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HERD ─群れ─  作者: sanpo
19/37

#17


     17


「何だと、もう一度言ってみろ、サクストン!」

 翌日のHERDチーム・ミーティングの最中、ハリー・クラヴェル刑事の声は怒号に近かった。

「言った通りです。ジェイミー・クルスが今まで見たり聞き知った情報については全て話させます。その点での協力は惜しみません。でも、今後、彼を内偵として使うつもりはない。俺はやめさせたんです」

「今になって何だ、貴様?」

 クラヴェルの激高は収まらない。

「おまえも聞いていただろう? ボトムズ刑事やペイジ捜査官の推測による〈秘密の出入り口〉の件・・・それが事実ならケイレヴ・グリーンはこれからが本番だ。その、本腰入れようってここに来て、あのチキを外すだと?」

 悪意のある目つきで、

「クルスが怖気づいたのか? それとも──怖気づいたのはおまえの方か?」

 床の一点を見つめたまま無言のアイク。

「おいおい、まさか本気であの坊やにイレ上げちまったんじゃないよな、サクストン? ハハァ、この間の二の舞をやりたいんだな? 十五歳の可愛子ちゃんに狂って手玉に取られ、挙句は──」

「クラヴェル刑事」

 ここでレイミーが割って入った。

「サクストン巡査の囮捜査をHERDチームとしては公式(・・)に許可した覚えはありません。そこのところお忘れなく」

「相も変わらず、何を甘ちゃんなことぬかして──」

「但し、私もせっかく差し入れてくれたドーナツを規則違反だからってゴミ箱に捨てるほど潔癖ってわけではないわ。ご安心を、クラヴェル刑事」

 威きり立つクラヴェルを遮るとレイミーはアイクに向き直った。

「彼を──ジェイミー・クルスをここへ呼んで欲しいわ。今の段階で聞けることは直接、全部聞いておきたい。その後のことはクルスの情報を分析した後で検討しましょう」

「──」

 不承不承椅子に腰を落とすクラヴェル。アイクはジェイミーを呼ぶ出すために部屋を出て行った。

 アイクが退出するやベテラン刑事は再び口を開いた。

「もう奴は外すべきだな。サクストンは私情が入り過ぎている。優秀な警官は署内に山ほどいるんだ。あんな我々の足を引っ張りかねないクズのゲイ野郎に何を固執する必要がある、ボトムズ?」

