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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第三章 タナシス王国編
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99 増幅

「これはこれはエミスト殿下ぁ~。ようこそおいでくださいましたぁ~」

 コーカラットが、ぺこりとボディを前に傾ける。

「妹に会ってもよろしいですか、魔物殿」

 エミスト王女は丁寧な口調で訊ねた。すでに王宮内でのコーカラットの評価は、『リュスメース王女の命を救った魔物』として名高く、一部では貴族に叙せられるべき、との声も上がっているほどである。

「もちろんですぅ~。今お食事中ですが、姉君様がお顔を見せてくだされば喜ばれるはずですぅ~」

 そう言ったコーカラットが、触手で扉を開けた。別の触手が、入室を誘うかのように振られる。

「リュスメース。具合はどうです?」

「姉上」

 寝台の上で上体を起こし、積まれたクッションにもたれていたリュスメースの表情が、エミストを目にしてぱっと輝く。

「だいぶいいようですね」

 寝台の脇に立ち、妹を見下ろしながら、エミストは微笑んだ。やなりやつれた感じだが、顔色はかなり良くなったし、目にも生気がある。

「少しお話したいのだけれども、よろしい?」

「はい、大丈夫です」

 リュスメースが、小さくうなずく。

「魔物殿。済まないけれど席を外していただけますか?」

 エミストは、傍らに浮かんでこちらを注視しているコーカラットにそう呼びかけた。

「これは気が利きませんでしたぁ~。内密のお話だったのですねぇ~。では、失礼いたしますですぅ~」

 コーカラットが、ふわふわと部屋の外に出ていった。触手が、静かに扉を閉める。

 それを見届けたエミストは、腰掛けに腰を下ろした。

「リュスメース。知恵を貸して欲しいの」

 エミストは、昨今の情勢を物語った。大衆の反憲章条約気運の高まり。外交団宿舎での騒動。シェラエズ王女が報告してきた、憲章条約総会の模様と南の陸塊主要国の動き。

「お父様は何度も声明を発表し、憲章条約との友好の維持を訴えていますが、効果はあまり上がっていません」

 いささか疲れたような表情で、エミストは言った。いや、実際彼女は疲れていた。シェラエズ王女は長い間王都を留守にしているし、有能かつ働き者だったリュスメースはこうして療養中。三人で分担していた責務が、エミスト一人にのしかかって来ているのだ。

「市民には、全般的状況が見えていないのでしょうね」

 張りのない声で、リュスメースが言った。

「これだけ国内が乱れている中で、憲章条約を敵に回したら、勝てるはずがありません」

「その通りなんだけど、我が国は、長年市民を騙してきましたからね」

 エミストは、無念そうに言った。

 タナシス王国は、征服王朝である。

 その母体となった国家は、山間の地であるディディウニにある中堅国家であった。オストノフから三代前の国王が、山を超えて隣国のリスオンに攻め込み、これを併合したのが、大国化の嚆矢である。あとを受けた先々代の国王は、いわゆる『大タナシス主義』……すべてのタナシス人は一つの国家にまとまるべし、との理想を掲げて、周辺諸国との合併や併合、征服を繰り返し、北の陸塊に存在するタナシス人居住地をまとめ上げ、国名を民族名と同じタナシスとし、王都をリスオンに定めた。先代の国王はその軍事力を周辺民族国家にも向け、ついに北の陸塊すべてをタナシス王国の版図に組み入れることに成功する。

 そして、オストノフの代になってからの、ラドーム島の併合。これら一連の軍事行動を正当化し、かつ国民の支持を得るための方策のひとつが、意図的に誇張された宣伝であった。『もっとも人口の多いタナシス人だからこそ他の民族の守護者たるべき』『文化中心者たるタナシス人には他の民族を教え導く責務がある』『タナシス王国による北の陸塊統一は、歴史的必然である』『タナシス正規軍は精強かつ無敵である』などなど。

