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第21話 : パパ活という言葉

 第21話 : パパ活という言葉


 十月の歌舞伎町は、色が変わっていた。


 ハロウィンの装飾がドン・キホーテの外壁を覆っている。オレンジと紫と黒。骸骨やかぼちゃのイラスト。去年の今頃はテレビの向こう側の景色だったものが、今は目の前にある。ネオンの色に季節限定の暖色が混ざって、歌舞伎町の夜が少しだけ派手になっている。


 空気が冷たくなった。先月まで半袖で来ていたのが、今夜はパーカーを羽織っている。ルカにもらったスカートの下に黒いタイツ。レンに「なぎ、タイツ似合うじゃん」と言われた。似合うかどうかはわからないけど、足が冷えなくなったのはありがたい。


 ローソンの前。いつもの場所。ルカが缶のミルクティーを飲んでいる。レンがスマホで自撮りしている。カケルはイヤホンをして壁にもたれている。片耳外し。わたしが来たのを見て、ルカが「なぎ、おー」と手を上げた。


 四人の定位置に座る。コンクリートの地面。先月よりひんやりしている。お尻が冷たい。冬になったらここに座るのは辛くなるだろう。


「今日、ミキ来てないね」


 レンがスマホから目を上げて言った。


「最近金曜いなくない? ミキ」


 ルカが缶を傾けながら答える。


「先々週もいなかったよね」


「先週は途中で消えたし」


 ミキの名前が出たとき、わたしの頭に先々週の金曜の映像が浮かんだ。非常階段の宴の帰り道。ローソンの前にいたミキ。新しいブランドバッグ。隣にいた知らない男の子。ルカがちらっと見て、何も言わずに通り過ぎた夜。


 あの夜から二週間。ミキのことが引っかかっていた。


 先月までのミキと、今のミキが違う。何が違うのか、最初はうまく言えなかった。でも観察していると、いくつか気づくことがあった。持ち物が変わった。夏はGUのトートバッグだったのが、いつの間にかブランドのショルダーバッグになっている。スマホケースも新しい。メイクも変わった。以前は地雷系の濃いメイクだったのが、最近は少し大人っぽい方向にシフトしている。アイラインが細くなって、リップの色が落ち着いた。


 そしていちばん気になるのは、ミキが一人で行動する時間が増えたこと。以前はレンと一緒にいることが多かった。二人でスマホを覗き合って、自撮りして、TikTokの動画を見て笑って。それが最近は、ミキが途中でいなくなる。「ちょっと用事」と言って消えて、一時間くらいして戻ってくる。戻ってきたとき、少しだけ疲れた顔をしている。でもすぐにいつもの明るさに戻る。


 わたしは観察する人間だ。見ている。全部見ている。でも、見ていることと、何かできることは違う。



 二十三時過ぎ。ルカとカケルがコンビニに行っている間、レンと二人きりになった。


 聞くなら今だと思った。


「レン、ミキのこと聞いてもいい?」


 レンの手が止まった。自撮り用に構えていたスマホを下ろす。わたしのほうを見る。レンの目から、いつもの軽さが消えた。


「何が聞きたい?」


「最近、変わったなって思って。持ち物とか、メイクとか。一人でどこか行くようになったし」


 レンは黙った。三秒くらい。レンが三秒黙るのは珍しい。レンは沈黙が苦手な人だ。その三秒に重さがあった。


「……パパ活してるっぽい」


 パパ活。


 その三文字が、夜の空気に落ちた。音としては軽い。パ、パ、カツ。でも意味は重い。重くて、暗い。


「前からちょっとそんな感じだったんだよね。夏くらいから、知らない大人と連絡取ってるっぽかった。でも最近エスカレートしてる。バッグとか、スマホケースとか、全部もらいものだよ。自分で買えるわけないじゃん」


