ゾンビ、はじめての労働
魔王城で暮らし始めてから数日。
青白い洞窟の天井にも、奇妙で不思議な魔族たちとの共同生活にも少しだけ慣れてきた、ある日の朝だった。
「ゾンビにも慣れてきたし、そろそろ働こっか」
そう言ってやってきたのはーーリュカだった。
今日も変わらず暗殺者スタイル。赤いフード付きの上着、腰にはいくつものナイフ。
飄々とした笑みを浮かべて、私の部屋の入り口でスライム布団をつんつんしてくる。
「まだ寝てるの?起きたら?もう朝だよ?ゾンビも朝から活動する時代だよ?」
「…勝手に入らないでください…あと、働くって何するんですか…?」
「スライムの捕獲と、モンスターの討伐。ほら、早く~」
たたき起こされた私は、手櫛で髪を整えて、立ち上がる。
ブニュブニュと布団を踏んで部屋を出た。
「……ところで、なんでリュカさんが付き添いなんですか?」
「不満~?」
「別に、そういうわけじゃないんですけど……」
正直言うと、ちょっとまだ怖い。この人、なんか底知れない感じするんだもん。
「魔王が手伝ってやれって。“そのまま毎日寝てると腐っちゃう”ってさ」
「……それはどっちの意味で?!」
知らないうちに生命の危機だった?
でも自分を律することはたしかに大切だ。
自由な世界だからこそ、自分で考えて生きないと、腐っちゃうのかもしれない。
「いきましょう!初任務」
「お、やる気になった?いいじゃん」
そんなわけで、私はリュカーー改め、リュカさんと一緒に、初任務に出ることになった。
――
魔王城内部の転移魔法陣から移動して到着したのは、魔王城のはるか上に広がるという広い森――通称、大魔境の中だった。
転移魔法陣は、行きは出られるが帰りは特殊な呪文を唱えないと戻れないらしい。
だから、魔王が認めた魔族しか使えないらしいが便利なものだ。
大魔境の森についてリュカさんが言うには、魔境の濃い魔力から、モンスターは自然発生する。スライムからオークまで色々いるらしいが、森の端に位置する今の場所は魔力が薄く、比較的弱いモンスターしかいないらしい。
「だから、新人訓練にはもってこいの場所ってわけ」
「……って言っても、怖いものは怖いんですけど……」
森の端とはいえ、昼間だというのに生い茂った木々で辺りは薄暗い。シュミラクラ現象が発生している木々も多く、不気味な気配が漂っている。
「大丈夫大丈夫。だって僕がいるし。頼れる先輩にまかせてよ」
「…その飄々感、逆に不安になります……」
そのとき、森の奥からぴょこぴょことスライムが一体現れた。
リュカさんはすぐに草陰にしゃがみ、手をひらひら振って私をうながす。
「はい、ノアちゃんの出番~どうぞ?」
「最初からひとりで戦うんですか……?!」
「大丈夫だって。スライム、たぶん今日そんな気乗りしてないから」
「気乗りとかあるの?!」
あとノアちゃんって…まぁいいですけど。
私は気を取り直して、スライムの捕獲に取りかかることにした。
まずは慎重にーースライム捕獲用の網を構えて……エイッ!
ぽすっ。ぐにゅっ
すぐ近寄って、網の口を締める。
「……と、とれました!!」
「おお、やるじゃん。きみ、センスあるよ。ゾンビとして生きていけそう」
「それ褒めてます!?」
「うん。わりとガチで」
―――
次はモンスターの討伐。
気配を隠しながらあたりをうかがっていると、森の奥から「キャッキャッ」と笑い声のようなものが聞こえてきた。
現れたのは、紫色の小人のような生き物。でも下半身は爬虫類みたいな足をしていて、トカゲのようなしっぽの先には青い炎が揺れている。
「インプだね。ちっこいけど、油断すると危険だよ。気を付けてね」
「わ、わかりました。がんばります……」
周囲を見回して、なにか武器になるようなものはないか探す。
草の影に、錆びた斧が落ちているのを見つけた。
なんでこんなところに斧なんて……。冒険者とかが落としていったのかな?
