98 報復の誓い
夏希と凛が乗る川船がマリ・ハに到着したのは、真夜中のことであった。
とりあえず二人はアンヌッカを伴い、駿の自宅へと向かった。戸をがんがんと叩いて、駿と侍女を起こす。
「わかったわかった。とりあえず話を聞くよ。だから、生馬も連れてきてくれ」
麻の浴衣にしか見えない夜着をまとった駿が、あくび混じりに言う。
夏希と凛は隣の生馬の自宅に向かった。こちらも遠慮なく戸を叩いて起こす。
「おー、帰ってきたか。今着替えるから、待ってろ」
見事に腹筋の割れた裸体を腰高窓から突き出し、生馬が告げた。
駿と生馬に、テロ事件の概要とその後の出来事、拓海の推測などを話して聞かせる。
「拓海の見解に賛成だね。これは完全に、西部同盟の陰謀だ」
駿が、断言する。
「同感だな。とんでもない連中だ。夏希の命まで狙おうとするとは」
興奮したのか、生馬が椅子を立って部屋の中を歩きまわり始める。
「で、西部同盟の外交団はどこにいるの? 総会の状況は?」
「時系列で説明するよ。外交団が到着したのが、今朝早く……というか、昨日の朝だ。海岸諸国や事務局出先機関からの事前連絡が一切なかったし、前回……カレイトンとクーグルトの外交官が、憲章条約加盟を一方的に通告してきた件が頭にあったから、警戒したんだが、連中も上手でね。テロ事件のことなどおくびにも出さずに、総会で短いスピーチをしたいと申し出て来たんだ。僕は内容を事前チェックするように進言したんだが、総会は外交団の自由な発言を許した。そこで、爆弾発言さ。タナシス王宮でのテロ事件。ビアスコ王子とアフムツ氏族長の殺害。それによって生じた、タナシス王国に対する憲章条約外交団の反発。総会は大騒ぎになって、休会となった。午後になって再開された総会で、僕は憲章条約外交団およびタナシス王国から正式な報告ないし通告がない以上、軽々に動くべきではないと主張して、なんとかタナシスに関して非難決議などが出ることは防いだがね」
「情報に関しては、だだ漏れだと」
凛が、顔をしかめる。
「ああ。止めようがないよ。すでに、高原の一部にまで広がったとみていいだろう。明日にはユーロアン氏族がアフムツの死を知ることになるだろうね」
「ねえ、明日も総会は開かれるの?」
夏希はそう訊いた。西部同盟外交団の情報操作に対抗するためにも、なるべく早く総会で正式な報告を行いたい。
「予定はないが、君が帰国した以上、正式な報告をしたいと申し出れば開催できるよ」
「そこで真相を詳しく述べて、各国の自制を促すしかないわね」
「下手をすると、西部同盟の外交団を敵にまわすことになるな」
立ったまま、生馬が指摘する。
「仕方ないわね。こんな卑劣な手を使う連中とは、組めないもの。ノノア川憲章条約は、タナシス王国の味方よ。リュスメースは、自分の命を賭けてまでわたしのことを守ってくれたのよ。タナシスと、憲章条約の関係を保つためにね。その想いには、報わなくちゃ」
「熱く盛り上がっているところ悪いんだが、最悪の状況も考慮しておいてくれよ」
駿が、小声で告げる。
「なに、最悪の状況って?」
「西部同盟が悪だ、という点については、僕も同意する。だが、僕たちがやっていることは国際政治だ。こいつは、一定のルールはあるが、審判のいないフィールドで行われるゲームなんだ。そこには、世間一般で言う正邪は存在しない。観客が声援を送るのは、強い者、共感できる者、そして、自分たちに利益をもたらしてくれる者だけだ」
「つまり、なんなのよ」
「総会で反タナシスの姿勢が鮮明になった場合、僕たちもそれに同調しなければならない、ということだ。僕らはあくまで憲章条約各組織の所属であり、総会に隷属する立場なんだ。それを、忘れないでくれ」
「それは、承知しているわ。総会で、代表たちを納得させればいいんでしょ」
夏希は不満気に言い放った。なにしろ西部同盟の放った刺客に殺されかけたのだ。彼らと手を組むなど、考えただけで吐き気がする。
「なあ、駿。西部諸国外交団の口を封じることは無理なのか? 何か理由をつけて追い返すとか、できないものかな?」
生馬が、訊く。
「難しいねえ。一応、総会が正式な国家の外交代表に準ずる地位を認めてしまったからね。訪問目的が憲章条約との交渉、ということなので、やろうと思えば高原行きは阻止できるだろうが、なるべくやりたくはないね。外交官の行動を制限すると、あとあと厄介なことになりかねない。外交は、相互主義が基本だからね。今後、こちらの外交官が西部同盟に赴いたときに、色々と横槍が入りかねない」