 レンの声は低かった。「マジで」の語尾が下がっている。本気のトーン。


「おれ、ミキに聞いたんだよ。先週。"何してんの" って。そしたら "ご飯食べてるだけ" って。"おじさんが金払ってくれるんだから、いいじゃん" って」


 ご飯食べてるだけ。おじさんが金払ってくれるんだから。ミキの声が、レンの口を通して聞こえてきた。軽い声。家に帰りたくないと言ったときと同じ、軽い声。軽く言う人は、重く言えなくなった人だ。


「レンは、どう思う?」


「どうって」


 レンがわたしを見た。目が怒っていた。わたしに対してじゃない。状況に対して。


「やめてほしいよ。当たり前じゃん。でも、おれが言ってどうなる? ミキには金がない。家にも帰れない。バイトするには住所がいる。住所がないから保険証もない。何もない中で、"食事するだけで金くれるおじさん" が現れたら、おれだって、わからないよ。断れたか」


 レンの最後の一言が重かった。「断れたか」。レン自身が同じ選択肢の前に立ったことがある、と言っているように聞こえた。聞いてはいけない。これ以上は。レンが自分から話すまで、踏み込んではいけない。


「ルカ姉に言った?」


「言ってない。ルカ姉に言ったら、ミキに直接ぶちかますでしょ。それで喧嘩になったら、ミキがもっと離れる」


 レンの判断は正しかった。ルカはミキを守ろうとするだろう。でもルカの「守り方」は正面突破だ。壁を叩く。扉を蹴る。それが逆効果になることがある。ミキは「大丈夫」と言い張って、もっと奥に引っ込んでしまうかもしれない。わたしが母さんの追及から逃げたのと同じだ。正論は、弱っている人をもっと追い詰める。


「どうすればいいと思う?」


 レンが空を見上げた。ビルの間の細い空。星は見えない。


「わかんない。おれにもわかんない。なぎ、こういうの、答えないよ」


 答えがない。わたしは十六歳で、レンは十七歳で、ミキも十六歳だ。大人じゃない。支援者でもない。警察に行くこともできない。ミキが犯罪に巻き込まれているのかもしれない。でもミキ自身は「大丈夫」と言っている。「ご飯食べてるだけ」と。「大丈夫」の向こう側に何があるのか、わたしたちには見えない。


 ルカとカケルが戻ってきた。おにぎりとお茶を持って。会話は自然に終わった。レンがいつもの軽い調子に戻って、「なぎー、ツナマヨあったよ」と言った。わたしも「昆布は?」と返した。日常に戻る。ミキの話は、レンとわたしの間にだけ残った。



 翌週の金曜。ミキが来た。


 ローソンの前にいた。レンの隣。以前と同じ配置。でも持ち物がまた増えている。ピアスが新しい。シルバーの小さなフープ。以前はつけていなかったもの。


 ルカがミキを見た。一瞬、ルカの目が細くなった。ルカも気づいている。ミキの変化に。先々週、ルカは何も言わずに通り過ぎた。でも今夜は違った。


「ミキ、ちょっと」


 ルカが立ち上がって、ミキを手招きした。二人でローソンの裏に回る。わたしはついていかなかった。ルカがミキに話すとき、第三者がいると空気が変わる。ルカはそれを知っている。だから二人で。