 これら宣伝文句を盲信し、タナシス人であり、タナシス国民であることに誇りを持って、兵役や納税に唯々諾々と従ってきた市民たちが、昨今の祖国の無様な姿……財政の窮乏、南の陸塊遠征作戦の失敗、西部同盟の蜂起とそれに対する腰の引けた対応、大国とは思えぬ憲章条約との交渉ぶり……を目にして、幻滅したとしても不思議はない。そして、流布された憲章条約のタナシス解体陰謀説を信じ、祖国に対する憤りを反憲章条約運動に転嫁させるのも当然の成り行きと言えよう。

「なにかよい解決策はありませんか?」

 エミストは問うた。妹の聡明さは承知している。彼女であれば、優れた方策を見いだせるかもしれない。

「軍事行動しか思いつきません。西部同盟に対し、短期間でよいから激烈な攻撃を仕掛けるのです。市民の怒りの矛先を、西部同盟に向けさせるのです。今のタナシスは、水を溜めすぎた貯水池のようなものです。堰が決壊するのを防ぐには、あえて堰に切れ目を入れて水を逃してやるのが良策かと」

「賭けですね。下手をすると、切れ目から堰が決壊しかねない」

「そうです。絶対に失敗しない、いえ、失敗の許されない軍事行動にならざるを得ません」

 妹の言葉に、エミストは深くうなずいた。

「シェラエズを呼び戻す必要がありそうね」

「それはおやめ下さい、姉様。シェラエズ姉様は、憲章条約と確かな人脈を築いておいでです。外交上互いに疑心暗鬼になっている昨今、なによりも必要なのは人と人との信頼関係です。シェラエズ姉様は、一人だけですが信頼できる人物をお持ちです」

「竹竿の君ね」

「はい。わたくしも、交渉を通じてナツキ殿と言葉を交わし、信頼できる人物という確証を得ました。彼女とのパイプを潰してはいけません。いずれ、彼女の存在は貴重なものになるでしょう。姉様もできれば、ナツキ殿と親しく交わって、互いの信頼度を深めていただきたい……」

 言葉を切ったリュスメースが、けほけほと咳き込んだ。エミストは立ち上がると、サイドテーブルの水差しの中身を木製のカップに注いだ。水でも茶でもない、なにやら黄色い液体が入ったカップを、リュスメースの手に押し付ける。

「ありがとうございます、姉様」

 リュスメースが、カップを口元に運んだ。二口ほど飲み下し、安堵の表情になる。

「なにかしら、この飲み物は? 果汁?」

 水差しの中を覗き込みつつ、エミストは訊いた。

「魔物が出してくれた飲み物です。わたしの食事は、これなんですよ」

 微笑みつつ、リュスメースが言った。

「魔物が出したって……まさか、あの……」

 エミストは、リュスメースの手術の様子を思い出した。たしか、魔物が黄色い液体を出して、様々なことに使っていたはずだが、この水差しの中身と同一だというのだろうか。

「おいしいですよ。一口、いかがですか」

 リュスメースが、カップを差し出す。

「遠慮しておきます。ところで、なにか入り用なものはありませんか?」

「特には。あ、でも……」

 リュスメースが、歯切れ悪く口ごもる。

「あなたらしくないわね。なんでも言ってちょうだい」

「では、遠慮なく。また来ていただけませんか? 姉様とふたりきりでお話ししたのは久しぶりですが、とっても楽しいですから」

 少しばかりはにかんだように、リュスメースが言う。

「お互い忙しい身でしたからね」

 微笑んだエミストは、中腰になると衝動的に妹を抱きすくめた。

「姉様……」

「ごめんなさいね、リュスメース。最近、姉らしいことをしてあげられなくて」

 エミストは、リュスメースの黒髪を撫でた。……こんなことをするのは、何年ぶりだろうか。常に人目……女官や侍女、書記に近衛隊士などの視線にさらされているので、王位継承権一位の人物としての威厳を保たねばならない必要性から、リュスメースとのスキンシップは大人になってからは皆無だったのだ。

