85 王都観光
外交訪問団の行動に対する制約はほとんどなかったので、夏希は暇を見つけては積極的にリスオン市内の観光に出かけた。お供には、表向き夏希の随員という肩書きを名乗っている拓海と、その直属の護衛であるリダ。そしてもちろん、アンヌッカも一緒だ。これに、タナシス側が用意してくれた護衛兼案内役の兵士が四人ないし五人付く。
「きれいで立派だが、やっぱり活気がないな」
石畳の街路を歩みながら、拓海が小声で言う。
「そうね。……なんか、映画のセットみたい」
「行ったことないが、ピョンヤンとかこんな感じなんだろうな」
「あー、そうかも」
真昼間だというのに、人通りはそれほど多くない。相変わらず、女性の姿はほとんど見かけなかった。誰もが急ぎ足で、そそくさと歩んでいる。軍人なのか、剣を吊っている人も多い。
「あ、すまんがあの店へ寄らせてくれ」
商店街へ入ったところで、拓海が一軒の店を指差した。
「いいけど、何の店?」
「薬屋だな」
「二日酔いや食べ過ぎなら、ユニちゃんにジュースもらえばいいのに」
「いや、どっちでもない」
「拓海様。お加減が悪いようでしたら、市井の薬種屋など利用なさらなくても、お申し付け下されば王宮の侍医を呼んで参りますが」
やり取りを訊いていた護衛の若い士官が、遠慮がちに口を挟んでくる。
「ありがとう。だが、具合が悪いわけじゃないんだ。俺は薬マニアでね。ちょっと、タナシス王国の薬品事情を調べたいだけなんだ。夏希は適当に見物していてくれ」
拓海が、リダだけを伴って店の中に消える。すかさず、士官が二人の兵士に店の前での立哨を命じた。夏希は首をひねりながらも、アンヌッカとともに見学を続けた。様々な店に立ち寄り、商品を吟味する。
「これ、きれいね」
夏希は服地屋らしい一軒で色とりどりに染められた絹の布……大きさからすると、スカーフとして使うのだろうか……を見つけた。絞り染めの技法を使ったのか、白い朝顔のような模様が美しい。店主に値段を尋ねたが、かなり安価であった。ジンベルの通貨に換算すると、半オロットもしないようだ。
「女性陣へのお土産にしましょう。色違いで、八枚あればいいかな」
夏希は指折り数えた。シフォネ、凛、ミュジーナ。それに、自分とアンヌッカ、エイラ、サーイェナ、リダの分。
「シフォネのイメージはピンクね。あのリボン、今でも使ってるし。凛はこの鮮やかな黄色かな。ミュジーナは、清楚な感じだから水色。アンヌッカは、真紅のイメージね」
「わたしにも買っていただけるのですか?」
「もちろん。タナシス記念よ。リダはやっぱり濃い緑ね。サーイェナは、この明るい青緑。わたしは渋く紫でいこうかな。問題は、エイラね」
夏希は迷った。エイラのイメージカラーは白だろう。しかし、それは絞り染め商品のラインナップには入っていない。
「これなど、お似合いではないでしょうか」
アンヌッカが、やや薄めの紺色をした布を引っ張り出す。
「なんか風呂敷っぽいけど……まあいいか。それ、採用」
夏希は外交団の会計から渡された貨幣で、支払いを済ませた。
「待たせたな」
背後から、拓海の声がかかる。
「で、何してたの?」
全員が合流し、歩み出したところで、夏希は小声で拓海に尋ねた。
「キュイランスからの依頼でね。例のタナシスゾンビ兵の使ってる麻薬の正体を探ってくれと頼まれたんだ。薬屋の親父に話を聞いて、いくつかそれらしいサンプルを買った。キュイランスに渡せば、なにかつかめるだろう」
「なるほど」
「いい天気なのですぅ~」
「同意します!」
コーカラットの触手にぶら下がったユニヘックヒューマが、ステッキをぶんぶんと振り回す。
二匹の魔物は空中散歩を楽しんでいた。例によって、ぽかんとした顔で見上げられたり、指差されたりはするが、はしゃいで手を振ってくれる人などは皆無だ。
「みなさん、魔物に慣れていらっしゃらないのですねぇ~」
魔力の源の力が枯渇気味なので、当然巫女の仕事も少ない。そのような状況では、魔物を使い魔として使役できるほど能力の高い巫女は生まれにくいのであろう。
「お、コーちゃん、呼んでいるひとがいるのです!」
ユニヘックヒューマが、眼下の一点をステッキで指す。
とある裏路地から、こちらを手招いている青年がいた。漆黒に近い肌の、タナシス人ではない民族だ。
「お友達になりたいのでしょうかぁ~」
