、一人割り込んで来た。
「あれ? ジェイミーじゃないか!」
「!」
明らかにジェイミーは動揺した。その反応にアイクが戸惑うほど。
テーブルにやって来たのはジェイミーと似た背格好の少年だった。
プラチナブロンドの髪を真っ直ぐに腰まで垂らして、ラベンダー色のTシャツに白のジィーンズ。ラペスラズリのブレスレット。
「久しぶりだな? へええええ……!」
少年は大げさに驚いて見せた。
「知らなかったぜ。こんなゴージャスな友人がいるなんて!」
「あっちへ行けよ、ロドニー」
「ケチんなって。自己紹介くらいさせてくれよ。ハイ、俺、ロドニー・ハワーズ。お見知りおきのほどを!」
「アイク・サクストンさ。よろしく」
「もういいだろ? とっとと失せな!」
「わかったよ」
行きかけたものの思い出したようにロドニーは戻って来た。
「くれぐれも気をつけろよ、ジェイミー。これがケイレヴ・グリーンに知れたらヤバイぜ」
グリーンの名にアイクが目を細める。更に小声でロドニーは続けた。
「わかってるだろ? 俺が何度も忠告した通り、あいつは獣さ。おまけに独占欲が強くてそりゃもう嫉妬深いと来る……」
「ロドニー!」
「OK、もうこれ以上デートの邪魔はしない。じゃあね、アイク、敢えて良かった!」
「俺もさ」
ロドニーが見えなくなるまでジェイミーはテーブルに頬杖を突いたまま一言も口をきかなかった。
「誰だ、あいつ? グリーンを知ってるみたいだな。おまえとグリーン両方の友達かい?」
憎々しげにジェイミーは答えた。
「グリーンの前の恋人さ」
即座にアイクは納得した。
「なるほど。どうりでキュートなわけだ」
明らかにムッとしてジェイミー、
「あんなのが好みか? 信じられないぜ! あいつは最低の尻軽さ。いい男見るとすぐ色目使いやがる。性格もすこぶる悪い」
「そんな風には見えなかったけどな。おまえのこと、気遣っていたじゃないか?」
「違う!」
ジェイミーが激しくテーブルを叩いたのでアンバーエールの瓶が倒れかけた。慌ててアイクが手で押さえる。その手をジェイミーは見つめた。
「あいつ、あんたの前でわざと〝他の男〟の名、出したんだ! 気づかないのか? 野郎、俺たちの仲ブッ壊そうとしたんだよ!」
声が震えていた。少年の怒りは容易には収まりそうになかった。
「もし、あんたが俺の新しい恋人で、そして、俺とケイレヴの関係知らなかったら──どうなってたと思う? 大喧嘩モノだろ?」
「──」
「あいつはソレを狙ってたんだ。そう言う奴さ。あいつは他人の恋を粉砕するのが生き甲斐なんだ。尤も──」
ここで静かに息を吐く。同意を求めるようにアイクの方を見て薄く微笑んだ。
「そうは思い通りに行くかっての! あんたは元々俺とケイレヴ・グリーンの関係知ってるし、そもそも俺の……恋人ってわけじゃない」
アイクも頷いて笑った。
「……ああ、そうだな」
同日の夕方。
サンセットストリップはサンタモニカBlvd沿線、キングスロードのプールバー。
その名を呼ぶとロドニーはキューを抱えたまま振り返った。
長い髪を肩に跳ね上げて怪訝そうに目を細める。やがてパッと微笑んだ。
「ああ、あんたか、アイク? 光栄だな、俺のこと憶えててくれたの?」
「そりゃこっちの台詞さ。ちょっと、いいかい?」
「俺はいいけど──どうかな、このことジェイミーが知ったら泥沼もんだぜ?」
「そうじゃないって」
アイクはここでIDを掲示した。
ロドニーの表情は一変した。
「あ、あんたが警官だなんて……嘘だろ?」
急にそわそわして周囲を見回す。