 レンがわたしの横で、スマホを握りしめていた。画面を見ていない。ただ握っている。


 五分くらいして、二人が戻ってきた。ミキの表情はいつもどおり。明るい。何も変わっていないような顔。ルカの表情は硬かった。


「何話してたの?」


 レンが聞いた。ルカが首を横に振った。


「……あの子、"大丈夫" って言うんだよ。"お金あると楽だし" って。"ご飯食べるだけだし。おじさんが金払ってくれるんだから、いいじゃん" って」


 レンと同じ台詞が返ってきている。ミキのテンプレートだ。誰に聞かれても同じ答え。準備された返事。本当のことを言わないための、防弾チョッキのような定型文。


「危ないことしてない? って聞いたら、"してないよ" って」


 ルカの声が低い。怒りと心配が混ざっている。ルカの怒りは、ミキに向いているんじゃない。ミキをそこに追い込んだものに向いている。


 わたしはルカの横顔を見ていた。ルカの唇が動いた。何か言いかけて、止まった。もう一度動いて、また止まった。三度目に、ルカは小さな声で言った。


「わたしも昔、似たようなこと……」


 途切れた。ルカが自分で言葉を切った。目が一瞬どこかに飛んで、すぐに戻った。


 わたしは聞かなかった。レンも聞かなかった。カケルはイヤホンをしていた。ルカの「似たようなこと」が何を意味するのか、想像はできた。想像することすら胸が痛かった。でも聞かない。ルカが話すと決めたときに聞く。それがわたしたちのルールだ。


 ルカが髪を手ぐしで撫でて、息を吐いた。姉御肌の顔に戻る。切り替えが早い。でも切り替えの速さは強さじゃない。切り替えなければ壊れるから速いだけだ。


「あの子のこと、見ててね」


 ルカがわたしとレンに言った。命令じゃない。お願い。ルカが「お願い」をすることは、ほとんどない。


「見てる」


 わたしとレンが、ほぼ同時に言った。


 その夜、四人プラスミキで歌舞伎町を歩いた。いつもどおりの金曜の夜。コンビニで食べ物を買って、路地裏のベンチに座って、レンがくだらない話をして、カケルが無言でいて、ルカがツッコんで、わたしが笑って。


 ミキも笑っていた。いつもの高い声で。「マジで? ウケる」とレンの動画に反応して、「あー、おなかすいた」とおにぎりを食べて。普通に見えた。何も問題のない十六歳の女の子に見えた。


 でもわたしは観察する。ミキがスマホの通知を確認するたびに、一瞬だけ表情が固くなることに気づいていた。画面を伏せるのが少し早い。誰かからの連絡を、グループの前で見せたくない。以前は画面を見せ合うのが普通だったのに。


 パパ活。


 その言葉が頭の中で回っている。SNSやニュースでは何度も見た。「パパ活で逮捕」「パパ活の危険性」「未成年のパパ活が社会問題に」。記事の見出しとしては見慣れている。でも、それがミキのことだと思うと、見出しの向こう側に顔がある。名前がある。笑い声がある。


 パパ活はダメだ。それは知っている。未成年が大人に金銭を受け取ること。食事だけだと言っても、その先に何があるかわからない。わかっている。正しい判断としては「やめさせるべき」だ。


 でも、「やめさせる」ための方法がない。


 ミキに「やめな」と言えばいいのか。ルカが言った。効かなかった。わたしが言ったら違うのか。違わない。ミキは「大丈夫」と返すだけだ。


 じゃあ警察に相談するのか。何を相談する。「友達がパパ活してるみたいです」。相手の名前も顔も知らない。ミキが自分で選んでやっていると言っている。警察は動けない。仮に動いたとしても、ミキは補導されて家に帰される。帰りたくない家に。そしてまた逃げ出す。最初に戻る。


 白石さんの名刺が、ポケットの中にある。あの人に相談すればいいのかもしれない。でもミキのことをミキに無断で他人に話すのは、裏切りじゃないのか。ミキは「大丈夫」と言っている。本人が「大丈夫」と言っているのに、わたしが勝手に「大丈夫じゃない」と判断して、大人を呼んでいいのか。


 わからない。正しいことを言うのは簡単だ。「パパ活は危険」「やめるべき」「大人に相談すべき」。全部正しい。全部、教科書に書いてありそうな答えだ。でも教科書の答えが通用する場所に、ミキはいない。わたしたちは教科書の外にいる。


 ミキがパパ活をするのは、ミキが悪いからじゃない。ミキに選択肢がないからだ。家に帰れない。バイトもできない。お金がない。住所がない。保険証がない。何もない中で、「ご飯を食べさせてくれるおじさん」が現れたら、それは選択肢に見える。毒だとわかっていても、飢えているときは毒でも食べる。


