古の歴史
焚火のぱちり、という音が、やけに大きく響いた。
私たちは今、最初にいた焚火の前に座っている。
私と、ユエルと、サザとーーそれからオーガ。
四人で焚火を囲んでいる……という状況自体がすでに信じがたい。
私は白いマットレスに腰掛け、そしてオーガは、すぐ隣の地面座っていた。
……オーガが隣にいる。
そう思うと、やっぱり体はこわばって、膝を抱えるみたいにしてうずくまってしまっていた。
神の使いで、雪と氷を従える神秘的な存在。
森で死体を引きずり、人を襲う怪物。
生贄を求め、あだなす者を罰する恐怖の使者。
そしてーーついさっき、光る水晶のもとで見た、穏やかで素朴な生き物。
頭の中で、いろんなイメージがぐるぐると回っていて、まだ色々と整理がつかない。
ちら、と隣を見やる。
オーガがじっとこっちを見ていた。
目が合った瞬間、びくりと肩が跳ねる。
「……怖がらんで、ええだよ」
おそるおそると言った様子で口を開いたオーガは、低く、でも優しげな声でそう言った。
なんだろう。
見た目は確かに大きくて、怖いんだけど……
声には優しさがこもっていた。
「ノア。オーガたちはね、普通に暮らしていただけだったんだ」
ユエルが、私に向かって静かに言った。
「でも、そこにいろんな歪みが入り込んできた。誤解とか、恐怖とか、噂とか、あるいは……信仰とか」
私は、そっと目を伏せた。
オーガの話をするいろんな人の顔がふいに浮かんだ。
怯える炭焼き小屋の男、恐ろしい噂を聞いたと話す鍛冶職人、神の使いと話す道具屋のおばあさん。
「ねぇ、もう一度、話してくれない?」
ユエルが今度はオーガの方を見ていった。
「僕とサザに教えてくれた、君たちの今までの歴史の話を。ノアにも聞いてほしいんだ。君たちの本当のことを」
オーガは、ゆっくりと頷いた。
「おらたちの、昔の話だど。ながぁい、ながぁい、大昔の話だど」
そう言ってオーガは語り始めた。
―――
それは、太古の昔の話だった。
オーガたちは昔――それこそ、スロンダルの街が影も形もなくて、今はない湖がそのあたりにあった時代に、その湖のほとりで平和に暮らしていた。
けれど、人が住むようになり、オーガを見た人々が、その姿からオーガをとても怖がったので、
オーガは人を脅かさないように、山に棲むようになった。
けれど、時代が流れると、今度は山に人が入るようになった。
オーガは、人と話ができれば、人は自分たちを怖がらずに関わってくれるのではないかと考えた。
けれど、やはり人はオーガの姿を見て、とても怖がった。
声をかけようとすれば、恐ろしいと叫んで走り去ってしまう。
ならば、言葉の代わりに、木の実や魚を人間に贈ってみた。すると人間は地に伏して感謝し、
そして、オーガのことを“森の恵みをもたらしてくれる山の神様の使い”だと言って、オーガを崇め讃えた。
「おらたちは、ただ、ふつうに話をしたかっただけなのに…」そう呟くオーガの目は、哀しげだった。
オーガたちは、もう交流を諦めて、出来るだけ人の目につかないところで暮らそうと
氷に閉ざされた洞窟で暮らすことにした。
けれど、氷の山は食べられるものも少なかったので、ときどき山から下りて、魚や木の実をとることがあった。
やはり人は、遭遇すると叫んで走り去ってしまう。
