逆転の一手
「すみません、メイドさん」
私はテーブルから声を張った。
この試練の進行役――あの果物ナイフを持つ、完璧すぎるおもてなし人形に向けて。
「少し、話したいことがあるんです。……できれば、その、近くで」
メイドは静かに首をかしげる。
「お話でしたら、そのままどうぞ。私は常に、お客様のお声をお聞きする準備はできておりますので」
「……あの子たちにはあまり聞かれたくなくて。二人と引き換えに、命を助けてくれるっていうお話を」
私は、ちらりと砂時計を視線で示す。
メイドもそちらに視線を向ける。
サザとベルーー二人はもはや、首まで埋まりかけていた。
その口元が、必死で叫んでいるのが見える。声は届かないけど、思いが伝わってくる。
メイドはその様子を見て、小さく笑った。
くすりと、品のあるほほ笑み。
「……よろしいでしょう。良い選択をなさったようで、何よりですわ」
音もなく近づいてくるメイドに、私は意識を集中した。
そして、メイドが私のすぐそばに来たタイミングで、右手をそっと上げた。
囁くような仕草をするように見せかけてーー次の瞬間、果物ナイフを持つメイドの手首をガッと掴んだ。
「……なにを!?」
メイドの声に、動揺の色が混じった。
「ちょっとだけ、ナイフをお借りしたいだけなんです」
私は笑って言いながら、そのままナイフを持つ手を両手で握りしめ、力任せに奪おうとする。
「何のつもりですか?ナイフなら、テーブルの物をお使いになればよろしいでしょう」
淡々と返すメイドは、ぐぐっと手を引こうとする。すごい力だ。
けれど、それを私は必死で抑え込んだ。今は絶対に、離すわけにはいかない。
「それだと困るんだよねぇ」
メイドの背後から、聞きなれた軽い声がした。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけどーーいいかな?」
メイドが振り返るより早く、フォークがきらりと光を反射して振り上げられた。
「……!」
メイドは私とナイフを取り合ったまま、顔だけをぐるりとリュカさんの方に向け、左手でテーブルの上のケーキナイフを掴む。
素早い動きで、リュカさんのフォークを弾いた。
ギィンッ!キィン!
鋭い音が響く。
銀と銀がぶつかり合う激しい打ち合いが、再び始まった。
「何のつもりでございますか?お客様」
ケーキナイフでフォークを受けながら、メイドが優雅な声で言う。
けれど、その動きはまるで獣のように鋭い。
「んー、ただの世間話。たとえばーー」
リュカさんがナイフをキィン、と弾いて、フォークの角度を変える。
その先端は、一直線にメイドの首元――オパールのブローチを狙っていた。
「その宝石、なに?よく見せてよ」
「……!」
メイドが、その言葉にびくりと反応した。
「ブローチを狙っているな……!」
初めて、その声に怒りがにじんだ。
「ここにきて悪あがきするなんて。マナーがなっていませんね。先ほど申し上げたはずです……給仕への暴力は、重大なマナー違反であると」
そのセリフに、リュカさんはふっと笑った。
「でもペナルティを受けるのは……僕たちじゃなくて、給仕さんのほうなんじゃない?」
「何を、おっしゃいますか?」
「だってさ、僕たちのコーヒーに、あんなものを入れといてさ!」
そう言って、リュカさんがナイフを弾く。
その動きに合わせて、私もメイドの右手をぐいっとひねる。
ナイフの軌道がズレて、刃は肘掛け椅子の背をざりざりと削り、粉を散らした。
「ッ……!」
ほんの一瞬、メイドはバランスを崩しかけたが、すぐに後ろに退いた。
だが、それだけだった。
彼女はすぐに体勢を立て直し、音もなく、すうっと姿勢を正す。
「クレームでございますか?お客様……」
声の調子は丁寧だ。けれど、その奥にひりつくような殺意が見えた。
「もし、不当なクレームでしたら……今度こそ、マナー違反だと見なしますよ」
両手のナイフをスッと前に構えなおす。
私は小さく息を吸い、震える指でコーヒーカップとスプーンを持ち上げた。
メイドによく見えるようにして、カップの底からすくい上げたものを、そっと差し出す。
