ゾンビ、取引を見る
魔王城の玉座の間。
久しぶりに帰ってきたはずなのに、どこか落ち着かない空気が流れていた。
たぶんその理由は、私のすぐそばに拘束されている吸血鬼の少年の存在だ。
玉座に座る魔王は、ゆったりと脚を組んでこちらを見ていた。
いつも通りの余裕たっぷりな表情で。
でも……その目の奥が鋭い。
私は思わず姿勢を正してしまった。
今は、なんだか“本気モード”って感じがする。
この城の王として、少年を見定めるような、威圧するようなその視線。
魔王アランーーいや、魔王アラン様と敬称をつけるほうが自然とも思わされる、威厳に満ちた姿だった。
「ずいぶんと……手荒に連れ帰ったようだな」
その声に、少年がビクッと肩を揺らすのが分かった。
「……なんだよ。殺さないのか」
少年が吐き捨てるように言う。
睨み返す視線は強いが、その眼の奥には、獣が牙を剥くときのような恐れがあった。
「ユエル、拘束を解け」
「でもーー」
ユエルが一瞬ためらう。
「逃げられはしない。それは彼も、わかっているだろう」
アラン様の目が、少年に向けられた。
そして少年も、それに反論できなかった。
ユエルが、一拍おいて頷き、指を動かした。
少年を縛っていた魔力の拘束が解かれる。
解放された体を少年はぎくりと動かし、しばらくしてから、膝をつくのを拒むように立ち上がった。
「……ふん、やっと人間扱いか」
どこかやけっぱちのような、そんな捨て台詞だった。
アラン様は、それに対してふっと笑って返した。
「村でのことは知っている。なかなか派手にやっていたようだな」
「じゃあ何だよ。説教か?改心しろってか?」
「いやーーお前と取引がしたい」
「……取引?」
少年が眉をひそめた。
アラン様は玉座から立ち上がり、数歩、少年のほうへ歩み寄る。
そのまなざしには、真剣な光が宿っていた。
「お前には強さがある。そして……生き抜いてきた経験もある。その力に、見込みがある。だから提案する」
「提案だと……?」
「魔族として生きる術を教えてやろう。強さも、知識も、居場所も。ここで得られるようにしてやる。衣食住の保障もつけよう」
少年は目を細める。
「……それってつまり、ここで飼われろって話か?」
「見方によってはな」
アラン様はあっさりと認めて、肩をすくめた。
「だが、条件がある。我が世界征服の野望――そのために力を貸せ。それだけだ。どうだ?」
少年は、数秒沈黙した後でーー鼻で笑った。
「魔族ってのは、そういうもんじゃないだろ。取引?条件?ハッ、笑わせるな」
少年は私とユエルに目を向けると、あざけるような口調で言った。
「そこの奴らみたいに、おとなしく従う手下になれってか。俺は、誰のしもべにもならない。だったら死んだほうがマシだ」
ちょ、なんかひどい。
言い返そうとしたところで、隣にいたユエルがふっと笑った。
それは、皮肉でも反発でもない。
本当に、少しだけーー楽しそうな、くすぐったそうな笑いだった。
「手下、じゃないよ」
ユエルの言葉に、少年が「なんだ?」といった調子で目を向ける。
ユエルは言葉を続けた。
「僕はーーそうだね、わかりやすい言葉で言うなら“仲間”だと思ってる」
「は?」
少年が何を言ってるんだという顔でユエルを見つめる。
ユエルは穏やかな顔で答えた。
「魔王って、契約魔法も使えるし、無理やり従わせることもできるんだよ?でも、それをやる気はないってずっと言ってる」
「どういう意味だよ……」
少年は戸惑っているようだった。
たぶん本気で、こういうやり取りが分からないんだ。
支配でも恐怖でもなくて、信頼で繋がるということが。
アラン様が、ゆっくり言葉を重ねた。
「魔族の世界が、ただ力と恐怖だけで築かれていた時代は終わる。俺の目指す世界は、“選択”と“意思”で繋がるものだ」
少年は、口をつぐんだ。
しばらく考えて……それからぼそっと言う
「……取引ってのは……一度聞いたら、断れないって決まりでもあるのかよ」
「ないさ。断るなら、それでもいい。ここで帰す」
「……」
少年は、しばらく黙って考えていた。
「……ひとつ条件がある」
「なんだ?言え」
アラン様の言葉に、少年は顔を上げた。
彼の目が、いままでよりほんの少しだけ、真剣になったのがわかった。
「俺は……俺を吸血鬼にしたやつを探してる」
その声は小さいけど、はっきりしていた。
怒りというよりは、何かを押し殺すような……そんな声音。
「そいつを見つけてケリをつけたい。生かすか殺すかは、そのとき決める。……協力してくれ」
私は息をのんだ。
そんな事情があったなんて、知らなかった。
でも、なんとなく……その目の奥の痛みには、覚えがある気がした。
アラン様は、そんな少年をじっと見つめていた。
長い沈黙。
でも、威圧感はなかった。
ただ、静かに頷いた。
「……わかった。ならば、取引は成立だ」
少年は、わずかに目を見開いた。
たぶん、もう少し交渉されると思ってたんじゃないかな。
だけど、アラン様は、それ以上何も言わず、ただ静かに言葉を続けた。
「お前の名は?」
その一言に、少年の喉がごくりとなるのが聞こえた気がした。
躊躇してる……名乗るって、たぶん、この子にとってはとっても大きな一歩なんだ。
少年はほんの数秒、視線を彷徨わせて、それからポツリと呟いた。
「……サザ」
それは消え入りそうな声だったけど、しっかり聞こえた。
アラン様がほほ笑む。
「ならばサザ、お前を歓迎しよう。……ようこそ魔王軍へ」
そのときの声は、確かにちょっとだけ優しかった。
なんというか……不思議と安心するような声だった。
サザはそっぽを向いたままだったけど、目の端がふっと緩んだ気がした。
「ノア、案内してやれ」
「えっ、あっ、はい!」
急にふられて慌てたけど、なんとか返事をする。
「食堂に連れていってやれ。温かいスープが残っていたはずだ」
「……スープ……?」
小さくつぶやいたサザの声は、さっきよりほんの少しだけ柔らかかった。
「じゃあ、行こうか」
サザは何も言わなかったけど、隣を歩き出した。
この場に流れるほんのすこしの沈黙が、どこか心地よかった。
魔王城での生活が、彼になにかを与えてくれるといいーーそんなことを、すこしだけ思った。




