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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第二章 海岸諸国編
86/145

86 帰国

「ルルト王国は譲るつもりはないようです」

 静かな声で、リュスメース王女は報告した。

「むう」

 オストノフ国王が、唸る。

 タナシス王国の財政状況は、悪化の一途をたどっていた。もっとも国庫を圧迫していたのは、正規軍および辺境軍の維持費である。前者が定員四万、後者が二万。総人口二百万を越える大国とは言え、政治的に信用の置ける生粋のタナシス人は半数程度である。人員の確保だけでも難事であり、その維持にも多額の費用が掛かった。

 それに次いで王国の財布を軽くしていたのは、各公国と自治州に対するいわゆる『対策費』であった。すなわち、独立派に対する取締り、有力者に対する懐柔、市民に対する福祉政策、公共投資などである。いわば、公国と自治州をタナシス王国という枠内に留め置くための経費、と言えようか。先代のタナシス王は、軍事力の優位を活かして勢いに任せて北の陸塊を武力で統一したが、政治的統合には成功しなかったのだ。半ば力ずくで性交におよび複数の情婦をつくった男が、女たちに逃げられるのをおそれて金品を分け与えるはめになる、というたとえ話は、すでにオストノフが即位する前から世間には流布していた。

 ジレンマであった。軍縮すれば、国庫の負担は楽になるが、独立派が勢いを増すことになろう。いっそのこと独立を許してしまえ、という案も以前にはあったが、そうなると各国は安全保障のために結びつき、反タナシス連合を組むに違いない。そうなれば、必然的にタナシス王国も軍拡に走らなければならなくなり、軍事費は増大する。いずれにしろ、国庫はさらに窮することになる。

 シェラエズ王女指揮による南の陸塊侵攻作戦は、一種の賭けであった。もちろん一時的には大出費となるが、魔力の源とともにルルト王国から略奪した品を持ち帰れば、遠征費用くらいは十分賄えるはずだ。タナシスの目論見としては、最終的にはほとんど金を使わず、場合によっては儲けすら出しながら、魔力の源確保という安全保障上の課題も達成できる……はずであった。

 ところが現実は厳しかった。遠征軍は予想だにしなかった固い結束を見せた南の陸塊各国の反撃の前に破れ、一万近い未帰還者と二万を超える捕虜を出した。海軍も大打撃を受け、民間の徴用船も多数が失われた。得られたのは、魔力の源ひとつだけ。そしてもちろん、ルルト王国を始めとする海岸諸国は、損害補償という名目の多額の賠償金を、タナシスからむしり取ろうとしている。

「ペクトールの動きはどうだ?」

「依然活発です」

 東部地域海岸のペクトール公国。ここも、以前より独立運動が活発なところである。ここは重要な公国であった。もしペクトールが独立を宣言するようなことがあれば、隣接するメリクラ自治州、バラ自治州、スルメ公国にも飛び火しかねない。四者が結べば、人口五十数万の大国となる。正規軍四万では、対抗できぬだけの市民軍を動員できるだろう。

「なにかいい手はないかな」

 気弱そうに言って、オストノフがリュスメースを見た。すでに時刻は深夜に近い。寝室に隣接する小さく居心地のいい居間には、従者すらおらず、父と娘二人きりだった。いわば、完全にオフの状態である。オストノフは雄々しく頼もしい武人国王という表向きの虚飾を脱ぎ捨て、リュスメースのことを愛する末娘として接していた。しかし、リュスメースの方はいまだ有能な秘書官としての仮面を被り続けていた。彼女がこの仮面を取るのは、いまや寝台の中だけである。いや、最近リュスメースが見る夢は、もっぱら自分が政務に勤しんでいる姿ばかりであった。そのような意味では、寝台の中でさえ、彼女はその仮面を被り続けているのかもしれなかった。

「ひとつだけ、方法があります。絶対に採用できないやり方ですが」

「ほう。聞かせてもらおうか」

「ディディウニに一ヶ所、ディディリアにも一ヶ所、放棄された金鉱山があります。まだ鉱脈は掘りつくされてはいませんが、採掘コストが合わなくなったので、放棄されました。ここを、復活させれば、かなりの収入が見込まれます」

 務めて冷静な口調で、リュスメースは告げた。

 オストノフの眼がすっと細まった。末っ子を愛でていた父親が、国王に様変わりする。

「なんと。魔力の源を使うつもりか!」

「わが国の巫女にも、その程度のことならできます。もっとも、これは準備するだけで実際には行いません。南の陸塊に、わが国が財政的に危機であり、海岸諸国が要求する補償をすべて支払うには、これしか方法がない、とリークするのです。うまくいけば、高原諸族が海岸諸国に圧力を掛け、補償金額を引き下げてくれるでしょう」

