夜の王は終焉を語る
「マリーベル」
ファウストがそう言った瞬間、ベルがぴくりと肩を揺らした。
ファウストは玉座の上から、まるで興味深い標本を観察するような目で、ベルを見ていた。
「お前がここに辿り着いたことは、全くの予想外だった」
低く、良く通る声。
それが礼拝堂内に響き渡るたびに、どこか空気が冷たくなるように感じる。
「村にずっといるものと思っていた。……まさか、父よりもはるかに幼いお前が、ここまで来るとは思わなかった。驚いたものだ。血の濃さと、父母との絆が、ここまでお前を強くしたのだとしたら、これはまた、興味深いことだ……」
その言葉に、ベルは一歩踏み出して言った。
「私はあんたの研究材料じゃないのよ」
そして、ファウストに向かってビシッと指をさした。
「あんたには言いたいことがたくさんあるの。けどね、ひとまず一番言いたいのは、こんな無意味な試練はやめなさいってこと」
強い眼差しでファウストを睨みつけて、言葉を投げつける。
「人をいたぶって喜ぶあんたの趣味の悪さには、ほんとに反吐がでるのよ。魂になった人をいたぶるのも許さないわ。さっさとみんなを解放して、どっかにいってくれないかしら!」
ファウストは、その強い言葉にも眉ひとつ動かさず、ただ目を細めて答えた。
「それはできぬ」
そして口の端をつり上げた。
「何百年もかけて見つけた、せっかくの楽しみだ。人の感情、行動、思考……実に予想外で興味深い。あっけなく死に向かう愚かしさを見せたかと思えば、くだらないものにこだわって、目を見張るような行動を起こす。実に……不可思議な生き物だ」
「人はあんたのおもちゃじゃないのよ。生きてるのよ、必死に。あんたにはわからないでしょうけどね!」
ベルの声は怒りに震えていた。
でも、そんな叫びにも、ファウストは少しだけ愉快そうに目を細める。
「では、問おう。人は何のために必死に生きているというのだ?気がついてもいないのだろう?世界の終わりがすぐそこまで迫っていることにも。限られた生であることさえ気が付かぬ、愚か者たち。まるで家畜のように、目の前のエサをつつく。……だが、その姿もまた、無知でかわいいものよ」
「ニワトリ扱いしないでくれる?」
軽い口調で、リュカさんが口を挟んだ。
いや、それよりもーー今、さらりと、聞き捨てならない言葉が聞こえた。
「世界の終わりって……どういうことだよ」
サザの声が、低く響いた。
そう、それ。私もその言葉が気になった。
「言葉の通りだ」
ファウストの声が、空気を切った。
「この世界は、もうすぐ終わる。今は、その余生にすぎぬ。それは誰にも止められない。かつての勇者が、敗れたようにな」
勇者って……神話の?
いや、たしか、ファウストは昔、人間の勇者と戦って負けたんだっけ。
その勇者のこと?
私が考えを巡らせているあいだも、ファウストは淡々と話し続けていた。
「世界が終われば、新しい世界がまた生まれる。魔族も人も、そこには存在しない。すべては無に帰り、そして新しく誕生する。ならばーーそれまでの余生を、物語を読むようにゆっくりと過ごしたいのだ。私のささやかな娯楽なのだよ。わかるだろう?」
ベルが、震えた声で言った。
「何を言ってるのよあんた……。意味が分からないわよ……」
その声に、私は少しだけ救われた気がした。
混乱してるのは私だけじゃないんだ。
でも、なんとか思考を巡らせた。
つまりファウストはーーもうすぐ世界は終わるから、自由にさせろと言っているってこと……だよね?
話がいきなり突飛なところに進んだせいで、なにを話していたか、わからなくなりそうだった。
「でもさ、ほんとに終わるって、決まってるわけじゃないでしょ?」
ふいに、リュカさんの声が響いた。
変わらぬにんまり顔で、気軽に問いかける姿はいつも通り、飄々としている。
ファウストが、ゆっくりとリュカさんに目を向けた。
「久しいな。……あの魔王を名乗る小僧は元気か?」
え?
リュカさんと、ファウストって……知り合い?
