紳士淑女の嗜み(たしなみ)
案内されたのは、大きな正方形のテーブルだった。
手前には、二人分の肘掛け椅子。たぶん、私たち用。
だけど奥には、すでに五体の人形が座っていた。
コーヒーカップに銀のスプーン、三段重ねのケーキスタンド。
それを前にカタカタと首を揺らしながら談笑し、ティータイムを楽しんでいる様子だ。
湯気の立つコーヒーカップからは、いい香りがする。
普段は落ち着く香りだけど、今はそれが逆にーー不気味だ。
「どうぞ、おかけくださいませ」
メイドがすぐそばに立ち、私たちにそう告げた。
私は小さく息を呑み、そっと肘掛け椅子に腰掛ける。古い椅子のクッションが、ほんの少しだけきしんだ。
「コーヒーの準備が整うまで、少々お待ちくださいませ」
そう言ってメイドは静かに下がっていった。
それを見送った後、リュカさんがにんまりと笑って言った。
「人形のお茶会、ねぇ。さて、なにが始まるのやら」
「また何か、謎解きのようなことをさせられるんでしょうか」
「かもね。ティールームだけど、甘くはなさそうだよね~」
ふざけた調子の中にも、リュカさんの目に油断はないようだった。
私はちらりと隣の席を見る。でも、サザもベルもいない。
さっき、あの呼び鈴の音と共に、ふたりは、ふっと消えてしまった。
「サザとベル……大丈夫かな」
不安がこみ上げてくる。
「まさか、メニューを選ばなかったからって、“失格”とか……ないですよね?」
「さすがにそれはない……と言いたいけど」
リュカさんは苦笑して肩をすくめる。
「ファウストの試練って、基準が謎だよね。何かこだわりがあるような気はするけど……」
そう話していたときだった。
ゴトゴトッ……
部屋の奥から、車輪の音。
メイドがワゴンを押しながら、再び姿を現した。
ワゴンには、カップとソーサー、そして銀のトレイと、小さな果物ナイフ。
彼女は静かに近づくと、私とリュカさんの前に、ふわりと香るコーヒーを置いた。
そのあと、ゆったりと背筋を伸ばして、こちらを見た。
「それではーー我が主、ファウスト様より言付かりました、今回の試練についてご説明を申し上げます」
……ファウストから!?
私は思わず姿勢を正して、真剣に耳を傾ける。
「今回の試練におきましては、“このテーブルでのお茶会を、時間内に終えていただくこと”が課題となっております」
メイドの声は淡々と告げる。
「そのためには、こちらの謎を解いていただく必要がございます」
彼女が差し出したのは、一枚の白いカードだった。
そこにはこう書かれていた。
「5体の人形のコーヒーのうち、2つは毒が入っている。人形からヒントを聞いて毒入りコーヒーを取り替え、彼らが笑顔でコーヒーを飲めるようにすること」
「謎解きは、どうぞケーキを召し上がりながら、ゆっくりとお楽しみくださいませ」
メイドは穏やかに言った。
けれど、カードに書かれた“毒入りコーヒー”という物騒な言葉は、何か不穏なものを感じさせた。
メイドは言葉を続ける。
「ただし、注意点が二つほどございます。ひとつは、お茶会の終了まで、砂時計には触らないこと。そして、マナー違反はしないこと。……以上でございます」
「マナー違反って、どんなこと?」
リュカさんがメイドに尋ねる。
メイドは頷いて、まるで講義でも始めるかのように話しはじめた。
「それほど難しいことではございません。たとえば、お茶会が終わるまで席を立ち歩くことは禁止となっております。また、他のお客様のご迷惑となるような行為もお控えくださいませ」
……まぁ、それくらいなら。と思ったのも束の間。
「アフタヌーンティーの一般的なマナーとしてーー」
そこからの説明が、怒涛のように押し寄せた。
「ケーキは下段から順に召し上がること。
コーヒーをいただく際は、ソーサーは持ち上げず、カップのみを持ち上げること。
カップのハンドルには指をかけず、親指と人差し指でつまむように持ち……」
……えっ、ちょっと待って。
「口にケーキを運ぶ際には、フォークを水平に保ちーー
ナプキンは左膝の上にたたんで広げーー
おしゃべりの際には、ひと言三呼吸で抑揚をーー」
えっ、多い。
とっても多いです。
私はさらに続くマナーの話を聞きながら、心の中で頭を抱えた。
ダメだ、どう頑張ってもマナー違反する未来しか見えない。
普通にコーヒーを口にすることすら、もう怖い。
私はそっと心に誓った。カップにもケーキにも触らない。それが一番安全だ。
リュカさんも説明を聞き終えて、目をぱちぱちさせていた。
「わーお……難しそう……」
本気で戸惑ってる声。
でも、メイドは淡々としたままだった。
「マナーを守ってこそ、お茶会は楽しめるもの。今回、ファウスト様よりこのティールームをお任せいただいた私といたしましては、それこそが、正しき紳士淑女のたしなみであると考えております。……マナーは、絶対のルールでございます」
最後だけ、強調するように言った。
メイドの強いこだわりが感じられた。
「もし破られた場合は、その時点でお茶会は中断とさせていただき、お客様には、他の客様同様、こちらのティールームに永久にご滞在していただくこととなります」
背筋の凍るようなことをサラッと言った。
私は目の前で談笑する人形たちに視線を向けた。
――もしや彼らも、もともとは……
不気味だと思っていた人形たちが、ことさら恐ろしく思えた。
「お茶会の時間は30分。砂時計の砂が、全て落ちるまででございます」
メイドはそう言って、ワゴンの下から何かを取り出した。
ガラスの太い筒のようなーー
それを、ケーキスタンドの手前、テーブルの中央に置く。
それは砂時計だった。
たっぷりの砂が上部にたまっており、真ん中の穴を通って、少しずつ砂が下に落ちるその先にーー
「……サザ!?それにベルも!?」
信じられなかった。
砂時計の中に、ふたりが閉じ込められていた。
小さくなって、中で必死にガラスの壁を叩いている。何かを叫んでいる。けどーー音が全く聞こえない。
砂は、ふたりの頭上から降り注ぎ、少しずつ溜まっていく。
私は思わず身を乗り出して、その砂時計に触れようとしたがーー
「お客様。砂時計に触るのは、マナー違反でございます」
ガッと手首を掴まれた。
「っ……!!」
凄い力だ。思わず息を呑んだ。
振り向いた顔のすぐ先――そこには、変わらぬ絵のようなほほ笑み。
そしてそのすぐ近くに、冷たく光る刃。果物ナイフの先端が、私の目の前に突き出されていた。
「……!」
固まる私のそばで、リュカさんがメイドのナイフを持った手を掴む。
「放してよ」
でも、メイドはそのまま首だけを、音もなくぐるりと回転させて、リュカさんに顔を向けた。
「……いかなる理由でも、マナー違反は許しません」
リュカさんがその異様な様子に、少し気圧されるも、
「まだ、違反はしてないでしょ」
と言うと、メイドは少し沈黙して、それから私の方にぐるっと顔を戻した。
描かれたほほ笑みに見つめられ、私はヒッと声を上げる。
「………」
メイドは手を離し、ゆっくりと引き下がった。
私は手を引きつつも、恐怖に体が少し震えてしまった。
メイドは私をじっと見下ろした後、淡々とした口調で言った。
「私はこのあと、他のテーブルにも給仕に参りますがーーどうぞ、マナーを守って、ごゆっくりお茶会をお楽しみくださいませ」
そういって、静かにワゴンと共に下がっていった。




