夜の王は舞い降りる
ここが、最上階。
階段を上がった先にあったのは、一見礼拝堂のような、だけどどこか違う不思議な空間だった。
天井は見上がるほどに高くて、左右にずらりと並ぶステンドグラスが、月の光を透かしていた。
空気はひやりと冷たくて、薄暗い。
壁際の燭台に揺れるロウソクの灯りが、ぽつぽつと薄暗い灯りを落としているだけ。
礼拝堂の中心にまっすぐに敷かれた赤黒いカーペット。その通路の両脇には、礼拝のための長椅子が整然と並んでいた。
そして、礼拝堂の正面、奥にあるのはーー暗い玉座。
「……行こう」
リュカさんが静かに言った。
私たちは頷いて歩き出す。
静まり返った礼拝堂の中に、私たちの歩く音だけが響く。
「ひゃっ!?」
途中、高い柱の影から何かがパタパタと飛び出した。それは頭上を飛び回り、天井の方へと飛び去って行く。
「……コウモリか?」
サザが言って、見上げると、確かにそれはコウモリのようだった。
何匹ものコウモリが、ぐるぐると飛び回っている。
その羽音が壁に反響して、不気味さを感じさせる。
「……びっくりした……」
胸に手を当てながら、私はカーペットを踏みしめて進んだ。
やがてーー王座の前に辿り着く。
見上げた先には、玉座があった。
月光が差し込む青いステンドグラスの窓の前に設えられた、小高い場所。
しかしその玉座はーー空だった。
「……誰もいないね」
私はつぶやいた。
「あいつ、逃げやがったのか?」
サザが眉を寄せてそう言うが、ベルはそれを否定する。
「まさか。ここにきて逃げる?」
「でも、いないよね……」
私はあたりを見回すが、それらしい人影は無かった。
「いや、いるよ」
そう言ったのはリュカさんだった。私は思わずリュカさんを見る。
玉座を見つめるその横顔は確信に満ちた顔をしていた。
「しっかり見てる。僕たちのこと」
「え……?」
リュカさんは、少し声を張って、語りかけるように言った。
「もったいぶらないで、姿を現してよ」
少しの沈黙のあと、フフフ……と男の笑い声が礼拝堂に響いた。
それは、どこから聞こえているのかわからなかった。真上のような気もするし、後ろのような気もするし、すぐそばから聞こえているような気もした。
そのとき、ひとつの柱の影から、コウモリの群れが一斉に飛び立った。それは黒い一陣の風となって礼拝堂内を飛び回った。
天井の高いところから、礼拝堂の後ろをぐるりと飛び回り、そして玉座の前に集まったと思ったら、それは黒い霧となって消えた。
そしてその霧の中から、それは姿を現した。
黒いマント。体と口元を覆っていたそれを後ろへはらうと、内側の赤が一瞬月光に照らされた。マントの下の服装も上品だった。白いフリル付きのシャツに、黒いベストと、スラックスに革靴。
背が高く、ぞっとするほどに美しい顔をした男だった。
長くて癖のある銀髪。後ろで束ねられて、片側に垂らした前髪が月光に白く透けてきらめく。
赤い唇、ロウのように白い肌。
そして、その目。
真紅の瞳。アラン様の目と同じ赤なのに、全く違って見えた。
まるで深淵をのぞきこんだような暗さと、冷たさを感じた。
異質でーーその奥に見えるのは闇。人の形をしているけど、人じゃない。
全てが異様なほど整っていて、人間離れした美しさが、逆に恐ろしかった。
私は思わず身構えた。
男の赤い唇の端が、ゆっくりとつり上がった。
その男――ファウストは、まるで私たちの反応を楽しむように、赤い目を細めて、ニヤリと笑ったのだった。
「……よく来た」
その笑みは美しく、けれど本能的な恐怖を感じた。蛇が獲物を前に、舌を出して笑ったようなーー今にも食べられてしまいそうな気持ちになった。
それでも怖がっていてはいけないと、私は勇気を振り絞った。
ファウストはゆっくりと、そのまま玉座に深く腰を下ろした。足を組みながら、私たちを見下ろす。
「久しぶりの来客だ……心躍るな」
ファウストの赤い瞳が、ひとりひとりをなぞるように見渡していく。
「……サザ、マリーベル、そして……ノアにリュカ。久しいな……」
え……?
久しいなんて言われる覚えはない。初対面のはずだった。
でも、名前を知っている。やっぱりこの人……眷属を通して、ずっと見てたんだ。
みんなと話してたことも、全部……。
その目が、静かにサザに向く。
「……サザ。聞きたいことが、あったのだろう?」
何も言ってないのに、全てわかっているというように、ファウストは告げた。
「ああ、そうだ」
サザが睨みつけた。
「俺をなんで吸血鬼にしたか答えろ、ファウスト」
その言葉にファウストは、ふっと笑う。
「ほんの気まぐれだ」
短い答えに、サザの肩がピクリと揺れた。
そして少しうつむいて、ぐっと拳を握りしめる。
やっぱり、深い意味なんてなかったんだ。
サザは、苦しそうな表情をしていた。
私はぎゅっと胸が締め付けられるようだった。
そんなサザを見つめながら、ファウストは言った。
「だが……気まぐれを起こそうと思ったのは、お前のその目が気に入ったからだ」
ゆっくりとファウストは語り始めた。
「お前のことは、ずっと見ていた。吸血鬼にする前から。
親を亡くした子供……この世界でありふれたもののひとつ。
そんなお前が、世の理不尽に怒り、年に似合わぬ憤怒をその心に宿し、身を焦がすほどの激情に燃える目が……とても美しかった。この世界で失うには、あまりに惜しいと思ったのだ」
慈しむようにサザの目を見つめ、ファウストは言った。
「……今も、その目が燃えていて、私はとても嬉しいよ」
そう言って、赤い目を細めた。
サザが顔を上げて、ファウストを睨みつける。
「そんな理由で……俺を吸血鬼にしたのかよ……!俺はッ……」
拳を震わせて、サザはファウストを強く睨みつける。
それでも、返ってきたのはまたも淡々とした言葉だった。
「だが、生きると決めたのだろう?」
その言葉に、サザがハッとした顔をする。
「お前……!俺の心を見たな……!」
「フフ……なによりだ」
ファウストはサザのそんな様子を気にする様子もなく、ほほ笑んだ。
そして、話は終わったとばかりに、今度はベルに目を向ける。