呼び止めようとしても、話は聞いてくれない。オーガは仕方なく氷の洞窟にトボトボと戻るしかなかった。
そんな誤解された関係が続いたある日のこと。
オーガたちがよく散歩に行く丘に、人間がなにか祭壇のようなものを作り始めた。
そしてある日そこに、殺された人間の死体と、血の入った杯が置いてあったらしい。
オーガは訳が分からず、なぜこんなひどいことをと思い、持ち帰って丁重に埋葬したらしい。
けれど、また死体が置いてある。何度か埋葬していたが、それでもむごたらしい死体が置かれることは終わらない。オーガたちは怖くなり、その死体を、街に返すようにした。
そのままだと、野性の獣や魔物に食い散らかされてしまうかもしれないから、
人間が死者を埋葬するときに作る石棺をまねて、氷で石棺をつくり、それに入れて返した。
だが、丘に死体が置かれることは続いた。
オーガたちは頭を抱え、困り果てていたところに、ユエルたちがやってきたのだと言う。
「……というわけだったど」
オーガは話を終え、少し疲れたように、肩を落とした。
「……え?狂信者は?」
オーガの話がひと段落したところで、私は思わずそう口にしていた。
だって、オーガの歴史の中に、一度も登場しなかった。
私の言葉に対し、オーガは
「なんだべ?」
と、心当たりがないといった様子で首を傾げる。
「……じゃあ、山の神様への生贄は?」
「やまの……かみさま…?」
オーガは首を傾げる。
「……人を攫って、食べたりとか」
「こわいど。おらたちが食べるのは、パンケーキだど」
私の言葉に、少し怯えながらも、そう答えるオーガは嘘を言っている様子など微塵も無かった。
私は考え込んだ。
じゃあ、私が見てきたあの出来事は……
街の失踪事件。
氷漬けで殺された死体。
死体を引きずる恐ろしい怪物の存在。
そしてーー儀式の丘での、狂信者の狂気。
……全部、人間の勝手な思い込みだったってこと!?
「…………」
あまりの衝撃に、言葉が出ない。
しばらく焚火を見つめながら、その事実をなんとか飲み込んだ。
ふーっと息を吐いて、ユエルを見た。
「……わかった。わかったよ。オーガは恐ろしい怪物なんかじゃなかった」
そう言うと、ユエルはうん、と頷いた。
でも、それが分かった今だから、やらなきゃいけないことがある。
「だったら、やっぱり止めなきゃ。狂信者たちを」
私はオーガを見上げて言った。
「丘に死体を置いた犯人ーー彼らは、今でも“オーガが山の神様の使いで、生贄を捧げることを望んでいる”と思い込んでるの。だから、お願い。貴方たちが、“そんなことは違う”って直接言ってくれたら、きっと狂信者を止められると思う」
オーガは驚いたように目を見開いた。
けれど次の瞬間、俯いてごにょごにょと呟いた。
「でもな……おらたちの掟で、人間に関わることは禁じられているんだど……」
「えっ、そんな……!」
「だで、長老様の許しが無いと……」
「長老……?」
オーガの集落には、そんな存在がいるのかと思ったときだった。
「――話は、聞かせてもらったのじゃ」
どこからか、しわがれた老人のような声が響いた。
驚いて、咄嗟に、周囲を見回す。
……まさか、上?それとも奥の洞窟から?岩の陰?
そしてふいに、自分が腰掛けている、もふもふマットレスに視線を落とした。
「……わしじゃよ」
マットレスがーー喋った!
