#14
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眩い陽の光が溢れる、ここはプレッピー・スクールのキャンパス内。
金持ちの子弟に似合いの派手な車で埋まる駐車場に、折しも、一台が滑り込んで来た。
モスグリーンのチェロキーから軽やかに降りてくる少年。教室へ向かおうとするのを不意に脇から呼び止められた。
「ハアィ!」
「ハイ?」
反射的に答えたはいいが、声の主を見てギョッとする。
「おい、酷いナリだな? 俺が今、轢いた……なんて言うなよ?」
それはジェイミー・クルスだった。
なるほど、顔は痣だらけでいたるところ血が滲んでいる。よく見ると、顔だけではなく身につけている革のライダージャケットとジィーンズにも血痕が花火のように散っていた。
とはいえ、可愛さは容易に判断できたが。
「あんた、シュンだろ? シュンイチ・ホルト?」
いきなり名指しされてシュン・ホルトは吃驚した。
「そうだけど──誰だ、おまえ?」
「話があるんだ。付き合ってもらうぜ」
距離を詰めながらジャケットのポケットから何かを取り出そうとするジェイミー。だが、それより早くシュンが叫んだ。
「俺から離れろっ!」
「!」
「俺に近づくな!」
「何──?」
「俺は今サツに張られてる。だから──気をつけろよ!」
いったん足を止めて、ジェイミーは左右を見回した。もちろん、視界には何も見えない。
「ふざけんな。おまえ、イカレてんのか? パラノイアックな妄想狂? それとも、朝からラリってるとか? 何にせよどうしておまえがサツに張られなきゃならないんだ?」
「──」
薄く笑うとシュンは何事もなかったかのように校舎の方へ歩き出した。慌てて追おうとするジェイミーに前を向いたまま小声で囁いた。
「放課後、俺の家へ来いよ。パーティってことで適当に人数を集めるからそれに紛れて訪ねて来い。どうしてもって話なら、その時に」
少年は去って行った。
改めて周囲を見回して、まんまとやり過ごされた、とジェイミーは歯噛みした。
「何が『適当に人数を集める』だ……!」
思わず悪罵するジェイミーだった。
その日の午後、ビバリーヒルズのシュン・ホルトの豪邸はお洒落なティーンエイジャーで溢れてかえっていた。
担がれたと一度は思ったものの、結局ジェイミーは少年の自邸へやって来た。
邸は開放状態で、目の届く限り少年少女の群れが犇めいている。何処に音源があるのやら、流れている音楽も数種類あってそのうちの3曲まではジェイミーにも識別できた。これまた至る処に設置されたテーブルにはパンチのボウルやソフトドリンクの瓶が乱立し6パックはその足元にさりげなく積んである。
勿論、ピザにサンドイッチ、フライドチキン等スナック類も事欠かない。
「ったく、豪勢にも程がある。これだから金持ちってヤツは──」
当のシュン・ホルトはプールサイドにいた。すぐにジェイミーに気づいたらしく振り返ってこっちを見た。
数秒間、無言で視線を交わす二人。
空色のフードジャケットを肩に羽織るとシュンは目で一つのドアを示した。
いくつか廊下を経巡って至ったホルト少年の自室。
パーティの喧騒もここからは遠い。
「改めて聞くけどさ、おまえ、頭オカシイのか? なんで今朝、『サツに張られてる』なんて口から出まかせ言ったんだ?」
少年がドアを閉めるとすぐジェイミーは訊いた。
「事実だからさ」
流石、資産家の息子とあってシュンの部屋のクールなこと。
家具は全てハンサムチークで統一され、敷き詰めたカーペットはそれらによく映えるコバルトブルー。カーテンも同色だ。無造作に床に放り出してあるスポーツバッグから零れた黄色いテニスボールまでわざとかと思うほど絵になっている。
シュンは机の前の黒い革張りの椅子──イームズのラウンヂチェアに見える──に腰を下ろした。
