タイトル未定2025/11/05 16:28
夏休みまであと十日、小学一年生のクラス内では初めての夏休みに向け、ほとんどの生徒の気持ちがワクワク感に満ちていた。
教室内では前日発売されたゲーム機を購入できた生徒の周りに沢山の生徒が集まっていた。
「良く抽選で当たったよね」「運が良かったんだ」「今日家に遊びに行ってもいい」「いいよ」
ゲーム機を手に入れた少年はクラスの人気者になっていた。
そんな賑やかな教室の片隅に一人ぽつりと、机で本を読んで椅子に座る少年、神谷のぼるは昆虫図鑑を黙々と観ていた。のぼるの家は決して裕福とは言えない、住居は木造二階建のアパートに住んでいる、一階の真ん中の部屋に父、母と三人家族で暮らしている。アパートは一階、二階と六世帯が住む古い建物。両親は共働きでのぼるは生まれたときから節約に囲まれた生活を送ってきていたので贅沢品には縁がなく興味を示さなかった。だからだろうか、スマホとかゲーム機関連には貧乏で買えないとかではなく、本当に興味がわかない欲しいとは思わなかった。
のぼるは子供ながらに、親を困らせない節約の遊びを楽しんでいた。学校から自宅アパートまでは徒歩七分くらい、アパートは善福寺川横に建っている、学校からの帰り道は川沿いの一メートル程の幅の道を歩きながら、昆虫を捕獲しながら帰宅している。のぼるのランドセル内には教科書以外に百円ショップで購入した虫取り網が常備されている。校門を出て隣接している縄文公園でランドセル内の虫取り網を取り出し帰宅までの準備をする。
この公園は縄文遺跡を地下にそのまま保存してつくられた公園で、公園内では蝉が鳴いているが、のぼるの虫取り網では長さが足りず捕獲はできず、木のどこで鳴いているのかを見つけることを楽しんでいた。この日の帰り道、いつものように川沿いを歩き、河辺に来ていたサギを観察していた時、右手首にハエより少し大きめ蝉よりも小さめの虫が止まった。その瞬間、チクッとすごい激痛がのぼるを襲った。
「痛いッ!」って思わず声が出るほど痛烈に痛む手を押さえながら家まで走った。痛さのあまりポケット内にあるはずのアパートの鍵が取り出せず、もたもたしていると、その音に気が付いたのか隣の部屋のドアが開いた。隣の部屋に住むじいちゃんが心配そうに、のぼるのもとへちかより「どうしたんだ」「ハエの化け物に刺されちゃった」隣の部屋のじいちゃんは、のぼるの腫れた手を見て「こりゃ大変だな、痛かっただろう。たぶんそれはアブだよ」
「アブ?」
「見た目がかなりハエに近いアブもいるが、サイズが大きめで黄色っぽい種類のアブはハチと間違われることもある。ちなみにアブは刺すのではなく、皮膚を噛み切って滲む血を吸う 吸血害虫の代表ともいえるんだ」そんな会話中に向こうどなりに住むお兄さんが「どうしました?」とのぼるのもとへ小走りに寄ってきた。
「のぼるくんアブに噛まれちゃったんだよ」その傷跡をみるなり
「痛かっただろう、今応急処置してあげるからね」とお兄さんは、急いで自宅へと戻り救急箱を持ってきた。消毒液を脱脂綿に吹き付け「ちょっと痛いけど我慢してな」
一般的には患部の腫れと激しい痒みを感じるが、のぼるは歯を食いしばり痛さをこらえていた。
「ひととおりの応急処置したから、痛みは何日か残るけど徐々に引いていくと思うよ、ただ人によっては、痛みが噛まれた直後よりも数時間から数日後にピークを迎えることが多く、時には2~3週間ほど続く人もいるけど、保冷剤を持ってきたので、これで今日一日冷やしておけば大丈夫だと思うよ」
夕方、のぼるの両親が帰宅、のぼるから事情を聞いた両親は両隣の部屋の住人宅へ応急処置をしてくれたお礼をかけた挨拶にいった。戻ってくると母は夕食の準備、父は「ちょっと買い物へ入ってくる」と自転車で出かけていった。夕食前には父は戻り、のぼるの通学用に使用している帽子になにやら取り付けた。実物大のトンボのアクセサリーみたいなものが取り付けられたのを見て「あなたそれ、なんなの?」不思議そうな顔をして、父が帽子に取り付けたトンボのアクセサリーみたいなものをみていた。
「これはオニヤンマだよ」
「オニヤンマ?」
のぼると母親は目を丸くしながら父の顔とオニヤンマを交互にみている。
「オニヤンマというのは虫界でいうところの最強ハンターなので、このオニヤンマを見た虫は身の危険を感じて逃げるんだよ」
「へぇー、じゃあこれからアブに噛まれなくなるの?」
商品の説明書には、肉食とんぼ「オニヤンマ」 オニヤンマの主食は虫、虫の天敵はオニヤンマ。 だから虫が寄ってこない! 蚊、蜂、ハエ、コバエ、アブ、ブヨなどに効果抜群!