ユニヘックヒューマをぶら下げたまま、コーカラットはすーっと高度を落としていった。まだ屋根よりも高い位置で、ユニヘックヒューマがすとんと飛び降りる。
「こんにちは! あたいはユニヘックヒューマのなのです!」
ステッキを振りつつ、陽気に挨拶する。
「南の陸塊の巫女様の使い魔殿ですね」
「そうなのです! 高原の蒼き巫女、サーイェナ様の使い魔なのです!」
「ゆえあって名乗るわけには参りませんが、この手紙をお渡し下さい。ただし、このことはご内密に」
早口で青年が言って、小さく折り畳んだ書状をユニヘックヒューマの手に押し付ける。
「お手紙ですかぁ~」
近寄ってきたコーカラットが、触手を揺らす。
「お願いします。では、失礼します」
一礼した青年が、そそくさと路地裏から出てゆく。
「サーイェナ様へのファンレターでしょうか?」
ユニヘックヒューマが、書状をドレスの中に突っ込んだ。
「でも、ご内密に、とおっしゃってましたねぇ~」
「なら、秘密のファンレターかもしれません! コーちゃん、急いでサーイェナ様に届けるのです!」
興奮気味に、ユニヘックヒューマがステッキを振り回す。
「了解ですぅ~」
「で、結局俺たちのところに持ってきたわけか」
拓海が、ユニヘックヒューマから渡された手紙をひっくり返す。
「内容が内容でしたから、お耳に入れる必要があると判断しました」
サーイェナが、言った。
「たしかに、いろいろと危険な内容ね」
手紙の差出人は、クーグルト公国とカレイトン自治州の反タナシス王国組織の責任者と名乗っていた。中身は、要約すれば、『当組織が反タナシスの独立運動を激化させた場合、南の陸塊諸国はこれを援助してくれるか否か?』というものであった。
「ま、選択肢は少ないな。まずはこれが本物であるか偽物であるか。本物であれば、当然差出人も名乗っている通りの人物だろう。偽物であるならば、その正体は二択。単なるいたずらか、こちらを陥れようとするタナシス王国の陰謀か。偽物ならば、いずれにせよ無視するしかない。本物だとしても、無視が最善だろうな。下手に断りの返事などすれば、反タナシス組織を公的存在として認めたことになり、内政干渉との謗りを免れない。ユニちゃんが途中でドブにでも落っことした、とでもしておこうや」
「いくらあたいでも、そこまでどじっ子ではないのです!」
ユニヘックヒューマが、ぶんぶんとステッキを振って抗議する。
「渡してくれた人、肌が黒かったんでしょ?」
「そうなのです!」
「たしかに、カレイトン自治州とクーグルト公国は西部地域にあるし、あのあたりは西アフリカ系っぽい人種が主流の土地だと聞いている。……これが本物である可能性は、低くはないと思う」
拓海が、手紙をぴらぴらと振る。
「だが、今我々がなすべきことは、タナシス王国の国力を弱めることでもないし、政治的安定性を突き崩すことでもない。南の陸塊に手を出さないことが、タナシスの国益につながるという事実を理解させることだ。この手紙は、闇に葬り去るべきだね」
「燃やす?」
「それがいいな。だが、火種がないな」
「あたいにお任せ下さい!」
ユニヘックヒューマが、拓海の手から手紙を受け取った。そしてそれを、むしゃむしゃと食べ始める。
「山羊か、おまえは」
拓海が突っ込む。
「とにかく、この手紙のことはみんな忘れてしまいましょう。サーイェナ、あなたの他に誰がこの手紙のことを知っているの?」
「エイラだけですわ。あとは、コーちゃんですね」
「二人には黙っているように伝えといて。ユニちゃんも、誰にも言っちゃだめよ」
「もちろんであります!」
手紙を完食したユニヘックヒューマが、ステッキを突き上げて約束する。
南の陸塊では、ノノア川憲章条約締結に向けての準備が着々と進められていた。
障害は、少なかった。平原各国は、平原共同体を成功だと見ており、これを南の陸塊全体に拡大したかのようなノノア川憲章条約は、地域の発展と平原の影響力拡大に貢献するはずだと確信していた。高原諸族は、独自性を保ちつつ平原共同体に協力した結果、経済的、技術的、そして文化的に大いに好影響を得たことに気を良くしており、また人口の多さとその軍事面での貢献から同条約下では高原が高い地位を得られることを確信し、かつ人間界縮退問題に関する取り組みに海岸諸国の協力が得られることを期待して、締結には前向きであった。海岸諸国は、やはりタナシス王国の軍事的脅威を鑑み、域内集団安全保障体制であると同時に、域外国家……すなわちタナシス王国に対する軍事同盟の意味合いのある同条約の早期締結を望んでいた。