「構いませんわ、姉様。姉様は、いずれタナシス王国の女王となる身でいらっしゃる。わたくしは、妹としてそれを支える立場です」

 抱きすくめられたまま、リュスメースが言う。その声音に喜色が混じっていることに、エミストは気付いた。常に気丈に振舞っている妹も、いまだ少女といえる年齢なのだ。未だ恋人を……むろん同性であるが……を持たぬ身としては、姉との肉体的接触が嬉しいのだろう。

「情勢が落ち着いたら、シェラエズも交えて水入らずでしばらく過ごしたいわね」

「いいですわね。楽しみですわ、姉様」



「殿下。その……女性と『なに』をされるのをお控え下さい」

 歯切れ悪く、夏希はそう申し入れた。

 マリ・ハ市街地の外れにある、シェラエズの宿舎の居間である。

「警備の都合とやらで、ろくに外出もさせてもらえぬのだ。あれも、運動の一種であろう。健康に、良いぞ」

 シェラエズが、妖艶な笑みを見せて夏希に流し目を送る。

「だからと言って、身元の不確かな女性を連れ込んでお遊びになるのは、本末転倒です。万が一のこともあります。お控え下さい」

 いささか強い調子で、夏希は諫言した。すでに、タナシスの王都リスオンで外交団宿舎が襲撃されたとの情報は、ここマリ・ハにも届いていた。以前に比べれば、一般市民の対タナシス感情はかなり悪化している。ススロン王国関係者が、ビアスコ王子の仇討ちと称して、シェラエズ王女の命を狙っているという不穏な情報も、夏希の耳に入っていた。ここでシェラエズの身に何かあれば、憲章条約とタナシス王国の関係は回復不可能なまでにこじれてしまうだろう。

「それならば、夏希殿が相手してくれればよいのだ」

 澄ました顔で、シェラエズが言ってのける。

「そなたならば身元は確か。わたしも安心して楽しめること請け合いじゃ」

「殿下……」

「なんなら、そなたが連れ歩いている副官でもよいぞ。けっこう美しい顔立ちをしているし、体つきもなかなかそそるのもがある」

「彼女には数日暇を出してあります。長旅に付きあわせたりして、かなり負担を掛けましたから」

 夏希はため息混じりに応じた。しばらくマリ・ハを動く予定はないし、今後タナシス王国との関係改善を進めようとすればさらに忙しくなるのは確実なので、今のうちに骨休めをしておいてもらおうと、まとめて休みを取らせたのだ。

「そうか。それは残念だ‥‥というのは冗談じゃが、最近退屈しているのは事実じゃ。今日はもう少し遊んでいってくれぬか? そうじゃ、昼食をご一緒しよう。構わぬかな?」

「それくらいでしたら、お付き合いしますわ」

 暇を持て余しているわけではないが、その程度の時間なら捻出できる。これも、憲章条約とタナシス王国の友好に役立つだろう。


 食堂の隅に置かれた小さなテーブルに座っていた中年女性が立ち上がり、入ってきたシェラエズと夏希に深々と頭を下げる。身なりからして侍女でも料理人でも護衛でもないようだ。

「どなたですか?」

「毒見役だそうだ」

 軽い口調で答えたシェラエズが、白い麻のテーブルクロスが掛かった大きな食卓の上座にさっさと座る。夏希もその対面に座った。

 すぐに、中年男性の料理人と侍女が木製のワゴンを押して現れた。料理人のワゴンには、鍋や水差し、壺などが並んでいる。一方、侍女のワゴンには皿や鉢などの食器類が積み重ねられていた。

 侍女からスープ皿を受け取った料理人が、そこに鍋から冷製らしいスープを少量注ぎ、中年女性の座る小テーブルに置いた。すかさず女性がスプーンを取り上げ、スープを一匙掬った。じっくりと目で観察してから、鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。おもむろに口にスプーンを突っ込み、吟味する。

