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ドラマのような場面にあっても、ドラマのような立ち回りはなかなかできない

作者: 笛み

人が道に倒れていました。


大通りに出る路地のど真ん中、咄嗟に「ひき逃げ!??」と思って慌てて急ブレーキを踏みました。


垣根の陰になっていて車の中からは顔は見えなかったけれども、近寄ってみると時々散歩している姿を見かけるおばあちゃん(以下ご婦人)でした。


私「大丈夫ですか!?」


ご婦人「痛い、痛い......」


どうやら意識はあるようです。ひとまず安心してから話を聞きました。


私「どうしたんですか?(ひき逃げ? ひき逃げ??)」


ご婦人「風にあおられて......」


見るとおばあちゃんの足元から少し離れたところには、ひっくり返った左右のサンダル。

確かにその日は強風注意報も出ていました。


私「とりあえずここ道の真ん中で危ないので、少し移動しましょう」


ご婦人「ちょっと待って、ちょっと待って.....」


私「動けますか? 起きれますか?」


ご婦人「痛い、痛い......」


私「すみません、触りますね」


対向車が来たらサイドミラーを閉じて譲り合うか、私有地に乗り上げてやり過ごすか、どちらかが引き返さないといけない路地です。

道のど真ん中で倒れられていては、危険も然ることながら他の方々の交通の妨げにもなってしまう場所でした。


なので少しでも路肩に移動してもらおうと、おばあちゃんの腕に触れました。


そう、触れただけ。『さわった』でなくて指先が『ふれた』瞬間に、


ご婦人「痛い、痛い、痛い、痛い!」


それまでの弱々しい返答からは想像も出来ないほどの大声で叫ばれました。


私「すみません......。ど、どこが痛いんですか?(どきどき)」


ご婦人「ちょっと待って、ちょっと待って......」


私「いや、だからどこが...」


ご婦人「痛い、痛い......」


うん、だめだ。これはプロの領域。


私「ちょっと待っててください」


一旦おばあちゃんから離れて車に戻り、スマホを取り出しました。

ついでに忘れてたハザードもつけて。


私「救急車呼びましょう」


それが一番、というかそれしかないと思ったのですが、


ご婦人「ちょっと待って! ちょっと待って!!」


完全拒否。


私「でもご自分で動けませんよね?」


ご婦人「ちょっと待って、ちょっと待って...」


私「じゃあ動いてみますか?」


ご婦人「痛い、痛い、痛い、痛い」


らちあかねえ。


私「......あの、お名前教えてもらえますか?」


訝りながらも教えてくれるおばあちゃん。


私「◯◯さん、ご自宅の電話番号聞いてもいいですか? おうち近いですか?」


ご婦人「すぐそこだけど......。(なんで? と言わんばかりの目)」


私「ご家族に来てもらいましょう」


ご婦人「だめ、だめ、だめ、だめ!!」


再び完全拒否。


ご婦人「うちの人もやっとかっとだから」


老々介護でご主人は自力で動けない、ということでしょうか。


私「じゃあ他のご家族は?」


ご婦人(首を横に振る)


私「やっぱり救急車呼びましょう」


ご婦人「やだ、やだ、やだ、やだ」


私「でもご家族も呼べないんですよね?」


ご婦人「ちょっと待って、ちょっと待って」


私「でも動けないんですよね? とにかくこのままここにいるわけにもいかないので...」


ご婦人「痛い、痛い、痛い、痛い...」


私「だから救急車...!」


ご婦人「ちょっと待って、ちょっと待って...」


(以下ループ)


私だって用事があるのに、時間ばかりが過ぎていきます。苛々も募ってきます。


私「だから呼びますよ! 救急車!!(すでに切れてる)」


ご婦人「やだやだやだやだ!」


私「でもここにずっといるわけにいかないでしょう!?」


ご婦人「ちょっと待って、ちょっと待って......」


思えばこの時、おばあちゃんを説得しようなんて思わないで、119番通報してしまえばよかったんです。

でもなんでかこの時の私は、おばあちゃんの了承を得ないといけないと思い込んでいました。


途方に暮れつつ時間を気にして怒鳴り始める年増女と、口以外のどこも動かせずに横たわる高齢女性。


インファイナルなアフェアは、神の使いの来訪によって突如打開されました。


後続車両からのクラクションがあれほど嬉しかったことはありません。


私はおばあちゃんから離れて後続車両に駆け寄りました。


中にいたのは、外回り中と思われる会社の重鎮ちっくな見た目の中老男性(以下重役)と、運転手兼秘書っぽいお姉さま(以下お姉さま)。


睨み付けてくる重役の視線も構わずに、運転席側の窓を開けるよう身振り手振りでお願いすると、お姉さまはすぐに窓を開けてくれました。

さすが秘書(かどうか知らんけど)!

