#31
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燦きだした星空の下、アイクはバイクを止めた。
タンデムシートから降りたレイミーはその場所を確認するかのように周囲を注意深く見回した。
「……ここは?」
しかし、アイクは何も答えなかった。
そこはかつて1度だけジェイミーが連れて来てくれたことがある、彼の住居だった。
「ここ……」
レイミーは繰り返した。
「……こんな処に?」
「俺も吃驚したよ」
喧嘩別れしてドアから出た途端、そこがどこか知った時にアイクも正直愕然とした。
サンセットBlvdも尽きるその果ての果て、パシフィックコーストハイウェイに交差する辺りの廃業したプール場がジェイミーの塒だった。
プールを宣伝する大きな看板がまだハイウェイの方角に向けて掲げられている。
「まあ、カリフォルニアらしいって言えばカリフォルニアらしい住居だけど」
レイミーの皮肉が出た。
ジェイミーは元プール場のオフィス部分を住居に転用していたが建物全体に染み付いた塩素剤の匂いのせいで、アイクはここで目覚めた朝、部屋全体に水槽のイメージを抱いてしまったのだ。
プール場の駐車場、建物からは離れた道路沿いに一台車が止めてあった。HERDチームで認識していない車だ。ワインレッドのホンダ。
目の端でそれを確認してからアイクは正面玄関へ向かった。
鍵は開いていた。だが、アイクは予想していたので別段驚かなかった。
レイミーもついて入った。
受付のあるエントランスを抜け、更衣室を通ってプールへ。
プール場に入るには入口の消毒シャワーのアーチを潜らなければならないが、大丈夫。それは作動していない。もうどこにも水はなかった。
「遅いじゃないか? 待ちくたびれちゃったぜ!」
ジェイミーが満面の笑顔で二人を迎えた。
プールは三面あった。大きな競技用の20mプール。それ以外に子供や家族向けの娯楽用と幼児用のそれ。後者二つはくっついていて行き来できるようになっている。形状も角のないアールデコ調の洒落たデザインだった。
そっちの方の水のないプールの中にジェイミーはいた。
釦を外したモッズコート。ジィーンズを履いただけで上半身は裸のまま。両手には黒い革手袋をはめている。
ジェイミーが何故、こっちのプールを選んだのか、その理由はすぐわかった。この娯楽用のプールには中央に噴水があったから。そこに両手両足を縛られた裸のシュン・ホルトが吊るされていた。
吊るすといっても、顔をのぞき込めるくらいのちょうどいい高さで、噴水はそれをするのに理想的な役割を果たしている。
この光景を目の当たりにして、悲鳴を上げたのはレイミー・ボトムズ刑事だった。
「……シュン!」
アイクの口から漏れたのは掠れた吐息だけ。
同じように掠れた笑い声をジェイミーがあげた。
「安心しなよ。まだくたばっちゃいない」
シュンの黒髪を掴んで顔を覗き込むと、
「なあ、シュン? こんなんで死んじまってたら俺なんかとっくに何度もあの世行きだよな」
レイミーは緊張した面持ちで周囲を見回した。グリーンを探したのだ。
ジェイミーはそんな女刑事を無視してアイクに向かって話しかけた。
「アイク、俺、マジで恨んでるぜ。あんたのおかげで俺、たくさんの変形をやらかしちまったもん」
二、三度揺すってシュンの反応がないのを確認すると手を離した。プールの底に幾筋か血を滴らせてシュンは失神していた。
「そういうのって美しくない。だってさ、スタイルは既に完成されてた。完璧にクールに。実際のとこ、俺、それを外すの嫌いなんだ。あんたなら知ってるよな? 俺がどのくらい神経質か」
ジェイミーはここでコートのポケットからジャックナイフを取り出した。
暫く、白濁した刃をじっと見つめていた。
「他人を部屋に入れるのだって吐き気がするくらい嫌なのにさ、今日はこんなにたくさん人を招待しなきゃならないとは……しかも秘密の儀式を披露するために?」
ここで一つため息をつく。
「でも、仕方がない。それもこれも全てあんたのせいだ。今までは長いこと独りっきりのお楽しみだったんだけど。今回だけはあんたに見せたくなった。見せてやるよ。だから、こうして待っていたんだ」
再びシュンに近寄ると、ナイフを持ってない方の手で髪を掴んで顔をアイク達に突きつけた。
「ほーら、俺はまだこいつを本格的には斬り刻んではいない。コイツにはまだたっぷり血が残ってる」
「ウウッ……」
意識を取り戻したのか身を悶えて喘ぐシュン・ホルト。
「そのかわり、あんたも見せてくれるんだろ? スッゴク楽しみだな! 大切な可愛子ちやんが斬り刻まれるのを見るあんたの顔! 想像しただけで……もう、こっちもイキそうだぜ」
「グリーンは何処?」
レイミーが肩ごしにアイクに囁いた。
「あの子には好きに喋らせておけばいい。問題はグリーンよ。グリーンに注意して」
囁く間も目だけはプール場の全域を隈なく注視している。
「あの子の無駄口はこっちにはいいカモフラージュだわ。聞くのに夢中になってるふりをして」
レイミーが警告した。
「そして、いつでも発砲できるようにしておいて」
「……」
「おい、そこ! 何コソコソやりあってるんだよ? ちゃんと俺の話を聞けったら!」
染み入るように静かな声でアイクは言った。
「聞いてるよ、ジェイミー。ちゃんと聞いてる」
「OK」
アイクの返答に少年は落ち着きを取り戻したように見える。
「俺はさ、確かにあんたにいっぱい嘘をついた。その中で一番の嘘は、自分の住居に他人を入れたのは〝あんたが初めて〟ってヤツだった。本当は何人も……この街では一人、他の街では数人入れてる。でも、それは嘘というより言い方がちょっと悪かっただけ。俺が伝えたかったのは、つまり、自分の部屋へ入れて生きて帰したのは〝あんたが初めて〟ってことなんだ。な? それなら嘘じゃないよな? あんた、ここから無事帰ったじゃないか、あの日」
俺のために……
俺が可哀想だと泣いてくれたあの日……
「俺、あんたを殺す気なんてモートーないよ! これからだって、一生……たとえ、あんたが俺にどんな仕打ちしようと俺はあんたを傷つけたりはしない」
「そんなこと、わかってるさ、ジェイミー。わかってる……」
背中でレイミーがまた囁く。
「いい調子よ。このまま会話を続けて。そして、うまく誘導してグリーンの居場所を聞きだすのよ、アイク」
「うるさいったら、クソババア! 俺とアイクの話の邪魔すんじゃないよ!」
ジェイミーはナイフで額に落ちてくる金色の髪を払った。
「えーと、どこまで話したんだっけ? とにかく、俺の嘘の話は終いだ。俺があんたについた嘘なんかチャチで他愛ないってこと。でも、あんたは──あんたときたら一番肝心なことで俺を騙しやがった!」
少年の瞳のこんなに暗い緑色をアイクは初めて見た。