第44話 : 農園の一日
第44話 : 農園の一日
バスが揺れている。
日曜日の朝七時半。新宿駅西口のバスターミナルから出発した小型バスの中。白石さんが手配した「灯台」の農業体験プログラム。参加者は凪沙を含めて六人。全員が若者で、白石さんともう一人のスタッフが引率している。
窓の外を見た。首都高を抜けて、バスは千葉方面に向かっている。ビルが減っていく。マンションが減っていく。代わりに畑が増えていく。平たい土地に、緑色の何かが等間隔で植わっている。何の作物かはわからない。農業のことなんて何も知らない。
隣の席は空いている。他の参加者とは話していない。全員が初対面で、名前も知らない。白石さんが出発前に「自己紹介はしなくていいよ。呼ばれたい名前だけ教えてくれればいい」と言ってくれた。わたしは「なぎさ」と名乗った。「なぎ」じゃなく。歌舞伎町の名前じゃなく、本名のほうで。
バスの窓ガラスに額を押しつけた。冷たい。三月末の朝の冷たさ。電車の窓ガラスに額を押しつけるのは、歌舞伎町の帰りの始発電車と同じ動作だ。でも流れていく景色が違う。あのときは都会の灯りが遠ざかっていった。今は、空がどんどん広くなっていく。
ビルの隙間に切り取られた空じゃない。地平線まで続く空。歌舞伎町では空は細い帯だった。ここでは、空がぜんぶ見える。
目を閉じた。バスのエンジン音。タイヤが路面を転がる振動。座席のクッションが背中を支えている。誰かのイヤホンから漏れる音楽。カケルの曲じゃない。知らない曲。でも、こうやってイヤホンから音が漏れていると、カケルを思い出す。
一時間半後。バスが止まった。
ドアが開いた瞬間、匂いが変わった。
土。草。水。全部が混ざった匂い。歌舞伎町の匂いとは正反対。焼き鳥も排水溝も香水もない。代わりに、地面から立ち上る湿った土の匂い。刈り取られた草の青い匂い。どこかで水が流れている音。用水路だろうか。
バスを降りた。足の下がアスファルトじゃない。砂利道。靴底に小石の感触がある。歌舞伎町のコンクリートとは違う。不安定で、でも柔らかい。
深呼吸した。胸の奥まで空気が入ってくる。冷たくて、少し甘い。三月の千葉の空気。春のにおい。花のにおい。名前を知らない花の。
農園が目の前に広がっている。広い。驚くほど広い。畑が何面もあって、その向こうにビニールハウスが三棟。手前に作業小屋と、木造の休憩所。奥には防風林の木々が並んでいる。空が広い。頭の上に何もない。ビルもネオンも看板もない。ただ空。雲が左から右にゆっくり流れている。
「着いたよー。トイレは休憩所の中ね」
白石さんが参加者に声をかける。白石さんは今日、いつものカジュアルな服じゃなく、長靴にジーンズ、チェックのシャツ。農作業の格好。似合っている。事務所でパソコンに向かっている白石さんとは別の人みたいだ。
休憩所に入った。木の壁。木の匂い。古い建物だけれど、きれいに掃除されている。テーブルが二つ。壁にカレンダー。農作業の道具が隅に並んでいる。鍬、スコップ、じょうろ。どれも使い込まれて持ち手が黒ずんでいる。
農園の持ち主が出てきた。五十代くらいの男の人。日焼けした顔。しわが多いけれど、目が優しい。手が大きい。握手を求められて、わたしは恐る恐る手を出した。おじさんの手は、硬くて、温かかった。
「今日はよく来たね。松田です。気楽にやってください。間違えても大丈夫。土は強いから」
土は強い。その言葉が、なんとなく胸に残った。
午前の作業。サツマイモの苗を植えるための畝立て。
まず、軍手を渡された。白い軍手。新品。手にはめると少しぶかぶかだった。次に鍬。木の柄が長くて重い。持ち上げると腕に重さがかかる。スマホの重さとは次元が違う。スマホは百七十グラム。鍬はたぶん二キロ以上ある。
松田さんが畝の作り方を教えてくれた。土を盛って、山のような形にする。幅は六十センチ。高さは二十センチ。定規で測るわけじゃなく、「だいたいでいい」と言われた。だいたい。学校のテストなら不正解になる回答。でも農業では「だいたい」が正解らしい。
鍬を振った。土に刺さった。硬い。思ったより硬い。力を入れて引く。土が動く。黒い土。湿っている。ミミズが一匹、掘り返した土の中から出てきた。
「ひっ」
声が出た。情けない声。隣で作業していた男の子(たぶん十七、八歳。名前は知らない)が少し笑った。松田さんが「虫も仲間だよ。ミミズがいるのはいい土の証拠」と言った。
