続・魔王城の歩き方
農場のある下層から食堂のあるところまで戻ってきたが、ずいぶん歩いた。
ゾンビの体は疲労をあまり感じないように思う。いや、疲労はしているのかもしれないが、よくわからない。最初は重いと思っていた体も、不思議と平気になってきた。
これが、ユエルの言っていた“体が馴染む”ということなのだろうか。
複雑だが、体が重いままで過ごすよりはずっと良い。
機嫌よく先を歩くリュカは、軽い足取りだ。リュカは魔族だと思うが、体力は人間と違うのだろうか。それとも、リュカが特別なのだろうか。
暗殺者のような恰好をしているから、体力がすごくあるのかもしれない。
「んー?どうかした?背中になんかついてる?」
振り向いてないのに、リュカがそう言った。
私の視線に気が付いたのだろうか。
「あ、えと…疲れないのかなぁと思って…」
「このくらいはヘーキ。たいして魔力も使ってないしね~」
「魔力?体力じゃなくてですか?」
「うん。魔力が切れなければ全然ヘーキ」
そういうものなのだろうか。
でも考えてみれば、自分のゾンビの体だって、心臓の鼓動も、呼吸さえも必要としていない。だったら、それ以外の魔力というものによって動いているのかもしれない。
魔法があるこの異世界では、きっと命や生命活動に魔力というものが大きく関わっているのだろう。先に見た、野犬の狼男への契約魔法だって、魔力の増幅によって起きていた。
とすればーー…
「こんにちは」
急に声をかけられてハッとした。
見ると、可愛らしい銀髪の人形が足元にいた。
大きな赤紫のリボンを付けた30センチくらいの、ドールの女の子だ。じっと、こちらを見つめている。
この人形に声をかけられたのだろうか。
「こんにちは…?」
「……あなた、あったかい匂いがしますね。……すてきです」
「え?え?私、食べられる?」
「冗談です。私は人を食べません。今は」
人形の少女はクスクスと笑いながら、回廊の奥に消えていった。
「新人か?」
続いて、ミイラっぽい見た目の男が包帯の奥から咳をしながら近くを通りかかる。
「あ、はいっ…」
「がんばれよ。歯ァ食いしばってな…」
「ありがとうございます……って歯がないじゃないですか先輩!?」
「フ……俺の分まで、食いしばれよ」
ミイラ先輩はニヒルに笑いながら背を丸めて歩いて行った。
「いろんな人がいるんですね…」
「そーゆーもんだよ」
そーゆーもん。
魔族って不思議だ。
個性があって、感情があって、心臓は動いていないのに、生きている。
彼らに対する先入観が、この短時間でずいぶんと変わった。
「ところで、もうすぐ着くよ」
暗い坂道を上がりながらリュカが唐突に言った。
「もうすぐ?今度はなんの施設なんですか?」
「君の部屋」
「え!」
驚いた。
「部屋って…私の部屋があるんですか?」
「うん。一応君、異世界人だし、もう僕たちの仲間だからね」
仲間。
その一言が、やけに心に響いた。
私は死んでいて、異世界人で、見た目もゾンビなのに、ここでは仲間って言ってくれる人がいるんだ…。
「ありがとう…」
「いいって。ーーさぁ、着いたよ」
少し胸が温かくなりながら私は顔を上げた。
――その瞬間、感動は跡形もなく吹き飛んだ。
「……えっ、洞穴?」
そこにあったのは、まごうことなき地面をくり抜いたタイプの、ガチの洞穴式住居。
しかも照明と呼べるものは、壁の一角にポツンと生えている光るキノコがひとつだけ。
「気に入った?体が傷まないようにスライムの布団も敷いておいたよ」
見ると、緑色の四角くのされたスライムが敷いてあった。心なしかぷるぷると震えていて、生命の鼓動を感じる気がする。
「スライムの布団…」
呟いて、そっと手を置いてみると、ひんやりしていて、ぷにぷにしていて…なんだろう、意外と気持ちいい。
「……ちょっと好きかも、これ……」
「よかった。偉くなったら、もっといい部屋もらえるから頑張ってね!」
「ありがとう…ってなんか!なんか!!」
言いたいことはいろいろあったが、ゾンビの小さな脳みそでは考えがまとまらない。
頭を抱えて座り込んだ。
「案内はざっとこんなもんだよ。まだ説明できてない施設もあるけど、今日はもう疲れたんじゃない?」
「…う~…うん。疲れた、かも…」
疲れたかと言われたら、そうかもしれない。
転生して、ゾンビになって、魔王軍の一員になって…
魔王城には食堂があって、農場があって、ミイラ男や人形の女の子がいて…
キャパオーバーだ。
たしかに、疲れたというのかもしれない。
スライムの布団に座り込んだ私の頭を、リュカがポンポンとなでた。
「今日はもう寝なよ」
「眠れるかな…いろいろありすぎて、変な夢とか見そうで…」
「ゾンビは、夢を見ないよ」
「…そうなの?」
「うん」
そうなのか。知らないことばっかりだ。
じゃあ、寝たら一瞬で朝になるのかな……。
「おやすみ、ノア。いい夜を、ね」
リュカはそういって踵を返すと、居住区に続く道を音もなく降りて行った。