「とにかく、明日の総会でのわたしの報告いかんで、事態が変わってくるわね。駿、眠いところ悪いんだけど、報告内容まとめるの手伝ってくれない?」
「いいよ。凛ちゃん、悪いけど眠気覚ましのお茶を淹れるように侍女に申し付けてくれないか? 生馬、君は寝てくれよ。昨日は忙しかったんだろ?」
「まあな」
「何かあったの?」
夏希は長身の青年に視線を向けた。
「警備体制を見直したんだ。西部同盟外交団がもたらしたニュースで、反タナシス感情が一気にもりあがっちまったからな。特に、シェラエズ王女に対する警備を強化した。ススロン王国、ルルト王国、それにユーロアン氏族出身の者には、休暇を与えたよ。下手をすると、『殿下の仇!』とか言って馬鹿な事をしでかす奴が出てこないとも限らんしな」
「それは、厄介ね。テロ合戦になったら、最悪だわ」
夏希はしかめっ面で言った。憎しみをぶつけ合うだけの報復ほど、非生産的なものはない。きちんとした政治的目標や大義名分のある戦争の方が。まだしも前向きかつ生産的というものだろう。
「そう言えば、駿はススロン貴族だったよね。ビアスコ王子とは仲良かったの?」
「まさか。相手は王位継承権第三位だよ。こっちは名前だけの下っ端貴族だ。面識は、あったがね。聡明な人物だったし、むろん痛ましいとは思っているが、それ以上の感情はないね」
駿が、肩をすくめる。
「外交部外交委員、夏希です。総会の決議に基づき、タナシス王国に派遣された外交団の団長を務めております。当外交団に課せられた使命はいまだ果たせてはおりませんが、皆様すでに御存知のように外交団に不幸な出来事があり、また情勢の変化もあり、急遽帰国し、この場で各国および各氏族の代表の皆様にご報告申し上げる次第です。まず始めに、今回タナシス王宮で不幸にもお亡くなりになられたススロン王国のビアスコ王子と、ユーロアン氏族のアフムツ氏族長を悼み、哀悼の言葉を捧げたいと思います」
駿と共同で書いた草稿を参照しながら、夏希は総会での報告をそのように始めた。
その後、時系列にしたがって、外交団の行動を詳細に述べてゆく。王都リスオンへの到着。リュスメースとの協議。西部同盟への和平提案。ムータールへの移動。ササウとの協議。西部同盟側の提案内容。リスオンへの帰還。留守中の街の噂や、タナシス側の警備の強化にも言及し、すでにテロ事件の以前から『憲章条約とタナシス王国の関係を悪化させようとする謎の勢力』が暗躍していたことを印象付ける。
総会代表たちがもっとも興味を示すであろうテロの詳細は、淡々とした語りに終始した。熱っぽく語れば、高原の代表あたりが興奮して鉈を抜きかねない。ただし、リュスメース王女が夏希の盾になってくれたあたりは、意図的に感情を込めて喋った。
事件後のオストノフ国王の反応。さらに、帰国時の様子……オープァ船の船長以下枢要な船員が行方不明となった件も含めて……も、詳細に報告する。
「以上が、本日に至るまでの経過です。状況から見て、外交団を襲った刺客は、何らかの大きな組織に操られていた可能性が高い。そしてその組織は、わがノノア川憲章条約とタナシス王国の外交関係を悪化させようと狙っている組織であることは明白です。各国代表、ならびに各氏族代表の皆様。この陰謀に乗せられることのなきよう、お願い申し上げます。謎の組織の思惑通りタナシス王国との関係を疎遠にすれば、ビアスコ王子とアフムツ氏族長の死は無駄となります」
「外交委員。その謎の組織とは、西部同盟のことなのかね?」
金茶色の髪をした、どこかの高原氏族代表……夏希は総会代表すべての顔を覚えているわけではないし、テーブルの上に置いてある所属を表す木片の文字も未だに読めないので、人種的特徴と服装からして平原や海岸諸国の代表ではない、としかわからない……が、訊いてくる。
「その組織の正体は、情報不足によりいまだつかめてはおりません」
夏希は慎重な物言いをした。ここは総会の場である。下手なことを言えば、責任問題に発展するどころか、夏希のような高位の者でさえ逮捕投獄の危険性すらある。
「しかしながら、その組織の目的が憲章条約とタナシス王国の関係を悪化させることにあり、そしてその行為が結果として西部同盟を利することになる、というのは確実でしょう」
