#15
15
アイクのアパート。
キッチンのテーブルに拡げられた新聞各紙は〈白鳥の王子〉連続殺人事件の最新の被害者と推定される少年の記事で埋め尽くされている。
《・・・第7番目の犠牲者? ミッキー・エヴァンス(19)は被害前日まで犯行現場に近いハリウッドBlvd沿いのバナナ・バンガローに宿泊していた・・・
《 出身はダコタ州ミネアポリス。地元の高校を卒業後、当市のカフェで一年間働いた後・・・》
玄関のドアの開く微かな音にアイクは紙面から顔を上げた。
果たして、ジェイミー・クルスが入って来た。
顔の痣は如何ともしがたいものの、きちんとした服装──ラズベリー色のポロシャツ、グルガ丈のパンツ。足元は白のデッキシューズ──で、シャワーを浴びたての清潔な姿だった。
「ただいま」
「もう戻らないかと思ったぜ。何処に行っていたんだ、この二日間?」
やや皮肉っぽくアイクは付け足した。
「一晩目は──わかるさ。グリーンのとこだろ」
「昨夜は友人の家に厄介になってた。すぐに戻れる状態じゃなかったんだよ。わかるだろ? 痣だらけのひでぇ面、あんたに見られたくない」
「殊勝なこったな? 例によって自分から煽っておいて? グリーンの前であんなふざけた真似すればどんな目に合うかわかってたはずだ」
──見ろよ、ケイレヴ、いい男がいる。
──俺、こんな男に弱いんだ・・・
「そんなにアイツに殴ってもらいたいのか?」
アイクは顔を逸らしたジェイミーの顎を指で挟んで強引に自分の方へ向かせた。
「おまえのこの〝嗜好〟だけは気に食わない。何とかならないのか?」
「あんたもさ!」
少年は言い返した。
「あんたの〝嗜好〟だけは気に食わない!何とかやめられないのかよ? その──〝可愛子ちゃん狂い〟」
「!」
瞬間、今はもうない壁のシュンの写真を振り返るアイク。
恨みがましい口調でジェイミーは詰った。
「なんで、シュンの件、教えてくれなかったんだ?」
アイクはため息をついてテーブルに戻った。
「とっくに話したもんだと思ってた。この間の泥酔した夜に。ほら、おふくろネタと一緒くたにさ。あの夜、俺はもう無茶苦茶な気分で、だから全ての秘密、洗い浚いブチ撒けたんだと──」
髪を掻き上げながらジェイミーを見上げる。
「でも、そうか? 知らなかったのか。──じゃ、誰に今頃聞いたんだ?」
「──」
「まあいい。聞いたんなら、そういうことだ。今更ながら親切な人間がいてくれて俺も有り難いや。あんな無様な失恋話、自分の口から喋っても全然楽しくないからな。それに」
いったん言葉を切って改めてジェイミーを見据えた。ゾッとするほど凄味のある、底冷えした眼差しだった。
「俺が教えなかったって、おまえが云々言えた義理か? 人には他人に隠しときたい部分があって当然だろ? 肉親や恋人だからって全て秘密を共有する必要はない」
地の底から染み出るような低い声で、人差し指を突きつけた。
「現におまえは俺に何を教えてくれてる? 胸のその十字架以外に? 俺はおまえのこと何も知らないんだぜ?」
ジェイミーは脅えた表情になった。
「俺の・・・家族のこと・・・知りたいのか?」
即座にアイクは否定した。
「そんなことは言ってない。おまえがどこの誰で、何処で生まれ、育って、どうして今ここにいるのかなんて、そんなのはどうでもいい。むしろ知りたくはない。おまえが寝てきた野郎の名前や数なんて糞喰らえだ! だから──俺の〝過去〟も放っとけよ!」
「それが〝過去〟ならな!」
ジェイミーも負けていなかった。怒鳴り返した。
「シュン・ホルトはまだあんたにとって〝現在〟じゃないのかよ!」
頭を抱えてテーブルに突っ伏すアイクだった。
「あーあ・・・おまえがこんな、ヤキモチ妬きだったなんて知らなかったぜ。淫売のくせして」
「淫売はヤキモチ妬いちゃいけないってのかよ?」
「じゃ、警察官はどうなんだ?」
「?」
椅子の倒れる音。
アイクが立ち上がったのだ。椅子を蹴倒して少年に飛びつくや胸ぐらを掴んだ。
「警官はヤキモチ妬かないと思ってるのか? 俺は言っておいたはずだぞ、もう二度とグリーンには近づくなと! それを、一昨日のありゃ何だよ? イケシャアシャアとあんなとこ・・・俺が張っているBARに現れやがって!」
一回息を吸ってから、
「おまえが中にいるって知りながら一晩中グリーンのクソ家見張ってる俺の身にもなってみろ!」
「アイク・・・」
「もう二度とあんな思いはゴメンだ! グリーンとは手を切れ! わかったな?」
アイクはしっかりとジェイミーを抱きしめていた。
