夜の王と最後の晩餐
「だが……」
ふいにファウストはそう言って、口の端をつり上げる。
なんだか雰囲気がわずかに変わったのが分かった。
「その願いを叶えてやっても良い」
赤い瞳が、私たちひとりひとりを順番に見据える。
「これほど私を楽しませた褒美に、チャンスを与えよう……」
そう言って、ファウストはゆっくりと立ち上がった。
その動作の一つ一つに、ぞわりと肌が泡立つほどの魔力の圧がこもっていた。
「私もお前たちと話していて。やはり惜しいと思う。魂……お前たちの魂は、返すには惜しい」
その声は、淡々としていたけれど、確かな欲望がにじんでいた。
礼拝堂に、ぴしりと緊張の音が走ったような気がした。
燭台のロウソクが揺れ、空気が不気味にざわめいた。
「……怒りに燃える瞳も、騒がしく感情豊かな心も、稀有な異世界の泥人形も、気高き王の騎士も」
あたりに魔力が渦巻き始める。ファウストは両手をゆっくり掲げながら、楽しげに笑う。
「世界の終わりまで楽しむには、良き娯楽となりそうだ。……願いを聞くかは、我が力をもって答えてやろう」
そして、視線をこちらに戻し、にやりと口角を上げた。
「結局のところ、全ては己の力をもって、切り開くしかないのだ。」
そして、最後にこう告げる。
「――望むなら、抗ってみせよ」
その瞬間だった。
ファウストの目が、ぼんやりと淡い紅に光り出し、空気が震える。
魔力があふれ、広間の空気そのものが歪んだような感覚が走る。
頭がじんじんと痛み、ぞわりと背筋が凍る。
経験したことのない、強大な気配だ。
サザが、フー…と深く息を吐いて、腕を構える。
「わかりやすくていいじゃねぇか」
その目はまっすぐにファウストを見ていた。
リュカさんもにんまりと笑って前に出る。
「勝った方が、望みを叶える。魔族って、やっぱり最後はこれ。戦うしかないみたいだね」
「ああもうっ……こうなる気はしてたわ!」
ベルがため息をつきながら、ハンマーを影から引っ張り出す。
私も剣を握って、魔力を込めた。拘束術もすぐに放てるように、ファウストに狙いを定める。
リュカさんが私たちを見回し、落ち着いた声で言う。
「相手はひとり。人数ではこっちが上だけど、実力はあっちが圧倒的。油断しないでね」
けれど、
「ま、僕がいるから大丈夫だけどね~?」
と、いつも通りの飄々とした笑みを浮かべて見せた。
サザがそれを鼻で笑う。
「なら余裕だな。俺は休んでてもいいか?」
「え?いや、そこは一緒に戦ってよ!」
リュカさんがそう軽口を返しながら、ニヤリと笑う。
ふたりのやりとりに、私は少しだけ緊張が和らいだ気がしていた。
けど、
なんだろう、この感じ……。
異様な気配。
音もなく迫ってくるそれに、私は思わず天井を見上げた。
姿は見えない。けれど、確実に……いる。空気が揺れている。
「グルルルル……」
犬のような唸り声が響いた。
けれど、犬じゃない。もっと禍々しい何かだ。
ファウストの背後――玉座の後ろの壁に揺らぎが走った。
まるで溶けたガラスを通したように空気を歪ませて、空間の裏側からそれは姿を現した。
それは、赤黒い獣。
犬のようだと一瞬思ったが、違う。
頭が二つあって、体は……
「……っ!」
私は息を呑んだ。
大勢の人間の手足のようなものが、肉の塊と共に絡まり合い、それが双頭の犬のような形をとっている。うごめく肉、ずるりと這う筋肉、そのところどころに浮かぶ、人間の顔のようなもの。わずかに呻くように動いていて、それがたいそう気味が悪い。
「うげっ……なんだあれ」
サザも顔をしかめる。
ファウストが満足げにほほ笑んだ。
「おぞましい姿だろう?これは吸血鬼になった人間の成れの果て。暴力衝動に堕ちた魂から作った怪物だ」
まるで芸術作品を紹介するみたいに、ファウストは続ける。
「私には忠実だが、その衝動は、こうして形を変えたあともおさまりはしない。このノスマー・グリムは、おかげでなかなか、いい番犬になっている……」
あまりのグロテスクさに、吐き気が込み上げそうだった。
「やばいの出てきたね~。みんな、これちょっと気合い入れないと、ほんとに勝てないかも」
リュカさんがそんなことを言うのは、かなり珍しい。それだけに、心の中が冷える。
それでも、戦うしかない。恐ろしいけど、ここで尻込みはできない。
みんなと自分を鼓舞するように、私は言った。
「あの犬……ちょっと気持ち悪いけど……あの程度なら、魔王城の食堂で出てくる“生焼けミートローフ”みたいなものですよ……!」
我ながら、ちょっと変な例えだったかもしれないと思った。けど、恐怖を笑い飛ばさなきゃ、足がすくみそうだった。
「料理だと思えば、怖くない!」
一瞬、沈黙。
「感性おかしすぎるだろ」
サザの冷静なツッコミが返ってきた。
ベルは唖然として、
「生焼け……なの?」
と微妙なところに引っかかっていた。
リュカさんはちょっと笑ってくれた。そして、
「じゃあ、しっかり料理しなくちゃね」
そういって、前を向く。
「ならば、始めよう」
ファウストの声が響いた瞬間、ノスマー・グリムが咆哮した。
「食うか、喰われるか……最後の晩餐を!」
その言葉を合図に、赤黒い獣が地を蹴った。
私も剣を構え飛び出す。
戦いの火蓋が、切って落とされた。
ノスマー・グリムについて。ノス(nos)マー(mar)は造語です。ノスはラテン語で「私たち」マーは英語で「損なう、ひどく傷つける」という意味。グリムはこの世界の言葉で「狼」のことです。傷つけられた私たちの集合体の狼、みたいなことです。




