#18
18
地図で捜すとちょうどUCLAの真上。
瀟洒な建物が続くベルエアはビバリーヒルズと並ぶ高級住宅地である。
レイミー・ボトムズの自宅はその区域にあった。一人娘のレイミーは未だ両親と一緒に暮らしている。
ガレージに娘の車が入って来た音を聞いて母は驚いた様子で窓から顔を出した。
「お帰りなさい、レイミー。珍しいじゃない、今日は早かったのね?」
「〝定刻通り〟と言ってよ」
ちょっと怒って見せてから、テニスウェア姿の母にキスする。
「ただいま、ママ。わー、いい匂い!」
「リブロースのローストビーフよ」
「パパはまだなの?」
「本当にね、あの人と結婚した時、私、すぐに後悔したわ。警官なんて真っ平! 命の危険は言うに及ばず、一緒に食事をすることなんて奇跡に立ち会うのと同じ確率なんだから」
キッチンへ戻って行きながら母は笑った。
「それなのに、どう? 一軒の家に二人も警官がいるなんてあんまりだわ!」
「フフフ」
母の嘆きはいつものことだ。相手にしないで自室へ行こうと階段を上がりかけてレイミーは足を止めた。そのまま一階のリビングルームに入ると、母の趣味の重厚なアンティークの書棚から家族用のアルバムを抜き取った。
床に腰を下ろして一冊づつ見て行く。
最も古い一冊には若き日の父、トーマス・ボトムズと若き日のアイクの父、マシュー・サクストンがいっぱい写っていた。改めて見るとアイクの父は現在のアイクと似ている。痩身で浅黒い肌、黒い髪。片手を腰に置くポーズは、今息子がちょくちょく見せる仕草だった。
更にページを繰っていくと、小さな自分や、やがてアイクも出て来た。
この前、思いがけずアイクの家で机の後ろの壁に発見したのと同じ一枚もあった。
「アイクがまだこれを持っていたとはね! 正直言って吃驚だったわ。ふふ……こんなものとっくに失くしちゃってると思ってた」
アイクも思い出すことがあるのかしら? これを見て、遠い、幸せだったあの頃を……
ボトムズ家とサクストン家で一緒に行ったピクニックの写真は他にも何枚かあった。
健康で美しいアイクの母も写っている。ピクニックバスケットの横で真っ直ぐにカメラを見つめて笑っている少女のようなサラ・サクストン……
アイクも私も、とレイミーは思った。なんて他愛なくて無邪気な子供だろう? 今となっては別人のよう──
ここでレイミーは思い出した。アイクのアパートで壁の写真を眺めていた自分に向かってジェイミー・クルスの言った言葉。
──へえ? それあんたか。全然わかんなかった。まるで別人だな?
でも、こうやって見ると、うん、やっぱ面影は残ってる……
残ってる……面影……?
