ゾンビ、裏路地を行く
宿に戻る途中のことだった。
「……こっち」
ユエルが急に立ち止まり、小さくそう言って細い路地へと身をひそめるように入っていった。
「ユエル?どうしたの?」
その背中を追いかけながら、私は小声で問いかける。
ユエルは立ち止まって、大通りの方をちらと振り返った。
そして、普段は穏やかな目が、ほんの少し鋭くなった。
「……スローンがいた」
その一言で、私の背筋がすぅっと冷たくなる。
「スローンってたしか……教会の、魔族を狩る人だよね?」
「そう。だから見つかったら、さすがにまずい」
私はそっと振り返って大通りを見た。
スローンの姿は見えなかったが、代わりに、どこかに向かって走る人々の、興奮したように話す声が聞こえてきた。
「教会の広場で、パレードが始まるって!」
「王都から聖女様もいらっしゃってるらしいわよ!」
「聖女様ってどんな方なのかしら?」
「急いで!いい場所がなくなっちゃう」
その声を聞いていたユエルが、眉をひそめる。
「王都から、聖女が来てる……まずいね」
「聖女って、教会の人?」
私の疑問にユエルが頷く。
「うん。スローンたちの、さらに上にいる人だよ。どんな人かは僕もよく知らないけど。聖女が来てるなら、スローンも大勢いるだろうね」
この世界に、聖女っているんだ…と思いつつも、魔族の敵であることは間違いないだろうと思った。
スローンの存在も恐ろしい。
無力なゾンビの私は、今なら一撃で塵にされてしまうかもしれない。
「このまま裏路地を抜けて、迂回しよう。宿屋街なら、スローンもそんなにいないと思う。隠れられそうな宿を探そう」
「うん、わかった」
「……チッ、めんどくせぇ事になったな」
私たちは、スローンに見つからないように警戒しながら、裏路地を進むことにした。
―――
「すごく入り組んでるね」
「おい……ここ、本当に大丈夫なのか?」
サザが不機嫌そうに唸る。
その気持ち、ちょっとわかる。
私たちが進んでいる裏路地は、産業地区の中を通っていた。
入り組んだ道はまるで迷路のようで、しかも建物が近すぎて空がほとんど見えない。
「ここは職人たちの鍛冶場なんだけど、あんまり治安はよくない。変な人に絡まれる前に、さっさと抜けよう」
ユエルが少し眉をひそめながら言った。
周りには、ごつごつとした石造りの工房が立ち並び、あちこちの作業場で「カーン!カーン!」と剣を叩くハンマーの音が響いている。煙突から吐き出された煤が舞い、あたりは蒸し暑く、空気はなんだか灰色だ。服に煤が付いたような気がして、私はそっと手で払った。
ふと見上げると、頭上にロープが渡してあって、そこに何か……たぶん作業着かぼろ布みたいなものが、ぶら下がっていた。洗濯物…?なんでこんなに汚い布を干す必要が……?
知らないことばかりだ。
と、上を向いていたら、路地の角からモフッと噴き出した粉塵にモロに突っ込んでしまった。
「わっ!すごく埃っぽい……!」
ゲホゲホと咳をしながら立ち止まると、視界の隅に、積み上げられた木箱が目に入った。その間で、誰かが寝ている?
「……あれって…」
まさか死体!?と青ざめる私に、
「浮浪者だな」
とサザ。
「と見せかけて、強盗ってこともあるから近づくなよ」
「ひゃっ……」
私は反射的にユエルのローブの裾を掴んだ。
「そんなに心配しなくても、大丈夫。けど……」
ユエルが視線を前に戻して、低く呟く。
「やっぱり早く抜けよう」
―――
いくつかの曲がり角を抜けて、ようやく明かりが差す通りへと出たとき、私たちは大きく息を吐いた。
「やっと……!」
「もう、ぜってぇ、二度と通らねぇ」
サザが、ぶんぶんとマントをはたきながら毒づいている。
どうやら煤が結構ついてしまったらしい。
私は私で、なんだか髪の毛がしっとりしたような、重たいような……うう、魔王城にもどったらしっかり洗わせてもらおう。
そんなこんなで、ようやくたどり着いたのは、冒険者用の宿が並ぶ一角だった。
いくつかある宿の中でも、目立たない場所にある安い宿を選んだ。
石と木で出来た山小屋のような外観に、小さな看板が掛けられている。中に入ると、下の階は食堂兼酒場で、今はまだ夕食には早いせいか、人影はまばらだった。
「二階の部屋を三人でひとつ、お願いします」
ユエルが、宿屋の主人にお願いして鍵をもらう。
ギィギィと軋む階段を上って案内された部屋は、とってもシンプルだった。
年季を…いや歴史を感じさせる木の床と壁。角には小さな薪ストーブが備え付けられていて、テーブルとイスがひとつ、そしてベッドが三つ並んでいる。
