ゾンビ、庭園に入る
谷の底から吹き上げてくる風が、ヒュウ、と音を立てて私たちの足元をすり抜けていく。
ミシリ、と踏み出した跳ね橋が、木と鉄の軋む音を立てた。
つい反射的に足を止めてしまう。
跳ね橋って怖い。しかもここが、岩山の間の谷ってところも怖い。
「……落ちたりしないよね……」
「ノアちゃん、ちょっとだけ背中押してみてもいい?」
「絶対にやめて」
私は後ろからふざけてくるリュカさんに強い口調で言った。
だってこの橋、手すりもないのだ。跳ね橋を支える鎖だけ。
幅が広いけど、風に強くあおられでもしたら谷底に真っ逆さまだ。
足を滑らせないように、なんとか慎重に渡り切った私は、城の門の前でやっと顔を上げた。
そこで思わず、目を見開いた。
「わっ……!」
城の門の中には、美しい庭園が広がっていた。
これまで歩いてきた、岩ばかりの荒れ地の山とは似ても似つかない、春の楽園みたいな空間。
庭園には、オレンジ色の石が敷かれた真っ直ぐな小道があり、その両側には、丁寧に切り揃えられた低木が、迷路のような幾何学模様を描いている。そのところどころに、芸術的な白い石の彫像が立っていた。
庭の中央には丸い噴水があり、二段の水盆から水が静かに落ちていた。
その周囲には色とりどりの花壇。見たこともない可憐な異国の花々が、陽の光を浴びて咲き誇っていた。
「すごい……ここだけ別世界みたい」
私は、あたりを見回しながら庭園の小道に立った。
風に乗って、花の香りが漂ってくる。
「実際そうかもね」
とリュカさん。そして庭園を見渡しながら少しだけ目を細める。
「でも、油断は禁物だよ。ここはもう、ファウストの領域だから」
ベルも「そうね」と頷く。
「幻惑魔法は、吸血鬼の得意分野よ。見えてるものが本物かどうか、疑ってかかった方がいいわ」
私は頷き、気持ちを引き締めた。
小道を進んで噴水の近くまで来たとき、私はふいに噴水の柱に何かが埋め込まれていることに気が付いた。それは、白い石板だった。水に濡れて、少し苔のようなものがこびりついているが、そこに書かれた文字は、はっきりと読むことができた。
――「語りし者に目を奪われ、語らぬものに喉を裂かれよ」
読んだ瞬間、背筋がゾッとした。
「ね、ねぇみんな、なんか怖い文章が書いてあるよ……見て。噴水のところ」
特に後半。
いかにも襲ってきますと言われているみたいだと感じた。自然と、庭園に目が向く。
近くに立っていたのは、天使の石像。他にもパッと見で何体か石像がいる。
この庭園は、それなりに広い。
だけど、広さに対して、なんだか石像が多い気がする。
それはきっと、気のせいじゃない。うん。間違いない。
「石像、絶対動く気がします」
私はそう言った。
「……あからさまだよな」
サザも頷く。警戒するように周囲を見回した。
「そうね。城に入るまで、警戒しながら進みましょう」
ベルも真剣なトーンでそう言った。
私たちは、石像に囲まれた庭をじりじりと進んだ。
ひとつひとつの像を横目に見ながら、隙を突かれないように皆で身を寄せ合いながら。
石像は、両手をあげて笑う悪魔の像や、助けを求めるような人間の像、水瓶を持つ女性の像など、いろんなデザインがあった。
なめらかで精巧な石像は、きっと今にも顔をこちらに向けてーーギギギ、と動き出しそうでーー
でも何も起きなかった。
花の香りは変わらず穏やかで、噴水は静かに流れ、石像たちはどこまでも静かな、ただの石のままだった。
そして私たちは、何事もなく、城内へ続く扉の前に立った。
「何も起きないじゃない!」
ベルがむきぃっと怒る。
「え~?変だなぁ。絶対なんか動くと思ったのに~」
リュカさんは、まるで面白がるみたいに笑っている。
「くそっ、無駄にビビっちまったじゃねぇか……!」
サザが悪態をついて、はぁ、とため息をついた。
「ま、まあ。何も起きなくて良かったよね!」
私は肩をすくめながら、扉の取っ手に手を掛けた。そして、ぐっと引いたのだが。
「……あれっ?」
びくともしない。
「……開かない」
もう一度、ぐいっと引っ張ってみたけど、重くてまるで石の壁だった。
「開かない……っ!」
どうしても開かなかった。私がそう叫ぶと、サザが前に出てきた。
「貸せ。俺がやる」
ガシッと両手で扉を掴んで、ぐっと力を込める。
「……っ、開かねぇ……!」
「もしかしてさ~、ベタに押し戸だったりしない?」