 当て擦りにカッとなってレイミーも言い返した。

「あなたこそ、この間とは随分意見が違ってるじゃない、クラヴェル? あなたはサクストンを私以上に評価してると思ったけど?」

「奴のガキを囮に使った立ち回りを評価したまでさ。だが、それを無しにするなら・・・」

 クラヴェルは足を揺すりながら呟いた。

「俺たちは新しい(デコイ)を探さなきゃならなくなる・・・」

 レイミーが眉を寄せたのと、アイクが戻って来たのはほぼ同時だった。

「連絡がつきました。クルスはここへ来ます」


 ホワイトボードに描かれた見取り図。

 今しもジェイミー・クルスの証言を元に作成されたグリーンの自邸の見取り図だった。

 建物自体は閑静な住宅地にある何の変哲もない切妻の2階建てである。屋根は葡萄茶、壁はアプリコット。

「なるほど、ここだな? ここの窓を使って・・・こっちへ抜けられるのか?」

 一回のリビングルーム。フランス窓だというそこを指で叩きながらペイジが上擦った声で確認した。

「そう、ずっとアザレアの植え込みが続いてて・・・そのまま三軒隣りの家の庭から横の小径(パス)へ出られるんだ」

「良くやったぞ!」

 ペイジは手放しで少年を褒め称えた。

「こりゃ我々の盲点だったな! 即、応援の人員を増やしてもらってこっち側にも監視を立てないといけないですね、レイミー?」

「で? おまえは、帰りはいつもその窓を使っていたんだな。何故だ?」

 クラヴェルの質問の意図がわからずジェイミーは首を傾げた。

「何故、玄関を避けた?」

「さあな、理由なんてわかんないよ。そんなこと考えたこともなかった。多分、寝室から近いんで──ほら、ここが野郎の寝室さ」

 見取り図を指しながらジェイミーは肩を竦めた。

「それで、面倒臭いから、わざわざ玄関まで行かないで済ませてたんだと思うけど? 別に意味なんかないよ」

「かな?」

 クラヴェルはニヤついた。

「〝恥ずかしい〟からじゃないのか? おまえら男娼(チキン)でも一応恥の意識が残ってるとは笑わせるぜ」

 レイミーもペイジも、無論アイクも──その場に居合わせた一同、そのあからさまな侮蔑に凍りついた。

「意識的にしろ無意識にしろ、やってることのおぞましさがおまえさんを表玄関から遠ざけさせたのさ!」

「大した心理学者(エイリアニスト)だな、おっさん?」

 ジェイミーは負けていない。

 咳払いしてレイミー、話を本筋へ戻した。

「もう一度、三日前のミッキー・エヴァンスが殺害された日のグリーンの様子についてできる限り詳しく教えてちょうだい、ジェイミー。あなたが憶えていることを全部話して欲しいのよ」

「OK」

 警察署特有のパイプ椅子に腰を下ろし、片膝を抱えてジェイミーは話し始めた。

「あの日は、BARに行ったのが10時過ぎで、そこでグリーンと会って・・・こっちのおっさんとアイクもそこにいたよな? で、店を出て、グリーンの家へ入ったのが11時前くらいか。それで、朝まで一緒にいたよ」

 ペイジが訊く。

「〝一緒〟って、文字通り〝隣りに〟ってことかい? ここが肝心なんだ。一時(いっとき)にしろグリーンは君を置いて何処かへ行かなかったか? 君たちは一晩中ずっと起きてたのか?」

「そういや・・・グリーンは・・・」

 一瞬言い淀んでアイクの方を見る。少年を見つめるアイクの眼差しは優しかった。

 レイミーが落ち着いた声で促した。

「続けて」

「えーと、待ってくれよ。俺は意識を・・・クソッ、気を失ってた時間がある。深夜2時くらいにブッ倒れて・・・それで、気がついたら・・・朝だった」

 クラヴェルが質した。

「グリーンは何処にいた?」

「知らない。憶えてない」

「馬鹿か? 肝心な点だぞ。おまえが目を醒ました時、奴は家にいたのか、どうなんだ?」

「知らねえよ! 俺はいつも目が醒めたら──朝になったらとっとと帰ることにしてるんだ。奴がその時何処にいようと俺の知ったことか! 俺たち、お互い朝の挨拶はしたことがない。そういう習慣なんだ」

 クラヴェルは執拗だった。

「グリーンはベッドに寝てなかったのか?」

「俺は奴のベッドに寝たことはない! いつも床に・・・転がっているよ! こう言えば満足か?」

「そういうことなら、グリーンの犯行実行は可能だな」

 冷静にCBI捜査官ケヴィン・ペイジが総括した。

「クルス君の意識のない時間帯にこの〈秘密の出入り口〉を使って監視員に気づかれずにこっちの小径へ出て・・・ミッキー・エヴァンスが殺害された現場まで車を使えばそれほど時間はかからない」