「むう。しかし、財政危機を外国にまで知れ渡らせるのは、体裁が悪いな」

「仕方ありません。事実ですから。幸い、知れたとしても実害はありません。南の陸塊諸国が、攻めて来るような事態は起こりえないでしょうし」

「確かにな。ところで、八番目の魔力の源の捜索に関してだが……」

「各辺境州、辺境軍への通達は行いました、念のため、各州および各自治州、各公国に対しても注意喚起をしておきました。早く見つかればいいのですが」

 懸念を含んだ口調で、リュスメースは報告した。彼女も、八番目の魔力の源が北の陸塊にあるとは思っていなかった。どこにあるにしろ、これを確保できれば人間界縮退問題は一応の解決を見る。蛮族の動きも沈静化し、辺境軍への負担も、減るだろう。

「おそらく、北の陸塊にはあるまい。だが、南の連中には協力的なところを見せておかないとな。ご苦労だった、リュスメース」

 再び父親の顔に戻ったオストノフが、微笑んでリュスメースの肩を叩いた。



 アノルチャからラドームまでの航海は、何事もなく無事終了した。首都グルージオンで船を下りた夏希は、再び公王宮を訪れ、カミュエンナ公女王に丁寧に礼を述べた。タナシス王国との仲介や、立ち寄った際の宿の提供、さまざまな情報収集の協力、さらには和平会談と損害補償協議の場の提供など、ラドーム公国にはすっかり世話になった。

「そうですか。オストノフ陛下も、本心から友好を望んでいるのですね。ありがたいことです」

 カミュエンナが、褐色の顔をほころばせる。

「気がかりなのは、損害補償に関する交渉の進展が見られないことです。早くタナシスが支払って、終わりにしてくれると嬉しいのですが……」

「どうも、支払うだけの力が、今のタナシスにはないようです」

 夏希はそう応じた。カミュエンナが、うなずく。

「そうですか。かなり無理をしているとは、以前から聞いていましたが。近々、当地に置いている正規軍守備隊の一部を、本土に戻す計画もあるようです。維持費削減のためでしょうね」



 グルージオン出航二日目に、海が荒れた。夏希はさっそくユニヘックヒューマのジュースのお世話になった。夜半には風雨は収まり、翌日快晴となったルルト海港に、船団は滑り込んだ。

 ルルト王宮で、外交団の解散式が執り行なわれる。それを終えた夏希らを待ち受けていたのは、久々に見るキュイランスであった。

「なんだ。そんなに麻薬のサンプルが欲しかったのか。残念だが、荷物の中に突っ込んであるから、これを解くまでは渡してやれないよ」

 拓海が、苦笑交じりに告げる。

「それはあとで結構です。こちらへは、仕事に来たのですから」

「秘書官としての仕事なの?」

「秘書官としてではありませんよ。そちらは失業しました」

「グリンゲ殿に放り出されたのか?」

 拓海が、訊く。

「いいえ。放り出されたのは叔父上ですよ。情勢が落ち着いたので、田舎の領地に逃げ隠れしていた貴族たちが王都に帰ってきて、叔父上も農務大臣の椅子を取り上げられたのです」

「それはひどいわね」

 夏希は眉根を寄せた。

「もっともすぐに、駿様と生馬様が、ノノア川憲章条約防衛隊海岸支隊の副司令官というポストを見つけてくれましてね。今はそこに収まってます」

「じゃ、元気なんだ。よかった」

「もちろんです」

 キュイランスが、笑顔を見せる。

「で、あんたはどうしてるんだ?」

 旅の疲れが出たのか、自分の腰を揉みながら、拓海がめんどくさそうに訊く。

「戦場では、わたしはあまり役に立ちませんからね。今は駿様の助手をやっています。いずれ憲章条約の下部組織が整ったら、経済調整局に面白い仕事を見つけてくれるそうです。今回の仕事は皆さんのお出迎えですよ。えー、皆さんを総会を始めとする主要機構が置かれるマリ・ハへとお連れします。今日の宿舎はもう確保しましたし、川船の手配も明日の朝までには終えておきます」