「──」
レイミーはリビングルームから走り出ると車に跳び乗った。
母が慌ててキッチンから叫ぶ。
「ちょ、ちょっと、レイミー? 帰ったんじゃないの? これから夕食を一緒に──」
「ごめん、ママ、私、忘れ物しちゃった! 署に戻るわ!」
警察署の自室へ戻ったレイミーは関係者だけに許されているデーターベースの一つ、未解決の最高機密を開けた。
但し、〈白鳥の王子連続殺人事件)のそれではない。
「あった! これだわ!」
レイミーが引き出したのは8年前同州内で起きた一家殺人事件の資料だった。
〈ホールデン一家殺人事件〉
198X年9月15日/カリフォルニア州サンフランシスコ市サウリート/……
自邸内で両親と長男が惨殺され次男は死体さえ見つからなかった──拉致されたとみられる……
犯人は未逮捕……
「これはかなりショッキングな事件だった。家族がリビングルームでナイフでメッタ刺しにされて殺されたんだもの。一時は全米中の話題の中心だったっけ。けれど、3ヶ月して、例の(白鳥の王子)云々と名付けられる最初の犠牲者ティム・ロビンスンのあまりに衝撃的な遺体が見つかり、その後立て続けに──現在まで続いている──あの異様な事件の陰に霞んでしまった……」
更に細かくレイミーは見て行った。
死体の傷から割り出した振り下ろされた凶器の角度や、室内に飛び散った血飛沫の位置等から推定される犯人の外容……身長6フィート以上、靴のサイズ13……
レイミーはケイレヴ・グリーンの体格を思い起こした。
「……嵌ってる」
レイミー・ボトムズは一つ一つ扉を開けて行く。核心へ近づいて行く。
父(42)・母(40)・長男(17)・次男(9)……
死体が未発見で、拉致された(そして、既に殺害された)可能性の高いこの次男の事件当時の年齢は九歳だ。レイミーは次男の顔写真をまじまじと見入った。
PCの画面上には金髪碧眼の可愛らしい少年が微笑んでいる。
ジェイムズ・ホールデン(九歳)……
「──」
レイミーは赤毛を掻き毟って呻いた。
似ている……ような気がする。この子が育っていれば今のジェイミー・クルスのような男の子になってるんじゃない? 少なくとも──私やアイクの〝ピクニック写真〟から〝現在の私たち〟くらいの繋がりはある……
翌日。
アイク・サクストンはレイミー・ボトムズの自室に直立してそれを聞いた。
「悪く思わないでちょうだい。君をHERDチームから外す旨、決定したわ」
「はい」
例によってアイクはクレイジークールに見える。
「予想はしていました」
「当初、君を選任した頃と状況があまりにも変わってしまった。ケイレヴ・グリーンなんて単なる気休めだと思ったのよ。リハビリには打って付けの」
「言い訳は必要ないですよ。わかっています、ボトムズ刑事。今となってはこの事件は自分のような者にはデカ過ぎる。もっと優秀で誠実な警官の仕事です」
「私は君だってソレだと思ってるわ」
「感謝します」
アイクは清々しくて端正だった。クルッと踵を返して退出しようとする彼にレイミーは声をかけずにはいられなかった。
「辞表の件は前に言った通りよ。この忌々しい事件が晴れて解決する日まで私はそれを読む暇がないわ」
「ええ。あなたを煩わせるようなことはしません。その日まで俺は……俺なりに最善の努力をすることにします」
「待って」
「?」
まだ何かあるのかとアイクは振り返った。
レイミーは机を回ってやって来ると幾分声を落とした。
「ジェイミー・クルスのことだけど……あの子の本当の年は幾つ? 出身地は何処で家族は何をしてるの? 一体いつ頃この辺りにやって来たの?」
「知らない」
アイクはあっさりと回答を拒否した。
「そういうこと俺は興味ないんだ」
瞬間、レイミーの怒りに火が点いた。
「その体質がいつも自分を窮地に追い込むのよ! まだ学ばないの、アイク!」
アイクの怒りの炎も燃え上がった。
「またその話か、レイミー〝お姉ちゃん〟? 説教やお節介はたくさんだと言ったはずだぜ!」
アイクは上司の腕を乱暴に振り放った。
「大体〝体質〟って何だよ? 俺が──可愛子ちゃん狂いってことか?」
「いつも顔や身体つきにしか興味なくて〝素性〟なんて問わないってことよ! はっきり言って欲しい?」
「畜生!」
横の壁を力任せに叩くアイク。だが、レイミーはやめなかった。
「前のシュンとの一件だってIDをちゃんとチェックさえしてれば回避できたはずよ。それともはっきり見るのが怖かった? 〈未成年〉って文字。だから、わざと見ないようにしてた?」
「!」
アイクの驚きは別のところにあった。
「そんなことが歯止めになると本気で思ってるのか、あんた?」
「え?」
「もし、そうならあんたは全然俺ってものがわかっちゃいない。あんたは永遠に俺のことなんかわかりはしないだろうよ!」
アイクははっきりと言った。
「俺はいつだって欲望の方を取る。どうだ? 正直でわかりやすいだろ? 〝愛〟という言い方もあるかも知れないけど、でも、こっちでいいや。〝欲望〟だ」
掠れた声でアイクは囁いた。
「親父もそうだった……」
「アイク?」
「親父が何故あんな間抜けな真似したのか……地位も名誉も家族すら投げ捨てて犯罪者の人妻と遁走するなんて馬鹿もいいとこだけど……今となっちゃあ俺は知ってる。シュンに会った時一遍にわかったんだ。胸を駆け巡る激情、これが俺たちサクストンの血だって。ついでに言えばシュンに裏切られておふくろの方の思いも味わったけどな。
だから、俺は欲望を取る。いつだって第一番目はそれだ。欲望だけが俺を駆り立てる気がするから……」
何処へ? 高みへ?
