魔王軍、人が足りません
「無理!無理無理無理ですって!」
私はリュカの手を跳ねのけて言った。
「戦ったこともないし、ゾンビもはじめてだし、魔力とかも知らないし…!」
全否定をかます。
だって本当に無理すぎるんだもの。
「勇者と戦ったり、教会を滅ぼしたり、まして世界を征服するなんてっ…!」
「待て、異世界人よ。気が早い」
「き、気が早い…?」
魔王がフッとほほ笑む。
それから、漆黒のマントをバサリと翻して、実は後ろにあった禍々しい玉座に腰を下ろした。ひと呼吸おいて魔王は力強く言った。
「我が魔王軍はーーー現在、圧倒的に戦力が足りない!」
「!?」
どういうこと?戸惑いの視線を向けると、横からリュカが言う。
「今まだ10人くらいだね~使えるの」
「!?」
10人?!
「え……でも、魔王軍って、すごく強い魔族がいっぱいいて…」
「そんなもの、幻想だ」
「幻想!?」
魔王は腕を組んで言った。
「確かに、魔物は多い。だが、意思を持つ魔族は少ない。現在の主戦力は、スライム、野犬、蜘蛛、骨、幽霊、その他未分類の何か、だ」
「…え、ええー…」
なんか思ってたのと違う…
隣からリュカがため息をつきながら付け加える。
「そいつら、命令すれば動くけど、基本的に意思疎通できないからさ。作戦とか、連携とか無理なんよね」
「そうそう。下手すると仲間食べちゃうし」
さらりとユエルが付け加える。
「だからこそ、お前を召喚したのだ」
「私?」
魔王が頷く。
「異世界人は魔力の器が大きい。すなわち、魔力を扱う力が強いということだ。その力をもって、我が軍の強化ができるということだ」
「…私、魔力なんて扱ったことないんですけど…しかも…ゾンビだし」
「問題ない。鍛錬すれば、やがて魔力の扱いも覚えよう」
「そんな簡単に…」
できるのか?私に…
本当に自信がない。
「大丈夫、大丈夫、上司がやさしく教えてあげるからさ~」
リュカがけらけらと笑いながら言う。
本当に?うっかり手が滑って殺されたりしそうなんだけど…
リュカの腰に下げたナイフに、つい視線がいってしまう。私の怪訝な表情に気がついたのか、リュカがにんまりと目を細める。この人、やっぱりちょっと怖い。
魔王が話を続ける。
「魔力を扱う力が大きいほど、自らの力も増し、さらに契約魔法で魔物を強化することもできるようになる」
「契約魔法?」
「ああ。相手と自分の繋がりを契約によって縛る魔法だ。――見たほうが早い」
そういうと、魔王は玉座から立ち上がり、床に手をかざした。
一瞬のうちに赤く発効する魔法陣が現れた。
「ユエル」
「はい、どうぞ」
呼ばれたユエルが、魔法陣に手を向けると、霧のような何かがもくもくと噴き出した。そして、その中から、黄色い目を光らせた獰猛そうな野犬のような生き物が姿を現した。前足を掻くような仕草をして、グルル…と唸っているが、魔法陣の外には出られないようだ。魔王が獣ごと魔法陣に手をかざした。
「契約によって、魔力を与える」
魔王の発した声は、不思議だった。言葉が反響するように聞こえた。これが、魔力を伴った言葉だからなのだろうか。魔王の声に呼応するように魔法陣が光を増す。
その光に反応するように、獣がびくりと体を硬直させ、それからぶるぶると体を震わせた。魔法陣の光が激しく発光し、獣は目を見開く。四肢がしなやかに伸び、背中が盛り上がる。見る見る間に、野犬は姿を変えてゆく。魔法陣の光がゆっくりと消えると、狼男といっていい風貌の生き物がそこに誕生していた。
狼男がゆっくりと顔を上げ、魔王のほうに視線を向ける。今一度、魔王が言葉を発する。
「契約によって、名を与える。汝の名はーーガルド」
「ウゥ……お、れの名は、ガルド…!」
喋った!
驚く私のそばで、元野犬の狼男は立ち上がり、驚いたように自分の前足を見下ろしている。人間のように伸びた腕、鋭い爪の生えた指先を開いたり閉じたりしている。
瞳に理性が宿り、知性を持った生き物に変わっている。
その様子に、満足そうな表情を浮かべた魔王が言う。
「うむ。いいだろう。ガルド、警備に戻るが良い」
「わ、わかっ…た」
まだ、たどたどしい言葉遣いをしながら狼男は立ち上がり、のしのしと私の前を通り過ぎて玉座の間から出ていった。
「このような感じだ。契約魔法は魔族の意思を引き出し、知性を生む。魔力によって強化することで立派な戦士になる。魔力を多く有するものしか契約魔法は使えないが、お前ならいずれできるようになるだろう」
「私に…」
本当にできるようになるのだろうか。魔法を…私が使えるようになる?
自分の両手を見てみる。相変わらず、青白くて、小さな手。
この手で、なにかを変えられる?
「君の当面の目標は、自己研鑽と、魔力を自在に操れるようになる練習だね。それができるようになったら、魔王軍の戦士を片っ端から強化してもらうよ」
ユエルが話を続ける。
なんだかこき使われそうな感じだ。
私、やっていけるの…?
「そんな不安そうな顔しないで。僕も手伝うからさ。えーっと…そういえば君の名前ってなんだっけ?」
「えっと、私は…」
「待て!」
そこで、魔王がビシッと私の口をふさいだ。突然のことに驚いて魔王を見つめると、
「契約魔法にあるように、こちらの世界では名前というものは重要なのだ」
と、魔王が説明する。ふむ。
「したがって、お前の名は我が名付けよう」
え?!
「そうだなーーーお前の名は、ノアとしよう」
ノア…。
……。
わりといい名前だな?
良い響きだし、新しい人生を始めるには悪くないと思えた。
「え……まさか気に入ったの?」
リュカが怪訝な顔をする。
「変なやつ~」
「…もっと葛藤とかあると思った」
とユエル。不可解そうな顔をする二人に対し、魔王のほうは、誇らしげにしている。そして、口を押さえていた手をやっとどけてくれた。
ふぅ、息が苦し…くはなかったな。ゾンビって息してないのかな?
「ノア、いい名前だろう。“迷いの船を運ぶ者“の名だ。流されるのではなく、渡っていけ。この世界を、お前の歩みで渡れ」
自分の歩みで、この世界を。
魔王の言葉は、なぜだか強く胸に響いた。
「まぁ悪くないんじゃない」
「これからよろしくね、ノア」
「うん。…よろしく」
私は、ノア。
異世界転生死人で、魔王軍の一員。ゾンビのノア。
この世界での私の物語が始まるのだ。