#30
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ケイレヴ・グリーンの自宅前。
やや離れた歩道沿いに止めてある一台、ブルーのトヨタは実は警察車両。ハリー・クラヴェル刑事が使用しているものだ。
ペイジが駆け寄って覗き込む。
「クラヴェル刑事?」
中は空っぽだった。
「──」
三人は振り返ってグリーンの自宅を見遣った。
こうなった上は仕方がない。アザレアの植え込みを突っ切って三人は玄関へ向かう。
インターコムを押しても返答はなかった。
試しにドアノブに手を置いて、ペイジが声を上げた。
「鍵が……開いてるぞ!」
真っ先に足を踏み入れたのはアイクだった。ショルダー・ホルスター内の銃は抜かないままゆっくりと進む。レイミーとペイジも後に続いた。
建物内は森閑として、静まり返っていた。
玄関から入ると中央に階段が見える。右手がリビングルーム、その奥にダイニング、鍵の手になった階段裏がキッチンという造り。これはシュン・ホルトのもたらした情報通りだった。
三人は慎重に反時計回りに見て回った。
リビングの壁際にズラッと並んだ木製の椅子はグリーンの創作家具だった。茶色い皮のソファにマッチして悪くなかった。ダイニングのテーブルセットもグリーンのオリジナル。メルローズAve.の店に飾られているものと同じものだ。白と黒のタイルがスタイリッシュなキッチンも整然と片付いていた。
「…誰も居なさそうだな」
額の汗を拭いながらペイジが呟いた。こんな時もきちんとハンカチを使うのがいかにもこの捜査官らしかった。自分で自分の言葉に頷きながら言う。
「やっぱりな。逃げたんだよ。人の気配が全くしないもの」
「これを見て!」
左手の方からレイミーの声がした。
アイクとペイジは声のした方へ急行した。
バスルームの前、階段下の壁に異様に小さなドアがあった。
ペイジが目を瞠って、
「何だ、こりゃ?」
その小さなドアには《フランソワーズ専用》と記されたデコパージュのプレートが下げられていた。
一瞬レイミーは笑ってしまった。
「知らない? この手のものなら前に友人の家で見たことがある。ペット専用の出入り口よ」
ペイジもアイクも口を閉ざしたまままじまじと小さなドアを見つめる。
「じゃ、これが? 以前ジェイミーが言ってた〈秘密の扉〉か?」
アイクが屈んで押し開けると、その向こうは低い茂みが続いていて隣家の庭へ抜けることも可能だった。
「でも、これじゃあ、どう考えたってグリーンには無理だろう?」
CBI捜査官は縁無し眼鏡を押し上げて結論づけた。
「細いジェイミーだからこそ通れるシロモノだぞ」
一階を調べ終わった三人は次に玄関ホール奥の階段から二階へ上がった。
そして、凍りついた。
階段を上り詰めた処。主寝室と思しき部屋のドアが一同を待ち受けるかのように大きく開け放されていた。
廊下からでも充分見えた。
その部屋の壁一面に真紅の文字が書きなぐられていた──
HERD!
明らかに血で書かれたメッセージ……
切り取った左手の小指をペン替わりにして書き付けたそれ……
「──」
硬直して見つめていたアイクの表情が明らかに途中で変わった。
(ジェイミー……おまえ……?)
前後してペイジが別種の呻き声を漏らす。
「うぁ?」
レイミーも釣られてペイジの視線の先に目を走らせた。
血文字の壁の反対側、キングサイズのベッドの向こうに人が倒れている。
レイミー、続いてペイジがそっちへ走った。
「!」
それはクラヴェル刑事の死体だった。額を撃ち抜かれている。
「あ、アイク?」
レイミーの短い叫び声。
「え?」
死体に屈み込んでいたペイジが吃驚して振り向く。
だが、その時、既にアイクは寝室を走り出ていた。
アイク・サクストンは全速力でグリーンの家を駆け抜けた。レイミーも後を追って駆け出す。
ペイジはクラヴェルの巨体に足を取られてつんのめった。床に倒れた捜査官は、階段を飛んで降りるレイミーのスニーカーの音の方へ顔を向けるのがやっとだった。
アイクは外へ飛び出した。
歩道を暫く走ると、街路樹の下でバイクを止めたまま熱烈なキスを交わしている少年少女のカップルがいた。
「警察だ!」
IDカードを提示して近寄ると二人をバイクから引きずり下ろす。
「うあっ?」
「きゃ!」
歩道に投げ出されたまま訳が分からず見上げる恋人たちを残してエンジンをかけた。
「ど、泥棒! 誰か来て! おまわりさーん!」
「警官はどこ? バイク泥棒よ!」
「警官よ!」
レイミーもIDを提示しながら駆けつけた。
「助かった!」
「早く、取り押さえ── え?」
レイミーは素早かった。取り押さえる代わりに、間一髪、走り出したアイクの背中にしがみついた。
「降りろ、レイミー!」
「いやよ!」
「……クソッ、時間がない」
二人は風を巻いて走り去った。
走り出してほどなく、パトカーと救急車がサイレンを鳴らしながら二人のバイクを掠めて逆方向へ消えて行った。
残されたペイジがグリーンの家から、グリーンの電話を使って呼んだものだった。