「かなりお土産を買い込んできたから、五隻は必要ね」

 夏希は頭の中に購入品リストを思い浮かべながらそう告げた。

「了解しました。お任せ下さい」



「ははは。間に合わなかったな」

 マリ・ハの船着場で、出迎えてくれた生馬が豪快に笑う。

「間に合わなかったって?」

 手を借りて川船を降りながら、夏希は訊いた。

「ノノア川憲章条約発足記念式典さ。昨日、盛大に行われたんだ。なかなかの見ものだったよ」

「じゃあ、順調に行ったんだな」

 拓海が、確認する。

「ああ。すべての国と氏族がつつがなく批准した。組織の方も、まだ大雑把だが発足した。式典後には、第一回総会が開かれて、設立に尽力した人々に対する顕彰が満場一致で可決された。その筆頭に、駿の名前があった。当然だがな」

「では、わたしはここで失礼します」

 川船に便乗していたサーイェナが、言う。

「ハンジャーカイへ行くの?」

「いいえ。高原まで戻ろうと思います。長旅で、いささか疲れましたわ。エイラとも相談しましたが、人間界縮退対策本部は当面彼女に任せて、しばらく骨休めしたいです」

「そうね。それがいいわ」

 夏希はそう言った。夏希自身も、ワイコウとの戦いが勃発して以来、ずーっと動き続けていたような気がする。ワイコウの降伏。ラドーム止まりだった、タナシス訪問の試み。タナシスによる侵略と、その撃退。そして今度の、タナシス訪問。

「わたしも少しのんびりしたいわね」

「それがよろしいでしょう。夏希殿も、戦場に、外交にと八面六臂の活躍でしたから」

 サーイェナが、微笑む。

「サーイェナ様。よろしければわたくしが川船の手配をしてまいりましょうか」

 キュイランスが、そう申し出る。

「そうね。まだ日も高いし、今日中に出発すれば、かなり旅程を稼げるでしょう。お願いしますわ」

「心得ました」

 笑顔で一礼したキュイランスが、走り去る。

「ねえ、リダ。あなたはどうしますか? 希望するなら、高原まで送り届けてさし上げますが」

 サーイェナが、リダに水を向ける。

 居合わせた全員の視線が、小柄な金髪の少女に集まった。

「わたしは……もしお許しが出るのであれば、このまま拓海殿のおそばでお仕えしたいです」

 傷のある頬をやや紅潮させながら、リダがはっきりとした声で言う。

「でもなぁ。外交団ならともかく、平時に個人的な護衛なんて必要ないし」

 拓海が、頬を掻く。

「副官兼護衛でいいじゃないの。アンヌッカのような。そばにおいてあげなさいよ」

 夏希は拓海を見下ろしてそう言った。やはり若い女性である。自分が恋愛対象として眼中にない男性のことを、好ましく思っている知り合いの年下女性がいれば、それを応援したくなるのは当然の心理である。

「ま、いいか」

 諦め顔でつぶやくように言った拓海が、真顔になるとリダに手を差し出した。

「すまんが、しばらくのあいだ世話になるよ」

「はい、ありがとうございます、拓海殿」

 リダが、その緑色の眼をきらめかせながら、拓海の手をそっと握った。



 マリ・ハ市内は建築ラッシュであった。至るところに製材や丸太、切石などが積み上げられ、大勢の職人が立ち働いている。夏希はその中に、金色や赤茶色の髪をした高原の民や、褐色のウェーブした髪を持つ海岸諸国人が結構混じっていることに気付いた。人的、経済的な結びつきが、以前より格段に深まっているのだ。

「おかえりー」

 生馬の案内で連れ込まれた真新しい建物で待ち受けていたのは、凛であった。いきなり、夏希に向かって手を差し出す。予期していた夏希は、腰に吊った小袋から布に包まれた握りこぶしほどの塊を取り出した。

「なに、これ」

 受け取った凛が、布を解く。

「チーズね」

 凛が、指で押して硬さを確かめてから、チーズの塊に歯を立てた。

「おいしい。味はエダムっぽいわね。他に、なに買ってきてくれたの?」

「色々とね。まずは一休みさせてよ。長旅だったんだから」

「はいはい」

 一行はぞろぞろと建物の廊下を進んだ。真新しい木の匂いと、樹脂の匂いが鼻をつく。夏希と拓海、それに生馬は小さな食堂に招じ入れられた。木製のテーブルと椅子が置いてあったが、こちらは中古品らしくやけに古び、黒ずんでいた。エイラとアンヌッカ、リダ、それにコーカラットは、別室に通される。