仕事が出来る(かどうか知らんけど)!!


お姉さま「あの、車を...」


私「この先に人が倒れてるんです! 手伝ってください!」


言うや否や重役が降りてきておばあちゃんの方に走っていきました。重役ぅ~ッ!!


私は重役を追い越しておばあちゃんのもとまで戻り、催促、もとい、説得にあたります。


私「ほらぁ! 他の人にも迷惑かかってるでしょ!? 救急車呼ぶからね!」


ご婦人「ちょっと待って、ちょっと待って...」


私「もう待てないの!!」


重役らしく遅れてやってきた重役は、おばあちゃんを一目見るなりお姉さまに振り返りました。


重役「救急車呼んで」


私、ご婦人「!?」


スマホを取りに車に戻ろうとしたお姉さまに、「ここにあります!」と声をかけ、私はようや119番通報をしました。


それから救急車が来るまでの間、重役が路地に入ってくる車への交通誘導に徹し、お姉さまがおばあちゃんをなだめたり励ましたりする声掛けを担い、私は来る救急車を探して大通りまで出ていき、救急車が来たら手を上げて場所を教える係になりました。


なんという効率!

なんという迅速さ!

役割分担バンザイ! 頼るって大事ーっ!!


その後、救急隊が駆けつけ、おばあちゃんもついに観念したのか大人しく担架に乗せられ、救急車に運ばれていきました。


私はと言えばお姉さまと重役に平身低頭お礼を言って、救急車か移動次第、すぐに車を移動させますと伝えましたが、


重役「第一発見者は(救急車に)同乗するんじゃないの?」


.........え?


私「いえ、私も先方を待たせていて、もう遅刻なんですけど...」


でもこれ以上重役たちに甘えられないし。


私「......遅刻しますと連絡します」


さらなる時間ロスを覚悟した時、救急隊に呼ばれました。


救急隊「お電話された方ですか?」


私「はい」


救急隊「◯◯さんとはどういうご関係ですか?」


私「......多分ご近所さん? 」


救急隊「??」


私「通りすがりに◯◯さんが倒れていて...」


言いながら車を指差しました。

ハザードつけた2台の車を見て全てを把握してくれたようです。救急隊の方は「あ~、はいはい」と頷いていました。


私「同乗していった方がいいんでしょうか?」


救急隊「いや、大丈夫です」


解放されました。

そういものみたいです。


救急車を見送って、お姉さま方と別れて、先方に遅刻を詫びて、集まってきていた野次馬を無視して、ようやく車に乗り込むと、エンジンかけっぱだったことに気がつきました。

ガソリン(T-T)



それにしても、改めてドラマみたいな体験だったなと思い返してからどきどきしました。

そして、ドラマみたいには動けなかった自分が不甲斐なく恥ずかしくなり、重役の判断力とお姉さまのコミュニケーション力に感銘を受けました。


そして野次馬ども!

私けっこう叫んでたのに全く誰も出てこなかった癖に、救急車のサイレン聞いたら出てきて「何? 何?」って聞いてくるの何!?

あんたらが出てきてくれてたら、もう少し早くおばあちゃんも説得できたかもしれないのに!

いや、出来なかったかもしれないけど。



それにしてもあのおばあちゃん、最後の方は「痛い痛い」と「ちょっと待って」ばっかりだったな。待てないった言ってんのに! 大体こんな風の強い日にあんなスリッパみたいなサンダルで歩いてるから転んじゃったんじゃないの? もっとちゃんと靴履いて外出ればいいのに......。


という愚痴を実家の母と電話で話したときにしました。すると、


母「でもね、年取ると腰下ろすのも一苦労なの。スニーカーとか履いた方がいいってわかってても、スニーカーとかを履くのが大変なの。

それに比べてスッと履けるサンダルって楽なのさ。特に近場に買い物いくくらいからサンダル選ぶよ」


確かにあのおばあちゃんは近所に住んでると言ってました。そして荷物は手提げ袋だけで、ご家族はお迎えを頼むのも躊躇うほど『やっとかっと(やっとのこと?)」』の容態のご主人だけと話されていました。



