SILENCE PROTOCOL
今回はロボット系ラブストーリーです
結構よくかけたと思います
Aion Sphere――永生至上統合連邦の
前線監視室は、いつも静かだった。
生きているものが発する雑音が、ここにはない。
呼吸の乱れも、椅子のきしみも、溜息さえも。
全てが規格化された 静けさの中で、人は永生の歯車として回り続ける。
静けさは秩序の一部で、秩序は永生の条件だ。
マリア・シンクレアはヘッドセットをかけ、共通帯域の波形を見下ろした。
避難誘導、救難、港湾管制――誰でも受け取れる帯域。
戦時はここに、民の恐怖と命令の残響が折り重なる。
背後のスピーカーが、抑揚のない合成音で告げた。
《SILENCE-PROTOCOL:沈黙規範 適用》
《OBEY-LATTICE:服従格子 維持》
《VEIL:監視員は感情変動を抑制せよ。逸脱は記憶整理(CIP)を推奨》
推奨。
この国の「優しさ」は、いつも命令の形をしている。
マリアは返事をしない。する必要がない。声の主は人格ではなく、
Judicator――主権機関と主権キーと執行AIが束 になった、制度そのものだ。
返事をしても、沈黙していても、結果は同じ。
この国では、個人の意思よりも「適切な処置」が優先される。
波形が跳ねた。ノイズの海の中に、生の声が刺さる。
『走るな! 押すな! ――立てる人は立て、赤い灯へ!』
男の声。枯れているのに、言葉が潰れていない。
現場の人間だ。訓練された兵士の声じゃない。
呼吸が乱れて、必死に人を流している。
恐怖を抑えきれていないのに、それでも他人を誘導している。
マリアの指が、わずかに机の縁を掴んだ。
なぜ、避難誘導の声に胸が反応するのか――理由が出てこない。
Hubで育ち、規格と手順を身体化してきた自分が、こんな乱れた声に
引っかかるはずがない。
続けて、もう一つの声が同じ帯域に滲んだ。
『いい。避難が通ってる。次、左。熱源二つ。全部無人。……行ける』
落ち着いた声。短い言葉。必要な分だけ。
現場で人を動かしているのに、焦りを他人に渡さない。
誰かを守るために、自分の恐怖を押し殺している話し方。
マリアは眉を寄せた。
共通帯域に、こんな"補助の声"が混ざるのはおかしい。通常は統制がかかる。
まして前線では、帯域は厳格に切り分けられる。これは――
《VEIL:不明な混線。分類:未確定》
《OBEY-LATTICE:記録保存 不許可》
画面に赤い警告が重なった。
マリアは記録を取ろうとしたわけじゃない。
だが端末が先回りして、その意図を読んだように弾く。
記録できない。
証拠を残せない。
ログに穴が開く。
Judicatorの本質は、ここにある。優しく「推奨」しながら、選択肢を奪っていく。
記録を禁じ、証拠を消し、思考の痕跡さえも管理する。
そして誰も、その不在に気づけない。
気づいた者は「整理」される。
マリアは手を止めた。
記録できないなら、覚えるしかない。波形の癖。ノイズの割れ方。
音声の立ち上がりと消え方――帯域の指紋。
人間の声紋と同じように、回線にも固有の「癖」がある。それを頭に刻む。
再び、男の叫び。
『伏せろ! 壁沿いだ! 赤い灯のほうへ走れ! 通路を塞ぐな!』
声が割れている。喉が限界だ。
それでも「守る」方向にしか言葉が出ていない。自分を守れと言わない。
他人を先に逃がそうとしている。
そして、混線の声が一段だけ低くなった。
『……スバル、深呼吸。君は今、守れてる』
名前が出た。
その二音だけで、マリアの心拍が跳ねた。
確信じゃない。思い出でもない。理由なんて、どこにもない。
なのに、"引っかかった"という感覚だけが、心臓の奥に突き刺さったまま
抜けない。
《VEIL:バイタル上昇 検知》
《CIP:申請を推奨》
推奨、推奨、推奨。
揺れは秩序の敵だ。整えればいい。消せばいい。
そうすれば、また「正しい人間」に戻れる――そう言いたいのだろう。
マリアは目を伏せ、申請欄を閉じた。
この揺れを消したら、次に同じ声が来ても気づけない。
理由の分からない感情を削ぎ落として、ただ従うだけの歯車になる。
それだけは、嫌だった。
波形がまた跳ねる。女の息遣いが、ほんの一瞬混ざった。言葉にならない震え。
次の瞬間、帯域が滑るように変わり、全てがノイズに溶けた。
《傍受対象:帯域変更》
《再捕捉:困難》
マリアはヘッドセットを外さなかった。
耳に残るのは、名前と、落ち着いた声の温度だけ。
それと、説明できない"引っかかり"。
背後でJudicatorが淡々と告げる。
《VEIL。監視任務を継続せよ。沈黙規範を遵守せよ》
沈黙しろ。忘れろ。整えろ。
永生の国は、そうやって止まらない。
マリアは視線だけで、共通帯域のログを追った。
記録は取れない。証拠は残せない。
だから、次に同じ"指紋"が出た瞬間を逃さない。
波形の癖を、音の立ち上がりを、帯域の揺れ方を――全部、自分の記憶に刻む。
――もう一度、あの声を聞く。
その時、自分が沈黙規範を破るのかどうか。
答えが出る前に、波形の隅で、未知の帯域が一瞬だけ光って消えた。
見たことのない周波数。規格外の輝き。
それは、誰かが秘密を抱えている証だった。




