第19話 : 母からの着信
第19話 : 母からの着信
スマホが震えている。
自室のベッドの上。枕元に置いたスマホが、小さな生き物みたいにバイブレーションで少しずつ位置をずらしている。画面が光る。「母さん」の二文字。出ない。枕に顔を埋める。振動が止まる。五秒。また光る。また「母さん」。出ない。止まる。また光る。
三回目で、やっと止まった。
画面を見る。不在着信五件。今日だけで。昨日は三件。一昨日は四件。九月に入ってから、母さんの着信がどんどん増えている。電話に出なければ、LINEが来る。「どこにいるの」「心配してる」「帰ってきて」「お母さんに電話して」。既読をつけると返事を催促される。だから既読もつけない。通知バッジの数字だけが増えていく。返せない借りみたいに。今日の時点で、未読が三十七件。
天井を見る。罅は三本。朝の光がカーテンの隙間から細く差し込んでいる。平日の昼前。母さんは仕事に行っている。陸は学校。この家にいるのはわたしだけ。
九月の半ば。不登校が五ヶ月を超えた。二学期が始まって二週間。担任からの電話も増えた。母さんが応対しているのが壁越しに聞こえるけど、最近は母さんの声が少し違う。以前は事務的に「体調がまだ」と説明していたのが、最近は言葉に詰まることがある。「ええ、はい……いえ、まだ……すみません」。何度も謝っている。わたしのことで、わたしの代わりに、謝っている。
ベッドから起き上がった。キッチンに行く。冷蔵庫を開ける。母さんの作り置き。タッパーに煮物。ラップのおにぎり。付箋はない。先週まであった「食べてね」の付箋が、今週はなくなった。書く気力がなくなったのか、書いても意味がないと思ったのか。
おにぎりを一つ取って、自室に戻った。鮭。塩加減がいい。いつもと同じ味。母さんのおにぎりは、わたしが食べても食べなくても、同じ味で作られている。
金曜の夜だけじゃなくなった。
平日も家を出るようになっている。行き先は歌舞伎町だけじゃない。新宿の書店。渋谷のファストフード店。池袋の公園。どこでもいい。家にいたくないだけ。自室の天井を見つめているのが耐えられなくなった。罅が三本のまま変わらないことが、逆に苦しい。何も変わらない部屋にいると、わたしも何も変わらないまま止まっている気がする。
でも、外に出ても何をするわけでもない。書店で棚を眺める。カフェでスマホを触る。公園のベンチでメモ帳を開く。書く。何かを書く。家では書けなくなった言葉が、外に出ると指から出てくる。壁のある場所では息ができなくて、壁のない場所でしか呼吸できないわたし。
母さんは気づいている。
平日に家にいないことがある、と。帰宅したとき、リビングのテーブルにわたしが食べなかったおにぎりがそのまま残っている。それで母さんはわかる。凪沙は出かけていた。どこに? 誰と? 何をしに?
聞かれた。水曜の夜、帰宅したとき。
「凪沙、今日どこ行ってたの」
「散歩」
「散歩って、どこ」
「近所」
嘘だった。近所じゃない。新宿にいた。紀伊國屋書店で二時間、文庫の棚を端から端まで見て、何も買わずに出た。でも「新宿にいた」とは言えない。言ったら母さんの中で歌舞伎町と結びつく。金曜の「友達のところに泊まる」がどこなのか、母さんはまだ知らない。知らないと思いたい。
母さんは唇を噛んだ。噛んで、何か言いかけて、やめた。「そう」とだけ言って、キッチンに戻った。追及しないのは、追及したら壊れるとわかっているからだ。わたしとの関係の、最後の薄い紐。引っ張ったら切れる。母さんはそれを知っている。だから引っ張らない。
でも、引っ張らないで済む期間には限界がある。
木曜の深夜。自室でスマホを見ていた。SNSのタイムラインをスクロールする。トー横関連のアカウント、メイクの動画、レンがリポストしたファッションの投稿。いつもの流れ。
おすすめ欄に、見覚えのないアカウントが表示された。
アイコンは花の写真。紫陽花。うちの庭に咲いている紫陽花と同じ色。アカウント名は——
「なぎさの母」。
心臓が止まった。
指が画面の上で固まった。スクロールしようとしていた親指が、動かない。「なぎさの母」。その四文字が、画面の中からわたしを見つめている。
プロフィールを開いた。
