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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第三章 タナシス王国編
90/145

90 ラドーム騒乱

 ただならぬ物音に、ラドーム公国のカミュエンナ公王女は目覚めた。

 まだ夜明け前だというのに、遠くから喧騒が聞こえてくる。さながら年に一度の島神の祭りでも始まったかのようだが、今はそんな時期ではない。公王宮内でも、人々が走りまわるような気配があった。……市街地で大火でも生じたのだろうか。

「何事ですか」

 身を起こしたカミュエンナは、控えの間に向け、鋭く問いかけた。

「お目覚めでございますか、殿下」

 すっと扉が開き、二人の侍女が燭台を手に入ってきた。一人が、カミュエンナの細い肩にショールを巻きつける。

「殿下、ご報告申し上げます」

 護衛官の一人が、控えの間から声を掛けてくる。

「続けなさい」

 侍女の一人に手振りで水を所望しながら、カミュエンナは促した。

「はっ。どうやら、タナシス軍部隊の駐屯地が、襲撃されている模様です」

「なんですって」

 カミュエンナは寝台から降りた。水を持ってきた侍女を無視し、北側の窓へと歩み寄る。彼女の意図を先読みした侍女が、窓にはめ込まれていた防水紙を張った木枠を取り外す。

 グルージオン市北部郊外、タナシス正規軍駐屯地のあたりに、数百もの松明の明かりがまたたいている。市街地に通じる道のあたりにも、松明は列を作ってまたたいており、その光る帯は大河の流れを思わせるゆっくりした速度で、駐屯地の方へと近づいて行っている。

「これは……」

 暗くてよくわからないが、駐屯地を取り囲んでいるのは普通のグルージオン市民ではあるまい。単なる示威行動なら、夜間に行う必要はない。となれば、彼らの正体は間違いなく武装集団だ。

 二千名の定員だったラドーム公国駐屯タナシス正規軍が、半数の千名に削減されたのはつい先日のこと。駐屯軍弱体化を待って、武装集団が蜂起したに違いない。そして、このラドームでそのような戦力を調えられる勢力と言ったら、ひとつしかない。

 すなわち、ラドーム王国復活を願う人々。

 カミュエンナの父、シャハミは優秀な国王であり、国民にも人気があった。そのシャハミは、タナシス王国から併合の打診……遠まわしな脅迫……に対し、武力による抵抗をあっさりと諦め、ラドームがタナシス王国内の公国となる道を選んだ。そして、乗り込んできたタナシス人は、シャハミの能力と人気を警戒し、彼を強制的に退位させ、まだ幼かった娘のカミュエンナを初代公王の座に就けた。

 これらの一連の処置、そしてそれ以降のタナシス王国による横暴とも言える要求の数々……特にラドームの若者に対する辺境軍兵士としての強制徴募……は、ラドーム人の反感を増大させた。表面上、彼ら反タナシス派の市民は大人しくしているが、裏では組織化を進めたり、武器を密かに集めたりしている、との噂も流れている。

 それが、一挙に吹き出したに違いない。

 カミュエンナは、窓から首を突き出して東の空を眺めた。水平線から上は、ほのかに白んでいる。とすると、夜明けまではまだ時間がある。

 窓から身を引いたカミュエンナは、控えの間へと歩み寄った。夜着であるにもかかわらず、護衛官の前に出る。

「ムーリア。すぐに公国軍団に非常呼集を。公王宮の警備も固めるように」

「はっ」

 深々と礼をした護衛官が、去る。

「困った人たちだわ」

 侍女から水を受け取ったカミュエンナは、それを一気に飲み干した。次いで、侍女に向かい着替えを持つように命ずる。

 動きやすい服を選んだカミュエンナは、侍女に着付けてもらいながら頭の中で計画を整理した。いまここで、タナシス王国と事を構える訳にはいかない。王国復活派はタナシスが南の陸塊諸国との戦争で疲弊したことを好機とみて蜂起したのだろうが、相手は様々な問題を抱えているとはいえ大国である。小さな島国であるラドーム……人口は五万人ちょっとしかいない……では、長期間の紛争には耐えられない。武力衝突となれば、まず勝ち目はないだろう。ラドーム公国は、ラドーム自治州に、いや、下手をすれば自治さえ許されない辺境州にされてしまいかねない。

