砂漠の街観光
砂嵐の中を歩ききって、門の前でおじさんに陽気に騙され、しぶしぶルクスを渡す羽目になった私たちだったけど、
「はぁ……もう観光して忘れようぜ」
サザがきっぱりとそう言ったのを見て、私も気を取り直し「うん」と頷いた。
大通りへ向かってすぐに、私たちは水路の道に行きついた。
浅い水路には澄んだ水が流れていて、日差しを弾いてきらめいていた。
近寄ると、いくらか涼しさを感じる。
「入ってみる?」
「せっかくだしな。歩いてみるか」
私たちはブーツのまま、そっと足を踏み入れた。
――ひんやり。
水の中に足を沈めた瞬間、流れる水が足の中をすり抜けるような、不思議な感覚がした。
その流れに溶けるように、ブーツの中にこもっていた砂漠の熱がスゥッと抜けていく。
……わっ、気持ちいい……。
ちゃぷん……と水を踏むと、その流れの中に淡い光が揺らめいているのが見えた。
それが足を伝って、静かに体の奥へと染み込んでくる。
息をはくと、体の芯からほぐれていくような感覚が広がった。
「不思議……。体の中がスッとする」
「魔力のせいかもな。すげぇ、疲れが抜けてく……」
ちゃぷちゃぷ……
音を立てながら、私たちは水の道を歩いた。
立ち並ぶ露店を眺めていると、サザがふいに私の腕を引いた。
「おい、見ろよ」
「ん?」
サザの視線の先――水路沿いに並ぶ露店のひとつ。
その鉄板の上で、串に刺さった肉がジュウジュウと焼けていた。
食欲をそそるスパイシーな匂いがふわっと漂ってきて、思わずお腹が鳴りそうになる。
店先には、勢いのある字で書かれた木の看板が立てかけられていた。
『大人気!!名物ギルベニの串焼き!』
「ギルベニって……なに?」
聞きなれない名前だ。
隣のサザも、首をひねる。
「わかんねえけど、うまそう。買ってみようぜ」
そう言って露店の方へ歩き出す。
サザ……チャレンジャーだな。
でも名物って書いてあるし、確かに気になる。
串を一本ずつ受け取って、店先でガブリとかじった瞬間、
「……っ!?か、からいっ!」
「うおっ……!けど……うまいな。うん」
平気そうにもぐもぐと食べるサザ。けど、私にはちょっと刺激が強すぎた。
舌の先がヒリヒリして、口の中がじわじわ熱を帯びてくる。
辛いっていうか、もう痛い。
火を吐きそうだし、涙も出そう!
「サザっ、サザっ……!ちょっと飲み物買っていい!?」
私が必死であたりを見回すと、すぐ向かいに、それっぽい露店を発見した。
露店の前に立てかけられた看板には、またもや勢いのある文字。
『ザルジア果実丸絞り!冷えてます!砂漠に打ち勝つ噂の一滴』
「このままだと喉が焼ける……っ」
「……そんなに辛いか?」
「辛いよっ!は、はやく~!」
のんびり歩くサザを引っ張って、私は露店へと走った。
店主のおじさんは笑いながら氷の樽から瓶を取り出し、コルクをポンと抜いて手渡してくれた。
中身はちょっと濁ったオレンジ色。
果実の名前も知らないし、噂の一滴……?