フォロワー三人。フォロー十二人。ほとんどが不登校支援のアカウントや、家出に関する相談窓口。アイコンの紫陽花は、やっぱりうちの庭のものだ。梅雨の頃に母さんが撮った写真だと思う。
投稿が並んでいる。最初の投稿は九月七日。十日前。
「高校一年生の娘が不登校になり、最近は外泊が増えています。歌舞伎町方面にいる可能性があります。心当たりのある方はご連絡ください」
歌舞伎町。母さんが「歌舞伎町」と書いている。知っていたのか。知っていた。いつから。わからない。わたしの嘘は、もうとっくに見抜かれていたのかもしれない。「友達のところに泊まる」が嘘だと。金曜の夜に出かけて土曜の始発で帰る娘が、どこにいるか。調べたのか。推測したのか。母さんの勘なのか。
投稿をスクロールしていく。手が震えている。
二番目の投稿。「娘の名前は出せませんが、16歳です。黒髪のボブカットで、背は160cmくらいです。見かけた方は、このアカウントにDMをお願いします」
わたしの外見。母さんがわたしの髪型と身長を書いている。わたしを探している。ネットで。知らない人たちに向かって、わたしを探してくれと頼んでいる。
三番目。四番目。日付が進むにつれて、投稿の内容が変わっていく。最初は「情報求む」だった文体が、少しずつ日記のようになっている。
「今日も電話に出てくれませんでした。LINEの未読が増えていくのを見ると、画面の向こうに娘がいるのに手が届かない気持ちになります」
「学校の先生と面談しました。復帰のプランを一緒に考えましょうと言われましたが、本人が電話にも出ない状態で何のプランを立てればいいのでしょうか」
「今夜も帰ってきません。リビングで待っていましたが、朝の三時で限界でした。起きていることが娘のプレッシャーになっているかもしれないと思い、寝室に移りました」
朝の三時。先週の金曜だ。わたしが歌舞伎町のローソンの前でおにぎりを食べていたとき、母さんはリビングで三時まで待っていた。
胸が痛い。物理的に。心臓のあたりが、握りつぶされるみたいに痛い。
投稿を読み進める手が止まらない。止めたいのに止まらない。中学のLINEグループで加工画像がスクロールされていったときと同じだ。見たくないのに見てしまう。自分に関する言葉が並んでいると、目が離せなくなる。
返信欄を見た。
心ない言葉が並んでいた。「親の教育が悪い」「甘やかすからこうなる」「歌舞伎町に行くような子は手遅れ」「不登校は親の責任」。知らない人たちが、わたしのことを、母さんのことを、何も知らないくせに評価している。
母さんは一つひとつに返信していた。
「ご意見ありがとうございます。ただ、娘のことを悪く言わないでいただけると助かります」。丁寧語。絵文字なし。句読点がきちんと打たれている。母さんの文章だとわかる。仕事のメールと同じ書き方。感情を抑えた、事務的な丁寧さ。
「甘やかしているわけではありません。でも厳しくすることもできません。正解がわかりません」
正解がわからない。母さんがそう書いている。「いつまでこうしてるの」「あなたにも原因がある」と言い切った母さんが、ネットの知らない人に向かって「正解がわかりません」と書いている。
もう一つ、返信があった。「親が甘すぎる」というコメントに対して。
「あの子は悪い子ではありません。わたしの育て方が悪かったのかもしれません。でも、あの子は悪い子ではありません」
二回書いている。同じ文を。「あの子は悪い子ではありません」。コピペじゃない。二回目のほうが句点の位置が微妙にずれている。手で打ち直している。わざわざ二回。
泣いた。
スマホを握ったまま、声を殺して泣いた。枕に顔を押しつけて、嗚咽を漏らさないようにして。壁一枚向こうに弟の陸がいる。聞こえたくない。
泣きながら、頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。感情が同時に押し寄せてきて、一つずつ分けることができない。
恥ずかしい。わたしの事情がネットに公開されている。「高校一年生の娘が不登校」「歌舞伎町方面にいる可能性」。誰が見るかわからない。クラスメイトが見るかもしれない。中学の同級生が見るかもしれない。あの美月が見て、また笑うかもしれない。
