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転生したらゾンビでした  作者: 矢倉
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吸血鬼、歪な月を見上げる

ふいに、空を見上げた。

満月だった。静かな夜の空に浮かぶそれは、とても美しかった。


……死ぬなら、こんな夜も悪くないかもな


奇妙なほど、穏やかな気持ちだった。

右手をゆっくりと月へ伸ばす。

ふいに、手首に巻かれた革のブレスレットが、わずかに光って見えた。


――これってブレスレット?おしゃれだね。


ふいに、頭の中にノアの声が響いた。

いつかの春の祝祭のときの声だった。


――えへへ、私もお守りにしようと思って。見て!これなんだけど……


そうだ、一緒に見て回って……楽しかったな。


――あれ……?とれない!


なにやってんだよ……。


――サザ……どうしよう……!


涙目で見るな。ほんと、バカだなこいつ……


何だか意識がはっきりしてきた。

そして、意識の底から、リュカの声が響いてくる。


――はい、僕の勝ち~~これで1011勝0敗~。焼き魚決定~!え?肉がいい?約束でしょ?


ああもう、焼き魚ばっかで飽きたんだよ……。

俺が勝ったら、絶対、肉にしてやる……。


――よく帰ったな、サザ。ん?お前の帰る場所はここだろう?我が魔王城は、なかなか快適だぞ。


――おう、よろしくな。強いって聞いてるぜ。沼地の警備にも、たまには来てくれよな!


――我が左腕の封印が示すのは“マンドロット煮込み~悪魔風~”だ……ミイラたる我のおすすめだ。


――深紅の瞳ね!じゃあマントは、モス…いいえテールベルト……キプロスがいいかしら?うーん、どれも素敵ね!


魔王城の連中は、騒がしいやつばっかだな……。


再び、ノアの声が響く。


――興味ある?魔王城に帰ったら、教えてあげるよ?