「……これです」
スプーンの上で、きらりと光るそれはーー
コーヒーに濡れた、小さな銀のカフスボタン。
メイドの袖についていたはずの物だった。
「それは……!」
鋭く、声が漏れた。
次の瞬間、メイドは自分の右袖をバッと見た。
メイドの袖口にあるはずの銀のカフスボタンはーー無かった。
「さっき、コーヒーを飲もうと思ったときに、カップの底に沈んでいるのに気づいたんです」
私は、なるべく穏やかに、でもはっきりと告げる。
「たぶん……メイドさんの取れかけていたボタンが“偶然”ここに入っちゃったんだと思います」
メイドの視線が、スプーンの上と、自分の袖とを何度も往復した。
そのとき、
「……あれー?」
隣でリュカさんが、のんきそうな声を上げた。
「ノアちゃんのだけかと思ったら、僕のにも入ってるみたいだよ?」
リュカさんは、自分のカップにスプーンを入れて、さらりとすくって見せる。
そこにも、同じ銀色のボタンがひとつ。
「こっちも“偶然”かなぁ……いやぁ、参ったなぁ」
まるでコーヒーの中に砂糖が多すぎた、くらいの気軽さで言う。
それでも、目はしっかりとメイドを見ていた。
「……ッ!」
メイドが反対の手を掲げて、その袖口を見る。
けれど、そこにも銀のカフスボタンは無かった。
「……そんな、馬鹿な」
小さな声がこぼれる。
そしてハッとしたように顔を上げる。
「……まさか……さっきの狙いは、ブローチではなく……それだったのか……!?」
動揺を隠しきれない声が、メイドの口からこぼれ落ちる。
だが、それに対してリュカさんは肩をすくめた。
「え?何を言ってるのか、よくわからないなぁ」
いつもの調子で、言葉をはぐらかす。
「メイドさんがナイフを振り回すから、ボタンが飛んで僕たちのカップに入った。それだけでしょ?」
私も頷いて、言葉を続ける。
「お客さんの飲み物に、誤ってボタンを落としてしまった。……それって、“給仕側の不手際”ですよね?」
メイドが私を見つめる。その視線は刺すように感じた。
けれど、引くわけにはいかない。
「だから、コーヒー……新しいものと、取り替えてもらえますか?」
私はできるだけ丁寧に、静かに、でもはっきりと告げた。
しばしの沈黙。
そして、
「……そんな、そんな馬鹿な理由が通るとでも?」
メイドはそう言ったが、言葉はわずかにかすれ、動揺が見て取れた。
リュカさんが、たたみこむように言葉を続けた。
「マナー違反でしょ?ちゃんと認めなよ、メイドさん」
リュカさんの言葉に、メイドがびくりと体を揺らす。
「私が、マナー違反など……!」
そしてナイフを持つ手が、ガタガタと震えはじめる。
「そんな……そんな……ありえない!私は……私はマナー違反などしていないッ!」
怒りに燃えたメイドの瞳が、こちらを射抜く。
「こんなもの、認めないッ!!」
叫ぶと同時に、メイドはテーブルを蹴って踏み込んだ。
両手のナイフを振り上げ、まっすぐに私たちへと飛びかかってくる。
「………!」
私は体をこわばらせた。
ナイフの光が視界に迫る。もう逃げられない。
次の瞬間には人形にされるかもしれない。
それでも、私は目をそらさなかった。
最後の瞬間までーー戦う!
腕を構えて、魔法を放とうとしたそのときーー
……チーン。
ひとつ、音が鳴った。
澄んだガラスを叩くような、呼び鈴の音。
その瞬間、メイドの身体が、ガクン、と揺れた。
振り上げた果物ナイフは、そのまま宙に止まった。
まるで、操り糸がピンと張られたかのように、腕がその場で静止する。
「え……」
私は息を呑んだまま、動けなかった。
メイドはナイフを構えたまま、ぴくりとも動かない。
ただの人形に戻ったかのように、動きを止めている。
リュカさんも、何も言わない。
目だけが、じっとメイドを見ている。
いつの間にか、他のテーブルの人形たちも、皆、静止していた。
ざわつく空気も、動きもない。
ただ蓄音機の音楽だけが、優雅に流れていた。
……ひとつだけ、その静寂の中で動く影があった。
それはゆっくりと、私たちのテーブルへと近づいてくる。
私とリュカさんは同時に視線を向けた。