「お茶淹れるから、待っててね」

 凛が、隣室に消えた、入れ替わるように、食堂に駿が姿を見せる。

「よお、駿。ついにやったな」

 立ち上がった拓海が、満面の笑みで駿の手を握った。

「ありがとう。まあ、憲章条約に関してはとりあえず枠組みを作っただけだからね。それを充実させ、成果を生み出すのはこれからの仕事だ」

「おめでとう」

 拓海に倣って立ち上がった夏希は、駿に抱きついた。五人の異世界人の中でもっとも役に立っているのは、間違いなく駿であろう。そして、大衆にもっとも恩恵を与えている人物でもある。

「ま、座ってくれ。いろいろと説明したいことがあるから」

 夏希に抱きつかれたせいで、珍しくやや照れたような表情を浮かべた駿が、椅子を指し示す。

 盆を持って現れた凛が、五人の異世界人各自の前に湯飲みを置いた。凛が座ったところで、駿が口を開く。

「まずは僕から説明しよう。もう知ってると思うが、昨日めでたくノノア川憲章条約が正式に発足した。拓海と夏希は自分のポストが気になっていると思うが、拓海は憲章条約防衛隊本部副参謀長兼平原支隊参謀長だ。後者は留任だね。夏希は本部参謀兼条約事務局外交部外交委員だ。タナシス王国と有力なコネを築けたらしいから、これを利用しない手はないからね」

「文句なしのポストだな」

 満足げに、拓海が言う。

「生馬は平原支隊突撃連隊長に留任し、本部参謀兼任だ。凛ちゃんは経済調整局副局長。僕は、いまのところ事務局顧問を名乗っている」

「曖昧な地位だな。なにを狙ってる?」

 すかさず、拓海が質問を放つ。

「念願の、教育部門をいずれ立ち上げて、そのトップに座りたいのさ。とにかくもう少し経済レベルを上げて、児童労働を減らさないと、学校を作ってもうまく行かないからね。とりあえず下準備だよ」

「うまく行くといいわね」

 夏希は眼を細めた。駿は召喚当初から、教育の充実に腐心してきた。長い時間が掛かったが、ようやくこの段階までこぎつけたのだ。

「マリ・ハでのみんなの家は、まだ建設に取り掛かっていない。各組織の建物、代表や職員宿舎などの建設が優先されているからね。とりあえずここに部屋だけ人数分は確保してある。狭いけどね」

「一人一部屋? それは、ちょっとどきどきするわね」

 夏希はほくそ笑んだ。

「どうしたんだい?」

「生馬は知ってるけど、実はついさっき拓海がリダを正式に副官兼護衛として採用したのよ。相部屋となれば当然……」

「俺は自腹で泊まれるところを探すよ。その部屋には、リダを入れてやってくれ」

 やや憤然として、拓海が言う。駿が、笑った。

「そうか。副官を連れていた者がいることを失念していた。なんとか、一部屋確保するよ。夏希の副官と一緒に、リダが泊まればいい」

「いや、それなら俺と拓海は平原共同軍……もとい、平原支隊の駐屯地へ引っ越すよ。あそこなら、一部屋くらい空いてるさ。なんなら大部屋に雑魚寝でもかまわんし」

 のんびりとした口調で、生馬が言う。

「なに言ってるの、みんな。気が利かないわね」

 凛が憤然として、指を振り立てる。

「ここはどうしても拓海とリダが同じ部屋で寝るはめになるように誘導しなきゃいけないシーンでしょ。とりあえずリダの着替えの最中に拓海が気付かないで入室、慌てる拓海にリダが『た、拓海殿になら見られても恥ずかしくありません!』って真っ赤になって言い放つとかいう状況を……」

「どこのハーレムアニメよ、それ」

 夏希は呆れ顔で突っ込んだ。


 結局、拓海と生馬は平原支隊のマリ・ハ駐屯地へ移っていった。空いた二部屋のうち、ひとつは行き場がなかったエイラとコーカラットに提供され、残るひとつにはリダとアンヌッカが泊まることになった。

「アンヌッカ。わかってるとは思うけど、リダに手を出しちゃだめよ」

 夏希は釘を刺した。副官の性生活には口を出さないと決めている夏希だったが、リダがそっちの方に傾倒するのはまずい。

「承知しております。ですが、誘われた場合はいかがいたしましょう」

 真顔で、アンヌッカが訊いてくる。

「その場合は……好きにしなさい」

 諦め顔で、夏希は言った。


第八十六話をお届けします。久し振りにポイントを入れていただきました。ありがとうございます。

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