 ラドーム公国の正規兵力である公国軍団は、四個二千名からなる。グルージオン市防衛の一個団ならば、朝までには集まるのは確実だ。一千のタナシス駐屯軍に対抗しようと集まった武装集団なら、その数は最低でも二千名以上のはず。しかし、カミュエンナ自らが一個団五百名を率いて向かい、説得を行えば、抵抗せずに解散してくれるだろう。

 着替え終わったカミュエンナは、侍女に食事の用意を命じた。空腹のままでは、兵士を率いることはできない。

 と、通廊に通じる扉の外が急に騒がしくなった。どたどたと、人が駆けまわる音が響く。

 残っていた侍女が、カミュエンナを守ろうとするかのように前に出る。

 ばん、と扉が勢い良く開いた。長身の中年男が、のっそりと入ってくる。

「お父様!」

 カミュエンナは思わず叫んだ。

 現れたのは、最後のラドーム国王、シャハミだった。

「夜分にすまんな、カミュエンナ」

 歩み寄ったシャハミが、腰を屈めるとあっけに取られているカミュエンナの褐色の頬に、そっと唇を寄せる。

「ではあれは、お父様の差し金ですの?」

 カミュエンナは、北の窓を指差した。

「差し金、と言うのは適切な表現ではないな。わたしが命じたわけではないのだから。彼らの目的が、ラドーム王国復活とわたしの復位だということは、確かだが」

 身を引いたシャハミが、にこやかに言う。

 カミュエンナは実父を見据えた。実に、二年ぶりの再会である。シャハミはラドーム島北部の離宮に軟禁状態に置かれていたし、国政に関与させないために実子であるカミュエンナと合うことすら、タナシス側の『要請』で数年に一回に制限されていたのだ。

「お父様、すぐに止めさせてください。今ここで我が国がタナシスと事を構えるのは、危険です」

 カミュエンナは、強い口調でそう要求した。シャハミが、穏やかに微笑む。

「賭けではあるが、十分に勝ち目のある賭けなのだよ」

「勝ち目? そんなもの、どこにあると言うのですか?」

 語気鋭く、カミュエンナは尋ねた。

「ラドーム王国には、力強い友人がいるのだ。大丈夫。わたしが国民を悲しませることをする国王でないことを、お前はよく知っているはずだ。さあ、公国軍を率いてタナシス正規軍駐屯地を包囲し、武装解除を迫るのだ。大丈夫。きっと上手く行く」

 シャハミがにやりと笑って、その大きな手をカミュエンナの肩に掛けた。


 タナシス正規軍ラドーム駐屯部隊の士気が持ったのは、その日の昼までであった。

 五千を超える武装市民と、二千名のラドーム公国軍に完全包囲された駐屯部隊一千名。数回の小競り合いでラドーム側が本気であることを悟ったタナシス部隊指揮官は、タナシス本土への早期送還を確約したカミュエンナとシャハミの言葉を信用し、武装解除に応じた。日暮れ前に、公王宮においてラドーム王国復活が宣言される。玉座には、もちろんシャハミ前国王が復位した。



「寝耳に水、とはこのことだな」

 拓海が、ぼやく。

 五人の異世界人は、新築の夏希の家に集っていた。引越しもすでに済んでおり、シフォネも一緒に暮らしている。そのシフォネが、皆の前にお茶の入ったカップを置いてゆく。

 ラドーム騒乱の知らせがマリ・ハにもたらされたのは、今日の昼頃であった。すぐさまノノア川憲章条約総会が開かれ、対応が協議される。

 とりあえず全会一致で採択されたのは、『ラドーム問題の静観』決議であった。ノノア川憲章では、ラドーム島以北は『タナシスの勢力圏』であることをはっきりと認めており、『タナシス王国の内政問題に介入しない』ことを謳っている。前国王によって独立宣言がなされたとしても、それは外交的に見ればあくまで『タナシス王国の内政』問題である以上、我関せずの姿勢を貫くことが筋であるし、ノノア川憲章条約諸国の利益にも繋がる。

