ゾンビ、夜に沈む
魔王城で最初の夜――
私は、自室のスライム布団の上に、ごろんと転がっていた。
壁には、青白く光るキノコがぼぅっと光を放っている。
どこか遠くで、うめき声のようなものが聞こえる気もするが、ここは魔王城なのだ。
小さなことは気にしてもしょうがない。
「……さむっ」
気温は関係ない。
でも、空気が肌をすり抜けていくたびに、生きていたときの感覚がすこしずつ剥がれ落ちていく気がした。
スライム布団は、案外ぷにぷにしていて悪くなかった。
けれどーー心は、やっぱりまだついてこない。
「…私、ほんとに死んじゃったんだなぁ」
声に出して言ってみても、誰も返してはくれない。
頭ではわかってた。
目が覚めたときから、自分の体がおかしいのも、元の世界には帰れないってことも。
でも、こうして一人になると、ようやく実感が胸の奥に染み込んできた。
――
青白い天井をぼんやりと見つめる。
そのうち思い出すのは、家族のことだ。
最後にお母さんと話したのは、いつだっただろう。
たぶんお正月。あまり長くいられなかった。
「ちゃんと寝てるの?」っていつも言われてたな。
忙しい時期だった。仕事もバタバタしてた。
「そんなゾンビみたいな顔して、心配よ」って言われて、そこまでひどくないって怒ったっけ。けど、今は本当にゾンビになっちゃたんだもんな。
あはは、ほんとに笑える。
「………ごめんね、お母さん…」
ぎゅっと目を瞑った。そうしないと、涙が、気持ちが、あふれてしまいそうだったから。
いや、もうすでに溢れてるかもしれない。
歯を食いしばって耐えた。
「…俺の分まで、食いしばれよ」
なぜか歯のないミイラ先輩の姿が浮かんで、すこし笑った。
すこしだけ、元気が出た。
壮太も、まだ大学生だった。あの子、きっとびっくりしただろうな。
まさか姉が突然死んで、しかもーー異世界のどこかでゾンビになってるなんて。
「…伝えられたらいいのにな。私は、まだ生きてるよって……」
こっちで、元気にやってるよって。
言葉にした瞬間、胸がぎゅっと締め付けられた。
鼓動はない。でも、心は、まだ動いてる。
生きたいって気持ちが、まだどこかに残ってる。
それが、私をここに繋ぎ止めているのかもしれない。
涙はでなかった。
ゾンビだからか、泣き方も忘れてしまったのかもしれない。
でも、静かな悲しみだけは、きちんとそこにあった。
「……ノア、起きてる?」
囁くような声が、ふいに聞こえた。
「…ん……」
返事をしながら、声のしたほうに視線を向けると、部屋の前に立つ赤いローブが見えた。
後ろ姿しか見えないけど、声の主は、ユエルだ。
静かで落ち着いた、優しい声。
「……どう?ちゃんと、眠れそう?」
「……まだ、ちょっと……難しいかも」
「そっか。でも、大丈夫。ここにいるみんなも、最初はそうだったから」
「……ありがとう」
返事はなかったけど、その気配はしばらく部屋の前に留まっていた。
まるで、「ここにいるよ」と伝えるように。
私は、そっと目を閉じた。
ゾンビは夢を見ない。眠っても、朝が来るだけ。
でもーー
「……おやすみ、お母さん。お父さん。壮太」
いつか、また会える日がくるかわからないけど。
そのとき、笑って「私、ゾンビだったんだよ」って言えるように。
ここでもう一度、生きてみよう。
そう、小さく心に誓った。