#29
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現場からの警官の報告を聞いて凝然として立ち竦んでいるレイミーとアイク。
申し訳なさそうなペイジの声が二人に届いたのはどのくらいしてからだろう。
CBI捜査官はもう1台の電話の受話器を胸に抱えていた。
「レイミー、こっちにも今、報告が入ったんだが……クラヴェル刑事とも連絡が取れないそうだ……」
「え?」
「交換にずっと呼び出してもらってるんだけど、こちらもさっぱり応答がないらしい」
「どういうこと? 他の──裏道に配している応援要員はなんて言ってるのよ?」
ペイジはわけがわからないというように顔を顰めながら、
「それが、何と言ったらいいか……今日の午後になってクラヴェルが応援要員たちを全員解除させたらしい。もういいからって言われたそうで、皆、署に戻ってるそうだ」
「私は聞いていないし、第一解除などという命令も出してないわ!」
地団駄を踏んでレイミーは激怒した。
「この期に及んで、あのクソジジィ! 何を考えてるのよ!」
「どうする、レイミー?」
レイミー・ボトムズの決断は早かった。
「行くわ! こうなったら、ともかく、グリーンの住居へ、今すぐ……!」
車は覆面パトカーを使った。
運転はペイジ、助手席にレイミー、アイク・サクストンは後部座席という配置。
全員武器携帯の緊急事態対応である。だが、実情は──
助手席側の窓硝子に肘をつけてレイミーは往年の悪い癖を再発させた。爪を噛んでいる。
現在ラ・シエネガBlvd沿いのグリーンの自宅へ向けて疾走するHERDチームは逮捕状を所持していなかった。
(仕方ないじゃない? シュン・ホルトの失踪とグリーンを結びつけるいかなる〝事実〟も私たちは現段階で持っていないんだもの。クソッ……!)
だが、これだけはわかっている。私たちには時間がない。一刻の猶予もない……
こちらも期待薄の虚しい行為と知りつつメルローズAve.にあるグリーンの店舗へもミーチャム刑事以下数名を急行させたレイミーだった。
「どうしようというんですか?」
信号待ちで車が止まった時、ついにペイジは口に出して訊いた。
「逮捕令状もなしに? 取り敢えず任意ということで?」
「まだグリーンが自宅にいればだけれどね」
本当はわかっていた。認めたくないだけで。あの場所にグリーンがのんびり残っているはずはない。とっくに別の場所──私たちがついに嗅ぎつけられなかったアジトにでも──移っているに決まってる。
だから、これは虚しい愚か者の行進でしかない。でも……
(認めるわ……認めるわよ!)
深く爪を噛みながらレイミーは思った。だからって、あれ以上署内のオフィスにジッとしてなどいられなかった。恐ろしくて。
そう。今、私たちに確実にあるのは〝恐怖〟だけ。〝不安〟なんて生易しいものじゃない。
警官なのに? 警官がこんな恐ろしい思いをするなんて今の今まで知らなかった。警官は恐怖とは無縁だと信じていたから……
ここでレイミーはチラとバックミラーを覗いて後部座席のアイクを盗み見た。
アイク・サクストンは相変わらず外見は彫像のようにクールだった。だがその目は洞のように空ろで身体は死んでいるように静かだった。
「〈立会人〉じゃない」
その死人がいきなり口を開いたのでレイミーはギクリと腰を浮かした。
「あんただってそう思ってるんだろ、レイミー? 俺の前だから──俺の恋人だからって遠慮することはないぜ。おまえは思ってる? ジェイミーは歴とした〈共犯者〉だと?」
「ええ」
ハンドルを握るペイジが吸った息の音が笛のように車内響いた。
「いつからとは言えないけどあの子は積極的にグリーンに協力してると私は思ってるわ。あの子は囮ではなくて……フライよ……」
「蠅だってぇ?」
ペイジ捜査官が素っ頓狂な声を上げたのを皮肉っぽくアイクが正した。
「フイッシングのそれ。疑似餌さ」
レイミーは続ける。
「グリーンはキュートなジェイミーを、同様にキュートな男の子の中に放って仲良くさせるの。グリーンみたいなのがいきなり近づいたら皆警戒するでしょうけど、ジェイミーならどこから見てもお仲間だわ。気軽に打ち解けて容易に仲良くなるでしょうよ。そして、警戒心を解き、手懐けておいて……その間に識別するのよ。次の犠牲者をね」
急カーブでペイジが勢いよくハンドルを切ったせいでレイミーの頬を真紅の髪が嬲った。
「もっと言えば」
髪が口に入るのも構わずレイミーは言った。
「決定権はジェイミーが握っていたかも。次はあいつだ、あいつがいい、って彼の方が推薦してたかも……」
アイクの耳の奥にジェイミーの声が谺した。
──あんた後悔するぜ……みんな後悔する……
「最初は被害者だったにせよジェイミーは今じゃ立派な殺人鬼の相棒……よき助手よ」
「──」
後部座席に身を寄せてアイクは目を閉じた。
HERDを乗せた車は夕暮れが訪れようとしている街をナイフのように切り裂いて行く。