忍び寄る影
日が傾き、産業地区の空が煤と夕日で赤黒く染まり始めた。
私たちは聞き込み調査を切り上げ、一度宿に戻ることにした。
石畳の通りを歩きながら、ユエルが調査の結果をまとめてくれる。
「まず、街ではここ何か月か、未婚の女性の行方不明事件が起きてる」
「うん」
「被害者のうち何人かは、氷漬けの死体で見つかった。それが、オーガの仕業だって言われてる」
「うん……」
「さらに、森の中で人間の死体を引きずる白い怪物を見たって証言もあった」
私は頷きながら、歩幅を合わせて歩く。
「目撃された場所は、街の西側の製材所裏から続く山道……つまり、あのあたりがオーガの縄張りってことだね」
ユエルは静かに結論を口にした。
「オーガの集落も、その山道の先にあるのかもしれない」
オーガの集落。
もしかしたら私たちは、そこで凄惨な光景を目の当たりにするのかもしれない。
けれど、目をそらすわけにはいかない。
「集落には、いつ向かうつもりなんだ?」
と、サザ。
ユエルが、すこし眉をひそめて言った。
「……できるだけ早く。街にはスローンも、まだたくさんいるしね」
「俺は今からでもいいぜ」
本気で?!
一日中歩き回ったと言うのに、サザは体力がある。
「暗視もあるし。お前らは?」
「私も、見えなくはないけど……でも、夜に行くの?」
「あん?怖いのかよ?」
「それは……」
正直言うと怖い。
恐怖に負けちゃだめだとは思うけど、怖いものは怖い。
ユエルが、落ち着いた声で話す。
「サザ、出発は明け方にしよう。オーガとは戦うことになるかもしれないし、体は休めておいた方がいい」
ユエルの言葉に、サザは肩をすくめて、「わかったよ」と頷く。
ちょっとホッとした。
そんなことを話している間に、もう宿屋街についていた。
だが、なにやら人だかりができている。しかも、丁度私たちが泊まっている宿の前あたりだ。
人だかりの後ろから、背伸びをして様子を伺うとーー
「……シカだ」
ユエルが緊張した声で囁く。
だが、シカは私たちを探しに来たというわけではないようだった。
シカの前には、ボロボロのコートを着た浮浪者の男がいた。
怒ったような目で、シカを睨みつけている。
「……どうやら、トラブルみたいだね」
ユエルが小声で呟く。
人々のひそひそ声が、耳に入ってきた。
「シカが、あの浮浪者に食べ物を施そうとしたらしいわよ」
「でも、拒否して……碗を投げつけたみたいだ」
私は驚いて、もう一度、浮浪者の男を見た。
男は怒りで顔を真っ赤にしながら、震える指でシカを指さして叫んだ。
「お前らだ!お前らが、私たちの神様の土地に勝手に入り込んだから……!山の神様が怒ってるんだ!天候が荒れるのもお前たちのせいだ!……この、異教徒め!」
民衆がおびえたように身をすくませ、ざわざわと騒ぎ出す。
シカも、男の怒りに身をすくませ、どうしていいかわからないと言う風に、声を掛けあぐねている。
「おいあんた、よさないか」
そこに、ひとりの冒険者らしき男が割って入った。
おそらく、このあたりの宿に泊まっていた人だろう。
「教会の人は、優しく助けてくれようとしただけだろ。そんなに怒るなよ」
冒険者は、なだめるように男に手を伸ばした。
しかし、浮浪者はその手をバシッと振り払う。
「……よそ者にはわからない!」
怒鳴り声をあげると、男は産業地区の方に走り去っていってしまった。
その背中は小さく、寒そうだった。
白い法衣のシカたちも、顔をこわばらせたまま、そそくさとその場を離れていく。
空気がひどく気まずくなった。
そんな中、さっきの冒険者が肩をすくめながら苦笑した。
「……余計なことしちまったな」
すると、近くにいた街の女の人が冒険者にそっと言った。
「気にしないで。あの人、仕事をなくしたのを教会のせいにしてるだけなの。天気が悪いことも教会には関係ないのに、誰かを責めなきゃやりきれないのよ」
女の人はどこか寂しそうな目をして、浮浪者が去った方を見つめていた。
やがて、集まっていた民衆も解散し、宿の前には、日暮れの冷たい風だけが残っていた。
「……戻ろっか」
ユエルの言葉に頷き、私たちは宿に向かって歩き出した。
と、そのときだった。
「……あれ?」
私の足元に、何かが落ちているのが見えた。
かがんで拾い上げると、それは首飾りだった。
革ひもに、小さな長方形の木片がひとつ。その木片には、三角形の模様が彫られていた。
さっきここにいた誰かが、落としていったのかな……?