「ぺったんこ……」
「スライム布団のほうがまだマシかもな……」
サザと私は、じっとベッドを眺めて、そう呟いた。
どちらともなく、ふわふわのベッドに寝られるかもと思っていたように感じる。
でも今は、そんなことを気にしている場合じゃない。無事にたどり着いたことだけで、十分にありがたいのだから。
「さて、これからのことを話そう」
ユエルがイスに腰掛けて言った。
私とサザも、それぞれぺったんこのベッドに腰をおろして、頷く。
「ほんとは、ゆっくり街の人にオーガの噂を聞いて回るつもりだったんだ」
イスに腰掛けたユエルは少し落胆したように言う。
「でも、教会の聖女が来てる今は、状況が変わった。街での調査は一刻も早く切り上げなくちゃならない。スローンたちに見つかるリスクも増えるからね」
だな、とサザが頷く。
「スローンの連中は、魔族狩りにも慣れてる。俺たちの変装も、見破られるかもしれねー」
その言葉にユエルが頷く。
「うん。だから、スローンとの遭遇は絶対に避けよう。教会にも近づかない。もし遭遇したら、戦わずに絶対に逃げて。特にノアは」
「わかった」
私は頷く。
魔力封じの紐を巻いてしまったことが本当に悔やまれた。
緊張感を忘れて、遊び気分で屋台に行ってしまったために…と思い出しかけたところで、屋台のおばあさんにオーガの話を聞いたことを思い出した。
「ねえ、今日、屋台のおばあさんから、オーガの事を聞いたんだけどーー」
私は二人に、オーガが神の使いと呼ばれていることについて話した。
「オーガが山の神の使い……」
話を聞いたユエルは、うーんと考え込むように唸る。
唸っている横で、サザが「雪を降らせるって、本気かよ…」と呟いた。
その言葉に、私も頷く。
「だよね?雪崩を起こすとか…。そんな強い魔族が、私たちの話、聞いてくれるのかな……?」
「問答無用で戦いになるかもな」
とサザ。
ええ…それは困る。そうなったら無力なゾンビはお手上げだ。
「それなんだけど……天候を魔法で動かすのって、さすがに無理だと思う」
「そうなの?」
私が問い返すと、ユエルが頷く。
「天気って、ただの水や空気の話じゃないから。広範囲の魔力干渉が必要だし、そもそも自然の力って“法則”みたいなものに支配されてて……えーっと、つまり、超・難しい。人間よりはるかに魔力に秀でた魔族だとしても、ほぼ無理だと思うよ」
「ほぼ……?」
「例外がいないとは、言わないけどね?」
ええ……?誰のこと言ってるの?アラン様?
それとも、オーガが太古の魔族だから、そうは言い切れないってこと?
ユエルはたまに、すごく意味深なことを言う。
「オーガなぁ…」
サザが、肘をついてベッドに横になりながら続ける。
「考えてもわかんねーこと、考えてもしかたねーだろ。まずはオーガに会ってからだろ」
「う……それもそうだけど…」
「ゾンビのくせに、怖がってんじゃねぇよ…」
「ゾンビでも怖いものは怖いよ……」
そんな私に、サザが呆れたようにため息をつく。
「アランの話を思い出してたんだけど」
ユエルが言葉を続けた。
「目撃者がいたって言ってたよね。だから、まずはやっぱり、住人に聞き込みをするのがいいと思う。」
なるほど。たしかにそれが、一番早い。
「じゃあここで問題。ノア、一番オーガに会ってそうな人って、この街だと誰だと思う?」
「オーガに会ってそうな人?!うーん…」
ユエルが私の答えを待ちながら、じーっと見つめてくる。
プレッシャー。でも、ここが知恵の見せどころだ!
無力なゾンビでも、脳みそはまだ役に立つというところを見せたい。
オーガ。山の神様の使い。山……あ!
「産業地区の人たちかな。山にお仕事に出かけるから、オーガに遭遇する可能性も高いと思う」
私がそう答えると、ユエルもにっこりと笑って頷いた。
「うん。僕もそう思った。だから、明日は産業地区で話を聞こう。産業地区は教会からも遠いし、万が一スローンに遭遇しても、路地に逃げ込めばなんとか隠れてやり過ごすこともできると思う」
頷く私とは逆に、サザはため息をついた。
「……またあそこに行くのかよ……」
「調査を終わらせるためだよ。サザ、一緒にがんばろう?」
私がそう言うと、サザはうろんな目で私を見たあと、
諦めたように「わかったよ、行くよ行きゃいいんだろ」と、しぶしぶ頷いた。
「うん。じゃあ明日からは産業地区で調査。決まりだね」
ユエルがそう言い、明日からの方針は決まった。
オーガの目撃情報、必ず手に入れてみせる。
私はぺったんこの布団の上で、気合を入れなおした。




