94 外交団、西へ
「よくぞいらして下さった。夏希殿、ハルントリー殿下、ビアスコ殿下、アフムツ殿。友人として、歓迎いたします」
謁見の間に四人を迎えて、にこやかにオストノフ国王が言う。ちなみに、謁見の間であるにも関わらず、オストノフは夏希らを立ったままで出迎えていた。これは、相手に王子が含まれているとはいえ、大国の国王としては破格の対応と言えるだろう。
「お久しぶりです、陛下」
外交団長として真っ先に挨拶を返した夏希は、丁寧に他の三人を紹介した。
「長旅でお疲れのところ申し訳ないが、時間は我々の共通の敵であると認識している。さっそくだが、今回の和平交渉を担当する者を紹介しよう。わたしの娘、リュスメースだ」
オストノフの言葉に従って、やや小柄な女性が進み出てくる。夏希には見覚えのある姿だった。前回のリスオン訪問の際、歓迎の宴で見かけた地味な王女である。顔立ちは決して悪くはないのだが、始終むすっとした機嫌の悪そうな表情をしており、姉たちに似ず愛嬌がない王女だな、と思ったことを、夏希は鮮明に覚えていた。
「リュスメースです。わがタナシス王国の国内問題のために、友邦たるノノア川憲章条約の皆さんが遠路はるばるおいで下さったこと、まことに感謝に堪えません。平和のため、そして憲章条約諸国と我が国との友情のため、ともに働けることを嬉しく思います」
とことこと前に出たリュスメース王女が、ぺこりと頭を下げる。夏希は深々と礼を返した。
タナシス王宮の一室が、和平仲介外交団とリュスメース王女の協議の場として提供される。
さして広くもない部屋だったが、見た目はなかなか豪勢だった。中央には、余裕で十人は掛けられる分厚い天板のテーブル。壁の羽目板は丁寧に磨き上げられており、顔を近づければ化粧直しに使えるほどだ。
「……って、最近化粧してないなぁ」
夏希は頬を撫でた。この世界にある化粧品は鉱物質の染料を使った口紅程度で、一般の人々はみなすっぴんである。夏希はまだ十代だし、平原は常に湿度が高いので肌が荒れたりすることはないが、北の陸塊は乾燥気味なので肌もややかさつき気味だ。
「少し冷えますな。火を入れてもらいましょうか」
ビアスコ王子が両手をこすり合わせながら、壁に造り付けになっている石造りの暖炉を見やる。すでに何本か薪が置かれてあり、火さえ点ければいい状態のようだ。
「いいですな。いかがでしょう、夏希殿」
ハルントリー王子が、夏希を見る。
「そうですね。お願いしましょうか」
夏希は同意した。内心、まったく寒いとは感じていなかったが、冬季には普通に氷点下の気温を体験している彼女と、生まれた時から三十度超の暑さに慣れ親しんできた彼らとでは、寒さに対する耐性が違うはずである。
ビアスコ王子に指示されて部屋を出ていった書記が、すぐに王宮の庶務係を連れて戻ってきた。持参した金属製の筒の中から焚き付けと火種を取り出した庶務係の手によって、すぐに暖炉から小さな炎が上がる。細めの薪にしっかりと火が移ってから、庶務係がその上に太めの薪を載せた。長さ一メートルほどの鉄製らしい火かき棒を手にし、燃え上がった薪の位置を微調整する。
「お待たせいたしました、みなさん」
リュスメースが、自分の書記を連れて入ってくる。その後から、お茶のセットを持った侍女二人が続いた。
「クーグルト公国とカレイトン自治州の独立を認めない、というタナシスの意向には、我々も賛成いたします」
リュスメースが述べたタナシス王国側の和平条件を拝聴した夏希は、外交団を代表してそう明言した。
「いっその事、連合王国化するのはいかがでしょうか。すべての公国、自治州を王国に戻し、タナシス王国を盟主としてひとつの国としてまとまるのです」
