第07話:MIGHT MAKES RIGHT
マリア・シンクレアが最後に自分の名前で呼ばれたのは、三日前だった。
「AS-17-VEIL-09、出撃前審査を開始する」
担当員が、端末に向かって言った。マリアの方は、見ていない。見る必要がないから。画面の中にあるのは識別番号と機体データと出撃許可申請書で、そこに「マリア・シンクレア」という文字は一字もない。
「身体検査記録、提出済み。装備品チェック、完了。閲覧権限、Lv.3まで確認済み――Lv.4以上は不可」
「Lv.4には何が入っている」
「AS-17-VEIL-09はLv.4にアクセスできません」
「答えになっていない」
「アクセスできない情報を資産に開示することはできません」
資産。
マリアは、その言葉を聞くたびに、一回だけ息を止める。一回だけ。二回止めると、怒りになる。一回だけなら、処理になる。
「了解。出撃許可を」
「処理します」
端末に何かが打ち込まれた。スタンプ音が鳴った。それで、審査は終わった。
三十秒もかからなかった。
マリアが格納庫へ向かう間、廊下には誰もいなかった。兵士が二人、壁際に立っていたが、目線を合わせなかった。制服の胸ポケットに識別番号が縫い付けてある。マリアのは、AS-17-VEIL-09。二人のは、別の番号。どちらが誰かは知らない。知らなくても、出撃できる。
AETERNUS《VEIL仕様》が待っていた。
灰色だった。Aion Sphereの量産機に個性はない。コックピットに乗り込む。ハッチが閉じる。密封される。
『VEIL-09、起動確認。搭乗者認証、完了』
VEEの声が流れた。Servitor Core。感情がない。意思もない。正確に言えば、どちらも「持つことを禁じられている」。
「VEE、音声ログ記録を開始」
『搭乗者にはLv.4相当の記録権限がありません。共通帯域の傍受記録は制限対象です』
「……わかった」
『傍受記録の試みは、OBEY-LATTICE(服従格子)に基づき報告義務があります』
「わかっていると言った」
『了解』
マリアは、目を閉じた。
記録できない。
前回の出撃で、共通帯域に音が混ざっていた。人の声。男の声。「スバル」と誰かが呼ぶ声と、呼ばれた本人が短く答える声。コックピットの外で誰かが泣くか笑うかのような、「深呼吸して」という言葉。
録れなかった。
VEEが動く前に、VEE自身が制限をかけた。
では、覚える。
記録ができないなら、記憶する。帯域の番号ではなく、声の質を。呼吸の間隔を。緊張した時の声と、油断した時の声の差を。
マリアは、記録装置を使わずに、頭の中に刻み込んだ。
低域が、少し引っかかる。緊張すると呼吸が浅くなるが、誰かに指摘されると一拍置いてから深呼吸する。名前を呼ばれるときと、返事をするときで、声の張りが変わる。
「スバル」と呼ぶ側と、「スバル」と呼ばれる側。
どちらが機体の中にいる人間か。
たぶん、後者だ。
前回の接触で、帯域の中心にいたのは、呼ばれた側の声だった。周りが動いても、その声だけ別の温度で喋っていた。
《出撃五分前。VEIL-09、発進準備》
命令が来た。
マリアは、目を開いた。
コックピットの正面、宇宙が広がっている。星が、等間隔に配置されている。
次に聞いた時は、逃さない。
今度は機材に頼らない。
「VEE、出撃する」
『了解』
機体が動き始めた。
その時、端末に通信が入った。識別符号を見た瞬間、マリアは背筋を正した。
「マリア」
エヴリンではなかった。もっと低い声。もっと静かな声。
「ルシアン・ケイドだ」
「……はい」
「前回の接触記録を見た。次回、VEGAの確認が取れた場合は報告せよ。前線判断での単独接触は認めない」
「了解しました」
「以上だ」
通信が切れた。
単独接触は認めない。
マリアは、操縦桿を握った。
認めなくていい。
次に「スバル」の声を聞いたら、それは私だけの戦いになる。
機体が格納庫を出た。
宇宙が、開いた。




