魔王城の歩き方
ノアの名をもらった私は、玉座の間を後にした。
なんだかんだで、魔王軍の一員として働くことになってしまった。
思うところはあるが、ゾンビとして再誕したこの世界で、自分に何ができるのか、少しだけ考えてみようと思った。
それにしてもーー
静まり返った回廊。青白い松明に照らされた石作りの壁。シンと静まり返ったそこに、生き物の気配はない。
一人になってしまうと途端に心細く、広々とした城はかえって孤独を感じさせた。
――カサカサカサッ…!
「ヒッ…」
何かが、すごい速さで天井を横切った。一瞬しか見えなかった。虫…?みたいな…
……。
怖い。すぐそこの柱の影から、ゾンビでも出てきそうな雰囲気だ。
もともとホラーはそんなに得意じゃない。特に、いきなり脅かしてくる系――いわゆる、ジャンプスケアは特に苦手だ。
こんな場所で、そんな目にあったら絶叫必至だ。
お願いです神様、ジャンプスケアだけはやめてください。
ジャンプスケアだけは、ジャンプスケアだけは…
「ねぇ」
「わーーーーーーー!!!!!!」
驚いて飛び上がった私のそばに立っていたのは、魔王のそばにいた一人、リュカだ。
いきなり耳元で話しかけないでほしい。やっぱりこの人は暗殺系なんだ。全く気配がなかった。
「魔王城の中、案内してあげるよ」
「え?」
意外と面倒見がいいの?この人。
「よく新人が迷って帰ってこなくなるからさ~。次に会ったとき、ゾンビからスケルトンにグレードダウンされても困るしね~」
「ぜひ案内をお願いします」
そんなわけで、魔王城を案内してもらうことになった。
軽く魔王城について教えてもらったところによると、この魔王城は、大魔境と呼ばれる深い森の地下にあるらしい。
普段地上に行くときは、魔王城の中にある特殊な転移魔法陣を使って行き来きしているらしいが、徒歩で行く場合は、魔王城の上に広がる幾層にもひろがった洞穴――迷宮と呼ばれる場所を歩かねばならず、並みの冒険者が辿りつける場所ではないらしい。
「そんなわけで、魔王城は住むによし、守るに良しの最高の場所ってわけ」
「なるほど~」
リュカの説明を聞きながら回廊を進んでいると、広間のような場所に出た。
回廊の青い松明と違って、ここは淡いオレンジ色の光で比較的明るく照らされている。天井はむき出しの岩肌だが、そこにオレンジ色の鉱石のようなものがたくさん埋め込まれており、それが発光しているようだ。
天井からは、根なのか蔦なのかよくわからない植物が無数に垂れ下がっており、その根がオレンジ色の鉱石を、さながら吊り照明のように掴んでいるため、ちょっとおしゃれな感じになっている。
広間には長テーブルがいくつか並べられており、椅子もある。
「ここは下っ端食堂」
「下っ端…食堂?!」
魔王城に共同の食堂が…!?
周囲を見回すと、さまざまな魔族たちが思い思いの食事を楽しんでいる。
角の生えた男が、スープのようなものに頭をつっこんで、ズゾゾ…と音を立てている。
ゴブリンが骨付きの肉を取り合いながら殴り合っている。ミイラ男は、口元の包帯を少しだけ解いて、シチューのようなものを慎重に口に運んでいる。
見ると、先ほど契約魔法で野犬から狼男になった彼もいた。骨付きのでかい肉を食べようとしていた彼は、私たちに気づくと、「あ、ども…」といった雰囲気で軽く会釈をした。
「めちゃくちゃ共同生活してる…」
「まぁね~」
思ってたのと違う…
さっきの玉座の間とギャップがありすぎる。
なにこの…アットホーム感。
衝撃を受けていると、そばを一般魔族が通過する。すれ違う一瞬、手に持っていたのは青と紫が混ざったような、怪しいスープだった。
「あのスープ、すごい色だけど、どんな味がするんだろう…」
「ああ…スープはたぶん味ない」
「味ないの!?」
魔族の食事、謎すぎる…。いったいどんな調理法なんだろう…。
カウンターのそばを通り過ぎるとき、厨房らしき場所の中がすこし見えた。
その中では、仮面をつけた筋肉隆々の男が、血だらけのエプロンを身に着け、何かを大きな包丁で、ダンッ、ダンッとぶった切っていた。
詳しく見ないようにして、そっと通り過ぎた。
―――
「次にここが、スライム式魔力増幅炉!」
食堂から繋がるいくつかの回廊のうち一つを進むと、重たい鉄扉の向こうには、粘液まみれのガラス容器がずらり。その中で、スライムたちがぶくぶくと揺れている。
食堂のあたたかなオレンジの光と違って、ここは青白い光で満たされている。光源は…光る苔だ!