ハルントリー王子が、そう提案する。
「失礼ながら、それは非現実的なご提案ですね、殿下」
やや皮肉めいた笑みを浮かべながら、リュスメースが答える。
「その中でひとつでも連合王国から離脱する国が現れれば、他の国々も雪崩を打って完全独立してしまうでしょう」
「殿下、雪崩とは何でしょうか?」
まだ若いビアスコ王子が、首をひねりつつ訊く。ハルントリー王子もアフムツ族長も、怪訝そうな表情だ。
夏希はぷっと吹き出した。おそらく、『雪崩を打つ』という言い回しは、ここの言葉も日本語も用法と意味合いが同じなのだろう。雪が積もったところどころか降っているのを見たこともない南の陸塊の三人が、雪崩という単語を知らぬのも無理はない。
リュスメース王女との協議を終え、宿舎に戻った夏希は、夕食を摂りながら協議の内容を拓海に話して聞かせた。
「じゃ、西部同盟への提案条件は決定したんだな」
平べったい無発酵パンに、柔らかいチーズを塗りつけながら、拓海が訊く。
「うん。独立は認めず。タナシス王国の一部に留まるのであれば、自治権の拡大は可。今回の武装蜂起に関しては、首謀者のみ処罰。ただし、死刑は適用しない。公国軍と自治州軍へのお咎めはなし」
「鞭は最小限だが飴も少ないな。この条件で、西部同盟が納得するかな?」
「納得させるしかないわね。いろいろと余裕のないタナシス王国がこれ以上譲るとは思えないし」
忙しく箸を使いながら、夏希はそう答えた。
「で、いつあっちに向かうんだ?」
「明日の朝。すでに西部同盟側も和平仲介には原則的に合意してるから、受け入れには問題ないはずよ。陸路を西にディディリベート州まで行って、そこからテマヨ川を下ってカレイトン自治州まで行くの。川沿いのムータールという小さな都市が会談場所に指定されているわ」
「向こうの代表者は?」
「西部同盟臨時代表、ササウ氏。クーグルトの貴族だそうよ。詳しい情報はリュスメースもつかんでいないようだけど、お飾りでなければかなりの実力者でしょうね」
「言うまでもないが、コーちゃん連れていけよ。生馬の部下も、十分にな。俺たちは、ここに篭ってる限り安全だからな」
深刻そうな表情で、拓海がそう言ってくれる。
「ありがとう。気を付けて行ってくるわ」
王都リスオンからディディリベート州の州都クオーンまでの陸路を旅するために、タナシス王国側が用意してくれたのは、一種の人力車であった。
かご型の車体に、座席がふたつ横に並んで取り付けられており、下部にはなかなか立派な金属製のスポーク付き車輪が四つついている。乗り心地を良くするためだろう、車輪のリム部分には、曲げ木がはめ込んであった。前部には、T字型の木製の棒がカブトムシの角のように突き出ており、二人の車夫が横棒を握って歩けるようになっている。
「なんか、昔の乳母車っぽいわね」
夏希は、タナシス側が付けてくれた護衛隊の隊長に促されるままに、人力車の座席に座った。提供されたのは二台だけだったので、その隣にはアフムツ氏族長が座る。もう一台には、ハルントリーとビアスコの二人の王子が、仲良く座った。他の者……代表随員、夏希の部下、自前の護衛、タナシス側が提供してくれた護衛、それにアンヌッカは、当然徒歩となる。コーカラットは、もちろんいつもの飛行形態だ。
人力車の乗り心地は、懸念したほど悪くはなかった。徒歩の者に合わせているために速度はゆっくりしていたし、座席も柔らかい詰め物をしてあるようで揺れは苦にならない。街道も幅広くはなかったが、よく整備されているようで凹凸も少なく、埃避けなのか砂や細かい石……砕石ではなく河原に転がっているような滑らかな小石……を薄く敷き詰めてある。……雨が降るとたちまち泥濘と化す平原の二線級街道とは、比べ物にならない。このあたり、さすが大国というところか。街道だけではなく、橋や堤防、河港などのインフラ整備も、かなりの高水準と言える。