「でも、なんで武装蜂起の上独立宣言、なんて馬鹿なことやっちゃったのかしら。カミュエンナは、賢い子だと思ってたのに」

 夏希はそう言った。正規軍、海軍ともに南の陸塊侵攻失敗で大損害を受けたとはいえ、いまだタナシス王国は強力な軍備を保有している。その気になれば、ラドームくらい簡単にひねり潰せるだろう。

「軍事専門家としては、どう見るの?」

 凛が、拓海に振る。

「タナシスが動員できる船舶数が不明だが……まあかき集めれば三十隻くらいは余裕だろう。一隻あたり陸戦兵力二百五十名だとして、総兵力七千五百名。ラドーム公国軍……今は何と名乗っているかは知らないが……が四個団二千名。市民軍が、無理してかき集めて八千から一万。一見するといい勝負だが、ラドーム側には兵力増援の手立てがない。まず、ラドームに勝ち目はないな」

「なんで蜂起したのかしら。カミュエンナ・パパは聡明な君主だったはずでしょ?」

「あのー、カミュエンナの父親はシャハミって名前なんですけど」

 夏希は、凛の言葉をやんわりと訂正した。

「支持者に担がれて仕方なく蜂起したのかもしれないね。リーダーのカリスマが時間の経過とともに失われ、最後にはお飾りになるというのはよくある話だし」

 駿が、口を挟む。

「隠居生活が長引いて、カミュエンナ・パパが惚けちまったんじゃないのか?」

 こう言うのは、生馬。

「ま、カミュエンナ・パパのお手並み拝見、というところだな。タナシスの内政問題に、手はもちろん口も出すべきじゃない。成り行きに任せるしかない」

 拓海がそう言って、お茶を口に含む。

「いや、口くらい挟んでおいたほうがいいよ。タナシスに恩を売れるからね。不介入宣言やカミュエンナ・パパに対する非難決議くらい、すぐに出せるはずだ」

 駿が、言う。

「言葉だけなら、安いもんだしね」

 凛が、肩をすくめた。

「そうなると、カミュエンナがかわいそうね」

 夏希は肩を落とした。褐色の肌の、感じの良い美少女。タナシス側は、寛大に扱ってくれるだろうか。

「そうだな。おい、駿。もし仮に敗れたカミュエンナ・パパとカミュエンナが亡命を求めてきたりしたら、どうするんだ?」

 拓海が、訊いた。

「政治亡命か。そいつは、やっかいだね」

 駿が、顔をしかめる。

「どの国に亡命を求めて来たとしても、人道的見地からは受け入れざるを得ない。ノノア川憲章の精神にも合致するしね。しかし、今回の武装蜂起はタナシスの国内法では明白に犯罪行為になるだろう。それに、純粋政治犯罪とは見做されないから……。犯罪人の引渡しは相互主義に基づくものだし、おそらくはタナシス王国と南の陸塊諸国間で犯罪者の引渡しが行われた例は過去にないと思うから、あくまで人道に基づく、として引渡しを突っぱねることはできるんじゃないかな。平原や海岸諸国間では、どのような前例があるのか、調べてみる必要がありそうだね」

「カミュエンナだけでも、助けてあげたいわね」

「ああ。あの姫さんには世話になったしな」

 夏希のつぶやきに、拓海が賛同する。



「こ、国家承認ですって?」

「はい、外交委員。ルルト王国、オープァ王国、ラクトアス王国、チュイ王国、ニガタキ王国の海岸五カ国が、連名でシャハミ国王を元首とするラドーム王国を、国家承認すると発表しました」

 外交部職員が、早口で説明する。

「誰か、駿を見つけてきて。早く!」

 夏希は慌てて数名の職員を使いに出した。


「国家の成立要件は、簡単に言えば国民、領土、政府、そして外交能力の四つだ。その要件が揃えば、たとえ外国が国家承認してくれなくとも、国際法上は主体性のある国家として扱われることになる。だが、今回の場合はちょっと複雑だ」