* * * *



彼女は自宅介護をしていた。


相手はご主人。好きあって添い遂げると決めた相手であっても、介護は本当に辛いものだ。 


日々繰り返される食事、排泄、着替えの介助。入浴だけは介護サービスを利用していても、同じことの繰り返しは心身を蝕む。募っていく疲労、心労、そして夫への鬱憤。



そんな彼女の気晴らしは、近所のコンビニにお菓子を買いにいくこと。


ほんの一時でも介護現場から離れることは、何にも変えがたい気分転換だった。


しかし、その気晴らしでさえ、最近は一苦労だ。


介護を必要とする夫に腹をたててしまうこともあったが、自分の体も衰えも感じていたのだ。


靴を履くのでさえ大仕事。


腰を屈めて折れ曲がった踵を立てる、たったそれだけの動作に息が切れるようになったのはいつからだったろうか。


だから爪先を通せばいいだけのサンダルは楽だった。


財布を入れた手提げ袋を手に、サンダルを突っ掛けて家の外の近所を歩く。

そんな些細な楽しみを糧に彼女は介護生活を続けていた。



その日もいつものように、馴染みのコンビニに行こうと思っていた。


「あんた、ちょっといってくるからね。すぐ戻るからね」


そう夫に告げて玄関を出ると、あまりの風の強さに立ち止まった。


「あらやだ......」


靴を履いた方がいいかしら?


一瞬、今日はやめておこうかという思いも過る。

でも腰も痛い。

それに勝手知ったいつもの道。すぐそこまでの気晴らし散歩だ。


「大丈夫よね」


一抹の不安を抱きつつも歩き始めた彼女を悲劇が襲った。


空を仰ぐ形で動けなくなった彼女は、自分の選択を呪った。

まさかここまで衰えていたとは。恨めしさに息を吐く。

そして全身を駆け抜ける激しい痛み。自力で起き上がろうにもどこも動かせない。


だが彼女の最大の不運は、第一発見者のお節介だった。


「救急車呼ぶよ!」


やめて。


「ご家族は!?」


あの人に迷惑はかけられない。あの人がこんな私を運べるわけが無い。


「お願い、ちょっと待って......」


すがる気持ちで頼み込むが、聞き入れてもらえない。


そのうち人が集まってきて、あれよあれよと言う間に救急車を呼ばれて担ぎ込まれて。



病院の寝台の上で彼女は思う。


「あの人、大丈夫かしら......」


ソーシャルワーカーにも連絡したが、夫は私がいないと駄目なのだ。

一刻も早く帰らなければ。

気ばかり急いて体は動かない。


そしてさらなる悲劇が彼女を襲う。


多くの高齢者がそうであるように、至れり尽くせり、且つ、運動制限を余儀なくされる入院生活は、認知機能を著しく低下させる。


「あの人、大丈夫かしら......」


窓の外を見てそう呟く彼女の目は虚ろだ。


自分の認知機能の衰えに彼女が気づくのは、退院してからさらに日を重ねた後である。


慌ただしい日々の中のささやかな楽しみも、おそらくドクターストップがかけられる。


そう、彼女の幸せをあの中年女は奪ったのだ。



* * * *



みたいなこともあり得るのではないかと思って怖くなりました。


私はあのばあちゃんのささやかな幸せを奪ってしまったのかもしれません。

けれどもそうだとしても、私はあの時、どうすればよかったのでしょうか。


おばあちゃんの意向を汲んで、無理に動かそうとせず、嫌がられた救急車も呼ばず、永遠とも言える『ちょっと』の間、待ってあげればよかったのでしょうか。


でも私がおばあちゃんの側に居続けることも不可能なので、そっとその場をバックして、離れればよかったのでしょうか。


それまでは「ドラマみたいな体験をした」程度の感想でしたが、母と話したことで、一人の高齢女性の生活を壊してしまったかもしれないという恐怖が芽生えました。


あのおばあちゃん、退院できたかな。

きっと骨折だと思うけど、手術無しで済んだかな? 痛みはないかな?

もとの生活に戻れたかな、また散歩を楽しめるようになるのかな......。


電話番号も教えてもらってないし上の名前しか知らないし、おばあちゃんのその後を知る術もなく過ごしました。


でもご近所らしいから表札探せば家わかるんじゃない?


......でも家まで押し掛けられたらキモいよね。


そもそも表札出してるかどうかもわかんないし、うちも表札出してないし。



とかなんとか悶々とすること数週間、あのおばあちゃんを見かけました!!!!


相変わらずサンダルで歩いていました。

手押し車を押していたけれども。

その時も運転中だったので車内から会釈だけしたのですが、気づいてもらえませんでした。

でも歩けてる! その姿だけで安心しました。

結果論だけれども、やっぱり救急車でよかったんだよね?




教訓:


「蘭、警察に電話だ!」


「蘭姉ちゃん、救急車も!」


みたいな場面に遭遇したら、とにもかくにも119。

素人にできることはない。

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― 新着の感想 ―
[一言] お疲れ様でした。 トレーニングを受けている受けていないに関わらず、いざというというときってテンパってしまうものですよね。倒れているご婦人が受け答え出来なかったら救急車一択を迷わず出来たのです…
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