一日目の行程を終え、街道沿いの小さな街で一泊した一行は、翌朝ディディリベート州の州都クオーンへの陸路の旅を再開した。出立してほどなく、街道が急に下り勾配となった。三回ほどつづら折りの道を下ってゆくと、風が急に冷たさを失って暖かなものに変わる。高原地帯を抜け、テマヨ川が形作った西部地域の平野部に入ったのだ。夏希は厚い上着を脱ぐと、軽いものを羽織った。
一行は街道沿いでもう一度宿泊し、旅は三日目に入った。一度雨に降られたが、それ以外は大したトラブルもなく、夕方前にディディリベート州の州都クオーンに到着する。宿舎に案内された外交団は、振舞われた夕食を摂ると早々に寝床に引っ込んだ。
翌日、クオーン市の河港で船に分乗した外交団は、テマヨ川を下った。午後遅くになって、最終目的地であるムータール市にようやくたどり着く。
会談は、翌日から開始された。何らかの役所と思われる大きな建物の一室に案内された夏希らの前に、いかにも西部諸国人らしい黒い肌の中年男性が現れる。
「西部同盟臨時代表、ササウです。暫定的にではありますが、クーグルト王国およびカレイトン王国の外交部門を統括担当しています。おいでを歓迎いたします、夏希殿、ハルントリー殿下、ビアスコ殿下、アフムツ殿」
「ササウ殿、当外交団は中立的立場を貫きたいと思っております。したがって、現在西部同盟を名乗っている組織との交渉は喜んで行わせていただきますが、その母体であるクーグルト公国とカレイトン自治州を王国と呼称することは、現状では中立的ではないと思われます。よろしいでしょうか」
ややうんざりとしながら……しかしそれを顔に表さずに、夏希は言った。
「もっともな主張ですな。以後、留意します」
ややひょうきんなしぐさで肩をすくめたササウが、にこりと微笑む。
夏希は文書化した和平提案……リュスメースと合意したもの……をササウに手交した。一読したササウが、再びひょうきんなしぐさで肩をすくめる。
「かなりタナシスは譲歩したようですね。しかし、独立は認められないという。こちらとしては、宣言した独立をタナシスに認めさせること、が最低目標です。これは、受け入れられませんね」
「ノノア川憲章条約総会としては、今回の和平仲介に並々ならぬ意気込みで臨んでいます」
少しばかり脅しつけるような口調で、夏希は言った。
「もし仮に当外交団がなんら成果を挙げずに帰国することになれば、憲章条約諸国と北の陸塊との友情にひびが入りかねませんよ」
「なぜ、あなた方はタナシスに肩入れするのですか?」
口調を改めて、ササウが訊いてくる。
「それは……憲章条約諸国は平和を常に希求し、紛争や戦争は抑止すべきだと考えているからです。タナシス王国とは平和裡に条約を結び、北の陸塊全域が同国の領土であることを認めています。現状では、タナシス王国は条約諸国の友邦なのです」
「つい先ごろ、あなた方はタナシス王国に侵略されたではないですか。特に、ハルントリー殿下。殿下の国は、占領されて市民が辛酸を嘗めさせられたはず。そのような非道な国の肩を、なぜ持つのですか?」
夏希の右隣に座るハルントリーに視線を当てて、ササウが問う。
「その当時、クーグルトもカレイトンもタナシス王国の一部であり、侵略に加担したはずですがね。……いや、今のは失言ですな。今現在も、両地域はタナシス王国の一部です」
ハルントリー王子が、やや辛辣に言い返す。