リュカさんが冗談めかしていった。
サザが試しに押してみた。けど、
「押しても……っ!開かねぇっての!」
「えー、なんでー?」
ダメだった。
私たちは全員、扉の前で腕を組んで考え込んだ。
そのとき、
「……ねえ」
小さな声でベルが言った。
「もしかして、これが試練のひとつなんじゃない?」
私たちは一斉に彼女を見た。
「たとえば、鍵を探すとか、庭のどこかで何かをしないと、扉が開かないとか。……そういうの、ありそうじゃない?」
「おお~」
私とサザとリュカさんは、そろって感心の声を上げた。
「賢いなぁ、えらいえらい」
「さすがベルちゃん、いい子だね~」
「子ども扱いしないで!!」
ベルの顔がぱっと赤くなった。怒った顔も、なんだかんだで可愛い。
「じゃあ、いったん庭園に戻って、何か手がかりがないか探してみようか」
私の言葉に全員が頷いた。
―――
私たちは、いったん噴水の前に集まって相談したあと、念のために二人一組で手がかりを探すことになった。
「強さバランス的に、ノアちゃんは僕とペアかな」
リュカさんは、ひらひらと手を振りながら言った。
「ちょっと!ベルはサザと!?嫌だけど、仕方ないわね……あなた、ちゃんと私を守りなさいよ」
「お、おう……」
サザが、何とも言えない顔をしている。
ちょっと面白い。
そうして、私とリュカさんチーム、サザとベルチームに分かれて、庭園を調べ始めた。
「とりあえず、一番怪しいのは石像だよね。やっぱり」
そう言ってリュカさんが向かったのは、噴水近くの、祈るようなポーズをした天使の像。
羽のある女性が空を見上げて、胸の前で手を組んでいる。
近くで見るとその像は、昔、美術の授業で見た石膏像みたいに真っ白で精巧だった。
まつげや指の一本一本まで丁寧に彫られていて、思わず見とれてしまう。
「動いたら怖いけど……」
「だよね。動かないように、ノアちゃんも祈ってて」
私は天使と同じポーズをとって祈ったあと、こんなことしてる場合じゃ……と思って、視線をリュカさんに向けると、リュカさんは片手で口を押さえて、そっぽを向いて肩を震わせていた。なんかツボだったみたいだ。
「……いいから。早く手掛かりを探しますよっ」
ちょっと恥ずかしくなってそう言うと、リュカさんは「あ、はーい。……ンッ…クク…」と微妙に笑いながら探索を再開した。
「あ、見てくださいリュカさん!」
私はふいに、天使の足元に埋め込まれた白い石板を指さした。
文字が刻まれていた。
――“祈りは、自分のためだった”
「こーれは……意味深」
とリュカさん。
「なんかちょっと怖いですね……」
私が言うと、リュカさんは少し考える仕草をして、立ち上がった。
「でも、手掛かりっぽいよね。他の像にもこういうのあるかも。見て回ろう」
私たちはサザたちにも報告して、全員で庭中の像と石板を調べることにした。
そして集まった情報はーー
・祈る天使の像:「祈りは、自分のためだった」
・笑う悪魔の像:「笑う者が、裁くのか」
・涙を流す人魚の像:「忘れられることが、一番怖い」
・ほほ笑んで水瓶を持つ女性の像:「流れを止めたのは、誰」
・助けを求める人間の像(3体):「救いはまだ、我らのもとに」
・首のない英雄像:「誰も、名を呼ばなかった」
・英雄の隣に立つ子供の像(お盆を持っている):「全ての答えは、ここにある」
全員で噴水の前に集まり、像と石板の言葉を照らし合わせながら考えてみる。
「……子供の像が気になるわ」
ベルが言った。私も少し考えて、頷いた。
「たしかに……他の像は、言葉と像のイメージがなんとなくあってるけど、子供の像だけは違う」
私はそう言いながら思い返す。
子供の像の言葉は“全ての答えはここにある”
でも、ポーズはお盆を持って立っているだけ。
「つまり、“お盆が答え”ってことだよね」
リュカさんがにこっと笑う。
「……そうか。英雄か」
小さく呟いたサザに、全員の視線が向いた。
彼は腕を組んで、言葉を続けた。
「英雄の像には首がなかった。子供はその隣で、“答えはここにある”ってお盆を持ってる。……つまり、答えはーー“英雄の首をお盆に載せる”ってことじゃねぇか?」
「おお……!」
私は感嘆の声を上げた。
リュカさんも指を鳴らして「名推理!」とか言ってるし、ベルも腰に両手を当てて「やるじゃない」と満足そうだ。