でも今は、もう選り好みしてる余裕なんてなかった。
瓶を握りしめて口をつけるとーー
「……あっ……爽やか!おいしい……!」
ちょっと青臭いけど、さっぱりしてて、ほんのり甘い。
喉の奥がスーッとして、さっきまでの辛さがじんわり引いていく。
一気に半分ほど飲んで、私はハァッと息を吹き返した。
「……生き返るぅ……」
「何味だ?これ……?」
しみじみと呟く私のそばで、サザは不思議そうに首をかしげていた。
―――
そのまま水路を進んで行くと、今度は色とりどりの瓶が並ぶ店が見えた。
どうやら香油を売っている店のようだった。
店先の香炉からふわっと漂ってくる香りに、思わず足を止める。
「わあ……いい匂い……」
「へえ。こういうのもあるんだな」
不思議な香りだった。
干した草のようだけど、スパイシーで刺激的。
けれど、どこか落ち着く感じもする。
「これはね、デザートリンクスっていう魔物のものなの。砂漠に棲む猫みたいな魔物でね、その子たちが吐き出す毛玉を乾かしてから、香油を抽出するんだよ」
「えっ」
顔を上げると、店主のおばさんがにっこりと笑った。
「すっごく貴重なんだから。特に、この季節の毛玉は香り高いの」
「毛玉の……香油」
「すげぇな……」
私もサザも、ただただ驚くばかりだった。
―――
そのあとも色んな露店が続いていた。
売っている物は香辛料、地域の織物、風景の砂絵など一般的なものもあれば、喋るお面のお土産物とか、影絵で物語を映すランプだとか、一風変わったものも並んでいた。
しばらく歩いていくと、ひときわ大きな建物が目に入った。
入口に吊るされた看板には「砂漠の防具・魔法薬サファラ工房」と書かれていて、店先のひさしの下には、涼しげな布や、キラキラした護符がずらっと並んでいた。
「いらっしゃい。何かお探しかい?」
店先で商品を眺めていると、ひげを蓄えた店主のおじさんが声をかけてきた。
「砂漠を行くなら、うちは何でも置いてるよ」
誘われるまま店に入ってみると、暑さを和らげる防具に、癒しの水守り、それにサンドヴァイパーの解毒薬など、砂漠の冒険に必要そうなものが何から何まで置かれていた。
「わぁ、すごい……!」
「だろう?品揃えには自信があるんだ」
店主はそう言ってにっこりと笑った。
「けど、残念ながら砂避けのお守りだけは売り切れでね。あれは人気で、入荷してもすぐ出ちまう」
「お守りは、持ってるんです。……これ」
私は、ベルトに革ひもでくくった銀のチャームを見せた。
店主は、ほう、と少しだけ驚いたように眉を上げた。
「こりゃまた、上質な代物だ……お嬢さん、しっかりしてるね」
「えへへ……ありがとうございます」
「ま、他にもいろいろ置いてるから、見てってくれな」
店主はそう言って、店の奥に戻っていった。
「せっかくだし、見てみるか」
「うん」
私とサザは、それぞれ店内を見て回ることにした。
置かれた品々は、それぞれが砂漠の知恵を凝縮したような工夫があって、眺めているだけでも飽きなかった。
防具の棚を見ていたとき、ふと一足のブーツが目に留まった。
あ、これ……。
濃い灰色。細身なのにしっかりした作りで、砂漠の熱砂でも涼しく歩ける加工がされているらしい。
銀の糸でシンプルな刺繍が入っていて、なによりーーかっこいい。
……サザに似合いそう。
そう思って視線を巡らせたとき、
「ノア、ちょっと来い」
ふいに呼ばれて、私は首をかしげた。
「なぁに?」
近づくと、サザは何も言わずに、手にした布をふわりと私の頭にかぶせた。
「……っ、え……?」
さらさらと揺れる、薄く透けるような布。
ベール……?
淡い金砂のような、優しい黄金色。
やわらかくて、風が吹いたら舞い上がりそうなほど軽い。
「砂漠でも涼しく歩けるベールだってよ。首に巻いてもいいって」
「へえ……そうなんだ……」
私はそっと、布の端を指先でつまんだ。
ひんやりとした感触が、頬をなでる風みたいで心地いい。
サザは一歩引いて、じっと私の顔を見た。
ほんの少しだけ、いつもより真面目な顔で。
「……うん。ふーん……」
そのまま、ぽつりと、
「似合うな。かわい……」
その言葉の途中で何かに気付いたみたいに、サザは言葉を切った。
「え?いま……」
かわいい……って言った?
言ったよね?