あのとき……それもいいかもな、って言ったら、ちょっと驚いた顔して、そんで……笑ってたな、あいつ……。

そうだ、戻らないと。

あいつと一緒に、魔王城に、帰らないと。


ハッと目を開けた。


「あーん?目ぇ覚ましたのか?」


上から、もうひとりの自分が覗き込んでくる。

真っ暗な目を歪ませて、笑う。


「けどもう、遅いんじゃねーか?動けねぇだろ?」


気付けば、肩まで黒い沼に沈んでいた。


「……遅くねぇ」


サザは言った。

暗い目の自分が、顔を近づけてくる。


「肩まで浸かってんじゃ説得力ねーよ」


そして、ニヤニヤと笑う。


「俺はお前、お前は俺。罪から逃げられないことは、お前が一番よく知ってるだろ?」


耳元でささやく声は、心に染み込むように入り込んでくる。

その言葉に、否定の余地なんてなかった。


「そんなことは、わかってる」


背負った罪の重さ。それを忘れたことなんて、一度もない。


「誰が許しても、セトを助けられなかったことも、あいつを殺したことも全部……俺が背負っていくしかねぇんだ」


ゆっくりと、胸の奥に沈んでいた言葉が、ひとつひとつ浮かび上がる。

闇の中、重たい沼に沈みかけながらも、サザは言葉を噛みしめるように言った。


「けどな、それでも俺は戻らなきゃいけねぇ」


闇がざわりと揺れた。そばに立つ暗い目の自分が、わずかに眉をひそめる。


「あいつが……あいつらが待ってる場所に、帰らなきゃいけねぇ」


その言葉を口にしたとき、サザはふと黙った。


いや、違うな……


心の奥底から、ひとつの感情が湧き上がってくる。

それは否定したくても否定できなかった、強い想いだった。


“戻らなきゃいけない”んじゃねぇ……それは言い訳で、本当は、“俺が”戻りたいんだ。

罪を背負ってでも。許されなくても。もっと生きて、あいつらと一緒に……居たい。


そう思った瞬間、目の奥が熱くなった。


「クソッ……」


涙が出そうになる。

本当に認めたくなかったのは、これか、と感じた。

罪があるくせに、生きてみたいと願ってしまう自分自身が、一番許せなかった。


「おい、なに黙ってんだよ」


さっさと沈めよ、と言って、暗い目の自分が顔を近づけてくる。

嘲るように笑いながらサザの肩を押す。

けれど、次の瞬間。

バシャッと、沈みかけた沼の中から、サザは手を出した。

暗い目の自分の襟元を、ガッと両手で掴んだ。サザは胸の奥から吐き出すように叫んだ。


「……生き汚ねぇんだよ、俺は…!」


その瞳には、強い想いがこもっていた。


「こんなクソみてぇな吸血鬼になっちまったからな……!けど、あいつらなら、それでも生きてていいって言ってくれそうな気がするんだ!」


暗い目のサザの瞳が、かすかに揺れる。


「だからもう一度死ぬまでーーあいつらと生きてやるんだ!!」


そう叫んだサザは、そのまま頭突きをくらわした。


「ギッ……!!」


唸り声をあげてのけぞる、暗い目の自分。

さらにサザは、片手で襟元を掴んだまま、もう片方の手で拳を顔面に叩きこんだ。

ガシャン、とひび割れるような音を立てて、黒い目の自分が膝をつく。

その途端、バチバチッと音を立てて、黒い沼が消えていく。

重しのようにのしかかっていた重力が、一気に消えた。

自由になった体で立ち上がり、サザは暗い目の自分を見下ろした。

暗い目の自分は、「クソが……」と言いながら顔を押さえて立ち上がり、ふらふらと距離をとった。

そして、顔を上げたがーーその顔には、まるで鏡が砕けたかのような亀裂が入っていた。

押さえていた手を下ろすと、割れたその隙間からは、緑がかった老婆の皮膚が見える。

こちらを睨む、ぎょろりとした爬虫類のような眼。


「小癪なァ……小僧オォ……!」


その声は、サザ自身の声と老婆の声が混ざり合った、ねじれたような声だった。

それは、怒りに震えながら爪を振り上げ、サザに飛びかかってくる。

サザは、一度深く息を吐いて、両手を構えた。

そのとき、腕に走るバチバチとした静電気のようなものを感じた。

魔力があふれ出し、黒い爪のようになって両腕を覆う。

力が満ちるのを感じる。

サザは地を蹴って走り、化け物に正面からぶつかる。

黒い爪が、鮮やかに宙を裂いた。


ガシャアアン!と叫び声の代わりに、鏡が割れるような音が空間に響いた。

ズシャッと地面に崩れ落ちた化け物を、サザは振り返る。

砕かれた顔で、それは息も絶え絶えに地面からこっちを見ていた。


「許されない……許さない……お前はずっと…罪に囚われる……」


灰のように崩れていく体のまま、その呪いにも似た声で語りかける。

サザは静かに答えた。


「……それでもいい。俺はもう迷わねぇ。罪は背負ったまま、生きていく。……生きていきたいから。あいつらと、一緒に」


化け物は崩れ消え、灰は夜の風に舞いあがる。

その空の端からひびが入り、ゆっくりと世界が崩れていく。

空に浮かんだ月は、ひび割れ、(いびつ)で、でも確かにそこに在った。

サザは崩れゆく世界の中で、ただまっすぐに、その月を見つめていた。



―――



耳元で、パリンと鋭い音が響いた。

サザはゆっくりと目を開ける。

明るい光と、目の前に見える暗い観客席。そして足の下の硬い床の感触を感じた。

空気もあたたかさも、あの夜とは違う。

そこはーー舞台の上だった。


「おかえり~、サザ」


ゆるい声。

視線を向けると、床に座ったリュカがいつも通りの飄々とした笑みで手を振っていた。


「遅いわね。3位よ、あなた」


手前に座っていたベルがサザを見上げ、待ちくたびれたというふうに言った。

変わらないふたりの様子。

サザはそれを見て、胸の中で何かがほどけていくのを感じた。


……ああ、戻って来れたんだな


世界は現実に戻っていた。悪夢ではない、たしかに「ここ」に帰って来たのだ。


「ちなみに僕が1位ね!イェ~イ!」


リュカが両手を上げて騒ぐ。

その無邪気な姿に、サザはふっと笑う。

その反応に、リュカが少し驚いたような顔をした。


「あれ?なんかサザ変わった?」


そう言われて、サザは少し考えた。


「ああ……なんか魔法使えるようになった」


サザは、腕に力を込める。

次の瞬間、魔力が腕を包み、黒い爪が現れた。


「え?噓でしょ……?」


珍しく、リュカが素で驚いている顔をしていた。

目を丸くしてぽかんとするその様子に、サザは思わず口の端を上げる。


「魔王城に帰ったら……また修行、付き合えよ」


そう言って、舞台の床にどさっと腰を下ろした。

その横顔は、どこか吹っ切れたような、穏やかな顔だった。

リュカはというと、隣のベルに、


「なんか、気持ち悪いんだけど……」


と話すが、ベルは本当に興味がなさそうに「知らないわよ」とそっぽを向いていた。

リュカは肩をすくめた。


「さて……あとはノアちゃんだねぇ」


鏡の方をちらりと見てそう言った。

サザも、隣に残された鏡へと視線を向けた。

光を映さぬその鏡は、じっと沈黙を保ったままだ。


「……帰ってきてねぇのか、あいつ」


ぽつりとつぶやいた声に反応して、リュカがてくてくと歩いてくる。

そしてにんまりした表情で、サザの顔をまじまじと覗き込む。


「……心配?」

「は?全然?」


即答するサザに、リュカはニヤニヤと笑った。


「だよね~。絶対戻ってくるって、サザも信じてるって~」


と、隣の鏡に話しかける。


「おいっ!」


サザが声を荒げると、リュカは肩をすくめて「へへへ」と笑った。


こいつはほんとに変わんねぇな……


サザは、ため息をひとつ吐くと、鏡に視線を戻した。


……一緒に帰るって言ったのは、お前なんだからな。


声には出さなかったが、心の中でそう呼びかけた。

そして、気づけばその口が、自然と動いていた。


「……早く、戻って来いよ」


それはほんのかすれた声だった。

けれど、無意識に心の中からもれた小さな想いだった。

鏡の中のノアは、まだ静かに目を閉じていた。


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