#11
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レイミー・ボトムズは自販機で買って来たコーヒーを持ったままぼんやり椅子に座っていた。
先刻の、〝裏切り〟とも取れるアイクの内偵の件からまだ立ち直れていない。
ふと目をやると窓の下、署の入口付近の植え込みの間に腰を下ろしている金髪の少年の姿が見えた。近寄って行くのはアイクだ。
(では、アレが噂の──?)
興味を覚えて窓の側へ行く。何を話しているものやら、眼下の二人は戯れ合う子犬のように平和で楽しそうに見えた。これから一緒にランチでも食べに行くのだろう。何処へ? BLT? BOa? ミラベルかも。
ここでノックの音。
開放してあるドアを、その横に立って神妙な顔で叩いているのはケヴィン・ペイジ。CBIから派遣された捜査官だった。
「ちょっと……よろしいですか、ボトムズ刑事?」
「どうも気になることがあって。とはいえ僕みたいな駆け出し、おまけに他所者の意見、ベテランの方々には笑い飛ばされそうだ。でも、ボトムズ刑事なら歳も近いし聞いてくださるかな、と」
「レイミーでいいわよ。話してみて」
若い捜査官はパッと明るい表情になった。
「お察しでしょうが、今回〈HERD〉のメンバーとしてこちらの皆さんと一緒に仕事ができること光栄に思っています。連続殺人鬼を追い掛けるなんてそうそうできない体験ですからね。で、この機会に改めてこの事件について一から勉強し直したんです」
咳払いをしてから、
「つまり、八年前の第一犠牲者ティム・ロビンスンまで遡って資料を細かく見返しました。殺し方や犯行現場の様子、凶器の選択、犠牲者の特徴に至るまであらゆる点を、です。あ、勿論あなたは熟知なさっているでしょうけど、レ、レイミー?」
紅潮しながらレイミーを見つめる。レイミーは窓枠に寄り掛かったまま促した。
「それで? 何か気になった点でも?」
「……ロドニー・ハワーズは違いますよ」
「?」
怪訝そうに眉を上げた実動隊長、一応の上司にペイジはゆっくりと繰り返した。
「ロドニー・ハワーズはハズレです」
「どういう意味?」
「彼は〈白鳥の王子連続殺人事件〉の犠牲者ではないと言ってるんです。或いは、こう言えばいいかな? 彼を殺したのは連続殺人鬼ではない別の〝誰か〟だ」
CBIの若い捜査官は形の良い指で最新流行の縁なし眼鏡を押し上げた。
「言ったでしょう? 僕は今までの〈白鳥の王子連続殺人事件〉を細かく調べ直してみたと。その結果一つの〝真実〟を見出したんです。まあ、今の段階では〝仮説〟に過ぎませんが」
レイミーは窓を離れて自分の机に座り直した。
「詳しく話してみて」
「〈白鳥の王子連続殺人事件〉は余りに鮮烈で印象的だから、それが逆にネックになっちゃったんじゃないかな? 極端な話、この8年間というものキュートな少年たちが裸にされて両手足を縛られて斬り刻まれてるのが発見されたら、即、犯人はその〈殺人鬼〉だと考える傾向が定着してしまってるんですよ! 確かに(殺人鬼〉は存在します。そして、実際何件かの犯行を犯している。でも、僕は思うんです。もう一度徹底的に〈白鳥の王子連続殺人事件〉と言われている犯行の全てを精査し直す必要があると」
いったん言葉を切ってレイミーの意見を待ったがその気配がないのでペイジは先を続けた。
「現在〈白鳥の王子〉として一括りにされている事件の中には明らかに〝他人〟の犯行が混ざっている。〝パッケージに偽りあり!〟ですよ」
レイミーは椅子の背に頭を強く押し付けた。
「──」
「そして、特に今回のロドニー・ハワーズはその兆候が顕著だ」