ミミズは土の中に潜っていった。わたしは鍬を握り直した。
十分後。汗が出てきた。三月末なのに、身体を動かすと暑い。パーカーを脱いでTシャツ一枚になった。腕がむき出しになる。白い腕。十ヶ月間、太陽の下にいなかった腕。歌舞伎町ではいつも夜だった。長袖を着ていた。ルカ姉の腕の傷を隠す長袖と同じように、わたしも何かを隠していたのかもしれない。何を? わからない。でも今、腕を出している。太陽の下で。
三十分後。手が痛い。軍手の中で、指の付け根に水ぶくれができかけている。鍬の柄を握る力が弱くなる。でも畝はまだ半分しかできていない。松田さんが「休憩していいよ」と声をかけてくれたけれど、もう少し続けたかった。身体を動かしている間は、頭が静かになる。余計なことを考えない。符号を間違えるとか、教室が怖いとか、そういうことを考えずに済む。鍬を振る。土を盛る。それだけ。
一時間で畝が一本できた。
まっすぐじゃない。松田さんの畝は定規で引いた線のようにまっすぐなのに、わたしの畝は曲がっている。右に寄ったり左に寄ったり。
「いいんだよ、これで。芋は曲がった畝でも育つから」
松田さんが笑った。わたしも笑った。曲がっていても育つ。それは、人間も同じだろうか。まっすぐ育てなかった。学校に行けなくなって、歌舞伎町に行って、曲がりくねった道を歩いてきた。でも、育ってはいる。たぶん。
畝の上に手を置いた。軍手越しに土の温度を感じる。冷たくはない。ぬるい。太陽が当たっている部分は少し温かい。土は生きている。微生物がいて、ミミズがいて、植物の根が張っている。コンクリートの下には何もないけれど、土の下には無数の命がある。
歌舞伎町の地べたに座ったとき、コンクリートは冷たかった。冬は特に。お尻が痛くなるほど硬くて冷たかった。あの冷たさの中でルカ姉の隣に座って、缶ジュースを飲んでいた。ここの土は違う。手を置くと、温もりがある。三月の太陽が一日中この土を温めている。
昼休み。
休憩所の前に敷物を広げて、外で昼食。白石さんが用意してくれたおにぎりと味噌汁。おにぎりは塩むすび。海苔が巻いてある。味噌汁はインスタントだけど、外で飲むと格別だった。熱い。湯気が上がる。味噌の匂いが鼻に広がる。
おにぎりを食べた。米の味がする。塩の味がする。当たり前のこと。でもその「当たり前」を、わたしはちゃんと味わっている。コンビニのおにぎりを歌舞伎町の路上で食べていた頃は、味なんか感じなかった。空腹を埋めるためだけの行為。今は違う。米粒を噛む。甘い。塩が効いている。海苔が歯にくっつく。全部を感じている。
コンビニのおにぎりは百円の約束だった。明日もここにあるという約束。ここのおにぎりは、誰かが握ってくれた温もりだ。白石さんが朝早く起きて、六人分のおにぎりを握った。その手の温度がまだ残っている気がする。母さんの弁当と同じ。手で作ったものには、作った人の時間が入っている。
隣に座っていた女の子が「美味しいね」と言った。わたしは「うん」と頷いた。それだけの会話。名前は聞いていない。聞かなくていい。「美味しいね」「うん」。それだけで繋がれる瞬間がある。おにぎりが、二人の間の言葉になっている。
食べ終わって、敷物の上に仰向けに寝転がった。
空。
広い。どこまでも広い。雲が流れている。白い雲。薄い雲。形がゆっくり変わっていく。犬みたいだった雲が、横に伸びて、魚みたいになる。太陽が高い。三月末の正午の太陽。まぶしい。目を細める。
太陽の光が全身に降り注いでいる。腕に。顔に。お腹に。足に。温かい。じわじわと、身体の表面から中に向かって温度が入ってくる。「温かい」という感覚を、こんなにはっきり感じたのはいつぶりだろう。
ネオンの光は明るかった。でも温かくなかった。嘘の太陽だった。教室の蛍光灯は白かった。でも冷たかった。自室のスマホの光は青白かった。顔だけを照らす光。
今、全身を照らしている光がある。太陽。本物の太陽。温かくて、まぶしくて、少しだけ暑い。目を閉じても、まぶたの裏が赤い。光が透けている。
光の中にいるとき、影ができる。太陽に照らされて、わたしの影が地面に落ちている。透明人間には影がない——そう書いたのは、いつだったか。メモ帳の最初のほう。今、わたしには影がある。太陽が作ってくれた影。地面に横たわるわたしの影。影があるということは、わたしがここにいるということだ。透明じゃない。光を遮って、影を落とすだけの「存在」がある。
