#10
10
署内第二会議室。
新編成された〈連続殺人事件広域同時渉猟作戦:コード名HERD〉の第1回目のミーティングが開かれている。
最高責任者は署長アントン・フェルナンデス。実動隊長はレイミー・ボトムズ刑事。
新たに加わったのはハリー・クラヴェル刑事、ケヴィン・ペイジ捜査官である。
今回の〈HERD〉作戦の発案元であるCBIとしては現地警察だけに任せておけなくなったとみえこの若い捜査官を派遣して来た。他の法執行機関との合同捜査がやりにくいのは現場の本音である。
だが、FBIよりはマシ、とレイミーは(署長のフェルナンデスも)思った。
CBIは仮にも州の同胞である。州で起こった事件は州で解決したかった。メンツというより責任の問題なのだ。
新加入のクラヴェルとペイジは完璧な対称を成している。
クラヴェルは署内で最も古株のベテラン。片やペイジは大学卒業後CBIトレーニングアカデミーを優秀な成績で終えた前途洋洋たる捜査官だった。
が、対称は年齢や経歴に留まらない。上背はあるがでっぷり太った醜男のクラヴェルに対してペイジは細身で爽やかな容貌、最新流行のスーツを隙なく着こなしている。
このシンメトリーな二人が並んだチークの会議用テーブルの一番端にアイク・サクストンがいた。
「輪は縮まったのか?──わからない」
一同を見回して激を飛ばすアントン・フェルナンデス署長。
一警官から叩き上げたこの所長はその名の通り雄牛の如き堂々たる体躯にヨークシャテリアのような優しい瞳の持ち主、署員の人望は厚かった。
「今後は今まで以上に細心の注意を払って、我々に与えられた標的ケイレヴ・グリーンの身辺をマークしてもらいたい。今回被害にあった〈ロドニー・ハワーズ殺害事件〉チームと切り離したのは、諸君ら〈HERD〉のメンバーには、今に至るも未解決の連続殺人犯を常に視野に置いた活動を求めるからである。勿論、〈ロドニー事件〉の情報は共有する。だが、諸君にはそれだけに拘泥されない柔軟性のある探索を期待する。ボトムズ刑事、特に君の方からあるかね?」
促されてレイミーは立ち上がった。メンバー一人一人の顔を見つめながら淡々とした口調で言う。
「八年間未解決のままの〈連続殺人事件〉は今や我が州が抱える最大の汚点です。この殺人鬼の今までの例から見て、一つ死体が出ると同地域──割合狭い範囲内で数件続く傾向が指摘できるかと思います」
レイミーはホワイトボードに張り出した州の地図を指して行く。そこには赤いピンが5つ。黄色いピンが一つ。
赤の①サンフランシスコ市チェスナットストリートがテイム。ロビンスン(18)
赤の②サンフランシスコ市ミッションがアート・ホーク(21)
赤の③モントレー半島パシフィックグローブ、ルイス・ウィッスラー(20)
赤の④サンディゴ市シーポートビレッヂでヴィーゴ・ジェンマ(17)
赤の⑤サンディゴ市バルボアパークのパット・モートン(18)
そして、
黄の⑥ロスアンゼルス市サンセットストリップ、ロドニー・ハワーズ(17)
この黄色いピンは絶対増やすものか……!
「現実に私たちの管轄でロドニー・ハワーズという尊い犠牲者が出た今、気を引き締めて、心を一つにして、全力で頑張っていきましょう!」
「サクストン巡査、待って……!」
会議が終了するとレイミーはアイクを呼び止めた。
「話があるの。来て」
自室オフィスへアイクを招き入れるやいなや、凄まじい剣幕で詰め寄った。
「どういうつもり?」
「何のことですか?」
「ケイレヴ・グリーンの情夫とやらを引き取ったって?」
目を伏せたままアイクは微笑した。
「自分にも身辺調査が張り付いているのは気づいてました。──なら、報告の通りですよ。一緒に暮らしてるんです」
「辞表を受け取らなかったから今度は嫌がらせに走ったってわけ? 警察官のモラルがどの程度のものか世間に見せつけたいのね?」
「そんなつもりは毛頭ありません。これはプライベートな問題だ」
「マトモな神経の持ち主なら……こんな真似できっこないわ!」
レイミーは大きく息を吸って、吐いた。
「君は〈HERD〉の最初からのメンバーで、ずっとケイレヴ・グリーンに張り付いてた。不幸にも彼の愛人だったロドニー・ハワーズが惨殺され、君はこの少年と面識があるのみならず〝犯人〟を除いては生存中最後に会った人物と認定されてるのよ。そして、それでは飽き足らず、今度はグリーンの新しい愛人と同棲を始める……どう、自分で聞いていて何とも感じない?」
「──」