 そう思いたかった。ミキは悪くない。社会がミキに選択肢を渡さなかったことが悪い。そう整理すれば、わたしの中の怒りには行き先ができる。ミキに向けなくていい。社会に向ければいい。


 でも、社会に怒ったところで、ミキは救えない。


 わたしは十六歳で、ミキも十六歳で、わたしたちは同じ側にいる。大人じゃない。金もない。力もない。声を上げても、誰にも届かない。透明人間は助けを求めることもできない。


 頭の中でぐるぐる回る思考を、わたしはメモ帳に書けなかった。書こうとしたけど、言葉にならなかった。ミキのことを文字にすると、それが「物語」になってしまう。ミキの痛みを、わたしの言葉で消費してしまう。それは鶴見がやろうとしていることと同じだ。「トー横の子たちのリアルな声を届ける」。届けることが善意なのか消費なのか、その境界線がわからない。


 だから書かなかった。メモ帳を閉じた。


 午前一時を過ぎた頃だった。


 ミキが「ちょっとトイレ行ってくる」と言って席を外した。コンビニのトイレだろうと思った。でも五分経っても十分経っても戻ってこない。


 レンがスマホを見た。「ミキにLINE送ったけど既読つかない」。ルカが「どこ行った?」。カケルがイヤホンの片耳を外した。


 わたしは立ち上がった。「探してくる」。ルカが「一人で行くな」。わたしが「大丈夫。ローソンの周りだけ見てくる」。


 ローソンの横。裏手。自動販売機のある通り。ミキの姿はない。少し先の路地に入ったとき、声が聞こえた。


 笑い声。ミキの声。高くて軽い笑い声。


 そして、もう一つの声。男の声。落ち着いたトーン。聞き覚えのある声。


 路地の角から覗いた。


 ミキが、男と一緒にいた。男はミキの肩に手を置いて、スマホの画面を一緒に見ている。二人の距離が近い。ミキが画面を指差して何か言っている。男が頷いている。


 男の顔が、街灯の光に照らされた。


 鶴見だった。


 心臓が冷たくなった。


 鶴見恭平。カメラの男。「話を聞きたい」と言って近づいてきた男。ルカが「信用しちゃダメ」と言った男。名刺を配って、SNSで「寄り添う」と発信している男。


 あの男が、ミキの肩に手を置いている。


 ミキは笑っている。嫌がっていない。鶴見のスマホを覗き込んで、楽しそうに話している。二人の間に、ルカたちの前では見せない種類の親密さがあった。


 足が動かなかった。声も出なかった。路地の角に立ったまま、わたしはその光景を見ていた。


 鶴見がミキに何かを見せている。インスタのアカウントか、動画か。ミキが「すごい」と言っている声が聞こえた。鶴見が「ミキちゃんなら絶対いけるよ」と返している。褒めている。持ち上げている。「すごい」「かわいい」「才能ある」。甘い言葉。ルカが一度も言わないタイプの言葉を、鶴見は簡単に並べる。


 ミキは食い入るように鶴見のスマホを見ている。ミキの目がキラキラしている。あの目を、わたしは知っている。レンがメイクの話をするときの目。カケルが音楽の話をするときの目。何かに夢中になっている人の目。でもミキが夢中になっている対象は、鶴見だ。鶴見が見せている画面の中の何かだ。


 考えすぎかもしれない。


 鶴見が「ちょっと話してるだけ」と言うだろう。「ミキちゃんのインスタの相談に乗ってあげてるだけ」と。表面上はそう見える。証拠はない。写真を撮っているわけでもない。法律に触れていると断言できる材料はない。


 でも。


 考えすぎだと思いたいときは、大抵考えすぎじゃない。あの夜ローソンの前でミキの新しいバッグを見たとき、すでに感じていた違和感。レンに「パパ活してるっぽい」と言われたときの胃の重さ。ルカが「わたしも昔、似たようなこと……」と言いかけて止めたときの沈黙。全部がつながっている。