「なあ、見逃してくれよ。俺ヤバイことはここんとここれっぽっちもやってない。誓う。売人のフランキーとは二ヶ月も会ってないし、あ、モーリーか? あいつなら──」
「ストップ! 安心しろよ。俺はそんな話聞きに来たんじゃない。ジェイミーが教えてくれたんだが、おまえもグリーンのことよく知ってるって?」
ロドニーの顔に笑顔が戻った。
「え? ああ! あのケイレヴ・グリーンか?」
「あいつは酷い男さ。でも、そんなのここらじゃ知れ渡ってるけどな。俺も二、三回付き合わされたけど二度とゴメンだぜ。だから、ジェイミーにも言ったんだ。やめとけって。それを紹介してくれってうるさくってさ」
通りを見下ろせる窓に寄ってロドニー・ハワーズは語りだした。
ジャケットのポケットから手帳を取り出すアイク。
「それはいつのことだ?」
「……半年くらい前かな。言ったろ、俺、グリーンと切れたくて仕方なかった。ほんと、あいつの趣味にはついていけないよ。だけど、凄いシツコイ質で何処に逃げても追っかけて来るんだ。もうヘトヘトで気が狂いそうだった。そんな時さ、ジェイミーが現れて、紹介してくれって。自分が代わってやるって」
「ロドニー、おまえ、ジェイミーとの付き合いは古いのか?」
「いや。だからその頃知り合ったんだってば。あいつ、何処か……東部から引っ越して来たんだよ。違うの? 俺はそう聞いた気がする。目立つ子だから昔から近くにいたなら見逃すはずないって」
窓越しに夕焼けの空を見上げて笑った。
「おかげで俺はグリーンと切れることができた。グリーンは一目見るなりジェイミーにノボせ上がっちゃってさ! もう俺なんか何処へ行こうがお構いなし。これぞ無罪放免ってわけ。でも、俺はちょっと罪悪感」
「何故?」
「だって、ジェイミーが言い出したにせよ、グリーンみたいな奴、押し付けた格好だろ?」
ロドニーは自慢の長い髪を人差し指にクルクル巻きつけた。
「でも、まあ、ジェイミーは俺なんかと違って人を扱うのが巧いからなあ! グリーンとも上手に付き合ってるみたいだけど──今日は違ったよな?」
突然、ロドニーの声の調子が変わった。
「あれ、グリーンにやられた痕だろ?」
青い瞳は怒りと悲しみを率直に映していた。アイクは少年の優しさに心を打たれた。
「おまえも気づいたかい?」
「当然。俺、前任者だぜ!」
悪戯っぽく微笑んだ後で再び真剣な表情に戻った。
「だから、俺はてっきり原因はあんただと。あ、失礼。つまり、ジェイミーに新しい恋人ができて、それでグリーンと揉めたのかと、ね」
言った後ですぐ首を振った。
「でも、まあ、グリーンって奴は〝理由〟なんて要らないんだもんな。あいつは可愛い子ブッ叩くのがただひたすら好きなだけで……」
「最後にもう一つだけ」
メモを取っていた手帳を閉じるとアイクは訊いた。
「おまえとジェイミーはどういう関係なんだ?」
「え?」
「勘違いすんなよ? 俺が知りたいのは、つまり──仲がいいかってことさ。おまえとジェイミーは友達同士なんだ?」
ロドニーは即座に頷いた。
「勿論! ジェイミーは俺のマブダチだよ! 俺はあいつに恩を感じているし、あいつが困った時は何だって力になってやりたい。ここだけの話、あいつさえOKなら寝たいよ。でも、これはダメだろうな!」
茶目っ気たっぷりに少年は片目を瞑ってみせた。
「わかってるよ! 俺はあいつのタイプじゃない。ジェイミーの好みは、そう──」
ロドニー・ハワーズは真っ直ぐにアイクを見つめた。
それ以上は何も言わず、次に言ったのはこれだけ。
「じゃ、そういうことで。もう、行っていいかい?」
「ああ。ありがとう、ロドニー。おまえの話、凄く役に立ったよ」