 言葉を切った駿が、溜息をつく。

「タナシス王国は、当然ラドームの独立を認めず、その領土はタナシス王国の領域であり、住民もいまだ王国民だと見做しているはずだ。そのような状況で、カミュエンナ・パパのラドーム王国を国家承認することは、内政干渉と言われても仕方ない」

「じゃ、ノノア川憲章条約違反じゃない」

「そうなんだが……それにもかかわらず、海岸主要国がラドームを国家承認したということは……」

 言葉を切った駿が、渋面を作る。

「どうやら、カミュエンナ・パパに一杯喰わされているかもしれないね、僕たちは」



「ノノア川憲章条約諸国も、混乱しているようだな」

 他人事のように、オストノフ国王が言った。

 タナシス王宮の執務室である。広い机と、椅子。それに書記が控えている小さな机があるだけの、さほど広くない部屋だ。装飾のたぐいはほとんど無く、良く言えば質実剛健、悪く言えば殺風景で面白みに欠ける一室である。

「やはりこの反乱、裏で海岸諸国が動いていたようですね」

 机の前に立ったリュスメース王女は、あまり感情のこもらぬ声音で言った。

 ラドーム公国内に放ってあった諜報員は、反乱の予兆をまったく捉えることが出来なかったので、駐屯部隊は完全に不意を衝かれ、降伏を余儀なくされた。捕虜となった約一千名は、いまだラドーム島内で拘束中だ。シャハミ元国王……タナシスはラドーム王国復活を認めていないので、当然この肩書となる……は捕虜の送還を確約しているが、引き換えにラドームの独立承認を要求してきている。もちろん、それに応ずるつもりはオストノフにもリュスメースにもなかった。ラドーム独立を許せば、他の公国や自治州にも同様の動きが出てくるだろう。それだけは、絶対に避けねばならない。

「で、反乱鎮圧計画は?」

「軍船四隻、民間船舶三十二隻を使用すると、陸戦兵力八千名が三日分の物資と共に輸送できます。ペクトール、カレイトン、バラから公国軍および自治州軍合計六個団三千。リスオン、ディディリベート、アノルチャ、ディディリア各州から正規軍十個団五千。総指揮は、アンタイク将軍でいかがでしょうか」

「うむ。それだけあれば、十分だろう。海岸諸国が動かなければな」

 オストノフが言って、嘆息した。

 無謀とも思える今回のラドーム反乱。そして素早い海岸諸国による国家承認。

 どう考えても、シャハミ元国王の裏には、海岸諸国がいるはずだ。したがって、このまま鎮圧部隊を送り込めば、タナシス王国と海岸諸国の交戦に発展しかねない。むろん国力と兵力はタナシス王国のほうが上だが、現状では海軍力は海岸諸国のほうが圧倒的に優っている。対決の場がラドーム島であれば、不利は否めない。

 そしてもちろん、今のタナシス王国には、八千の兵力をラドーム島で長期にわたって戦闘させるだけの余裕は、ない。

「マリ・ハに使者を送りましょう。ノノア川憲章条約総会を味方に付けるべきです。先日届けられた外交委員ナツキ殿の書簡にもある通り、彼らは第八の魔力の源が北の陸塊にあると確信しています。今回の紛争でその捜索活動に支障をきたしている、と主張すれば、高原諸族はわがタナシスの味方に付くでしょう。平原も、対立よりは共存を選ぶはずです。海岸諸国に圧力を加え、介入を阻止できる可能性が高いです」

 リュスメースは、そう分析した。

「同意する。だが、単に使者を送り込んだだけでは、海岸諸国に追い返されてしまうぞ」

「無視できないほど高位の使者を送りましょう」

「例えば?」

「ロンドリー殿ならば、問題ないでしょう」

「外務大臣か。いや、もう少しインパクトが欲しいな。シェラエズにしよう」

「お姉さまを……」

「王族となれば、海岸諸国も無碍に扱えまい。ラドームを経由せず、直接ルルトへ乗り付けるのだ。リュスメース、シェラエズとよく相談し、いかにしてノノア川憲章条約国家を説得するか策を練るのだ。よいな」

「御意」


第九十話をお届けします。

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