「外交委員、タナシスは信頼できるのかね?」
夏希が顔を覚えている、エボダ王国の代表が問う。
「信頼に足る国家だと認識しています」
「しかし、いまだ第八の魔力の源を見つけ出していないではないか。今回の一件も、ひょっとしてタナシスの陰謀ではないのかね?」
海岸諸国代表の一人が、口を挟んだ。
「その可能性は僅少だと思われます。我々を怒らせて、タナシスが得るものはありません」
「西部同盟に襲撃の罪を着せようとしたのでは? もし仮に、すべてがタナシス王国の芝居だとすれば、貴殿はまんまとそれに乗せられたことになりますぞ」
「それは……仮にそうだとしても、憲章条約の基本姿勢は変わらないわけで……」
「わがユーロアン氏族は、この一件を企てたのが西部同盟であれタナシス王国であれ、他の組織であれ、必ず報復することを、代表の皆様を証人に、ここに誓うものとする」
いきなり立ち上がったユーロアン氏族代表が、唐突に愛用の鉈を鞘ごと高々と掲げ、そう宣言した。
「同じ高原の民として、わが氏族も報復に参加させていただきますぞ!」
「オリオーレ氏族も同様です!」
「我々もだ!」
呆気に取られている夏希の眼前で、十名すべての氏族代表が愛鉈を掲げた。大声で、誓いの言葉を述べ合い、大騒ぎとなる。中には、感極まって泣き出す代表まで出る始末だ。
……やばい展開になっちゃった。
夏希は内心で肩を落とした。これで、どちらに転んでも、流血沙汰は避けられない。
議長が静粛を求め、ようやく高原の民たちの興奮も収まる。頃合いをみて、夏希は再び口を開いた。
「現状で、高原の皆様の報復対象を特定することは難しいでしょう。タナシス王国には、まだわたしの部下がおり、事実関係を調査中です。タナシス政府からの、公式な調査発表もまだありません。総会が本件に関する方針を打ち出すのは、いまだ時期尚早と思われます。ですから……」
「報告ご苦労様でした、外交委員」
議長が、夏希の発言を遮って、退席を促す。
「嫌な流れになっちゃったわね」
夏希の話を聞いた凛が、諦め顔で言う。
「総会も、結局は各国、各氏族の思惑に流されるからな。国王や氏族長がどう考えるか。そして、国民や氏族戦士たちがそれを支持するかどうか」
生馬も凛同様、諦め顔だ。
「西部同盟が悪だと言うのはわかりきってるのに」
夏希は苦い思いを噛み締めた。
「ともかく、拓海からの追加報告と、タナシス王国からの公式な調査結果が来るまで、重要な決議がなされないように総会を押さえておくよ」
うなずきながら、駿が言った。
「西部同盟がぼろを出してくれると、助かるんだがな」
生馬が、夏希を見やりながら言う。
「拓海に期待しましょう。わたしはシェラエズのところに顔を出してくるわ。何かいいアイデア持ってるかもしれないし」
「よく来てくださった、夏希殿。まずはわがタナシス王宮での不祥事、王族の一員として深くお詫び申し上げる」
再会の挨拶もそこそこに、シェラエズが真剣な面差しで詫びを入れてくる。
「わたしも、殿下にお礼申し上げます。妹君様に、命を救っていただきました」
「リュスメースにあのような勇気があったとはな。わたしの知らぬ間に、ずいぶんと大人になったようだ」
シェラエズが、目を細めて微笑む。
「夏希殿。すでにご存知と思うが、我が国と憲章条約の関係はこじれつつある」
お互い向かい合わせでテーブルについたところで、シェラエズが改まった口調で言った。
「これは危険なことだ。タナシス王国は、一度南の陸塊に侵攻し、撃退された。その後和解に漕ぎつけたとはいえ、いまだ悪感情は払拭されてはいない。それら双方の友好の妨げとなるいわば夾雑物が、西部同盟の暗躍で一気に吹き出してきたようだな。このような場合こそ、双方が冷静になり、どの道が平和共存に至る道なのかを見極める必要があると思う」
「おっしゃる通りです。ここで道を誤るわけにはいきません」
夏希は力強くうなずいた。
「そこで提案だが、総会ではっきりと西部同盟に加担しない、と宣言していただきたいのだ。彼らが陰険な工作に走るのは、タナシスと憲章条約の仲を裂けば、憲章条約が自分たちの味方になると見越してのことであろう。いくら手を尽くしても、憲章条約が手を貸してくれないと知れば、無駄な工作は止めるはずだ」
「ご意見はもっともですが、総会での議決は各国、各氏族の代表の意見に左右されます。わたしには、どうしようもありません」
