ゾンビ、悩む
私は焚火の前で、ゆっくりと口を開いた。
「この前、森で……冒険者に会ったんです。偶然だったんですけど」
焚火のぱちり、という音がやけに大きく響いた。
「会った途端、問答無用で剣を向けられて……戦うことになって……。レオットが来てくれたから、助かったけど……」
ふっと、あのとき眼前に迫った鋭い剣が頭をよぎる。迷いのない目。切り捨てることに、少しの疑問も持たない、魔物を見る目。
「そのとき思ったんです。……ああ、私って、もう人間じゃないんだって。普通の人から見たら、化け物なんだって」
膝の上に置いた手を、ぎゅっと握りしめた。
「この先、魔王軍にいるなら、魔族として人間と戦うときがきっと来る。でも……そのとき、ちゃんと戦えるのかなって。人を……殺せるのかなって考えちゃって、怖くなったんです」
言い終えると、焚火の音だけが、その場にあった。
誰も、すぐには何も言わなかった。
しばらくして、最初に口を開いたのはサザだった。
「……はぁ~……」
深く、長いため息。
「お前なぁ、向こうが殺す気で来てんだぜ。だったらこっちだってやらなきゃ、死ぬだろ」
サザは私を見て、呆れたような顔で言った。
「ほんとに殺されかけたら、そんな悠長に考えてる時間なんてねぇよ……」
そう言って、視線を焚火に向けた。
どこか遠くを見るような目をして、言葉を続ける。
「俺はさ……吸血鬼になってから、何度も人間にやられかけた。なんもしてねーのに、吸血鬼ってだけで。だから、やられるくらいなら、やってやるって思って……やった」
ちょっとだけ眉をしかめて、サザは続けた。
「そのあとは……まぁ、奴隷商とかクソな大人とか、わりとムカつく奴だったから、やったてのもあるけどな。今さら謝ったって、どうもならねぇし」
ぽつりぽつりと語られる言葉は、どれも重かった。けど、嘘のない言葉だった。
「サザらしいよね~」
焚火の向こうで、リュカさんが笑った。
「……ほっとけよ」
サザがむすっとして言うけれど、顔はあまり怒っていなかった。たぶん、こういうやりとりは、いつものことなんだろう。
リュカさんも、別段とがめる様子もなく笑っている。
私はというと、サザの話を聞いて考え込んでいた。
長年人間として暮らしてきた私の倫理観で言うと、魔族になったからとか、人間の敵だからという理由で人と戦うことを割り切れるってわけじゃない。
殺されるから、殺すしかないっていうのも、わかるけど、ピンとこない。
結局のところ、やっぱり怖いのだ。
取り返しのつかない罪を背負ってしまうことが。
けど、サザは違う。
生きていく中で、人と戦うことを選択した。
けれどそれを、ひどいとか、そんなの人間がすることじゃないとか、非難する気にはなれなかった。
苦しくてどうしようもなかったときに、耐えて死ぬことが人間として正しかったなんて言う気にはなれないし、それはあまりにも残酷に思えた。
人間の世界では、そうならないように法律があるけど、魔族の世界は違う。
人間から魔族になってしまった私は、なにを選べばいいのか、どう生きていくべきなのか、やっぱり答えが出なくて、俯いてしまう。
「……難しい。答えが出ないよ……」
私がそう言うと、また少しの間、沈黙が降りた。
リュカさんが、小さな枝をぽきんと折って、焚火にくべながらぽつりと呟いた。
「けっこう、みんな悩むんだよね。特に、人間から魔族になった人はさ」
私は、焚火に照らされたリュカさんの顔を見つめた。
「魔族は大抵実力主義だし、個人主義だからさ。あんまり気にしないんだけど……」
そう言いながら、リュカさんは肩をすくめる。
「そういうとこって、人間はちょっと面倒くさいよね~」
その言葉に、私は少しだけ眉をひそめて言い返した。
「そこが、人間のいいところなんですよ」
「えー?」
「それに、魔王城のみんなは違うじゃないですか。何かあったら助け合うし、そこは、人間と同じじゃないんですか?」
私の言葉に、リュカさんは、ちょっと考える仕草をした。