でも、これなら武器になるかも。
私は錆びた斧を握って、インプの死角から忍び寄った。
まだインプには気づかれていない。背後に回り、斧を振りかぶった時だった。
「――っ!?」
ぐらりと体が傾いだ。
脚になにかーー…!?
倒れゆく視界の端に、自分の足が映る。膝のあたりが裂けて、赤黒い液体が漏れていた。
膝が…腐ってるぅ?!
こんな大事なときに、ゾンビの体のままならない事情が牙をむく。
インプが気配に気が付いたのか、こっちを振り返った。
ギザギザの歯を大きく開く。そしてその喉の奥に炎が見えた。口元に火花が散る。
―――やばっ…!
と思った瞬間、ヒュンッという音と共に、どこからともなくナイフが飛び、インプの炎を寸前でそらす。
「……えっ…!?」
「ごめんごめん、ちょっとだけ割り込んじゃった。火はだめでしょ、ゾンビには」
リュカさんが、木の枝の上からひょいっと飛び降りてくる。
「でも、トドメは君が。斧で一撃、いけるよ」
「……はい!」
勢いをつけて振り下ろす。
ゴンッ。
……。
インプは動かなくなった。
「倒せた、私……!」
心臓はない。でも確かに、何かが脈打った気がした。
「やるじゃん。ね、最初にしては、上出来だよ」
「ほんとに?」
「うん。僕、ちゃんと見てたよ。最初は不安そうだったけど、踏み込んだじゃん。勇気、出したね」
その言葉は、なぜか不思議と、すぅっと胸に染み込んできた。
―――
「で、このインプだけどーーちょっと来て」
近づくと、「座って」と言われる。
そばに座ると、リュカさんがインプの死体を目の前に置く。
……まさか、食べろとか言われるんじゃ…
「このインプに手をかざして、手のひらに意識を集中して」
「手の平?……こ、こう?」
言われるままに手をかざす。
「手の平に、何か感じる?」
言われたとおりにすると、なにか、もやもやした温かい空気の層のようなものを感じた。
「なんかあったかい…」
「それが魔力」
「……!…これが…」
「こっちにこいって、強く考えてみて」
言われたとおり、強く考えてみた。
「……目を閉じて、イメージして。指先から流れ込んで、手から肘に、肘から肩に、肩から心臓に魔力が流れるように」
温かい空気の層を意識しながら、イメージしてみた。手から、肘に。肘から、肩に。肩から、心臓に…。
そうすると、何かがゆっくりと流れ込んできた。
あったかい…。
流れ込んできた何かは、指先から全身に広がって、優しく体を包む。それからゆっくりと、体に馴染んでいった。
目を開けると、心なしか、視界がいつもよりクリアに感じる。
「今、ノアちゃんは魔力を吸収したんだよ」
「吸収?」
「そう。魔力を持った生き物が死ぬと、体から魔力が抜ける。そのとき、魔力は空気の中に霧散するけど、霧散する前にこうして体に取り込むこともできる」
「じゃあ、今のはインプの魔力が体に入ったってこと?」
「そう。魔族はこうして力を得るんだ。ノアちゃんの膝も……見てごらん」
さっき戦ったときに腐ってた膝を見てみると、驚くことに傷は塞がっていた。それに心なしか、青白くて紙粘土みたいに張りのなかった肌が、すこし元気になっている気がする。
「すごい……!治ってる!」
私が驚いていると、リュカさんは立ち上がり、目が合うとニヤッと笑った。
――
帰り道。
瓶詰めのスライムと斧を手にして歩く私に、リュカが言った。
「もう一人前じゃん。体は死んでて半人前だけど」
「…なんか言い方が…絶妙に嫌味…」
「でもさ、こうして動いて、考えて、成長していくなら、それは“生きてる”って思えない?」
「生きてる…」
私は考えて、それから両手を見た。左手に瓶詰めのスライム。右手に錆びた斧。
これは今日の、成長の証。
「……そうですね。私、死んでても、生きてる気がします」
リュカさんは、いつものように飄々と、でもちょっとだけ満足げに肩をすくめて言った。
「ならーーもう立派な魔族だね。ノアちゃん」