「俺はシュンのためなら何だってやっただろう。〈未成年〉? それが何だって言うんだ? 法なんてクソ喰らえだ。何歳なら愛はOKで、何歳以下ならお預けなんて笑っちゃうぜ。それから、シュンがあの時、自分から銃が欲しいとせがんでたら俺は渡したかも知れない……」
「馬鹿なこと言わないでよ!」
「ショックか、レイミー? でも、これが俺なんだ。俺って人間なんだよ」
胸に手を置いて、
「もしジェイミーに会わなかったら……今頃俺は完全に潰れてたかもな。だが、今、俺にはあいつがいる。ジェイミーの生年月日や本名より……そら、さっきあんたがその口で言った通りに、俺はあいつの可愛い面や身体に関心があるんだ。悪かったな!」
ドアを叩きつけてアイクは外へ飛び出した。
「そんなこと──」
レイミーも続けて飛び出した。廊下を追って行くと壁にアイクを押し付けた。
「そんなこと聞いたんじゃないわ! そんなこと聞いたんじゃないじゃない! そっちこそ、最後までよき聞きなさいよ!」
赤毛を振ってレイミーはがなりたてた。
「あんたの趣味や嗜好や主義なんて私も関心無いわ! 私はただ聞いただけでしょ? 職業的観点から! これは重要なことなのよ! 君の──恋愛関係に横槍を出そうって言うんじゃない! 勘違いしないでよ!」
「レ、レイミー……」
「え?」
この辺りで二人は自分たちの置かれた状況を正しく認識し始めたようだ。
つまり、廊下を歩いていた全員と、それから喧騒を聞きつけてやって来た少なからぬ制服、非制服の警官たちに取り囲まれていることを──
その場にいるものは皆、二人の掴み合いに等しいこの状態を目を丸くして茫然と見つめている。
「──」
「──」
流石にレイミーもアイクもバツが悪くなって、兎に角レイミーの自室へ引き返した。
取って返したそこでアイクは言った。先刻より冷静さを取り戻していたし、言いたいことを言った後で脱力してもいた。
「わかったよ。興奮して悪かったよ。で、何を知りたいんだ? 俺が現時点で知ってることでいいなら──教えるから」
「関係はいつから?」
アイクが顔を上げるより先に両手を挙げて、
「ジェイミーとグリーンのよ。二人はいつ頃から一緒にいるの?」
「ジェイミーは『つい最近』だって俺に言ったけど……実際はもう少し長い。半年くらいにはなるらしい」
「半年? 本当?」
露骨にがっかりしてレイミーは聞き返した。
「その情報は正しいの?」
「多分な。ロドニーが俺にそう言ったんだ。あいつはジェイミーと違って嘘をつくような奴じゃなかった」
「うーん」
レイミーはぐったりと椅子に倒れ込んでしまった。
「それがどうかしたのか? ジェイミーとグリーンの付き合いの長さがそれほど重要なことだったのか?」
「まあね。私としては重要な、この事件のターニングポイントになりそうな鍵を見つけたつもりだったんだけど。バツ! もう行き詰まっちゃった……」
心底残念そうに赤毛の上司は歯噛みした。
「仕方ない。この筋はここで御終い」
アイクに手を振ると、
「いいわよ、もう、行って」
アイクが出て行くとレイミーは携帯を取り出した。頭はもう次の策に切り替えていた。