 中年女性が、小さくうなずいた。うなずき返した料理人が、スープ皿に鍋の中身を注ぎ入れる。侍女が、それをシェラエズと夏希の前に置いた。

 ……なんか、食欲失せそうね。

 夏希は内心でぼやいた。

 昼食のメニューは、シェラエズの好みに合わせたのであろう、きわめて北の陸塊臭の強いものであった。ポタージュのような、多種の野菜を煮蕩けさせた冷たいスープ。冷肉の薄切り果汁系ソース掛け。根菜と肉の炊合せ。塩と香辛料を効かせた焼き野菜。ピーナッツ豆腐のような味と食感の煮凝りのようなもの。輸入物の小麦粉を使ったパン。

 これらすべての料理と食物は、毒見役の検査を受けてから食卓に供された。パンなどは、いちいちナイフを入れて一片を切り取り、食べてから許可を出すという念の入れようである。

 デザートは、淡いピンク色の胡瓜のようなフルーツだった。これは皮ごと食べられるもので、味はキウイにちょっと酸味を足したような感じである。

 毒見役がナイフで半分にしたそのフルーツを、夏希はさらにナイフで小さく切って、口に運んだ。先に食べ終わったシェラエズが、侍女にお代りを所望する。

「北の陸塊にはない果物だからな。南の良いところのひとつは、多彩でおいしい果物が豊富にあることだ」

 言い訳するかのように言ったシェラエズが、夏希を見て微笑む。

「それには同意しますわ」

 夏希は最後の一切れを口に押し込んだ。それとほぼ同時に、厨房へとつながる扉が、荒々しく引き開けられた。


 数名の男性が、食堂に乱入してくる。いずれもが、抜き身の長剣を手にしていた。

 思わず腰を浮かせた夏希の脳裏に、つい先日のタナシス王宮でのテロの模様が蘇った。

 ……ここマリ・ハで、同じような状況に出くわすとは。

 夏希はおのれの不運を呪った。

「何者か!」

 すっくと立ち上がったシェラエズが、張りのある声で一喝する。

「ススロン貴族バンダと申す。シェラエズ王女。殿下の仇、取らせていただく」

 三十前後くらいの、なかなか精悍な顔つきの男性が、手にした長剣の切っ先をシェラエズに向けまっすぐに突き出した。その背後には、部下らしい若者が五人ほど付き従っている。

 立ち上がった夏希は必死に状況を分析した。自身は武装していないし、シェラエズも丸腰だ。一方敵は全員が長剣を手にしている。

 毒見役のおばさんは硬直しているし、料理人は腰を抜かしたらしく床に這いつくばっている。侍女は蒼白な顔で、口元に手を当てて突っ立っているだけ。この三人は、当てにしないほうがいいだろう。

 幸い、廊下につながる扉からは誰も入ってきていない。うまく時間を稼ぎ、隙を衝けばそこから逃げ出すことも可能だろう。しかし……警護の連中は何をやっているのか? 生馬の部下たちなら、刺客の六人くらい、あっさりと阻止できそうなものだが。

「バンダとやら。ひとつ訊こう。なぜわたしの命を奪うことがビアスコ殿下の仇討ちになるのか?」

 嘲りの色さえ見せて、シェラエズが高飛車に問う。

「ビアスコ殿下を殺害したのはわたしではない。わが王家でもない。タナシス王国でもないのだぞ? 逆恨みにも、ほどがあるな」

 夏希はシェラエズの胆力に感心しながら、その言葉を聞いていた。丸腰で、刺客相手にこれほどまで豪胆になれるとは……。刺客が繰り出した剣の前に身を投げ出したリュスメースの勇気も見上げたものだったが、シェラエズのこの度胸もたいしたものである。王家の血ゆえなのだろうか。

「黙られよ。お命、いただく」

 バンダが、剣を構え直した。

「ちょっと待ちなさい。今ここで王女を殺害したら、大変なことになるわよ」

 夏希は慌てて口を挟んだ。

「夏希殿には危害を加えるつもりはありません。ここは下がっていてください」

 バンダが、血走った目を夏希に向けた。

「そうはいかないわよ。わたしは、ビアスコ殿下と共にタナシスへ赴いたのよ」

 どうやら殺されることはないと判断した夏希は、少しばかり安堵しながら言葉を継いだ。

「殿下のお考えは、憲章条約とタナシス王国の友好促進だった。お亡くなりになる直前まで、そうだったのよ。だから、ここでシェラエズ王女を殺害し、憲章条約とタナシス王国の関係を悪化させれば、殿下の遺志に背くことになるわ。それでも、いいの?」