少し眠った。五分か十分。敷物の上で。日向で。鳥の声を聞きながら。ウグイスだろうか。高い声。ホーホケキョ。三月だから、まだ練習中かもしれない。下手なウグイス。音程がずれている。でも、一生懸命鳴いている。
目が覚めたとき、空がさっきより青くなっていた。雲が減っている。風が少し出てきた。髪が揺れる。土の匂いを運んでくる風。
午後の作業。苗の植え付け。
サツマイモの苗は、細い蔓のような形をしている。葉っぱが数枚ついた、ひょろっとした緑の茎。これが秋にはあの大きな芋になるなんて信じられない。松田さんが「この子たちは強いから。土に挿してやれば、あとは勝手に育つ」と言った。
「この子たち」。苗のことを「この子」と呼ぶ。生きているから。
畝に穴を開けて、苗を斜めに挿す。三十センチ間隔。土をかぶせて、軽く押さえる。じょうろで水をやる。それだけ。簡単な作業。でも、一本一本やっていると、不思議な気持ちになる。わたしが挿した苗が、秋には芋をつける。わたしがここにいなくても、この苗は土の中で育ち続ける。
十本、二十本、三十本。一本挿すたびに、膝が土につく。ジーンズの膝が黒くなっていく。爪の間に土が入り込む。軍手を外して素手でやってみた。土が直接指に触れる。ざらざらして、しっとりして、少し冷たい。この感触を、わたしは知らなかった。十六年間、土を素手で触ったことがなかったかもしれない。
松田さんが近づいてきて、わたしの手元を見た。
「丁寧だねえ。いいよ、その挿し方」
褒められた。農作業で褒められるとは思わなかった。横山先生に数学のプリントを褒められたときとは違う種類の「褒め」。ここでは、正解か不正解かじゃなくて、「丁寧かどうか」が評価される。丁寧。わたしは丁寧に苗を挿していた。無意識に。一本一本、折れないように気をつけて。
「松田さん、この芋、いつ頃できるんですか」
「十月かな。五ヶ月はかかる。気の長い話だよ」
五ヶ月。半年近く。わたしが歌舞伎町に通い始めてから家に帰るまでと同じくらいの時間。土の中で、見えないところで、ゆっくり育つ。地上からは何も見えない。でも地面の下では根が伸びて、芋が大きくなっている。
見えないところで育つ。わたしもそうだったのかもしれない。歌舞伎町にいた十ヶ月間、外からは「不登校の子がネオン街をうろついている」としか見えなかっただろう。でもあの十ヶ月間、わたしの中では根が伸びていた。ルカ姉の言葉が根になった。レンの「これすごいよ」が根になった。カケルの音楽が根になった。白石さんの「よく来たね」が根になった。母さんの「おいしく食べてね」が根になった。全部が、見えないところで、わたしを育てていた。
苗を見た。ひょろっとした、頼りない緑の茎。でも松田さんは「この子たちは強い」と言った。強い。見かけによらず。
五十本目の苗を挿し終えた。立ち上がった。膝が痛い。腰が痛い。手が汚れている。顔にも土がついているかもしれない。でも、気持ちがいい。不思議なほど気持ちがいい。
身体を使うと、心がついてくる。
自室にこもっていた頃、身体はどんどん遠くなっていった。頭だけで生きていた。スマホの画面を見て、メモ帳に書いて、天井の罅を数えて。身体は布団の中に沈んでいた。歌舞伎町では夜型の生活で身体を酷使していた。寒い中で路上に座って、睡眠不足で、栄養不足で。あれは「身体を使う」のとは違う。消耗していただけ。
ここでの作業は違う。鍬を振って、土を耕して、苗を植えて。身体が動くと、心も動く。疲れているのに、頭の中が澄んでいる。重いのに、軽い。矛盾しているけど、本当のことだ。
「健康的な疲労」。誰かがそう呼ぶのかもしれない。わたしはこの感覚を知らなかった。
午後三時。作業終了。
手を洗った。外の水道で。水が冷たい。爪の間の土を落とす。指のしわの間に入り込んだ黒い土。全部は取れない。爪の縁に少し残っている。それでいい。
休憩所で白石さんが紅茶を淹れてくれた。灯台の事務所と同じ紅茶。同じカップではないけれど、白石さんが淹れる紅茶の味は同じ。温かくて、少し渋くて、ほっとする味。
「なぎさちゃん、楽しかった?」
白石さんが隣に座って聞いた。
「……はい。思ったより」
「思ったより?」
「畑とか、興味なかったので。でもやってみたら、よかったです」