 ミキのパパ活の相手と、鶴見は同一人物なのか。それとも別なのか。わからない。でもどちらにしても、鶴見がミキに個別で接触していることは事実だ。


 わたしは路地の角から離れた。気づかれないように。足音を殺して、ローソンの前に戻った。


 ルカが待っていた。


「いた?」


「いた。ローソンの裏で、誰かと話してた」


「誰か」


「わからなかった」


 嘘をついた。鶴見だと言えなかった。言ったら、ルカが今すぐあの路地に突っ込んでいく。ルカの正面突破は鶴見には通じない。鶴見は穏やかに笑って「誤解ですよ」と言い、ルカのほうが「過激な子」にされる。それがわかっていた。


 でも、嘘をついた自分が気持ち悪かった。ルカたちとのルール。「ヤバいときだけは嘘つかない」。これは、ヤバいときじゃないのか。


 十分後、ミキが戻ってきた。何事もなかったような顔で。


「ごめん、友達に会っちゃって」


 友達。ミキは鶴見を「友達」と呼んだ。友達。


 ルカがミキを見る目が少しだけ鋭くなったけど、何も言わなかった。レンがわたしをちらっと見た。わたしは小さく首を横に振った。今は言えない。でも、後で言う。レンにだけは。


 四人プラスミキの夜が続いた。表面上は何も変わらない。おにぎりを食べて、くだらない話をして、笑って。でもわたしの頭の中には、さっきの路地裏の光景がこびりついている。鶴見の手がミキの肩にある映像。ミキのキラキラした目。「すごい」という声。


 始発の時間が近づいた。駅に向かう。いつもの帰り道。でも今夜は足が重い。


 電車に乗った。窓際の席。窓に自分の顔が映る。疲れた顔。先週の帰り道は温かかった。ルカの「ありがとね」の温度が指先に残っていた。今夜は冷たい。ミキの笑い声と鶴見のシルエットが、温かさの上に影を落としている。


 メモ帳を開いた。書けなかったことを、今なら書けるかもしれない。


 指が動いた。


 「正しいことを言うのは簡単だ。でも、正しいことが言える場所にいない人がいる。その人に向かって正論を投げるのは、溺れている人に "泳げ" と叫ぶのと同じだ」


 書いて、保存した。ミキのことを直接書いたんじゃない。でもミキのことを考えて書いた。


 電車が埼玉に入る。空が白み始めている。十月の夜明け。空気が澄んでいる。金木犀の匂いはもうしない。


 家に着いた。玄関を開ける。リビングは暗い。おにぎりはテーブルにある。ラップに包まれた二つ。今夜もマジックの文字はない。でもおにぎりはある。


 自室に入る。ベッドに座る。天井の罅。三本。


 スマホを見た。レンにLINEを送る。


 「さっきの、ミキと話してた相手。たぶん鶴見」


 既読がすぐについた。レンはまだ起きている。


 返信が来た。


 「マジで?」


 「マジで」の語尾上がり。口癖の軽い「マジで」。でも次のメッセージで変わった。


 「……やっぱり」


 語尾が落ちた文字列。本気の「やっぱり」。レンも気づいていたのかもしれない。鶴見がミキに近づいていることに。気づいていて、確証がなかったから言えなかった。わたしと同じだ。


 「ルカ姉に言う?」


 レンからの問いかけ。わたしは指を止めた。言うべきか。言ったらルカは動く。動き方が問題だ。


 「まだ言わない。もう少し見る」


 送った後、自分の判断に自信がなかった。これが正しいのかわからない。「もう少し見る」は、「先送りにする」と同じかもしれない。母さんがわたしの不登校を「先送り」にしたのと、同じ構造かもしれない。


 でも考えすぎだと思いたいときは、大抵考えすぎじゃない。そのことだけは、確かだった。


 目を閉じた。眠れなかった。ミキの笑い声が頭から消えない。あの笑い声が、本当の笑い声なのか、作り物なのか、わたしにはわからなかった。

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