#12
12
ウエストウッドにあるアイク・サクストンのアパート。
その空色のドアの前に立つと微かに音楽が漏れ聞こえて来た。
呼び鈴を押す。ややあって、ドアは薄く開いた。
「はい?」
乱れた髪のジェイミー・クルス。少年は小首を傾げて訪問者を訝しげに見上げた。
「どなた?」
「初めまして。私はレイミー・ボトムズよ」
少年は吃驚した顔で、
「ああ? あんたが? うん、名前は知ってるけど──ヒェー、若いんだな? もっとオバさんかと思ってた! アイクなら留守だぜ。勤務中だろ? あんたたちと一緒に働いてるんじゃないの?」
ジェイミーの緑色の瞳が面白そうに燦いた。
「アイクが留守なの知っててわざわざここに出向いたってことは──お目当ては〝俺〟か。ボトムズ刑事?」
目の底から見つめる独特の仕草で女刑事を眺めていたが、肩を竦めてドアを開いた。
「OK、入れよ」
「フリート・ウッドマックね? 好きなの?」
キッチンでコーヒーを煎れていたジェイミーには刑事の言葉の意味がわからなかった。
「この曲よ。〈Gypsy〉……」
「ああ、これ? アイクのCDだよ。好きに聞いていいって言うから片っ端からかけてただけ」
コーヒーを持ってリビングに戻るとレイミーはビューローの前に立って壁に貼った写真を眺めていた。
その姿を見てジェイミーは突然思い当たった。
「ああ! それ、あんたか?」
ピクニックの写真。小さなアイクが寄りかかっている大きなリボンをつけた女の子。一番気に入っていたキティのTシャツを着ていて、そのせいでアイクは少女にというより猫にキスしてるように見えた。
「なるほど、こうして見ると……うん、面影はある……」
写真を見つめて微笑んでいるレイミーにジェイミーは言った。
「アイク、ガキの頃からあんたやあんたの親父さんに世話になってるってしょっちゅう俺にも話すんだ」
少年に視線を移すと写真を見ていた時よりも更に悲しげに刑事は微笑んだ。
「……俺にアイクと切れて欲しいのか?」
「彼は今、微妙な立場にあるわ」
壁から離れソファの前にやって来ると両腕を抱えるようにしてレイミーは言った。
「警官として不利な立場、と言うべきかしら」
「ケッ、だから警官なんてとっとと辞めればいいんだ。俺は何度も言ってる。アイク一人くらい俺が養ってやってもいいぜ」
意地悪く付け加えるのを少年は忘れなかった。
「俺は何もアイクの制服姿に痺れてるわけじゃないもん。あんたはどうだか知らないけどさ、レイミー・ボトムズ刑事?」
残酷さにかけてはジェイミーは自信があった。
「あんたはアイクが警官でなきゃ困るんだろ? アイクが警察辞めちまったらもう二度と会えないもんな。〝接点〟が失われる……」
「君の〝接点〟は〝内偵〟ってこと?」
レイミーも負けてはいなかった。
「それが君の〝愛の形〟ってわけ?」
「な、何が言いたい?」
「私はそうは思わないわね。本当の〝愛〟なら恋人に危険な真似させるはずないわ」
「内偵の件は俺の方が言い出したんだ! アイクは何度も、もうやめろって……言ってくれるぜ……」
言い終わるとソファにどっと倒れ込んだ。頬が紅潮している。
「わかったよ! やり手だな? こういうの誘導尋問ってんだろ? OK、俺にとって〝内偵〟がアイクとの接点さ。アイクの気を引きたかった。こう白状すれば満足か? グリーンを探ること、それを餌にしてアイクを釣ったんだ。どうしてもアイクが欲しくって……ズルイ手を使いました、お巡りさん」
「アイクだってズルイわ。君を利用してるのよ。そういう風に考えたことはないの?」
「──」
「こういう馬鹿で危険な真似、やめたほうがいいわ」
「〝内偵〟のことか?」
「〝関係〟もよ」
「やなこった!」
赤毛の刑事は爆発した。
「どうしてあんたたちときたらアイクの邪魔ばかりするのよ!」
「?」
「アイクが父親の分も立派な警官になろうとするのを、何度妨げれば気が済むの? ほんと、あんたたち皆、揃いも揃って悪魔どもだわ!」
地獄に巣喰う美しい悪魔たち……
「……アイクも前に俺のこと、そういう風に呼んだっけ」
ジェイミーは首を傾げた。
「なあ、〝あんたたち〟って、それ、俺やロドニーのことか?」
うんざりした顔で刑事はため息をついた。
「他にもいるわよ」
言った後で、ハッとして顔を上げる。
「聞いてないの? その話──アイクがやらかした大失敗のこと」
「いや、俺──」
ジェイミーもハッとした。顔が強ばる。いつかの夜、泥酔したアイクがカウンターに突っ伏して呟いた台詞を思い出した。
『畜生! DNAを恨むぜ……!』
『あんたの親父さんがそうだったからって、あんたも同じになるとは限らないだろ?』
『バーカ、俺もやらかしちまったんだよ……』
少年の動揺を見透かすように刑事は聞いた。
「そう。その話、アイクは君にはしていないのね? ……聞きたい?」
「結構だよ! 誰がそんなもの聞きたいもんか!」
ジェイミーはソファから荒々しく身を起こすと空になった自分のコーヒーカップを持って部屋を出て行ってしまった。しかし、レイミーは慌てなかった。わかっていたのだ。
ゆっくりとコーヒーを啜る。
果たして──
さほど時間を置かず少年はリビングのドアの前に戻って来た。
まるで負けを認めた子犬のようにしょぼくれて金色の髪を揺らし、低い声で言った。
「やっぱり……教えてくれよ」