 ボードに貼り出した地図をなぞる。

「ここケイレヴ・グリーンの自宅から出発して、ラ・シエネガBlvdからビバリーBlvd、そしてヴァインStが最短かな?」

「グリーンは私たちが把握している以外に別の車を所有しているのかどうか、これも新しい捜査対象ね」

「ミッキー・エヴァンスとは面識があったのか?」

 熱を帯びるペイジやレイミーをよそにクラヴェルの陰湿な声がまた響いた。

「俺に聞いてんのか? 面識なんかないさ。でも、顔くらいなら俺もグリーンも見たことがあるかも知れない」

 ジェイミーは正直に答えた。

「新聞なんかの公式には報道されてないけど、そいつ男娼で稼いでたんだって? なら、どっかで会ってるよ。なんたって世間は狭いもん」

「おまえらの世界が、だろう? ほとんど皆んな〝寝た者同士〟ってか?」

「グリーンの家で凶器とか武器の類を見たことはあるかい?」

 ペイジが正統な質問をする。

「愚問だよ、捜査官さん。あいつはサディストの拷問マニアなんだぜ。家中その手のギアが犇めいてる」

「全部試してもらったのか?」

「!」

 流石にジェイミーは紅潮した。

「ああ、そうさ! 俺はグリーンの家の中のものなら何だって味あわせてもらって知っている! なんなら、壁に掛かってる絵まで逐一話そうか? あんたの期待に反して悪いけど、奴は絵の趣味はまっとうなんだ! 信じられないくらいコンサバティヴ! ブレイクやホックニーやカラバッチョなんて一つも飾ってないぜ!」

 この時、アイクの手が少年の肩に置かれた。

「もういいだろ、レイミー? このへんで」

「ええ、そうね。お疲れ様、クルス君」

 レイミー・ボトムズは自分の椅子から立ち上がって握手を求めた。

「今回のあなたの協力を私たちは心から感謝します。本当にありがとう。役に立ったわ!」

「いや、何、こっちもお役にたてて光栄だったよ、ボトムズ刑事」

 ジェイミーも立ち上がって差し出された手を握り返した。

「やっぱ、あなたは警察署で見たほうがずーっと綺麗だな!」


 廊下に出るとアイクは言った。

「悪かったな、ジェイミー。嫌な思いさせて」

「何が? 内偵の件ならこっちから言い出したことだし、警官連中がどーいう程度のものかくらいとっくに知ってるさ!」

 ジェイミーは訳知り顔に片目を瞑って見せる。

「あのジジィはその典型さ! 俺が思うに、あいつは絶対、その昔〝いい男〟にこっぴどく振られたんだ。それであんなに俺たち〝いい男〟に絡んでくるんだ」

 アイクは笑い出した。

「かもな」

「でも、そっちこそ残念だったな?」

「何が?」

「あんたの読みは外れちまったじゃないか。連中、ありゃ益々マジでグリーンのこと追っかけてるぜ」

「みたいだな」

「みたいだなって、そんな他人ごとのように・・・」

「構うもんか。どうせ俺もここまでだ」

「え?」

「俺もおまえと一緒。このHERDチームから外される。だから、もう関係ないってわけ」

 心底サバサバした様子でアイクは深呼吸した。

「やれやれだぜ。この胸糞悪い事件から縁が切れて」

「──」

 傍らでジェイミーが奇妙な表情をしたのだが、アイクはそれには気づかなかった。

「それにしても──さっきの絵の話は良かったな! まさかおまえの口からブレイクやカラバッチョの名を聞くとは思わなかった」

「チェ、絵の好きなチキンがいてもいいだろ?」

 ふと思い出すアイクだった。

 ──絵の好きな警官なんて素敵じゃないか!

「・・・俺のパパさ、ギャラリーを経営してたんだよ」

「!」

 今まで、家族のことを語ったことのない──アイクも敢えて聞かなかった──少年の、これは貴重な発言だった。

「俺の出身の街、観光客の多いとこで、ギャラリーとか土産物屋がたくさんあったんだ。で、パパの店もそこそこ繁盛してた・・・」

 照れたようにジェイミーは笑った。そんな笑い方をアイクは初めて見た。

「こんな昔のこと・・・俺もすっかり忘れてたのに・・・あのクソ刑事のせいでつい口を突いて出たのさ。だから、忘れてくれていいよ」

「いや、忘れない」

 肩に手を回すとアイクはジェイミーを引き寄せた。まだ、警察署の中なのに、そうやって、耳元で囁く。

「なあ? 今度の休みにさ、美術館に行かないか? LACMでもMOCAでもブロードやハマーでもいい。俺も久しぶりに・・・ゆっくり絵が見たくなった・・・」

 誰かと一緒に(・・・・・・)