「数日前に顔見知りの警察関係者から連絡があって『身辺に注意しろ』と言われた。『充分に気をつけて行動したほうがいい。そして、少しでも変わったことがあったら迷わず連絡するように』──ってことは、裏を返せば連中も〝注意して〟俺の身辺を監視してるってことだ」
椅子のヘッドレストに頭を凭れさせてシュンは笑った。
「こういうのって〈妄想〉じゃなくて〈現実〉だろ?」
ジェイミーは顔色を変えて後ずさる。
「じゃ……これは罠か? 朝、会いに来た俺のこと……もう、サツに通報した?」
「いや」
「何故?」
「俺は警官が嫌いなんだ。前に連中に酷い目に合わされた。だから、金輪際、二度と連中に協力するつもりはない。あいつらとつるむくらいなら連続殺人犯とだって組んでやるさ」
「!」
愕然とするジェイミー。頓着せず少年は吐き捨てた。
「そのくらい俺は警官が嫌いなんだ!」
その横顔。黒曜石のような瞳ってのはこういうのを言うんだな? 虹彩が目立たないからちょっと何処を見ているのか捕らえどころがない。ボウッと霞んで朧ろげな、ミステリアスな眼差しになる。これにアイクはノボセたんだろうか?クソッ……
頭を振ると、改めてジェイミーは訊いた。
「俺が誰だか知ってるか?」
少年が顔を上げた。黒い瞳の照準がぴったりと合う。
「いや。誰だ、おまえ?」
ここに至ってのこの会話である。一瞬、ジェイミーは吹き出した。それから、
「俺は、ジェイミー・クルス」
「初めまして、ジェイミー。俺はシュン」
腕を伸ばすシュン。だが、ジェイミーは握手を拒否した。
「素直に警察に通報しといた方が良かったかもな、シュン? だって、俺はおまえがアイクにした酷い仕打ちを聞いて乗り込んで来たんだから」
「!」
アイクの名を聞いてシュンの表情が一変した。
沈黙の到来。時間が凍りついたように見つめ合ったままの少年たち。
やがて、唐突にシュンが笑い出した。
「ああ、そうか? そのルートか? アハハハハ……」
「本当なのか?」
ジェイミーは真剣な顔で詰め寄った。
「おまえ、本当にあんな真似、アイクにしたのか?」
「誰に何を聞いたんだ? 俺以外の……〝誰〟に〝何〟を……?」
少年の剣幕に気圧されて一瞬、口を閉ざすジェイミー。今度は少年が訊いた。
「そもそも、おまえ、アイクの何なんだ?」
「──」
「OK、これは野暮な質問だった」
シュンは目を逸らした。逸らしたままで、
「……俺はずっと後悔している。俺は、ホント、浅はかな十五歳のガキだった」
「やめろって。俺はてめえの懺悔を聞きたいわけじゃない」
「……姉貴に脅されたんだ。俺とアイクの関係知って、それで親父にそのことバラすって。当時俺は親父が物凄く怖くて……逆らったことなんかなかったし、何だって言いなりだった。だから、あの日、姉貴に脅され、命じられるまま勤務中のアイクを呼び出した。
でも、誓って言う。姉貴が何をするつもりなのか、その時点では全くわからなかった。せいぜい俺とアイクの関係についてフツーの姉さんらしく文句を言うのかぐらいに思ってた。それを……まさか……あんな……」
*
背後から殴り倒されるアイク・サクストン。パッと血飛沫が公園の緑の草叢に散った。
シュンは悲鳴を上げた。
「ルイーズ! ……何……こ、これは……何?」
ルイーズは答えず、倒れた警官に駆け寄るや肩のホルダーから拳銃を抜き取った。
「!」
流石に察して、シュンが飛びつく。
「やめろっ! なんて真似──」
「邪魔しないで! こんな機会……二度とないんだから!」
「だ、だめだよ!やめて──」
「うるさいっ!」
姉は弟を銃で殴った。吹っ飛ばされて夾竹桃の幹にぶつかるシュン。
ルイーズは止めてあった自分の車へ走るとエンジンをかけた。シュンも必死で起き上がると追って駆け出す。
「ま、待って! ルイーズ! 待てったら……クソッ」
急発進して見る見る小さくなって行く姉の車。その時、一台のタクシーがシュンの脇を摺り抜けた。
「ストップ!」
懸命に追い縋る。気づいて止まってくれたそれに飛び乗ると叫んだ。
「あの車! あれだ、ミッドナイトブルーの奴、あれを追いかけてっ! 早く!」
