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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第二章 海岸諸国編
83/145

83 外交団長

 タナシス兵捕虜が、続々と小船に乗り込んでゆく。

 第三次送還船団の出発である。商船十二隻、護衛の軍船二隻で、三千五百名のタナシス正規軍兵士をラドーム公国へと運ぶ。

「和平条約に署名しちまったら、もはや捕虜は用無しだからな。無駄飯を喰わせることもない」

 外港に停泊している商船に小船が漕ぎ寄せてゆくのを見送りながら、拓海が言う。

 ノノア川憲章締結に向けて走り回っている駿を除く四人の異世界人は、送還船団の出発式に立ち会っていた。平和の回復を宣伝するかのように、式典は派手かつきわめて友好的に行われていた。タナシス捕虜の代表者に対し、ルルト市民の幼い少女が花束の贈呈を行うところなど、過剰演出もいいところである。

「ところで、シェラエズ王女はいつ帰すの?」

 夏希は問うた。王女は面倒は起こしてはいないが、やはり身柄を預かる責任者としては、早めに送還してもらったほうがありがたい。

「あー、そのことなんだが、駿の提案があるんだ」

「提案?」

「シェラエズ王女送還にかこつけて、南の陸塊主要国共同の外交団をタナシスに送り込もうというプランだ。王女を送り届ける、という大義名分なら、タナシスも断りにくいだろうからな」

「目的はなんだ? 駿のアイデアなら、単なる友好目的じゃあるまい」

 にやにやしながら、生馬が訊く。

「タナシスの内情調査だな。原則不干渉主義でいくとしても、信頼醸成のためにはある程度の情報の交換は必要だからな。和平条約とは別に、いずれ軍備に関する条約も結びたいし」

「軍縮条約とか?」

 凛が、訊く。

「いや。むしろ軍備管理協定に近いかな。八十年代にヨーロッパで行われたようなものだ。もちろん、それよりもはるかに緩いがね。とりあえず大海で隔てられているんだから、軍船保有数に上限を課すだけでも、互いの疑心は取り除けると思うし」

「じゃ、拓海自らタナシスに行くつもりか?」

 生馬が、意外そうな顔で問う。

「ああ。行ってみたいね。色々と調べたいことも多いし」

「俺も行っていいか?」

「悪いが、だめだ。タナシスが和平条約を反故にするとは思えんが、補償関連がこじれれば外交団が抑留される可能性は皆無じゃない。生馬には、留守を頼むよ。俺の代役が務まるのは、あんたしかいないんだから」

「わかったわかった」

 生馬が、あっさりと引き下がる。

「じゃ、あたしも行かない方がいいわね。ノノア川憲章が発足したら、経済調整局にポストをくれるって、駿が言ってたから、いずれ忙しくて旅行どころの話じゃなくなるだろうし」

 凛がそう言う。拓海がうなずいた。

「駿はもちろん無理だし、とりあえず主要各国に代表を出してもらって、俺と夏希でタナシスの内情を調べてくるよ。二十日もあれば、十分だろう」

「ちょっと待った。意向も聞かないまま、わたしを含めないでよ」

 夏希は強い口調で抗議した。行くのは構わないが、勝手に決められるのは困る。

「あんたはシェラエズ王女のお守り役だろ? 王都リスオンまで、無事に送り届ける責任がある」

 拓海がそう指摘する。

「そう……かもしれないけど」

「和平条約に調印した者が入っていれば、外交団にも箔がつく。なんなら、あんたが外交団長でもいいくらいだ。タナシスに名も売れてるしな」



「なるほどな。わたしを送り届けるついでに外交を行おうというわけか。捕虜の身としては、拒否するわけにはいかんな」

 夏希の説明を受けたシェラエズ王女が、納得した表情を見せる。

「別に殿下を政治的に利用する意図はこちらにはありませんし、もちろん殿下の名誉を汚すようなことは……」

「わかっている。和平が成立した以上、南の陸塊諸国とタナシス王国はよき隣人、よき友人とならねばならぬのだ。わたしと部下を人道的に扱ってくれたことにも、感謝している。タナシスとそなたたちが友情を築けるのであれば、それに協力することはやぶさかではない。よき友人となれるといいな、われわれは」

 シェラエズが、熱っぽい眼で夏希を見据える。

「友人、であれば可能でしょう」

 慎重に、夏希は応じた。シェラエズはいまだ夏希に未練があるらしく、顔を合わせるたびに誘ってくる。半ば冗談だとはわかっていても、その気のない夏希にとってはいささかうざい。