「職業上の立場を利用して〝他人のご馳走食い荒らしてる〟って言われても弁解の余地はないわ! 或いはこう、〝可愛子ちゃん狂い〟? 〝破廉恥エロ警官〟?」
「いいですよ、何と言われようと。どんな陰口や嘲笑や罵倒でも血は流れないもんな」
「!」
「ロドニーは実際にありったけの血を流して──斬り刻まれて絶命したんだ。ジェイミー・クルスまで同じ目に合わせるつもりはないです」
「……つまり、その子の身を案じての……〝保護〟が目的だって言うの?」
「自分が考える限り、こうするのが一番賢明だと思ったまでです」
「当のケイレヴ・グリーンは何処まで知ってんだ?」
突然混入したもう一つの声にレイミーとアイクは一瞬硬直した。
いつからそこにいたのか、ハリー・クラヴェルがドアの前に立っていた。
新しくメンバーになったベテラン刑事は巨体を揺らして二人の前まで来るとアイクに人差し指を突きつけた。
「おまえさんと、その何とかってグリーンの男娼の関係を、当のグリーンは知ってるのか、と俺は聞いてるんだよ」
「知らないと思います。よもや知っていても、俺が警官だということまでは知らないはずです」
「おまえはその餓鬼を使ってグリーンを内偵させていたんだろ?」
息を飲んだのはレイミーだった。
「そうなの、アイク?」
「おまえさんのやり方は悪くない。気に入ったよ、サクストン巡査!」
「ちょっと待って、私は許さないわよ! これからだって許すつもりはないわ! こんなやり方、即刻やめ──」
「まあ、落ち着いて、ボトムズ刑事。これも一つの警察が〈伝統〉なんだ」
クラヴェルははち切れそうな腹の下のベルトに両方の親指を引っ掛けた。
「警察仕事は綺麗事ばかり言ってはいられない。小娘と呼ばれたくないんならあんただってそこんとこ認めなくっちゃな? 正義の鞭だけじゃこの世は渡って行けないってことさ」
さも愉快そうに細い目を更に細めた。
「おまけに内偵の件はあくまでおまえさんの個人的な策略だろ? 警察署の名に置いてそのガキを使ってるんじゃないから何かあった時は全ておまえ個人が引っ被るつもりだよな? 結構!」
一度肩越しにレイミーを振り返ってから再びアイクに視線を戻した。
「ボトムズお嬢さんの意見はともかく、俺がおまえさんをメンバーに残すのに賛成したのは、その〝遣り口〟のせいだってこと改めて言っておくぜ、サクストン」
〝お嬢さん〟と言われたレイミーは露骨に顔を顰めたが老刑事は無視した。
「おまえが〝確保〟しているその坊やをせいぜい大事にしてやるこった。そして、今まで通りにグリーンと交遊させ続けろ。言うまでもないが、これっぽっちも怪しまれないように注意しとけよ。急に生活態度を変えてグリーンに俺たち警察が動いていることを察知されてはまずいし、情報はリアルタイムで必要だ」
満足そうに大きく手を開いて、
「いやあ! 実にいい作戦じゃないか! 今度の仕事が上手く行けば──つまり、グリーンが当たり籤で俺たちがそれをモノにできれば、過去の失敗なんざ帳消しにしておまえさんは堂々と返り咲ける。せいぜい気を吐いてくれよ、色男!」
クラヴェルはアイクの背をポンポンと叩いた。
「おまえさんは噂以上の遣り手だよ。〝優秀な警官〟とはおまえのような奴を言うのさ。俺はおまえみたいなのを何人も見て来た。今となっちゃあ皆、俺よりいい階級に座っていやがる……」
入って来た時同様、巨体を揺すって去って行く。その間もクラヴェルは喋るのをやめなかった。
「悪人をやっつけるためには、或いは、功績を上げるためには、己の能力をフルに活用しなくちゃな。それが〝頭脳〟だろうと〝頑強な身体〟だろうと〝射撃〟〝弁舌〟〝コネ〟……何だって構わない。おっと、おまえさんみたいに〝容貌〟もな?」
クラヴェルが出て行った後の静まり返った室内で、レイミーは暫く腕を組んだまま宙を睨んでいた。
やがて、視線をアイクに据えると言った。
「私は賞賛なんかしないわよ、アイク・サクストン巡査?」
低い声だったが一語一語区切って、噛み締めるように吐き出す。
「内偵ですって? 君がこんな立ち回りしていると知ってショックだわ。しかも、事前に何の相談もなく? これって、つまり、〝出し抜く〟ってこと?」
頭を振って肩に掛かった真っ赤な髪を背に払いのけた。
「でも、まあ、部下にまんまと出し抜かれる上司が頓馬なんでしょうけど……」
レイミーの自室のドアを後ろ手で閉めながらアイクは呟いた。
(皆、勝手なことばかりぬかしやがる……HERDが……)