上司の机に両腕を突いてグイッと身を乗り出すケヴィン・ペイジ。
「僕はロドニー・ハワーズは〈連続殺人鬼〉とは別の者による犯行だと断言します!」
「……興味深い意見ではあるわね」
足を組み替えて、レイミー・ボトムズ、
「でも、ロドニーの殺され方には先の〈連続殺人事件〉と多くの共通点が認められるし、今更言うまでもないことだけど、〈連続殺人犯〉だっていつも完全に同じパターンを踏襲するとは限らない。その時々で種々のバリエーションが顕われるのも事実よ」
「まあね」
ペイジは認めた。
「でも、それらの一々が逆にまた僕の論理の根拠にもなってるんですよ。つまり、〝派手でインパクトのある犯行〟はそれだけ真似るのも容易だし、その際、手順が多少違ってもバリエーションの範囲と認識してもらえる──」
秘密を打ち明けるようにペイジは真っ直ぐレイミーの瞳を覗き込んだ。
「〈白鳥の王子連続事件〉が世間一般に定着すればするほど、そして、いろいろな角度や方面からの研究が進めば進むほど真似もしやすくなる。あの事件に刺激された単純で阿呆な追随者や、真剣に誰かを殺したいと願っている奴が、自分の犯行をなすり付けるには〈連続殺人事件〉は最高の〝隠れ蓑〟だと思いませんか?」
若い捜査官の声が一層熱を帯びて来た。
「この際ブチ撒けると──〈白鳥の王子〉には本人以外に最低二人の〝別人〟が参加してると僕は思ってるんです。そうして、最も明確なものが今度のロドニー殺しだ……!」
「君の意見は面白いけどちょっと突飛過ぎるかもね、ペイジ捜査官?」
「僕もケヴィンでいいです」
交差させた両手に顎を乗せてレイミーはCBIの捜査官を見つめた。
「君は自分の直感に頼り過ぎているように私には思えるわ、ケヴィン? 何より君の仮説が正しいとしたら……どうなるのよ? 元祖〈殺人鬼〉一人にさえこんなに振り回されてるってのに、〈弟子〉どもを何人追い回さなけりゃいけないの、私たち?」
レイミーお得意の皮肉なのだがペイジは妙な笑い方をした。
その不思議な微笑を顔に貼り付けたままドアの方を振り返る。
「さしずめ……このロドニー殺しは案外簡単に真犯人を挙げられるかも知れませんよ。最も新しい事件だし、それだけ追跡し易いはず。優秀な猟犬さえいれば今ならまだ真犯人の足跡を確実に嗅ぎ分けられる……」
ペイジは歩いて行って開いていたドアを占めるとすぐまたレイミーの机の前に戻って来た。
「しかもロドニー殺しの犯人を捕まえれば僕の仮説をCBIのお偉方に評価させる絶好の機会になる! だから僕は今こそ言いたい。マスコミと僕等警察関係者自身がこの〈連続殺人事件〉を実際異常に肥大化させていると。その結果、虎の威を借るなんとやらまで入り乱れて、いつ果てるともしれない真紅の協奏曲を奏でてる。もうたくさんだと思いませんか、レイミー?」
声のトーンが変わった。
「ねえ、人は誰でも〈殺人鬼〉になれるんです」
「?」
「環境や、個人的な嗜好や性格、その強弱の差こそあれ、人は誰でも殺人鬼になれる……」
レイミーが何か言う前に一気に言った。
「僕はね、レイミー、ロドニー殺しに的を絞ってささやかなプロファイリングを試みたんです。ほとんどの人間がロドニーは〈連続殺人鬼〉の犠牲になったんだと信じてる中で、しかもその殺人鬼を追う(HERD〉の一員の僕がロドニーを殺った真犯人は別人のこんなやつだと推測するってのも妙な話ですが──ぜひ聞いてください」
眼前に拳を突き出すとペイジはゆっくりと指を開いて行った。
「一つ、犯人はゲイ、もしくはバイである。二つ、最近著しい心身消耗状態に陥っていた。三つ、〈白鳥の王子連続殺人事件〉の模倣をやるのに有利な立場にいる。つまり、この事件に関して詳細で広範な知識を有している。以上」