アイクが好む香水の名は知らない。でも、絶対ロータスの香りは入っている──
胸の中で優しく髪を愛撫されながら、ジェイミーはこう切り返すのが精一杯だった。
「でも・・・そうすると・・・あんた困るだろ?内偵がいなけりゃあ・・・」
「ハナから内偵なんてどうでもよかった。言わせんなよ?」
アイクの柔らかな笑い声が春の雨みたいにジェイミーに降り注ぐ。
「内偵なんて口実じゃないか、俺たちどっちにとっても。俺たちは唯お互いが欲しかっただけだ。だろ?」
「アイク」
「それに──俺はずっとケイレヴ・グリーンはシロだと確信している」
ここでアイクは重要なことを言ったのだが、あんまり幸せ過ぎて少年の方はもはやアイクの言葉など聞いてはいなかった。ただもう深く、深く恋人の胸に顔を埋めるだけ。
「グリーンは連続殺人犯なんかじゃない。連続殺人犯は他にいる。もっと別の処に・・・」
「──」
「まあ、今回の事件が起こって、遅蒔きながらHERDの他のメンバーもそう確信したはずだがな。何しろ今回、ミッキー・エヴァンス殺害の犯行時、グリーンはおまえと自宅にいたことが監視している俺たちによって証明されたんだから・・・」
同じ頃、夜勤明けのレイミー・ボトムズとケヴィン・ペイジは署のオフィスに居残っていた。
レイミーの自室が今回のHERDチームの本部となっている。
「で、どう? 最新の殺人からまたもや斬新で画期的な持論を思いついた? グリーンの線が消えた以上、今後私たちがどうすべきか早く教えてちょうだい」
「皮肉るのはやめて下さいよ、レイミー」
買って来た自販機のコーヒーを渡しながらペイジは訴える。
「でも、これだけは自信を持って言えます。今回のミッキー・エヴァンスはれっきとした〈白鳥の王子〉連続殺人犯の凶行だと。ドンピシャ! 全てパターン通りです!」
CBIの捜査官は目を輝かせた。
「とすれば、益々、前回のロドニー・ハワーズは別口として捜査すべきです」
ここでペイジは姿勢を正した。
「あなたが、レイミー、僕の持論を信じて別ユニットの活動を許可してくれたこと、感謝します」
「私はアイク──サクストン巡査が殺人鬼の皮を着てロドニーを殺ったなんて説、信じたわけじゃないわ」
きっぱりと赤毛の上司は否定した。
「彼の身の潔白を立証するために、徹底的な調査を許したのよ。勘違いしないで」
そこまで言ってからレイミーはクスリと笑ってしまった。
「でも、君、本気でシュン・ホルトを張ってるのね?」
ペイジの机上に散乱する写真に目をやる。
「勿論ですよ! ロドニーで味をしめたサクストンが次に標的を絞るとしたら・・・シュン・ホルトを置いて他にない!」
上司の意見を待たずにペイジは続けた。
「だって、そうでしょ? 今となっちゃあホルトはサクストンにとって可愛さ余って憎さン十倍ってやつだもの。自分を誑し込んでいいように利用したんだ・・・」
レイミーが微妙な表情をしたのをペイジは気づかなかった。
「尤も僕だって今日、明日、すぐにでも何かあるとは考えていませんけどね。でも、準備万端怠り無く、こっちはいつでもスタンバイって状態が大切なんだ」
若い捜査官が熱心に喋っている横でレイミーはコーヒーを啜りながら彼が撮り貯めた写真を眺めている。
「でも、気のせいかな?」
「何が?」
「ホルト君、僕が張り付いているのを知ってるんじゃないかって気がする時が何度かあって・・・」
「ふーん? 意識的に誰とも接触せず単独行動に徹している?」
「その逆! やたらいろんな奴と接するんでフィルムを膨大に使っちまう。昨日なんかも──ご覧の通り! 午後は自宅でパーティとかで、何人撮したと思います?」
「そりゃ大変だったわね。あれ?」
ここで写真を繰っていたレイミーの指が止まった。
「どうかしましたか?」
「ちょっと待って、この子・・・」
それは学校の駐車場で撮影された一枚だった。
「ああ、登校時のやつですね。その子が何か? お知り合いですか?」
「これだと小さくてはっきりしないけど・・・でも、多分そうだわ。ジェイミー・クルス」
「え?」
ペイジはレイミーから写真を引き寄せた。
「って言ったら、グリーンの恋人で、今、サクストンと同棲してるって、あの?」
大げさに仰け反ってみせた。
「ひぇー! これはこれは! 坊や、直々に乗り込んだってことですか? サクストンを騙して振ったニックき前恋人! ・・・ひと波乱あったのかな? 駐車場のはそれ一枚なんだけど」
「ったく、あの子ったら!こういう出方するとは・・・」
(あんな話、聞かせるんじゃなかったかな?)