と書かれていた。
「父ちゃんありがとう」
「これからは、周囲をよく見て気をつけて帰って来るんだぞ」
「はい、もうこんな痛い思いしたくないから」
翌日から、のぼるはオニヤンマを頭に付けて学校へ出かけた。教室に入ると、クラスメイトから何か言われると嫌だったので、オニヤンマにハンカチをかぶせてわからないようにしていた。授業が終わりいつものように、小学校隣にある縄文公園でランドセル内の虫取り網を取り出し、新たな仲間、帽子上にいるオニヤンマの設置確認を行った。公園内には縄文時代の人々が描かれた大きな壁画が展示されている。のぼるは壁画に描かれた同じくらいの年代の少年と目が合い「やぁ」と網を持っている手を挙げた。公園を後にし、いつものように川沿いを歩きながら、家に向かうのぼるの周りには、気のせいかアブはもちろんのこと、虫が寄ってこない!、蚊、蜂、ハエ、コバエ、アブ、ブヨなどほとんどの虫がだ。だが虫取り網で捕まえたい昆虫も収穫できなかった。
いよいよ明日から夏休みが始まる。夏休み前日の授業はほとんどなく、休み中の注意事項等の説明を先生から聞かされた。
「事故、怪我などしないよう。楽しい夏休みを過ごしてください」「はぁーい」教室内に喜びの返事がこだました。のぼるはウキウキ気分で学校の校門を出ると、いつものように縄文公園に立ち寄り、ランドセル内の虫取り網を取り出した。その時、虫取り網に引きずられるように、厚手のビニールがランドセルの外に出て、風に飛ばされてしまった。のぼるは数メートル走り見事に取り押さえた。
このビニールは運良く昆虫を捕まえた時に、虫かごとして使用するものなのだ。
公園内には蝉の鳴き声が響き渡っていた。
蝉さん達も明日からの夏休みを祝ってくれている。
公園内の木々に聞き耳を立て、木の幹表面に目を向け蝉の姿を探のしまわるのぼる。この日はもう少しで手が届きそうな場所に蝉を見つけることができ、ジャンプしながら虫取り網を蝉に、しかし蝉の逃げ足は早く捕獲はできない。さすがに疲れてしまったのぼるは、公園の地面に座りながら蝉の鳴き声を目で追っている。
「逃げ足が早い」という表現は違うのかな?
蝉は逃げるとき背中の薄い羽根のようなもので飛びだって逃げる。足で逃げるんじゃないんだ。じゃぁ、なんて表現すればいいのだろう? これは夏休みの課題のひとつにしよう。そんな事を考えていると、すぐ近くから蝉の鳴き声が、珍しい鳴き声の蝉の鳴き声もする。その蝉の姿を見つけた。今まで見た蝉のなかで一番大きい、珍しい模様が身体全体に描かれている蝉だった。
その蝉が鳴いている木の横に大きな岩のオブジェが設置されている。アニメの世界で主人公が刀で真っ二つにしたように、その大きな岩も真っ二つになったらもので、のぼるはその岩によじ登った。ラウンドセルを背負ったのぼるの姿はアニメの主人公のようにみえる。大きく振りかった虫取り網は、見事に今まで見たことのない大きな蝉を見事に網の中へと捕獲できた「やったぁ、捕まえた」
その瞬間、のぼるの身体がイナバウアーのように、そして岩と岩の隙間に真っ逆さまに、ランドセルが岩の隙間に挟まり、のぼるの身体は宙ぶらりんの格好になってしまった。「誰か助けて」のぼるはラウンドセルに取り付けている防犯ブザーに手を延ばすが、あと少しのところで届かない。逆さまの身体は動かない。 だんだん気持ち悪くなってきた。岩と岩にピッッタリ挟まった身体は 自分の身体だけど自分の意志ではどうしようもできない。
意識がどんどんと遠のく、のぼるのまぶたはゆっくりと閉じていく。
いつも静かな縄文公園に、隣の小学校の教職員、生徒や近所の住民らが、岩に挟まれている少年を助ける救急隊員らの救助作業を心配そうに見守っている。
のぼるは意識不明の状態で、河西病院へと搬送された。