アイクは草叢に昏倒したままだが、兎に角、今はあっちが先だ。何としても姉を止めなければならない──
*
「おいおい、俺の聞いた話とはだいぶかけ離れてるぜ。ブリっ子はよせって」
ジェイミーが指を振ってみせる。
「おまえは警察関係者の前で──アイク自身の前で告白したんだろ? そもそもの初めから姉貴に嗾けられてアイクを誘惑した。最終目的は銃を奪うため。てめえら姉弟はハナからグルだった……」
「あれだって、そうしろと言われたんだ!」
「またかよ? お坊ちゃまには敵わねえな! 何でもかんでも他人のせいか? 他人に命じられた通りに何だって言いなりになるのか、おまえは?」
ジェイミーの血染めのジャケットに入れた手が小刻みに震えている。
「だから! 後悔してるって言ったろ? 俺は何も知らない十五歳で、奴等、汚い大人たちの遣り口に対抗する術がなかった…… 姉貴や、それから、あの警官ども……」
「?」
ポケットの中の手が止まる。ジェイミーは怪訝そうに眉を寄せた。
「クソッ!」
シュンはやおら椅子から腰を上げるとベッドの横に立った。腹這いになって下の隙間から何やら引っ張り出した。
紐で幾重にも厳重に括ってあるナイキのスニーカーの箱だった。
「おまえ、ナイフ持ってるか?」
吃驚して首を振るジェイミー。シュンは箱を持ったまま自分の机に戻りペン立てからカッターナイフを抜き取った。乱暴に紐を断ち切って行く。最後の一本を切ると逆さにして箱の中身をベッドの上にぶちまけた。
「──……」
それは何枚もの写真── 明らかに隠し撮りされたと思しきアングルの、SEX真っ最中の二人──アイクとシュンだった。
「撮ったのは姉貴さ。ルイーズはこれを証拠としてパパに見せるって脅したんだ。俺はどうしようもなかった。こんなの……酷いよ……」
「──」
「ルイーズがあんなこと仕出かした後で、警察が全て没収した。そして、今度は連中がまたこれを使ったんだ」
「!」
「アイクはこの写真のことは知らない。刑事どもは俺に、言われた通りの証言をしないとこれをマスコミに流すって脅したんだ。そうなったら、俺は勿論、アイクの将来が台無しになるって。連中は、またこうも言った。俺が最初から姉貴とグルだったと言えば──あくまで銃が目的で、俺の方から誘惑したと言えばアイクは助かるって。俺はアイクに迷惑かけたくなかった。だから、言われるままに……」
写真を見下ろしたままジェイミーは唇を噛んだ。
「それが最良の策なんかじゃなかったことを悟ったのはもっと、ずっと、時間が経ってからだ。警官どもは俺がモノを知らない子供で、ビビッてるのをいいことに連中の都合の良いように扱ったんだって、今ならわかる」
シュンは屈み込んで写真を鷲掴みにした。
「こんな写真が何だって言うんだ? これが白昼の下に曝されようと……この街中、いや、世界中にバラ撒かれたって……それで、アイクが退職させられたって……今より酷い状態になることはなかった!」
シュンは写真を宙に放った。次から次へと。写真はドジャーズの優勝パレードで巻かれる紙吹雪のように少年たちの上に降った。
「警察は俺にアイクと手を切らせたかったんだ! そうと知らず俺はまんまと連中の手管に乗って、自分の手で、最愛の人の仲を切り裂く役目を演じたんだから、ホント、大馬鹿野郎さ!」
再びシュンは椅子に戻った。腰を下ろすと、黒い瞳でジェイミーを見据えた。
「これで、どうして俺が、警官が嫌いかわかったろ? それをあいつらノンキにも、また協力して欲しいと来たもんだ。俺がまだやられた仕打ちに気づかないガキだと思ってんのかな?」
悪魔みたいに可愛く小首を傾げて、
「さてと。今度は俺が聞く番だぜ? 今、何が起こってるんだ? 今回サツの犬どもが躍起になって張っているのは〝おまえ〟か、それともアイクか? アイクが何かヤバイことに巻き込まれたのか? おまえのその──気を悪くすんなよ、えーと、〝酷いナリ〟は一体どうしたのさ?」