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突き抜けたような青空と乾いた風……
それはありふれた交通事故に端を発する。
何処にでもある些細な光景に過ぎなかった。
パシフィックコースト・ハイウェイのガードレールを擦って止まった濃紺のカマロ。
すぐにパトカーが到着した。左右のドアが同時に開いてパトロール警官たちが降りて来る。その内の一人がアイク・サクストンだった。
当時のアイクは前途洋洋たる警察官で汚点ひとつない輝くばかりの容貌。LAPDの制服をピシッと着込んで、涼しげな眼差し。キリリと引き結んだ口元は、心持ち片方の口角が上がっているせいでいつも微笑んでいるように見える。
事故車のハンドルを握っていたのは二十歳前後の少女だった。事故のショックからかハンドルに両手を置いたまま茫然とフロントガラスを見つめていた。
ルーフに手を置いて先に覗き込んだ警官が声をかける。
「OK、怪我は?」
「ないわよ! クソッたれ……!」
この返答に後ろに続いていたアイクは思わず吹き出してしまった。その時、後部座席に座っているもう一人に気づいた。
「?」
こちらは十四、五の少年。少年もアイクを見返した。
額に一筋血が滴って華奢な顎へと零れている。 美しい。血も、少年も──
「だから、姉貴に運転させるのやだったんだ! イテテ……」
病院で額に包帯を巻いてもらう間中、少年は毒づき続けた。
「あいつ、ほんとうにクレージィなんだもん」
付き添っていたアイクは適当に相槌を打つ。
「へえ?」
「それで、僕、もう家へ帰れるの? それともジジョウチョウシュウとか言うの、する?」
アイクは笑いながら首を振った。
「いや、その必要はないよ。君は戻っていい。ドクターの許可も下りたし──家には連絡入れたかい?」
「パパもママも連絡つかない。今日に限ったことじゃないけど。二人ともメチャクチャ忙しいんだ。家政婦には伝えたけど、迎えには来れないって。彼女、免許持ってないから。まあ、ありゃ、市民権だって持ってないんだけど」
少年は首を傾げて上目遣いに警官を見つめた。
「送ってもらえるとありがたいんだけどな? ……こういうのって、規則違反?」
「──」
アイクは黙ったまま少年を見返した。
結局、アイクは少年を自宅まで送ってやった。
途中、後部座席で始終鼻歌を歌っていた少年が、ふとハミングを止めて、
「友達に自慢できるぞ。きっと羨ましがられるだろうな!」
「パトカーに乗ったってか? ハハハ……」
「違うよ。僕がそんな子供に見えるかい?」
「?」
「僕が自慢するのは、超クールな人と知り合ったってことさ」
バックミラーには少年の探るような眼差しが揺れている。
「ねえ、聞こえた?」
それには答えずアイクはブレーキを踏んだ。
「着いたぜ。ここだろ?」
そこは物凄い豪邸だった。その地域一帯がそうなのだが馬鹿馬鹿しいくらいの敷地にお城のような邸宅が点在する地域。ビバリーヒルズ。
少年の家も濃い緑の木々に遮られて全容は見えなかった。実際の玄関はその先、ずっと続くプライベート・ドライブウェイを辿って行かなければならない。
だが、アイクは番地が記された外門の前でパトカーを止めた。
「じゃあな」
「──」
促されてやっと少年はパトカーから降りた。自邸への長い道をのろのろと歩き出す。
アイクはシートに凭れて目を閉じた。少年が門の内側に消えたのを確認してから車を出すつもりだった。
コツ、コツ……
窓ガラスを叩く音に吃驚して目を開けると、覗き込んだ少年の顔──
何か忘れ物でもしたらしく少年は引き返して来たのだ。
慌ててウィンドウを下ろすアイクに、
「きちんと挨拶をしてなかったのを思い出して……僕の名はシュン・ホルト」
「ああ、俺はアイクさ。アイク・サクストン」
「会えて良かった、アイク!」
シュンはパトカーの窓越しに握手の手を差し出した。アイクは握り返した。
クルッと勢いよく身体を廻すと、今度こそ少年は自邸へ向かって駆け出した。
「──」
気づいていた。掌を開くと紙片──電話番号が書いてあった。
知っていて、アイクは受け取ったのだ。
これが二人の始まり方だった。