白石さんが笑った。「そう言ってくれる子、多いんだよね。最初は渋々来て、帰る頃には "また来たい" って言う」。
「……また来てもいいですか」
「もちろん。松田さんも喜ぶよ」
窓の外を見た。わたしたちが作った畝が並んでいる。曲がった畝も、まっすぐな畝も。その上に苗が挿してある。小さな緑の点。五ヶ月後には芋になる。わたしがいなくても育つ。でも、わたしが植えた。わたしの手で。わたしの指で。土の中に。
何かを「作った」という感覚。メモ帳に言葉を書くのとは違う。カケルの曲に言葉を乗せるのとも違う。もっと物理的な「作った」。土を動かして、苗を挿して、水をやって。手が汚れて、膝が痛くて、汗をかいて。身体ごと関わった「作った」。
白石さんが立ち上がった。「そろそろバスの時間だね」。
帰りのバス。
窓の外。畑が後ろに流れていく。夕方の光。西に傾く太陽がオレンジ色になっている。農園の景色がどんどん小さくなって、代わりにビルが増えてくる。住宅街、マンション、高速道路。東京に近づいている。
眠い。身体が重い。目を開けていられない。瞼が下がる。
眠った。
夢は見なかった。深い眠り。バスの振動が心地いい。座席のクッションが身体を受け止めている。揺れが子守唄みたいに一定のリズムで続いている。
目が覚めたとき、窓の外は暗くなっていた。新宿に近い。ビルの灯りが増えている。高速道路の高架から、新宿の高層ビル群が見える。
歌舞伎町の灯りが、遠くに見えた。
ネオンの光。赤、青、ピンク、金。夜の新宿を彩る光。バスの窓越しに見ると、小さい。あの光の中にいたときは世界の全部だったのに、ここから見ると街の灯りの一つでしかない。
太陽の下から見るネオンは、違うものに見える。朝から夕方まで土を耕して、汗をかいて、おにぎりを食べて、空を見上げて。その一日を経た目で見るネオンは、懐かしくて、少し寂しくて、でも怖くない。
あの光の下にいた自分。今は太陽の下にいる自分。どっちもわたしだ。ネオンの下で息をすることを覚えた少女。太陽の下で土を掘る少女。メモ帳に言葉を書く少女。別室で因数分解を解く少女。全部がわたし。一人の人間の中に、こんなにたくさんの自分がいる。
バスが新宿駅の西口に着いた。降りた。夜の空気が顔に当たる。三月末の夜は、まだ少し冷たい。でも昼間の温もりが身体に残っている。太陽が一日かけてわたしの中に蓄えてくれた温度。すぐには消えない。
白石さんが参加者に声をかけた。
「お疲れさまでした。気をつけて帰ってね」
わたしは白石さんに「ありがとうございました」と言った。白石さんが「こちらこそ」と笑った。いつもの、灯台の事務所で紅茶を出してくれるときと同じ笑顔。
改札に向かって歩いた。新宿の人混みの中。大勢の人。スーツの人、買い物袋を持った人、笑っている人、スマホを見ている人。わたしはその中の一人。目立たない一人。でも透明じゃない。爪の間に、まだ土が残っている。この土が、今日の証拠だ。
電車に乗った。埼玉に帰る。座席に座って、窓ガラスに額を押しつけた。冷たい。朝と同じ冷たさ。でも、額の裏側には太陽の温もりが残っている。
スマホを出した。メモ帳を開いた。
書いた。
「土の中で、見えないところで、ゆっくり育つ。五ヶ月かかる。でも育つ。芋みたいに。わたしみたいに」
短い一行。でもこの一行は、今日の全部を含んでいる。土の匂い。鍬の重さ。ミミズ。おにぎり。太陽。空。影。苗。松田さんの「土は強い」。白石さんの紅茶。全部が、この一行の後ろにある。
メモ帳をスクロールした。最初のメモから、今日のメモまで。二百以上の短文が並んでいる。暗いもの。明るいもの。怒っているもの。泣いているもの。笑っているもの。全部がわたしの十ヶ月だ。
このメモ帳を、もう一度ちゃんと読み返したい。時系列で。最初から最後まで。「何があったか」じゃなくて「何を感じたか」を、自分の目で確かめたい。
電車が埼玉に向かっている。窓の外、夜の住宅街。街灯のオレンジ色の光。穏やかな光。ネオンでも太陽でもない、三つ目の光。家に帰るための光。
今日、太陽の下にいた。土を触った。苗を植えた。影ができた。おにぎりを食べた。空を見た。眠った。
明日は月曜日。学校に行く。別室で数学を解く。それでいい。
でも今夜は、メモ帳を読み返そう。わたしが書いた二百以上の言葉を、最初から。