ルルト市に集められた各国代表が協議を重ね、条約条項の細部や下部組織の構成、予算負担と配分、各部局の規則、職員の構成などについて決定してゆく。
民主主義国家の集合体であれば、これほど早い展開は望めなかったであろう。民意の形勢とその政治への反映、そして民主的な議会政治における政治的意思の統一には、時間がかかるのが常である。
こうして出来上がったノノア川憲章条約は、駿が起草したものと基本的には同じと言えた。ノノア川憲章条約総会、同事務局、同経済調整局、同人間界縮退対策本部、そして防衛隊本部が置かれる場所は、結局駿の予想通り、マリ・ハに決定された。これは単に利便性だけではなく、南の陸塊諸国がその力を合わせてタナシス王国遠征軍を打ち破った記念すべき地ということも考慮されての選定であった。
懸念されていた総会における議決権の扱いだが、結局理事国などは設置せず、原則的に一カ国一票に落ち着いた。小国の集まりである東群島と西群島は、合議の上各一票を行使するという形になった。ただし、地域バランスを考慮する例外的措置として、各国および氏族の中で一番人口が多いルルト王国と、同じく二番目に人口が多いオープァ王国は、総会での議決に限り、二票を行使することができると定められた。これで、高原十票、平原十三票、海岸十票という配分となる。通常の議題は、総会の三分の二の賛成で議決されるが、憲章変更ないし新たな条項追加などの重要議題に限り、総会の五分の四の賛成が必要であるとも定められた。これならば、仮に平原諸国と高原諸族、あるいは平原諸国と海岸諸国が結託しても、総会の議決を自由に行うことができない。
条約内容に満足した各国代表は署名を行い、帰国の途に着いた。各国各氏族がこれを批准すれば、正式にノノア川憲章条約が効力を持ち、各組織が発足する運びとなる。南の陸塊のすべての国家と氏族、そしてすべての人々が、緩やかにではあるが政治的に統合されるのだ。まさに画期的な一大政治変革であった。
外交団の王都リスオン滞在は、五日間に及んだ。タナシス側は終始友好的であり、関係改善を切に望んでいることをうかがわせた。しかしながら、ルルトおよび他の海岸諸国への補償問題に関しては、依然強硬な姿勢を崩してはいなかった。
「面子の問題と言うよりも、金がない、といった感じだな」
出発を明日に控えた宿舎で、拓海がワインを手酌で飲みながら言う。
「経済状態が思わしくないのはなんでだろう?」
「そのあたり、突っ込んで調べはつかなかったが、噂では税収不足らしい」
「こんなに人口の多い大国なのに?」
夏希は眉根を寄せた。
「州によって、税率がかなり異なるらしいんだ。正確な数字はつかめなかったが、正規州、辺境州、自治州の順に安くなるらしい」
「公国は?」
「税収の一部を、中央に納めるという形だ。要するに、タナシス人が主流派でないところは安く、逆の場合は高いんだな」
「中央政府に反感を持たれないためかな?」
「その理由が一番大きいだろうな。タナシス王国の総人口のうち、タナシス人は過半数を超えてはいるが、六割は占めていないようだ。だから、タナシスは自治州や公国の離反をおそれている。金がないのに南の陸塊への侵攻作戦を強行したのも、人間界縮退が加速すれば社会的混乱が発生し、王国が崩壊しかねないと考えたせいかもしれない」
「じゃあ、あのユニちゃんが食べちゃった手紙は……」
「おそらく本物だろうな」
重々しく、拓海が言う。
「うーん。ねえ、拓海。タナシス王国って、いい国かな?」
「……どうかな。生活水準は海岸諸国並みかそれ以上だし、征服王朝とは言え現状で他民族を迫害しているような節もないし、辺境蛮族と戦っているのは非難できないし、奴隷制度も……まあ、この社会水準では容認するしかない。総じて見れば、悪い国じゃないだろう。なにを考えてるんだ? 南の陸塊に引き続き、タナシスでも大改革をやらかそう、なんて夢見てるんじゃないだろうな」
「夢……じゃないけど、召喚された以上、南の陸塊だけじゃなく北の陸塊の人々にも、なんらかの恩恵をもたらせてあげたいのよ」
「ちょっと待った。あんた、もしかしてすべての人々の生活水準向上のために尽力したい、とか考えているのか?」
拓海が、意外そうな表情で夏希を見据える。