黙って聞いていたレイミーが呆れ顔で首を振る。
「それだけ? それじゃあんまり簡単過ぎない?」
「それだけで充分でしょ?」
ペイジに動じる気配はなかった。両足を開いて立ち、腰に手を置くと言い切った。
「以上に当て嵌る人物をあなたは知っている」
「え?」
「実は僕も知ってるんだなあ! ズバリ、アイク・サクストン巡査ですよ!」
どのくらい間があったのか。
暫くレイミーは身動ぎもなかった。そして、唐突に肩を揺すって笑い出した。
「アハハハハ……」
痙攣の発作の如き大笑い。空になった紙のコーヒーカップが振動で机の縁から転げ落ちる。
「アハハハ……確かにね、ケヴィン、君の意見は荒唐無稽過ぎて……CBIの上層部の面々に笑い飛ばされるでしょうね! これじゃ、私だって同様よ」
「そうかな?」
「アイクはミスは犯しても犯罪は犯さないわ!」
きっぱりとレイミーは言い切った。
「彼が今回の犠牲者ロドニー・ハワーズの最後の──相手だったという事実は、本当に間の悪い、愚かな失態よ。アイク自身の口からそれを告げられた時は流石に私も驚いたけど」
笑い過ぎて目尻に滲んだ涙を指で拭いながら、
「でも、そのことは逆に、彼がロドニー殺害に関わっていないことを立証する有力な証拠になったわ」
「〝ホテルで一夜を共にした相手が、別れた直後に殺される〟……〝犯人以外では最後に会った人物という立場〟……」
床に落ちた紙コップを拾いながらペイジは噛み締めるようにゆっくりと言う。
「それって、〝疑わし過ぎて疑えない〟ってことでしょ? サクストンは警官だから、僕たち警官の常識の裏を突いたのかも。計算され尽くした上手なカモフラージュだ」
「か、考え過ぎよ」
「最近サクストン巡査は精神的にかなりマイッた状態にあった……」
「!」
「益々手がつけられなくなる廃人同然のジャンキーの母親。勤務中の些細なミスの連鎖。そもそも、それらの大元である例の〝大失態〟。完全に八方塞がりだ。そんな中で彼は〈HERD〉のチームにいた。仕事上〈連続殺人事件〉の資料に精通している」
紙コップを屑入れに投げ込んでからクルリと回転してケヴィンはレイミーを睥睨した。
「やってみたくなったのかも……」
乾いた声で聞いてきた。
「彼はバイかゲイですよね? 嗜好も連続殺人犯の選ぶ犠牲者たちと被っている。現にロドニー・ハワーズといい、今同棲してる何とかといい、それから、あの子は何と言ったっけ? 元凶の〝大失態〟のお相手──シュー・ホルト?」
「……シュン・ホルトよ」
砂を噛むようにレイミーはその名を口にした。
二度と口にしたくなかったのに……!
「落ち込んだり不安定な精神状態の時に〈連続殺人事件〉の資料を日夜繰る破目になり、そのうちに個人的にのめり込んでしまう……」
机を叩いてレイミーは立ち上がった。
「やめなさい! 彼はそんな人じゃないわっ!」
「そんな人なんですってば!」
口調は冗談めかしていたがペイジの表情は真剣だった。
「あなたが彼を庇い過ぎていることは署内では有名ですよ」
この件でCBIから来た捜査官は遠慮しなかった。
〈白鳥の王子連続殺人〉同様、署内であった〈事件〉もきちんと調べ尽くしている。
「本来なら先の失態でサクストンは解職になって当然だった。アレだってかなり際どい──と言うか、ヤバかった。でもLAPDの然るべきポストにいるあなたのお父上とあなただからカバーできた……」
「──」
レイミー・ボトムズが力なく椅子に腰を落とした音。
間伐入れず、優しい声に戻ってCBI捜査官は言った。
「僕としては今こそ、〈HERD〉実動隊長であるあなたに現実を冷静な目で直視して欲しいんです」