「構いません。殿下が亡くなったことで、情勢は変化したのです。タナシス王国は、我らの敵だ」

 バンダが、言い切る。

 シェラエズが動いたのは、その時だった。

 シェラエズが、一挙動で手前にテーブルクロスをさっと引き抜いた。刺客たちが明白な反応を示せないうちに、それをぱっと空中に投げ出す。

 白く大きな麻布が、刺客たちの視線を遮りつつ、彼らの方へとふわりと広がりながら迫る。

「夏希殿!」

 叫びながら、シェラエズが廊下へ通じる扉にぶち当たった。扉が開き、転がるようにしてシェラエズが飛び出してゆく。数瞬遅れて、夏希も廊下に駆け出した。走ってゆくシェラエズのあとを、必死に追い掛ける。

 シェラエズが一室へと飛び込む。夏希も、続いた。

 シェラエズが逃げ込んだのは、どうやら寝室のようだった。大きな寝台が、結構広い部屋の中央にでんと置かれている。シェラエズが四つん這いになって、その下に腕を突っ込んでいた。三振りほどの長剣を、そこから引っ張り出す。

「夏希殿は、こちらの方が扱い易かろう」

 次いで手槍を引っ張り出したシェラエズが、左手で鞘付きの長剣を一振りつかむと立ち上がった。右手の手槍を、夏希に押し付ける。

 長さ一メートル二十センチくらいの、小ぶりの槍だった。確かに、夏希にとっては剣よりも扱い易い得物だ。

「殿下、しかし……」

「迷っている暇はないぞ」

 シェラエズが言って、長剣の鞘を払った。

 戸口から、刺客が突っ込んでくる。

 夏希は慌てて手槍の鞘を外した。

 先頭を切って突っ込んできた刺客……バンダではなく、若い男……に、シェラエズが斬り込んだ。刺客が、それを剣で受ける。

 夏希は二人目の刺客の腹を目掛け、鋭い突きを繰り出した。刺客が、飛び退いて避ける。だが、その動きは失敗だった。続いて突っ込もうとした三人目の刺客に、もろにぶつかってしまう。

 二人目と三人目の刺客の姿勢が、大きく崩れた。

 夏希は突きを矢継ぎ早に繰り出した。このような場合狙うべきは腰から下である。上体ならば、身体を反らせたり捻ったりして躱すことが可能だが、腰から下は足さばきで躱す以外に方法はない。そして、いったん姿勢を崩した状態で、きれいな足さばきを行うのは難しい。