「え。そのために、頑張ってるんじゃないの、わたしたち?」
「ちがうちがうちがう」
拓海が、激しく頭を振る。
「俺は、断じてそんなことを考えていないぞ。俺が頑張って色々と動いているのは、基本的にはすべてジンベル王国のためだ。生馬や駿もそうだろう。ジンベル王国が安定するためには、平原の安定が必須だから、平原共同体を作った。平原の安定のためには、南の陸塊の安定が必要だから、ノノア川憲章条約を作ろうとしている。イファラ族と戦ったのも、ワイコウと戦ったのも、タナシス遠征軍と戦ったのも、それらがジンベルの王国の敵にまわったからだ。召喚したのはエイラ。雇ったのはヴァオティ国王。だから、ジンベルのために力を尽くしているんだ」
「そうなんだ。てっきり、もっと凄い野望を抱いてるのかと思ってた」
「まあ、ここまで事態が大きくなっちまった以上、ジンベルだけの利益を追求しても仕方がないがな。でも、俺の動機はいささかせこいんだ。報酬と、ここで出会った人々……いわば、仲間といえる人々のために、動いてるだけだよ。ちっぽけな都市国家の王様と、その娘。白尽くめの巫女さんと、その愛想のいい使い魔。顔に傷のある美少女と、その兄貴。蒼い巫女さんと、元気のいい使い魔。そして、やたら背の高い戦国マニアと、シニカルな秀才君と、たまに毒を吐く料理上手な女の子と、竹竿振り回してる暴力女と……。こんな仲間たちのために、俺は努力してるんだ」
「仲間たちのため、か。いい言葉ね、それ」
しみじみとした口調で、夏希は言った。よくよく考えてみれば、夏希の動機もそんなものかも知れない。ジンベルの人々……これにはアンヌッカやシフォネ、エイラも含まれる……のため。サーイェナを始めとする、高原の民の知り合いのため。そして、他の四人の異世界人のため。
「柄にもないことを熱く語っちまったな。少し酔ったみたいだな。もう寝るか」
拓海が、カップを傾けるとワインを飲み干した。
翌日朝、外交団一行は盛大な見送りとかなりの量の土産とともに、王都リスオンをあとにした。川下りゆえその速度は早く、一日目に早くもアノルチャ州内に入る。河口の港町アノルチャ市に到着したのは、二日目の午後早くであった。
翌日、夏希はアノルチャ市内をまわって様々なものを買い漁った。帰りの船は船倉に余裕があるので、かなりの貨物を積み込める。もちろん買い物にお金はかかるが、南の陸塊で手に入りにくい物を買い込めば、元はすぐ取れるはずだ。
毛織物と絹織物。それらで作られた衣類……もちろん古着である……を若干。牛や山羊の皮で作られた細工物。壷入りの蜂蜜。小麦と小麦粉。水分の少ない、固焼きのパン。トウモロコシ。リンゴ。チーズ。お酒類。雇った荷車にそれらを積み込んで、港まで何往復もする。
「食に関しては、こっちのほうが性に合ってるわね」
いったん宿舎にもどって昼食を採りながら、夏希は言った。
「わたしはどうも苦手です」
ラドームからの移入品である米を食べながら、アンヌッカが応ずる。
「そりゃ、生まれてこの方白いご飯で育ってれば、そうなるでしょうね」
「ただし、この果物は気に入りました」
アンヌッカが、籠に山盛りになっているリンゴを見やる。夏希が普段食べ慣れていた品種に比べれば果肉が硬めで、甘味も少なく、やや酸味が強かったが、なかなかの味である。
「とりあえずシフォネへのお土産も買ったし……ねえ、アンヌッカ。タナシス記念に、なにか買ってあげようか?」
「お気持ちだけいただきます、と言いたいところですが、ぜひお願いします」
にっこりと微笑んで、アンヌッカが応える。
「何がいい? 服? 細工物?」
「剣の一振りでも買っていただけないかと……」
「剣? いいわよ」
苦笑しつつ、夏希は認めた。いかにも、アンヌッカらしいチョイスだ。多少値は張るだろうが、今までの献身を考えれば、安いものだ。
食休みをしてから出かけたふたりは、護衛兵士に尋ねて中古剣を扱っている店を訪れた。武器屋ではなく、古道具屋といった趣の店で、武器防具だけではなく、家具だの壷だの皿だのが、埃臭い店内に所狭しと押し込められている。
「これが、気に入りました」
しばらく商品を物色していたアンヌッカが、小振りの短剣を夏希に手渡した。古ぼけた、どうということにない短剣に見えたが、彼女が選んだ以上それなりの理由があるのだろう。
「いいわ。買ってあげる」
夏希は上機嫌で店主に硬貨を支払った。
第八十五話をお届けします。