「我々の独立は、憲章条約の精神にも合致するはずです。憲章条約諸国が手を組むべきなのは、タナシス王国ではなく、我々なのではないですか? あなた方が味方に付いてくれれば、東部のメリクラ自治州とペクトール公国も独立するでしょう。積極的に働きかければ、中部のスルメ公国とバラ自治州もまず確実に独立を宣言します。タナシス王国の力を削いだうえに、ラドームを含めれば七カ国もの信頼できる友邦を得られるのですよ?」
熱心な口調で、ササウが説く。
「ササウ殿。わたしたちはつい先日、リスオンを発ったのです。タナシス側の担当者であるリュスメース王女とは長時間にわたって話し合いましたし、オストノフ陛下の意向も確認しました。もし憲章条約諸国があなた方の独立に手を貸したら、タナシスとの全面戦争に発展しかねません。たしかに、憲章条約は民族自決主義や国家間の平等主義を謳ってはいますが、それよりも大切なのは平和と市民の命です。今回の紛争、今までは人命の損失は最小限で済んでいると聞きます。これ以上、人命を損なわずに、平和的に事態の解決を図るべきではないでしょうか」
夏希も、熱のこもった口調で反論した。
「ササウ殿。西部同盟側の和平条件を、お聞かせ願えないだろうか」
場が熱くなったことを察したビアスコ王子が、ことさらに穏やかな調子で尋ねた。
「独立、です。タナシス王国は、クーグルト王国とカレイトン王国を完全なる独立国家として承認する。その上で、相互不可侵の条約を結ぶ。両王国とも、平和を尊ぶ国家であり、タナシス王国への領土的野心は持ち合わせていません。公国および自治州時代にあったことは、すべて水に流してタナシス王国と友好的関係を築くつもりです。可能であれば、ノノア川憲章条約に加盟したいですが、タナシスがそれを望まないのであれば諦めてもいい。国の安全が、憲章条約諸国によって保証されるのであれば、軍を解散してもいい。武装蜂起を咎めたいのであれば、わたしを含めた指導者層を全員処刑しても構いません。独立と、その後の安全さえ得られれば、どのような犠牲でも払うつもりです」
ササウが、自信ありげな表情で、きっぱりと言い切る。
「タナシスは我々の独立を認めるつもりはないようだ。そして、憲章条約もそれに同調している。残念ながら、彼らは味方ではないと、結論せざるを得ない」
ため息混じりに、ササウは言った。
憲章条約外交団との協議は、二日目を終わっても全く進展がなかった。どちらも、絶対条件である『独立』について譲らなかったためだ。いわゆる平行線という状況である。
「では、やはり東部同盟が提案した計画を実行するしかありませんね」
向い合って座っている悲しげな目付きの中年男が、小さくうなずいた。東洋系の顔立ちに濃い褐色の肌。西部同盟の外交担当幹部、イムサーンである。
「具体的に、何をする気なのだ、東部同盟は?」
「それは、ササウ殿がお知りになる必要はありません」
右手を立て、拒絶のしぐさをしつつ、イムサーンが答えた。
「実を申せばわたしも詳細は知りません。ただし、この計画を効果的に行うには、西部同盟と憲章条約が友好関係を結んだことを強く印象付ける必要があります」
「友好関係? それは、難しい注文だな」
ササウが、皮肉げに微笑む。
「密約を結ぶのもよろしいでしょう。例えば、今回の紛争は憲章条約が提示した和平案をすべて呑む。それと同時に秘密裏に西部同盟はノノア川憲章条約に加盟し、将来的には憲章条約の支援を受けてタナシス王国から独立する、というのはどうでしょう」
「……夏希殿が受け入れるだろうか?」
「東部同盟の計画を成功させるには、我々と外交団の関係をきわめて親密にしたうえで、彼らをリスオンに送り返すしかありません。明日の交渉で、大幅譲歩をお願いします」
相変わらず悲しげな目で、イムサーンが訴えた。
第九十四話をお届けします。