 三回目の突きが、刺客の左太ももに突き刺さった。

 刺客が悲鳴を上げ、膝を付く。三人目の刺客が、前に出ようとする。

 若干の余裕を得た夏希は、槍の穂先を左に向けた。打ち合っているシェラエズと一人目の刺客の様子は、先程から横目で確認している。

 夏希は一人目の刺客に向け突きを繰り出した。刺客が身を捻ってこれを躱す。

 生じた隙に、シェラエズが乗じた。剣先が、刺客の左手首を切り裂く。鮮血が飛び散り、刺客が長剣を取り落とす。

 すかさず、四人目の刺客が前に出た。三人目の刺客も、膝を付いている二人目を押しのけるようにして前に出る。

 夏希は視線を刺客たちに固定したまま一歩下がった。シェラエズも、下がる。

「さすが、竹竿の君だな。見事な腕前だ」

 笑みの混じった声で、シェラエズが言う。

「殿下もお見事です」

 夏希はそう返した。声に喜色が混じっていることに気付き、当惑する。絶体絶命の危機なのに、それを楽しんでいるかのような自分に、唖然としてしまう。

「死にたいのですか、夏希殿。これ以上抵抗すると、あなたでも容赦しませんぞ」

 五人目の刺客を従えて、悠然とバンダが現れた。

「剣を引きなさい、バンダ。ビアスコ王子が亡くなる直前に、何をしたか知ってる?」

 いつでも突き出せるように手槍を構えながら、夏希は言った。

「王子はね、わたしを庇ってくれたのよ。丸腰だったのにね。あなたは、その王子が庇った女性を、そしてその女性を命がけで救った女性の姉を殺そうとしているのよ。わかってる?」

「問答無用!」

 バンダが一声応え、長剣を振りかざしてシェラエズに挑み掛かった。五人目の刺客も、続く。

 夏希には、三人目と四人目が迫った。

 夏希は部屋の隅に退いた。相手は二人である。開けた所で戦えば、背後に回られて死ぬことになる。コーナーに追い詰められたボクサーのごとく、とりあえず手数だけを稼いで、カウンターを喰らわないようにしなければならない。

 ……アンヌッカに暇を出さねばよかった。

 夏希は心底悔やんだ。彼女がいてくれれば、刺客の二人くらい余裕で引き受けてくれたろう。

 汗で滑りやすくなった手槍を、夏希は必死で操り続けた。

「ぎゃーぁぁっ!」

 いきなり、複数の悲鳴が響いた。

 悲鳴の主は、バンダと五人目の刺客だった。長剣を取り落とし、もがき苦しんでいる。そのまわりに、白く薄い煙のようなものが立ち込めている。

 戸口には、料理人と侍女の姿があった。手には、大きな鍋を下げている。

 お湯だ。

 鍋に沸かした熱湯を、バンダと五人目の刺客にぶっ掛けたにちがいない。……いかにも料理人らしい攻撃方法だ。

 残る二人の刺客が、浮き足立つ。

 シェラエズが、すかさず前進し、バンダと五人目の刺客に一太刀ずつ浴びせた。そしてそのまま、突っ立っている料理人と侍女を守るかのように、二人の前に立ちはだかる。

「剣をお捨てなさい。バンダに命じられて付いてきただけなら、寛大な処分で済むはずよ」

 夏希は無理やり声を張って、残る二人の刺客に通告した。精神的にも肉体的にもかなり参っていたが、ここで弱気を見せるわけにはいかない。

 刺客二人がためらいを見せた。お互い目を見交わし合う。

 ……もう一息。

「すぐに剣を置けば、命は助けてあげましょう。約束します」

 刺客二人が、うなずきあった。剣を手にしたまま、窓に駆け寄る。

 窓枠を乗り越え、庭へと逃げ出す二人を、夏希は手出しせずに見送った。下手に阻止しようとすれば、死に物狂いの抵抗をされて返り討ちにあうおそれが強い。ここで最優先すべきは、シェラエズと自分の身の安全である。

「殿下。お怪我はありませんか?」

 夏希は手槍を携えたまま、シェラエズに駆け寄った。

「無傷、とはいかなかったな」

 シェラエズが、痛そうに顔をしかめた。顎先から、鮮血が滴っている。

 夏希は手槍を床に突き刺すと、懐から手拭いを取り出した。折り畳んであるそれを、シェラエズの顎先に当てがう。

「警備の者と医者を呼んできてちょうだい」

 夏希は、依然呆けたように突っ立っている料理人と侍女に命じた。

「警備の者なら、毒見役殿が呼びに行っています。わたしは、医者を呼んできます」

 呼びかけられて我に返ったのか、急いた口調で料理人が言った。

「傷のお薬があったはずです。それ、取ってきます!」

 侍女も言って、きびすを返そうとする。

「あ、その前に」

 夏希は二人を呼び止めた。

「二人とも、実にいいところで駆けつけてきてくれたわ。礼を言います。あとで、正式に報奨を得られるように取り計らうから。大手柄よ。タナシス王国の王女様を救ったんだから」


第九十九話をお届けします。

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