「僕はあんたのこと、あんまり覚えてないけど、アランは元気だよ」
そう答えたリュカさんは、なんの懐かしさもないような顔をしていた。
ファウストはふっと目を細めた。
「なによりだ」
そして、リュカさんに問いかける。
「世界征服は、順調か?この世界が終わるまでに成し遂げられそうか?」
それはどこか、子供の遊びの様子を聞くような気軽さと、わずかな嘲りが混じっていた。
リュカさんはそれに答えた。
「当たり前でしょ?順調だよ。それにーー」
挑むような目をして、にんまりと笑った。
「世界は終わらない。あいつは戦うことを諦めてない。変わらないよ、昔からずっとね」
ファウストの目が、わずかに見開かれる。
「これは愉快だ。さすがは、私が見込んだだけのことはある」
その声には高揚があった。
「あくまでも抗おうというのだな。この私でさえ諦めたと言うのにーーあの、小さな小僧がな」
頬杖をつき、口の端をつり上げて笑った。
その目は爛々と燃えていた。
「ねぇ、どういうこと?何の話をしてるの?」
ベルが真剣な表情で問いかける。だけどリュカさんは、にこやかな顔のまま、ふわりと手を振ってこう言った。
「こっちの話。気にしないで」
軽く言いながらも、どこか空気が張り詰めたような雰囲気が、まだ漂っていた。
そして私も、そう言われたものの、どうしても話の内容が気になってしまう。
世界は終わる?それも、もうすぐにーー。
けれど、アラン様はそれに抗おうとしている?
わからない。
でも、胸がざわざわする。
ファウストがゆっくりと笑みを深めた。
まるで芝居の幕間に拍手を送る観客のように、静かで、楽しげな目をして。
「わずかな可能性にすがって、抗うつもりか。それもまた、良かろう。だが……」
その赤い目がゆっくりと私に向けられる。
「可能性のひとつが、この歪な少女というわけか?」
ぞくりと、背中を冷たいものが撫でた。
私のこと……言ってる?
ファウストの赤い目が、私の全身を貫くように見つめた。
「魂と肉体が異なっているな。異世界の魂か。しかしずいぶんと……不完全な姿だ」
声は冷たく、淡々としていた。
「腐りかけた肉体。かろうじて魔力でつなぎ合わせた泥人形。期待をかけるには、あまりにも頼りないのではないか?」
そう言って、嘲るように鼻で笑った。
なんだか、むっとした。
たしかに私はゾンビで、強くもなくて、たいしたこともできないけれど。
「ゾンビをバカにしないでください。これでもけっこう、丈夫なんです」
思わず、そう言った。
するとファウストの眉が、ぴくりと動いた。
そして、ふっと笑った。
「……本当に愉快だ」
一瞬だけ柔らかくなった表情は、すぐに冷たいものに変わる。
「愉快で……そして、やはり愚かだ」
どこか見下すような、冷笑だった。
それに対してリュカさんが軽い調子で口を挟んだ。
「でも、その愚かな僕たちは、あんたの試練を突破したんだよ。あながち、馬鹿にもできないんじゃない?」
ファウストはわずかに視線をゆるめる。
「試練を乗り越えたことは、誉めてやろう。その魂を、我が手にできなかったことは、誠に残念だがな」
そのときベルが、声を上げた。
「世界が終わるって言うなら、魂を解放しなさいよ……!」
その声は震えていた。
「あんたのせいで、父さんと母さんは……!」
ベルの声に、私は胸が締め付けらるようだった。
けれど、ファウストは顔色を変えずに言う。
「それはできぬ」
そして、言い聞かせるようにゆっくりと語る。
「私にとって彼らは、愛すべき愚かな子供のようなもの。そばに置いて、手放したくないものなのだ。解放すれば、魂が向かう先は異界のはるか彼方。そこへ向かえばもう戻れぬ。新たな世界の糧となり、この世界から消える。なればこそ、我が手元に置いて、その世界の終わりまで、愛でたいと思うのは至極当然のことだろう?」
ベルの目が見開かれ、握った拳が震えていた。
「だから言ってるでしょ……!」
怒りが混じった声で、でもどこか涙をこらえるような声で、ベルは言った。
「こっちは、あんたのそばにいたくないのよ!死んでも一緒なんてごめんだわ!」
それに対して、ファウストは小さくため息をついた。
「まったく……これだから人間とは分かり合えぬ」
こめかみに指をあて、少し頭を振って、呆れたようにそう言った。