私がじっと見つめると、
「な、なんでもねぇ」
そう言って目を逸らすけど、ちょっと照れたような顔をしている気もして、
「………」
なんかそういう顔されると、逆にこっちが照れる……。
しーん、となってしまって、私はそれをごまかすように口を開いた。
「あ、あのね?私もサザに似合いそうだなーって思ったブーツがあって……」
「え?俺に……?」
ぴくりと肩を揺らして、少し驚いたような顔で私を見る。
「うん。かっこいいから、似合うかなって……」
「か、かっこいい?」
「うん。かっこいいブーツなの」
「あ、ああ。そうか……」
私は一度ベールを棚に戻してから、「こっち」とブーツのところまでサザを連れてきた。
「これ」
ブーツを手に取ってサザに見せると、サザはそれを受け取り、まじまじとブーツを眺めた。
それから、ふっと目を細めた。
「……たしかに、かっこいいな」
そして、ちょっと照れたみたいに小さく笑った。
「……買うか」
その声がやけに優しくて、胸がきゅうっとなる。
なんだか顔を見ていられなくて、私はなんとなく足元を見た。
「私もさっきのベール、買おうかな……」
私がそう呟くと、
「……ああ。似合うと思う」
その言葉が胸の奥にふんわり落ちてきた。
あたたかくて、少しくすぐったい。
顔をそっと上げたら、サザと目が合った。
一瞬、息が詰まりそうになる。
でも、嬉しくて、
「……えへへ」
気持ちが溢れて、笑ってしまった。
するとサザは、一瞬まばたきをして、それからバツが悪そうに視線を逸らした。
でもどこか照れたように見える顔が、なんだかくすぐったくて、私たちは少しのあいだ、そのまま沈黙していた。
「……はぁ~~~~」
そのとき、店主のでっかいため息が響いた。
私とサザが同時に振り向くと、店主は奥のカウンターで本をめくりながら、
「俺のことは気にすんな。ごゆっくり……」
と手を振った。
「あ、えと……」
私はなんだかちょっと恥ずかしくなって、サザに声をかけた。
「ね、ねぇサザ、外にあった護符、ちょっと見にいかない?」
「あ、ああ……いいぜ」
サザもそれに、ぎこちなく頷いた。
―――
店の外に出ると、空はいつの間にか茜色に染まっていた。
夕暮れの風は、すこしひんやりしていて、喧騒の残る通りをゆっくり渡っていく。
私とサザは、店先に並べられた護符を眺めながら、他愛のない話をしていた。
そんなときだった。
「待ちやがれッ、小僧!」
突然、怒鳴り声が響いた。
「……えっ?」
顔を上げると、通りの向こうからひとりの少年がこちらに向かって駆けてきていた。
追いかけているのは衛兵だ。少年を指差し、大声で叫ぶ。
「そこのお前ら!そいつを止めてくれ!!盗人だ!」
「え……えっ!?」
何がなんだかわからないまま立ち尽くしていると、少年はものすごい勢いで近づいて来て、バシャッと水路の水を蹴り飛ばしながら、私の方へと突っ込んできた。
「わっ……!」
ドンッと肩がぶつかって倒れ込む。
そのまま少年は振り返りもせず、通りの向こうへと走り去っていった。
「ノア!大丈夫か!?」
すぐにサザが私の手を取って起こしてくれる。
「う、うん……ありがと。……ん?」
立ち上がろうとしたとき、ふと、腰元に違和感を覚えた。
ベルトに手をやると……そこにあるはずのものが、ない。
「え……あれ…?」
見ると、銀のチャームがついていた革ひもが、途中でぶちりと切れていた。
「えっ…うそ、無い!砂避けのお守りが……!」
慌てて近くを見回したけど、落ちている様子はない。
ハッとしたように、サザが顔を上げる。
「まさか、さっきのガキ……!」
少年はーー通りの向こう。人ごみに紛れるような後ろ姿が、かすかに見える。
「ちょっと待ってろ!」
それだけ言い残して、サザはすぐに駆け出した。
「えっ、待って!私も行くっ!」
私も走り出そうとしたとき、衛兵たちが駆け付けた。
「どうした!?まさか、何か盗られたのか!?」
鋭い衛兵の視線に、一瞬ビクッと体を強張らせたが、衛兵はそれどころじゃないようだった。
「ぶつかったときに、お守りがなくなってて……!」
なんとかそう返すと、衛兵のひとりが舌打ちした。
「チッ、またあのガキか……!スリの常習犯だ。もう何人も被害にあってる!」
「す、すり……!」
「くそっ、なんてすばしっこいんだ……!」
悔しそうに悪態をつきながら、衛兵が叫ぶ。
「冒険者!頼む、やつを捕まえるのに協力してくれ!」
「はいっ!私は仲間と一緒に追いかけます!」
即答すると、衛兵たちは頷き、すぐに踵を返した。
「助かる!俺たちは西側から回ってみる!」
そう言って、別の道へと駆けていく。
私もすぐに、走り出した。