怒りもある。勝手にこんなことをするなんて。わたしに相談もなく。わたしの情報を、わたしの許可なく。中学のLINEグループで画像を流された記憶と重なる。また勝手に。またわたしの知らないところで。
でも、罪悪感がいちばん重い。母さんはここまで追い詰められている。電話に出ないわたし。既読もつけないわたし。平日も家にいないわたし。母さんにできることが、もうSNSで助けを求めることしかなくなっている。
そして、母さんの返信を読んだときに感じた、名前のない感情。「あの子は悪い子ではありません」。母さんはネットの知らない人に、わたしのことをそう言っている。わたしには「あなたにも原因がある」と言った母さんが。わたしの前では「いつまでこうしてるの」と言う母さんが。知らない人に向かっては「悪い子ではありません」と書いている。
どっちが本当の母さんなんだろう。
わたしを責める母さんと、わたしを守る母さん。どちらも同じ人だ。同じ人の中に、矛盾する二つがある。「あなたにも原因がある」と「あの子は悪い子ではありません」は、同じ口から出ている。いや、「あなたにも原因がある」は口から出た言葉で、「悪い子ではありません」は指で打った言葉だ。もしかしたら母さんは、口で言うのと指で打つのでは、出てくる言葉が違うのかもしれない。わたしがメモ帳に書くときだけ本当の声が出るのと、同じように。
涙が止まらなかった。枕が濡れていく。鼻水が出る。ティッシュを手探りで取って、鼻をかむ。音が出てしまう。隣の部屋で陸が動く気配がした。起こしてしまったかもしれない。
スマホを持ち直す。手が震えている。母さんの投稿をもう一度読む。「正解がわかりません」。母さんもわからないのか。わたしもわからない。二人ともわからないまま、同じ家の中で、壁一枚を隔てて暮らしている。
恐怖もある。ルカたちに知られたくない。このアカウントがルカやレンの目に触れたら、わたしの家庭事情がわかってしまう。「高校一年生の娘が不登校」「歌舞伎町方面にいる可能性」。トー横には「わたし」がいるけど、「瀬川凪沙」はいない。母さんのアカウントは、その境界を壊す。「なぎ」と「凪沙」が同一人物だと、あの場所の誰かに知られる可能性。
でも、通報する気にはなれなかった。母さんのアカウントを報告して消させることはできない。母さんは犯罪をしていない。娘を探しているだけだ。親として当然のことをしている。わたしが「やめて」と言う権利があるのかもわからない。やめてと言うなら電話に出ろ、という話だから。
スクリーンショットを撮った。三枚。母さんの最初の投稿。「正解がわかりません」の返信。そして「あの子は悪い子ではありません」の返信。
メモ帳にスクショを保存した。トー横日記のフォルダの中に、母さんの言葉が入った。
翌日。金曜日。
夕方、いつもどおり家を出た。リュックを背負って、最寄り駅に向かう。空はまだ明るい。九月の夕暮れ。空気は先週より少し涼しい。金木犀の匂いがどこかから漂ってくる。秋が近い。
電車に乗る。窓の外を見る。郊外の住宅街。母さんの投稿が頭から離れない。「あの子は悪い子ではありません」。電車の窓に映ったわたしの顔が、泣いているように見える。泣いていない。映り込みの歪みだ。
母さんにLINEを送ろうかと思った。「投稿見たよ」と。でもそれは、既読をつけることになる。三十七件の未読に、既読がつく。母さんが「やっと見てくれた」と思う。そこから会話が始まる。始まったら、止められない。母さんの感情がなだれ込んでくる。わたしはまだそれを受け止められない。
送らなかった。
新宿駅に着いた。改札を出る。歌舞伎町に向かう。一番街のアーチをくぐる。ネオンが灯り始めている。客引きの声。居酒屋の排気。焼き鳥の煙。歌舞伎町の匂い。わたしの金曜の匂い。
ローソンの前。ルカがいる。レンがいる。カケルがいる。三人がわたしを見て、それぞれのやり方で迎える。ルカが「おー、なぎ」。レンが「遅くない?」。カケルがイヤホンを片耳外す。
ここに来ると、母さんのことが少しだけ遠くなる。壁一枚向こうの母さんが、電車で一時間先の母さんになる。物理的な距離が、感情の距離に変わる。ここでは「なぎ」だ。瀬川凪沙じゃない。母さんの娘じゃない。ルカの妹分で、レンのメモ帳仲間で、カケルの言葉係。
