#22
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「なあ?」
「ん……」
「なあったら」
「ん……」
「いいよ、もう!」
帰っても心ここにあらずの体でソファに座り込んで手帳を見つめているアイク。全裸でまとわりついてキスの雨を降らしていたジェイミーも流石に焦れて体を離した。
「帰るのは遅いし、帰ってからもこれかよ?」
アイクのパジャマの上だけを羽織ってキッチンへ行ってしまった。
「なんか……HERD外されてからの方が熱心になってないか?」
「ん……」
「チェッ」
改めてケイレヴ・グリーンについて考えを廻らせているアイクだった。何と言っても、一番最初から担当していたのは自分なのだ。
今日会った〈美しい供養羊クラブ〉のメンバーたちの話から、ジェイミーがこの街にやって来たの半年前だというのはほぼ確定した。皆、その点は口を揃えて証言した。一方、グリーンは、10年以上LAに住んでいる。これもまた疑いようのない事実だ。
自宅を購入したのは198X年……〈白鳥の王子〉連続殺人事件の起る以前だし、メルローズAve.沿いの店も同じ頃開店している。
ところで、犯罪を犯すのにその地域に居住しているかどうかは全く別の問題である。通りすがりでも事件は起こせる。いや、むしろ、事件後すぐに移動すれば捕まり難くて犯罪者としては好都合ではないか? 〈白鳥の王子〉連続殺人事件の発生場所が転々としているのはそれを意味する──
隣に座ったジェイミーを見てアイクは笑い出した。シリアル用の皿いっぱいにアイスクリーム……!
「おまえ、夜中にそんなもん……」
しかも、どっさりカルーアがかかっている。瓶全部使っちまったな? *コーヒーリキュール
「ふん。誰かさんがちっとも構ってくれないからさ」
スプーンで掬ってアイクにも差し出した。口いっぱいに広がる濃厚なカカオの味。飲み下しながらアイクは更に考えた。
過去の連続殺人の犯行日時前後のグリーンの所在をもう一度徹底的に調べ直す必要があるな。今回のロドニー事件の当日もそれだったが、グリーンは仕事上の旅行をする機会が多い。自身の創作家具の展示即売会や品評会、コンクール等イベントへの参加──
「アーン、ほらもう一口」
「いや、俺は……もう……いいよ」
だが、グリーンが真犯人だとすると、別の疑問が湧く。何故、今回に限って自分の居住する地域の近くで事件を起こしたか、だ。今までは自宅から遠く離れた場所を選んでいたのに? そうさせた何か特別な理由があったということだろうか?
「なあ、俺とさ、アイスクリームの共通点って何か知ってる?」
「わかった、わかった」
ここまでだ。観念してアイクは手帳を閉じた。
「〝とても甘いとこ〟……そう言わせたいいいだろ?」
「ハズレ! そんなの平凡すぎるだろ。言ってて恥ずかしくない? 昨日も思ったけどさ、やっぱり警官って冗談のセンスに欠けるな」
アイスの皿を床に置きながらジェイミーは悪戯っぽく微笑んだ。
「〝すぐに食っちまわないと恐ろしいことになる〟これが正解だよ……」
「……」
運命の歯車が軋んで、結末に向けて動き出したのは二人がカルーア塗れのキスに酔ったこの翌日のことだった。
その日の昼過ぎ、ジェイミー・クルスは一人、海風に嬲られていた。
アイクは勤務中だし、アパートにいてもつまらない。LAであっちの地区がダメだとなれば選択肢は一つ。ビーチだ。
サンタモニカはアイクのアパートがあるウエストサイドからバスで20分とかからない場所にあった。
木造の長い桟橋を漫ろ歩き、リードをつけたままの迷い犬を撫でている時、背後から声がした。
「本気でグリーンとは切れたんだなあ!」
声の主はあのクソジジイ、ハリー・クラヴェル刑事だった。
スーツの上着を肩に掛け、シャツの袖をまくり、仕上げにジェラードを持っている姿が全然似合わなくて逆に感動するほどだ。アイクだったらさぞかし……ついそう思ってしまう。
勿論、少年が何故笑ったのか刑事にはわからなかった。
「近頃はさっぱりあっちでは見かけなくなったもんな? そして? こんな陽光燦めく場所でお散歩か。凄く健康的じゃないか、クルス」
ジェイミーは無視して歩き出した。刑事が追って来る。
「愛しのサクストンにあっちには近づくなと言われているのか?」
「ああ。グリーンが荒れてるって話だからな」
「そいつぁ嘘だ」
「!」
「そんな風に言ってるのか、サクストンは?」
酷く意味深な笑い方をする。
「ケイレヴ・グリーンは、今、それほど悪い状態じゃない。奴は新しい可愛子ちゃんをめっけたようだぞ」
「ふーん、そりゃ良かった。じゃ」
相手にぜす今度こそ去ろうとしたジェイミーにクラヴェルが言った。
「クルス、おまえも案外、他愛ないんだなあ?」
「?」
「おまえら男娼が学ばなけりゃならないのは、どういう男が一番危ないかってことだと刑事なんて仕事やってる経験上、つくづく俺は思うね」
背を向けて佇んだまま動かないジェイミーに体を寄せると耳元でクラヴェルは囁いた。
「本当におっかないのは……命取りになるのは……グリーンじゃなく、あいつ、サクストンのような男なのさ」
黙っているジェイミーに畳み掛けるように、