搬送後も、のぼるの意識が回復される兆候はなく、毎日ベッド横ですすり泣く両親の声が病院の廊下に響いていた。
岩の上に乗り、虫取り網で大きな蝉を捕獲したのぼるは、今まで見たことがない蝉を網の上から、恐る恐る触ってみると蝉の足に強くつかまれ、ゾクッとしていた。冷や汗がにじみ出てくる不思議な気持ちになっていた。その時、頭の上から見知らぬ少年の手が延びてきた。
「なに?」のぼるが少年に声をかけるが、
「うぅー、あぁー」と言うだけ手を出すだけの少年。のぼるがその少年の手に触れた瞬間、のぼるの身体が宙を舞うようにテント村のような場所に寝転んでいた。大きく目を開け周りを見ると、のぼるを心配するように覗き見るような複数の目があった。
その人たちは、皆が洋服を着ていない、不思議そうにのぼるの姿をみていた。のぼるに手をさしのべた少年が自分のテントへとのぼるを連れていくと、テントの中には、少年の家族らしき人たちがいたがいた。のぼるとの会話は「うぅー、あぁー」といった言葉のみ、何を話しているのかわからなかったが、顔の表情から悪い人達には見えなかった。
家族らしき人たちは、のぼるに川魚や今まで食べたことのないような食事を与えてくれ、少年は色々な遊び場へのぼるを連れて行ってくれ、数日間を過ごしている。夢の世界のような光景がのぼるの目の前に次々と現れる。
テントで横になりウトウトしていると、少年がすごい顔をしてテント内の家族の元へ駆け込んできた。少年が抑えている手を覗き見すると、のぼるがつい先日体験したアブに噛まれた傷跡と同じだった。少年の家族は壺の中に入った水のようなもので、少年の傷ついた手の処置をしていた。
のぼるは少年に、自分の持っている帽子に取り付けてあったオニヤンマをさしだした。
「これあげる」少年はきょとんとした顔でのぼるを見ている。のぼるは少年にジェスチャーで、オニヤンマを付けていると害虫が来ない。噛まれたり刺されたりしない事を伝えた。少年は不思議そうな顔をして、にこりとしながら受け取ってくれた。
河西病院のナースステーションがざわついていた。
「神谷さんの家族に連絡して」看護師が受話器を取りプッシュボタンを押している。
「もしもし、神谷さんですか? お子さんの意識が回復されました」
のぼるの意識は七日ぶりに戻り、色々な検査を受けた結果異常なしと判断され無事退院する日を迎えることができた。病院からはバスでも徒歩でも所要時間は変わらないから徒歩で帰ろうと家族三人幸せを噛みしめながら商店街を歩いている。
「父ちゃんわらび餅買って」商店街を区役所近くまで歩いた所にのぼるが好きなわらび餅を売っている和菓子屋さんがある。和菓子屋の前に来ると、残念ながらわらび餅は売り切れ、のぼるが悲しそうな顔をしていると、店のおばちゃんがそれに気が付き「ちょっと待っててね、今作ってもらうから」と店の奧へと小走りに、数分後「お待たせしました」とのぼるの大好物のわらび餅を持ってきてくれた。大きなサイコロ型のわらび餅が八粒入っていて二百円、値段以上に美味しいわらび餅は笑顔を与えてくれる。
「遠回りになっちゃけど、縄文公園に行きたい」のぼるが両親に頼み込むと「あんな怖い思いしたのに、大丈夫なの?」心配する両親をよそに「ちょっと見てみたいものがあるんだ」「そうか、のぼるが見たいんだったら行こう」
縄文公園に着くとのぼるは、転落してしまった大岩に深々と頭を下げた。そしてその先に描かれている縄文時代の壁画の前に立った。
のぼるは再び壁画に深々と頭を下げた
「みなさんありがとう」と壁画の人達は夢の中で優しくしてくれた人たちだった。のぼるにとって命の恩人だった。
父が壁画を見て不思議そうな顔をしていた。
「縄文時代にもオニヤンマ」と声を出した。
その壁画に描かれた縄文時代の少年の頭にはオニヤンマのような絵が描かれていた。