驚く私のそばで、マットレスがゆっくりと起き上がり始める。
「ひゃああっ!」
私は慌てて飛び退いた。
「お騒がせしてすまんの……。怪我がひどかったからのう。わしはよい布団になったかの?」
そう言って、もふもふマットレスことオーガの長老は、ゆっくりと立ち上がった。
大きく、そして何より他のオーガと比べて、圧倒的な毛の量だ。
本来顔があるであろう場所も白い毛に埋もれており、話をすると、わずかにそのあたりが、もすもすと動いた。
「長老!」
オーガが、声を上げて立ち上がりかける。
それを制し、オーガの長老は、「どっこいしょ」と改めて焚火の前にゆっくりと腰を下ろした。
毛がわさわさと揺れていた。
「わしが、この集落の長じゃ。皆には長老と呼ばれておる。おぬし……ノアと言ったか」
「は、はいっ!」
思わず、背筋が伸びる。
「わしらは、もう永いこと、人との関りを絶ってきた。それはの、幾度も……幾度もすれ違い、“人とオーガはわかりあえぬ”と諦めたからじゃ」
長老の声には、オーガたちの歴史の重みがあった。
「本来ならば、人のことなど、口出しすべきでない。だが……哀れな人の犠牲が出るのは、わしも不憫に思う。じゃから、それを助けることを許そう」
「……!」
長老の言葉に、私はぱっと希望が胸に広がるのを感じた。
長老は、焚火の前に座るオーガの方を向き、言葉を続けた。
「お前がついて行ってやるのじゃ」
「だども、長老……」
オーガは不安そうに声を上げる。
けれど、長老は頷いた。
「不安に思うことはない。この者らもおる。ここでこうして会ったことも、きっとなにかの縁じゃろう」
私は、胸がじんわり温かくなるのを感じた。
このもふもふおじいちゃん……優しすぎる。
長老は私たちを見回した後、少し沈んだ声で、ぽつりとこぼした。
「しかし、悲しいものじゃの……。わしらは、ただ慎ましく暮らせれば、それでよかった。それだけなのに、のぅ……」
その言葉に、何とも言えない感情が込み上げて、胸が苦しくなった。
「……じゃあ、魔王城にくる?」
そこでユエルが唐突に口を開いた。
「静かに暮らしたいなら、魔王城はけっこう穴場だよ」
ユエル……!
まさかこのタイミングでオーガを勧誘……!?
私は、ユエルの抜け目なさに、唖然としていた。
ユエルはいつもの穏やかな顔で、言葉を続ける。
「地下だけど、ここよりは食べ物もあって暮らしやすいし、今は沼地に拠点があるから、森に住んでもいい。ほかの魔族もいるけど、みんなで仲良く暮らしてるんだ」
サザは苦笑交じりに言った。
「まぁ、変な奴は多いけどな」
「それは否定しない」とユエル。
長老は、少し驚いたように「魔王じゃと……?」と呟いた。
「うん。そもそも僕たちがここに来たのは、それを提案するつもりだったんだ」
とユエル。
「魔王アランは、魔族たちが自由に暮らすために、仲間を集めてるんだ。だからオーガとも、手を取り合いたい」
「ふむ……」
長老は考え込むように、顔の下の長い毛を撫でた。
それからしばらくして口を開いた。
「わしらは、ここに永いこと棲んできた。じゃが……過酷な環境の中で仲間は減り続け、ここにいる者たちしか、もう残ってはおらぬ。おぬしらがここにこうして現れたのも、きっとなにかの運命かもしれぬ……生き方を、変えるべきときが、来てしまったのかもしれぬな……」
しんみりと呟いたその言葉は、長年の故郷と別れることへの寂しさが、わずかに感じられた。
「わしから、皆に話してみよう」
「うん。お願い」
ユエルが頷いて穏やかにほほ笑んだ。
話がまとまったところで、私は、立ち上がった。
そして、皆を見回して言った。
「じゃあ、そろそろエルティアナを助けに行こう!」
けれどそれに、ユエルが少し考えるような顔をした。
「ノア、その狂信者のアジトの場所はわかるの?」
「えっと……」
詳しい場所と言われたら、わからない。
崖の上が儀式の丘で、そこの周辺だとは思うが、なんせ儀式の丘に向かうときは道を覚えている余裕なんてなかった。
「崖の近くだとは思うんだけど……」
「じゃあ、直接儀式の丘に行って、待ち伏せよう。あの場所には狂信者が必ず来るはずだ。満月の昇るころに生贄の儀式をするために。そこをおさえよう」
私は少し考えて、頷いた。
「うん。わかった」
本当は一刻も早く助けに行きたいが、狂信者に変に警戒されて、どこかに隠れられても面倒だ。
決戦は満月の昇るころ。
私たちはオーガと共に儀式の丘で、狂信者を迎え撃つことにした。