「これは……なにをしているんですか?」
「魔力をぶちこんで、スライムのなかでぐるぐるさせて、濃度をあげて回収してる」
「…スライムすごい。エネルギー問題、スライムで解消…」
「よくある方法だけどね~」
スライム式エネルギー濃縮法、魔界にありがち。
メモしておこう。
―――
次に通されたのは、「死体安置所」だった。
魔王城はどこもそんなに温かいというわけではないが、ここはひときわひんやりとした冷気を感じた。
石造りの低い天井に、整然と並んだ石棺。古代の墓場という雰囲気だ。
……ん?
奥の椅子に何かが座っていた。
ボロボロのテントのような、茶色いマントを着た大男。
包帯の巻かれた大きな手が握っているのは、鎖のついた巨大なシャベル。
そしてフードの奥から赤く光る二つの目が、こちらを静かに見ている。
「……あの人は?」
「墓守のグレイブ。死体安置所の管理人。滅多に喋らないけど、全部把握してる」
「いや……あの視線、動かなくてもすごく怖い…」
「大丈夫。急に襲い掛かってくることはあんまりないから」
「…あんまり?」
「あんまり、ね」
グレイブは、こちらにピクリとも反応しなかった。
でも、その存在だけで死者の安息が守られている気がした。
たぶんだけど、魔王城で一番「死」って感じがする。
―――
次に案内されたのは、魔王城の下層――地下農場。
「農場?野菜を育てているんですか?魔王城なのに?」
「うん、だって食料は要るし。野菜は健康にいいっていうしね~」
「健康…」
ゾンビである自分の手のひらを少しだけ見つめて考えた。
「ギイィ…ギィ…」
ん?なにか聞こえる?
動物でもいるのかと思って農場をみると、鳴いていたのは、マンゴーのような果実が実った木だった。
果実に、人間の目のような奇妙な模様があり、熟れた果実には亀裂が入っている。そこからイチジクのような果肉が見えて、音がする。あたかも鳴いているように見えるが…これは、あれだ、シュミラクラ現象とかいうやつだ。
本来顔ではないものが心理的な効果で顔に見えてしまうというやつ。
だから決して人面の実とかではない。
「根菜もあるよ」
リュカに言われて畑をみると、人参のような根菜が埋まっている。土から少しだけ出たところに、これまた憤怒の形相を浮かべたような奇妙な模様があり、まるで、引っこ抜いたら叫び出しそうなシュミラクラ現象が発生していた。
「魚とかもいるよ」
地下水を引いた川のようなものもあった。川には、顔にシュミラクラ現象が発生したように見える大きなナマズのような魚と、甲羅にシュミラクラ現象が発生したカニのような生き物が泳いでいた。
「見て、ノア。今あの魚こっち見て笑ったよ?」
「……シュミラクラ現象です」
「え?なに?」
「シュミラクラ現象です!!!」
私がリュカにシュミラクラ現象を教えている横で、ゴブリンたちはせっせと農作業を続けていた。時折、野菜に嚙まれたりしながらも、文句も言わずに働いていた。彼らなりに“誇り”を持っているのかもしれない。たぶん。