「まだ気づかないのか、哀れな子羊ちゃん?」
「アイクは……」
ジェイミーはいきなり振り返った。拳を握って叫ぶ。
「人を殴ったりしない。他人を傷つけて喜ぶような卑劣な人間じゃない。俺のために……俺が可愛そうだと言って泣いてくれた初めての人間だ! アイクのこと悪く言ったら俺が許さないぜ!」
「ほーらな! そこさ、〝鉄拳〟より〝涙〟! ソレがどれほど容易にヒトを殺すことか。特におまえみたいな、クズ同然に扱われ今まで一度も顧みられなかった哀れな寄る辺なき魂には〝致命傷〟になる」
刑事は少年に言葉を挟ませなかった。
「おまえのお優しいサクストンは他のガキを物色してるぜ」
「う、嘘──」
「もうおまえさんには飽きたんじゃないかな?」
「デタラメ言うな!」
「可哀想に、ジェイミー。おまえが捨てられるのも時間の問題だな」
思い出したように溶けかけたジェラードを啜った。
「奴はこのところ帰りが遅いだろ? 帰った後は疲れ切ってておまえを相手にする気力も失せてる? そりゃそうだ、日中、他の可愛子ちゃんと取っかえ引っ変えデートするのに忙しいからさ! HERDチームからはお払い箱になったけどこの仕事のおかげで知り合うチャンスを得たチキンのリスト、奴はゴッソリ確保してやがる」
「──」
声も出せないジェイミーに、
「おいおい、じゃホントに気づかなかったのか? 大概ノンキだな、おまえも。サクストンがおまえをあっちの地域から遠ざけてるのはおまえの身を案じてじゃない。自分のお楽しみを邪魔されたくないからさ。おまえはいいようにあしらわれてるんだよ」
クラヴェルはジェラードを食べ終わると包み紙を丸めて海に放った。そのまま桟橋にしゃがみ込むと、さっきとは一転して優しい声で話し出した。
「サクストンの前科──失敗の件は知ってるんだよな? 俺は、それであいつは学んだんだと思うな。〝マジになった方が負け〟これさ。奴はホルトのガキにマジになって、全てを注ぎ込んで、結果、辛酸を嘗めた。それでルールを学んだのさ。〝真剣になった方が馬鹿だ〟という恋の黄金率をな。で、今回のおまえさんとの勝負は奴の勝ち! テキトーに遊んで、楽しませてもらって、フルに利用して、ハイ、それまで!」
刑事は振り返ってジェイミーの顔を凝視した。
「なあ? 一体あいつがおまえに何を与えてくれたって言うんだ? おまえはあいつのために……自分のお楽しみさえ捨てたっていうのに」
「……何のこと言ってるんだかサッパリだな?」
「しらばっくれるのはよせよ、クルス。俺が気づかないと思ってるのか? おまえはアレがないとダメな口だろ? グリーンにおまえみたいなガキが必要なように、おまえにはグリーンが、或いはグリーンのような男が要りようだ。毎晩、ブッ叩いて血を流し傷つけてくれる残虐な男なしには満たされない……生きていけない……」
「やめろ……」
暫しの沈黙。
やがて、ゆっくりとハリー・クラヴェルは言った。
「早いとこ目を醒まして、グリーンの元へ戻れ」
身じろぎできずに立ち竦むジェイミーに、
「まだわからないのか? サクストンは頗る付きのいい男かも知れないがおまえには何も与えられない。〝愛〟は勿論〝快楽〟もな。そうだろう?」
水辺の乱反射が眩しくて刑事は目を細めた。
「グリーンのところへ戻ればおまえはまた存分に楽しめるんだ。その上〝報酬〟もな。グリーンが投げてよこす料金だけじゃなくて、今度は俺の分も加わる」
漸くジェイミーは口を開いた。
「……俺に、また内偵をやれって言ってんのか?」
「それも本気で、だ。この間のサクストンと組んだ時みたいなお遊びじゃなくて──今度は積極的に〝探る〟んだ」
「……」
クラヴェルは桟橋から腰を上げるとズボンの尻や膝の埃をポンポンと払った。
「お利口になれよ、ジェイミー? この話は良いこと尽くめじゃないか。好きなことやって金も稼げて、おまけにサツに恩を売る絶好の機会だぞ。こっちの世界でこれからも生き延びて行こうと思うなら警察とのコネは必須条件だ。それにさ」
歌うようにクラヴェルは付け足した。
「晴れてグリーンが真犯人として逮捕されても、心配には及ばん。俺が俺の顔で、おまえの望むことやってくれる〈別のグリーン〉をすぐさま紹介してやる。ええ? そこまで申し出てるんだぜ?」
老刑事は少年の細い肩に手を置いた。
「もう自分で、そういう趣味の奴探して渡り歩かなくて済む。こりゃ楽チンだろ?」
ジェイミーの呼吸が乱れる。明らかにジェイミーは震えだしていた。
「な、何だよ、それ……」
「おまえさんのことチョコっと調べさせてもらった。俺だって伊達に何十年も刑事やってるわけじゃない。おまえが思ってる単なる〝クソジジイ〟じゃないのさ!」
手を払って逃れようと藻掻くジェイミーを更に強く刑事は押さえつける。
「おまえ、随分とあっちこっちチョロマカしてるようじゃないか?」
「やめろ……」
「ここへ流れ着く前、ざっと見ただけでも、サンフランシスコ、モントレー、サンディエゴ……」
体を捻って全身でジェイミーは抗った。
「やめろったら……」
「おまえが住み着くところには必ずグリーンがいるよな?」
「やめて……」
「身長6フィート、体重90kg、靴のサイズは13……髪や目の色は違っても、体格だけは如何し難い……」