「なに?それ?」
ユエルがひょこっと横から顔を出す。
「首飾りみたい。誰かが落としていったのかも」
「さっきここにいた誰かのかな?」
とユエル。
「とりあえず、宿の人に預かってもらう?」
「うん」
私は頷いた。
宿に入り、酒場のカウンターから宿の主人を呼んで事情を話すと、
宿の主人はちょっと面倒くさそうにしながらも
「はいはい、預かっとくよ」
と、ぶっきらぼうに首飾りを受け取ってくれた。
なんだかちょっとホッとした。
―――
その夜。
酒場で簡単な食事を終えた私たちは、部屋に戻り、明日の行動予定を話していた。
「明け方に出発したいから、今日は早めに寝て、体を休めよう」
「うん!」
「あー…けっこう疲れたな」
そう言ってサザは伸びをしながら、ベッドに仰向けに寝転がった。
私もベッドに腰掛けて、ふぅ、と息をついた。ちゃんと帰って休む場所があるのは嬉しいものだ。
この宿に泊まるのも2泊目だけど、ぺったんこのベッドにも少しだけ愛着が湧いていた。
明日からは、山登りだ。
オーガの集落。どんな場所なんだろう。
何体もオーガがいるのだろうか。
無力なゾンビは、ちゃんと話ができるだろうか。
不安が胸をよぎるが、私は一人じゃない。
ベッドの枕の位置をもそもそと確認しているユエルも、すでに毛布をかぶって寝る体制に入っているサザも一緒だ。
きっとやれるーーそう決意を新たにしたときだった。
コンコン、と部屋の扉がノックされた。
はーい、と返事をしながら扉を開けると、宿の主人が立っていた。
「夜にすまんね」
「どうしたんですか?」
「いやぁ、首飾りを落としたって人が来てさ、拾ってくれた人にどうしても礼が言いたいって。……けどそいつ、さっきの浮浪者なんだよ」
「え!」
宿の主人は、困ったよう頭に手を当てながらに言葉を続ける。
「あんな身なりのやつだろ?そんなんいいよって、断ろうとしたんだが、どうしてもって言われてな。一応こうして伝えに来たが……嫌なら俺が追い払っておくが、どうする?」
「えっと……」
「やめときなよ、ノア、危ないよ」
後ろから、ユエルが言う。
たしかに、その通りだ。その通りだけど。
産業地区の方に走っていく小さな背中を、どうしても忘れられなかった。
「私、ちょっと行ってくるよ」
「……本気かよ」
寝ていたと思っていたサザが、寝返りを打つようにごろんとこっちを向き、毛布の間から顔を出した。
「うん。すぐ戻るから、大丈夫」
そう言って、それから言い訳のように呟いた。
「……よそ者がみんな、敵ばかりじゃないって思ってくれるかもしれないし」
そう言うと、サザは「うげっ」という顔をし、ユエルは「むー」と考えこむような顔をしたけど「何かあったら、すぐ叫んだりして知らせてね」と条件をつけて了承してくれた。
私は頷き、部屋を出た。
―――
宿の外に出ると、あたりはもうすっかり暗かった。
冷たい風が、耳元をかすめる。
どこにいるんだろう……
きょろきょろしていると、建物の陰から、ひょいっと顔を出した人影があった。
さっきの浮浪者の男だった。
暗がりから手招きし、そして首から下げたさっきの首飾りを見せてくれた。
「……すまんな。拾ってくれて、ありがとう。これ、大事なもんなんだ……」
男は顔を伏せて、消え入りそうな声で言った。
シカと言い争っていたときは殺気立っていたけど、こうしてみると普通の人だ。
なんだかそれだけで、少しホッとする。
「いえ、無事に手元に返せてよかったです」
私がほほ笑んでそう言うと、男はおずおずと手を差し出してきた。
「これは少ない礼だけど……受け取ってくれ」
「え、お礼なんて」
「気持ちなんだ。ほんと、大したもんじゃない」
「えっと、それじゃ……」
私がおずおずと手を伸ばした、その瞬間。
「っ?!」
ガバッと、私を取り押さえるように、後ろから無数の手が伸びてきた。
声を上げる間もなく、煤臭い布が口に押し込まれる。
必死に腕を振り、声を上げようとする私に、
なにかごわごわした麻袋のようなものがかぶせられた。
そして、あっという間に担ぎ上げられる。
ユエル……サザ……!
心の中で叫んでも、その言葉はどこにも届くことはなかった。