「合議制の厄介な点だな」
シェラエズが苦笑しつつ、小さく首を振る。
外が騒がしい。
訝しく思った拓海は、自室を出ると宿舎の玄関ホールへと向かった。窓から外の様子をうかがっていた数名の護衛が拓海に気付き、姿勢を正す。
「何かあったのかい?」
「街路に、市民が集まっています。数百人規模でしょうか」
護衛の一人が答え、窓から離れた。拓海は歩み寄って、窓から外を眺めた。
「おうっ」
思わず声が漏れる。
低い垣根越しに、数多くの人の頭が見えた。確かに、数百人はいそうだ。なにか叫んでいる者も多いが、声が混じり合ってしまっているので、何を言っているのかは聞き取れない。
「デモか。標的は、どうやら俺たちらしいな」
おそらくは、反憲章条約派の市民による示威行動なのだろう。
「外の警備陣の様子は?」
「警備団本部に、増援を要請したそうです。王宮にも、伝令を走らせたとか」
「しかし……原始的なデモだな」
拓海はつぶやいた。シュプレヒコールもなし。プラカードもなし。横断幕も旗もなし。ただ単に、人が大勢集まってがやがやと騒いでいるだけである。それゆえ、示威行動にも関わらず、何を目的としているかが判然としない。……少人数でも主義主張がはっきりと伝わり、宣伝効果の高い現代の洗練されたものに比べれば、非効率極まりないデモである。
「ま、人数が多いうえに非暴力が徹底していないから、こちらのほうが怖いといえば怖いな」
タナシス人はこの世界では先進国民であり、暴力的性向は少ない。地方はともかく、王都リスオンは大都市にも関わらず犯罪も少ないと聞く。だが、このようなデモ隊にいったん火が点けば、たちまち暴徒と化すだろう。
「いまのうちに、外交団の人員を減らしておくか」
拓海は窓際から離れると、腕を組んだ。いまだ王宮で療養中……栄養のほとんどはコーちゃんジュースに頼ってはいるが、かなり回復してきた……のハルントリー王子の随員はともかく、ビアスコ王子とアフムツ氏族長の随員は全員帰してしまっても問題ないだろう。夏希の部下も、減らすべきだ。護衛の数はさほど多くない。なにかトラブルが起きた場合、守るべき人数が少ないほうが、より安全である。
「まずい、始まったぞ!」
窓に張り付いていた護衛が、叫んだ。
拓海は窓に駆け寄った。
デモ隊に変化が起きていた。怒号と悲鳴が、錯綜する。
一部が、暴徒化したのだ。
見守るうちに、何ヶ所かで垣根が倒された。それを乗り越え、宿舎の敷地に何十人もの市民がなだれ込んでくる。すぐさま警備していたリスオン市警備団の兵士が駆け寄り、押し戻そうとする。
「全員を一カ所に集めろ! 奥の大広間がいい。護衛は半数をつけろ。あとの半数はここに。時間を稼ぐぞ」
拓海は矢継ぎ早に指示を飛ばした。
「拓海様!」
リダが駆け寄ってくる。
「お下がり下さい、ここは危険です」
「いいや、引かないよ、リダ」
拓海は渋い表情で答えた。
「夏希から、後を託されてるからな。誰一人、怪我をさせるわけにはいかない」
結局、拓海の素早い指示は無駄に終わった。敷地内警備の兵士が奮闘し、侵入した暴徒を押し戻す。駆けつけてきた増援が、暴れている市民を追い散らした。暴徒化しなかったデモ参加市民も、強制的に解散させられる。
が……。
「最悪だ」
拓海は呻いた。
宿舎敷地内には、倒れ伏す数名の市民の姿があった。兵士が二人がかりで抱え、運ばれてゆくその姿に、生気は微塵もない。数で劣る警備兵が暴徒の建物内突入を防ごうと奮闘しすぎた結果であった。
悪いのは暴徒化した市民であり、殺害はリスオン市警備団……つまりタナシス王国正規軍によるものだが、他の市民たちは責任は憲章条約にあると受け取るだろう。さらなる反発は、必至である。市民レベルで反憲章条約の気運が盛り上がれば、オストノフ国王でも制御しきれなくなるおそれがある。
「打つ手なしだな」
王宮でのテロに関し、西部同盟の関与を証明するような証拠はいまだ見出されていない。第八の魔力の源に関しても、進展はない。
「頼むぞ、夏希」
拓海は窓から、南の空を振り仰いだ。仮にタナシス王国が完全に反憲章条約の政策を打ち出しても、憲章条約側が冷静であれば、衝突は回避できるだろう。二大勢力が正面切って軍事力を行使するとなれば、それは長く凄惨な戦いになるはずだ。死者は数万では済まないだろう。絶対に、避けねばならない。
第九十八話をお届けします。