でも今夜は、その距離が完全には効かなかった。
「なぎ、どうした。顔暗いよ」
ルカが缶ジュースをわたしに渡しながら聞いた。レモンティー。甘い。ルカはわたしが甘い飲み物を好むことを知っている。
「……ちょっと寝不足」
「嘘。なぎの嘘はわかるよ。目が泳ぐ」
ルカは鋭い。それでも、それ以上は聞かなかった。わたしの目が泳いだことを指摘して、理由までは追及しない。それがルカのやり方だ。「ここにいるよ。聞く準備はできてるよ。でも話すかどうかはあんたが決めな」。言葉にしなくても伝わる。
話さなかった。母さんのSNSのことは、誰にも言えなかった。言ったら、わたしの中で整理がつかないまま、ルカやレンの反応が入ってきて、もっと混乱する。今はまだ、自分の中で抱えていたい。抱えきれないとわかっていても。
四人で歌舞伎町の夜を過ごした。いつもどおり。おにぎりを食べて、レンのくだらない話を聞いて、カケルの無言に慣れて、ルカの隣に座って。いつもどおりの金曜の夜。
でもわたしの頭の中では、母さんの投稿がリピートしていた。「あの子は悪い子ではありません」。ルカの隣に座って缶ジュースを飲みながら、わたしは母さんの声を聞いていた。ここにはいない母さんの、文字だけの声を。
始発の電車。窓際の席。
メモ帳を開いた。昨夜保存したスクリーンショットを見返す。母さんの投稿。母さんの返信。「あの子は悪い子ではありません」。
新しいメモを書いた。
「"あの子は悪い子ではありません"——わたしの母は、見知らぬ人にはそう言える人だった。わたしにだけ、それが言えなかった」
書いて、読み返して、保存した。この言葉が母さんに届くことは、たぶんない。少なくとも今は。わたしはまだ、母さんの電話に出られない。LINEの既読もつけられない。「悪い子じゃないよね」と聞くこともできない。
でも、母さんがネットの向こう側で「悪い子ではありません」と書いていたことを、わたしは知った。知ってしまった。もう知らなかった頃には戻れない。
電車が埼玉に入る。空が白くなり始めている。九月の夜明けは、六月より早い。窓の外を見る。住宅街。母さんが眠っている家が、この先のどこかにある。朝の五時。母さんは今、眠れているだろうか。リビングで待っているだろうか。それとも、スマホの画面を見つめて、わたしの既読がつくのを待っているだろうか。
家に着いた。玄関を開ける。リビングは暗い。テーブルの上に、ラップのおにぎり。付箋はない。でも今日は、ラップの上にマジックで小さく文字が書いてある。
「おかえり」
ラップに直接。付箋すら省略して、おにぎりのラップに。母さんの字。小さくて、少し震えている。
おにぎりを手に取った。鮭。いつもの味。
自室に戻って、食べた。口の中に鮭の塩味が広がる。コンビニのおにぎりとは違う味。母さんの手が握ったおにぎり。100円じゃ買えない味。
食べ終わって、窓の外を見た。朝日が昇り始めている。埼玉の空は広い。
わたしは母さんの投稿を見てしまった。母さんの弱さを見てしまった。「あなたにも原因がある」と言えるほど強かった母さんが、「正解がわかりません」とネットに書くほど追い詰められている。それはわたしのせいだ。わたしが電話に出ないから。わたしが帰ってこないから。
でも。
帰ってきても、わたしは母さんに何を言えばいい。「ごめんね」と言えば解決するのか。母さんは「ごめんね」が聞きたいんじゃない。母さんが聞きたいのは「学校に行く」「もう歌舞伎町には行かない」「普通の高校生に戻る」。その約束をわたしにはできない。だから電話に出られない。
来週の金曜が、また来る。わたしはまた歌舞伎町に行くだろう。母さんの投稿を知っていても。母さんが三時まで起きていることを知っていても。ラップに「おかえり」と書く母さんの手が震えていることを知っていても。
ベッドに横になる。天井を見る。罅は三本。
メモ帳のスクリーンショットが、画面の中に保存されている。母さんの言葉が、わたしの「トー横日記」の中に入っている。いつか、この言葉を母さんに返す日が来るかもしれない。「あの子は悪い子ではありません——母さん、わたしにも、それ言ってほしかった」と。
でも今は、まだ。
目を閉じた。母さんの着信を無視したまま、眠りに落ちた。