ふと、さっき口を突いて出た自分の言葉に引っ掛かってレイミーはコーヒーを飲む手を止めた。
(・・・こういう出方? ・・・こんな処にひょっこりと?)
「レイミー?」
「ねえ、これを撮ったのはいつって言った?」
「昨日の朝です。始業前だから八時以前か。ここに出てる通り・・・」
写真の隅に印字された時刻を指で指し示す。
「グリーンに関する報告書で、この子はこの前夜グリーンの自宅に同宿してたわね?」
ペイジは報告書をチェックした。
「ええ、グリーンの自宅へ10時過ぎに一緒に入っています」
「いつ、そこを出たのか読み上げてみて」
「書いてありませんよ」
ペイジは報告した。
「グリーンは翌日、つまり昨日の昼過ぎに自宅を出て、メルローズにある自分の家具工房兼店舗に向かったとありますけど、ジェイミーの項はないな」
ペイジは付け足した。
「でもまあ、監視対象はあくまでグリーンがメインだから、チキンの出入りは見逃されたのかも。それが何か?」
「ちょっと気になったの。貸して」
レイミーは報告書のファイルを自分でチェックした。暫くして顔を上げた。
「やっぱりだわ! この子は、過去頻繁にグリーンの自宅に寝泊まりしているのに〝いつ帰ったか〟は一度も記入されていない」
「気恥ずかしいから、帰る時は表口から出ない習慣が付いてるんじゃないですか?」
「〝習慣〟か、でなけりゃ〝意識的〟に──」
何だろう? レイミーはそれが何かわからないものの、何か漠然とした影のようなものに自分が囚われた気がした。意識のずっと深いところで何かが頻りに警戒音を発している。肌の粟立つこのザワザワした感覚。鉛色の空の下、沼の畔で葦が風に靡いている・・・
「待てよ! これは面白い発見ですね、レイミー?」
CBIから派遣された捜査官の声がレイミーを現実へ連れ戻した。
「ジェイミーの帰った時間が記入されていないことから導き出される一つの可能性──ズバリ、グリーンの家には姿を見られずに出入りできる裏口があるってことだ! 僕たちが把握していない出入口ですよ!
そうなると、今回のミッキー・エヴァンス殺害当日のグリーンのアリバイが怪しくなる・・・! これはもう一度チェックし直す必要があるぞ!」
ほどなく、ペイジも読み返したファイルから上気した顔を上げた。
「あなたの指摘どうりだ! 他のチキンたちの出入りはちゃんと記入されてるのにジェイミー・クルスだけは〝入ってる〟だけで〝出た〟形跡がない!」
ケヴィン・ペイジはお洒落な縁なし眼鏡をずらして呻いだ。
「間違いない! グリーンは〈秘密の裏口〉を持ってるんだ! 自分の一番のお気に入りには使わせてやってる。そうして、自分でも時々それを使うかも知れない。連続殺人を実行する日には・・・」
最も新しい犠牲者ミッキー・エヴァンスが殺された日もグリーンは自宅にいた・・・
レイミーとペイジが意味深にお互いの顔を見つめあったその時、オフィスの電話が鳴った。
近くにいたペイジが取った。
「HERD本部です。はい?」
すぐに受話器をレイミーに渡す。
「あなたにです、ボトムズ刑事。ご家族からですよ」
「私?」
「弟さん」
言った後で気を利かしてペイジは立ち上がった。素早く帰り支度を始める。
「それでは、僕はこれで。グリーンの〈秘密の扉〉・・・僕たちの知らない出入り口の件は明日改めて、HERDチーム全員で検討するとしましょう」
ペイジ捜査官が出て行くまでレイミーは受話器を手で塞いでいた。
ドアが閉まってからも更に二〇秒、カウントした。
それから、徐ろに受話器を耳に当てる。
「もしもし?」
受話器の向こうから底抜けに明るく元気な声が響いて来た。
「ハァイ! お姉ちゃん!」
「・・・シュン?」