「へえ? あんた、絵が好きなんだ?」

 吐息がくすぐったそうにジェイミーが笑う。

「じゃ、さ、誰の絵が好き? 好みの画家は誰?」

「・・・そうだな、例えば、マックナイト」

「〈ミコノス島〉?」

「惜しい。〈灯台〉が一番好きかな」

 ギャラリーの息子の笑顔が弾けた。

「それも知ってる! 俺、あの絵の中の小舟に乗りたいって言ってパパに笑われたもん」

 これにはアイクの方が吃驚した。

「小舟なんかあったかな?」

「あるよ! 向かって左側の断崖の影に。ねえ?」

 胸に頬を摺り寄せて──勿論、まだ警察署内の廊下だというのに──少年はアイクにしか聞き取れない声で囁くのだ。

「あの小舟に誰と乗りたい?」

「勿論・・・」

 何処か似ていて何処か違う会話だとアイクは思った。いや、違う。

 何処か違っていて、何処か似てしまう会話なのかも知れない。

 だが、どっちでもいい。恋人たちの交わす会話はそうしたものだから。

恋人(・・)・・・?)

 アイクは自分が満たされていて、幸福なことに突然気づいた。


 こちらはオフィスに残ったHERDチームの面々。

 クラヴェルは露骨に罵った。

「口ほどでもないな、あのチキン! 肝心な情報はからっきしじゃないか!」

「そうかしら。外からでは永遠にわからない貴重な情報を数多く得られたと思うけど?」

「まだまだだ! 言っておくがこれから俺たちにはいよいよ本気で(デコイ)が必要だぞ! もっと食い込んだネタが欲しい。あんな・・・自分が快楽にのめり込んで失神(ノビ)てるようなガキじゃだめだ!」

 悪罵しながらクラヴェルはオフィスを出て行った。

「我慢できない!」

 赤毛を逆立ててレイミーが身体を震わせた。

「私が犯罪者なら、ああいうのを真っ先に撃ち抜くわね!」

 ペイジが笑い出す。

「クッ、ハハハハ・・・そりゃいい!」

 しかし、レイミーは笑わなかった。真面目な顔で捜査官を振り向くと、

「〝人は誰でも殺人鬼になれる〟・・・あなたが言ったのよ、ペイジ捜査官?」

「〝ケヴィンでいい〟とも言いました」

「サクストンを外せとクラヴェルは言ってるけど、ケヴィン?」

「あー、その点では僕も賛成です。これ以上、彼はHERD(ここ)には必要ない」

「・・・そうね」

「それに──ロドニー殺害の件、僕はまだ持論を捨ててないんですよ。僕にとってサクストンは第一容疑者だから、彼をチームから外して自由に泳がしてもらったほうが好都合なんです」

 ペイジもオフィスを出ようとしたが、ドアの前で足を止めた。

「そうだ、忘れるとろこだった。これ」

 引き返して来て写真を一枚レイミーに渡す。

「?」

「この前の〈ホルト君とクルス君相対すの図〉。念のため引き伸ばしてみました。どうぞ」

「ああ、やっぱり! 彼ね? ジェイミーだわ」

「ええ、そうでした」

 手を振って、今度こそペイジも去って行った。

 一人になってレイミーは改めてその写真を見つめた。

 朝日に輝くプレッピースクールの駐車場。連立するいずれ劣らぬ豪勢な高級車。そこに立つジェイミー・クルスの悲惨な姿はどうだ。

 レイミーは指で写真を弾いた。

(サディストのグリーンのお楽しみの餌食か・・・)

 証言から察するとジェイミーはグリーンの自邸を出て真っ直ぐに学校(ここ)へやってきたのだろう。

「え?」

 レイミーの視線が釘付けになったのはジェイミーの着ている革のジャケットだった。

 そこに散っている血飛沫・・・生々しい血の痕・・・

 レイミー・ボトムズは片手に写真を持ったまま腕を組み、机に寄りかかって考え込んでしまった。

「──」

 よく考えると、これは実に妙な光景じゃない?


 

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