「うーん、どうかな~。いざとなったら、わかんないよ?だって、魔族だし」
「えぇ……」
私は思わず声を漏らしてしまった。
冗談だと思いたい……けど、ちょっとショックだった。
そんな私を見て、リュカさんは笑いながら言った。
「あーでも……アランは、ノアちゃんみたいに悩むかもね」
「……魔王が?」
横から、眉をよせてサザが聞き返す。
「あいつ、本当に変だからさ~」
リュカさんはサザにそう返し、楽しそうに笑った。
そして、ふいに何かを思いついたように、ぽんっと手を打った。
「あ、でもさ、僕もアランが死にかけたら、助けるかも」
「……へぇ?」
サザが不可解だという顔で首をかしげる。
リュカさんは、さらにハッとしたようにサザを見た。
「あ、これが、人間の価値観ってやつ?」
「わかんねぇよ」
サザがどうでもよさそうに答える。
私も、焚火を見つめながら考えた。
人間の価値観と、魔族の価値観。そして人間から魔族になったものと、魔族から見た人間の価値観……なんだか余計に、わからなくなってきた気がする。
「……なんだか余計に、わからなくなってきました」
私が気持ちのままにそうこぼすと、リュカさんは、「まぁ、ノアちゃんさ」と言いながら、焼けた魚をひとつ、枝の串ごと差し出してくる。
「魚、食べなよ。焼けたよ」
「あ……はい」
受け取って、少し冷ましながらかじると、皮はパリッと香ばしくて、中はふんわり。
「……これ、おいしいですね」
「でしょ?」
リュカさんが得意げに言う。その隣で、サザがぼそりと口を開いた。
「俺、こいつとよくここで組手してんだけどさ。なんかいつも焼き魚ばっか作るんだよ、こいつ」
「へぇ……」
「だって焼き魚おいしいじゃん?毎日これでいいよ。焼くだけだし、簡単だし」
「飽きるっつーの。しかも最近、スパイスとか言って変な味付けしてきやがるし……あれは激マズだった」
「え~、あれは新しい挑戦ってやつでさ~」
「二度とやんなよ」と話すサザに、「挑戦はやめない」と話すリュカさん。
「俺はぜってぇ食わねーからな」と文句を言いつつも、サザは結局食べる羽目になるんだろうな、と私は思った。
「ふふっ……」
思わず笑ってしまったとき、リュカさんとサザが、少し驚いたようにこっちを見た。
「……ん、どうかしました?」
「いや、別に。なんでもないよ」
リュカさんはにこにこと笑いながら首を振る。
サザも何も言わず、焚火のそばから焼き魚を手に取ると、黙って食べ始めた。
もう怒ってないみたいだった。
「ノアちゃん、こっちのも食べなよ。これもおいしいよ」
「えっ、いいですよ。まだあるし……リュカさんが食べてください」
「そう?じゃ、いただきまーす」
そう言って、リュカさんはそれをかじる……どころか、バリバリと、骨ごと豪快に食べはじめた。
骨まで食べるんだ、と思いつつ、私は自分の手元に視線を落とした。
焚火の優しい光と、温かさ。食べかけの焼き魚。
それを見つめていると、心の中に沈んでいた重たいものが、少しだけ軽くなった気がした。
「ノアちゃん、またここで一緒に魚食べようね」
顔をあげると、リュカさんがこっちを見て、ふっと目を細めて笑った。
「そしたらノアちゃん、また落ち込んでも平気でしょ?」
その言葉に、私は思わず目を見開いてしまった。
ゆっくりとその言葉の温かさが胸に広がっていく。
「また落ち込んだら、僕らとここで魚食べよ。何回でも、ね?」
「……うん」
私はただ、こくりと頷いた。
言葉がでなかった。それは、悲しいからじゃなくて、込み上げる温かい気持ちに胸がぎゅっと苦しくなったからだ。
答えの出ない悩みを抱えていても、それが自分にしか解決できないことだとしても、
悩んでいる私は決してひとりじゃないと、そう思えたから。
ふいに、焚火の炎が、夜風にあおられて小さく揺れた。
その横で、サザが何も言わず枝をひとつくべる。
ぱちり、と音を立てて火はゆっくりと燃え上がり、ふたたび周囲を明るく照らした。
私はその焚火の温かさを、ずっと覚えていようと思った。