 シェラエズが、見せ付けるように夏希に胸を突き出し、着衣の上からさりげなく乳首を弄り出した。夏希はそれを無視し、事務的な口調で続けた。

「えー、殿下。送還に当たって、なにかご希望はありますか?」

「特にないな。強いてあげれば、船室はそなたと同室がいい」

「殿下」

「冗談だ。無事に本国に送り届けてもらえば、それで十分だ。そなたが望むのであれば、あらかじめ陛下に……父上に手紙を書いてもいいぞ。外交団を歓迎するように、口添えしよう」

「それは助かります。ぜひお願いします」



「諸君、先ほど高原からの使者がルルト市に到着した。高原氏族長会議で、すべての高原氏族がノノア川憲章への参加を承認したそうだ。これで、南の陸塊にある国家と氏族ひとつ残らず参加する目処がついた」

 嬉しそうに、駿が報告する。

「これで、南の陸塊が政治的に統合されたな。もう戦争もあるまい」

 拓海が、駿に握手を求める。

「憲章の内容は?」

 夏希は訊いた。

「内容は各国代表を集めて検討したうえで細部を詰めるから、いまは僕が書いて平原や海岸諸国の外交官に手直ししてもらった草稿があるだけだが、基本的には以前説明した内容と変わりないよ。第一章で、地域の平和と安全の維持を定める。集団安全保障体制の構築、域外からの脅威に対する無制限の協力、非常時以外の市民軍の編成の抑止、諸国間の軍事同盟の撤廃および禁止……」

「ちょっと待った。平原共同体はどうなるんだ?」

 拓海が、鋭く突っ込んだ。

「基本的にはそのままだ。あくまで地域的経済協力機構兼安全保障体制だからね。だけど、平原共同軍は条約に明らかに抵触するから、ノノア川憲章条約防衛隊を創設することにした。憲章条約総会の下に置かれる、小規模な自衛戦力だ。平原共同軍はそのまま、ノノア川憲章条約防衛隊平原支隊、という名称で残す。同様に、高原諸族は高原支隊を、海岸諸国は海岸支隊を作る。海岸諸国海軍も、できれば条約海軍というかたちで統合できればいいが、これは難しいかもね」

「平原共同軍を残してくれないと、俺も拓海も失業しちまうからな」

 生馬が、笑う。

「第二章が、諸国間の友好の発展と円滑な経済活動への支援。ノノア川憲章条約事務局と経済調整局に関する諸規則は、ここにまとめられる。技術援助、経済調整局を通じた借款の斡旋。ノノア川の利用や海洋の利用に関する諸規則。いささか先走りすぎた感もあるが、公害対策まで入れといた」

「……駿らしいわね」

 凛が言って、肩をすくめる。

「第三章は、人間界縮退問題の対処だ。ノノア川憲章条約人間界縮退対策本部の設立。予算と人員、ポスト。業務内容。魔力の源の一元管理。などなど。第四章が、雑則となる。総会の諸規則、予算、理事国の扱い、憲章変更ないし新たな条項追加の諸手続きといったところだ。これに、平和の尊重や民族自決主義、国家間の平等や対等な外交関係を謳いあげた前文がつく」

「大丈夫? 憲章条約全文読んで革命思想を持った、なんて奴が出てきたりしないでしょうね」

 凛が、鼻に皺を寄せて突っ込んだ。駿が、苦笑する。

「そのあたりは信用してくれ。共和制に繋がるような理念は盛り込んでいないつもりだ」

「まあ、細かいところは任せるよ。俺は、法律関係は苦手だし」

 拓海がそう言う。

「ところで、総会や事務局はどこに置くんだ?」

 生馬が訊いた。

「それは各国代表を集めて決めてもらう。地理的には平原に置くのがベストだと思うがね。ハンジャーカイだと、平原共同体と被るから、マリ・ハが最適かな。海岸諸国では、防衛上脆弱だと思えるしねえ」

「ワイコウなら?」

「戦訓から言えば、それでも脆弱すぎるね。ノノア川から切り離されたら、平原と連絡が取れなくなる。やはりもっと南でないと」

「名称からしても、ノノア川沿いのほうがいいわね」

 夏希はそう発言した。

「秘かにジンベル誘致を狙ってたんだが、無理か」

 生馬が言って、からからと笑う。

「いささか南に寄り過ぎているが、ジンベルも悪くないね。高原との連絡も取り易いし。だが、どうしてジンベルを推すんだい?」

「俺たちにとっては、ホームタウンだろ、ジンベルは。多少は恩返しじみたこともしてやらんといかん、と思ってな」

 生馬が応える。

「ホームタウンか。状況が落ち着いたら、一度戻ってみるのもいいね」

 そう言った駿が、懐から書状を取り出した。

「実は今日、僕のもとにも契約延長に関する手紙がジンベルから届いたんだ。僕の場合、過去に色々あったから。直接ヴァオティ国王にお会いしてあらためてご挨拶したうえで、契約延長を申し入れたかったんだが、どうやら無理なようだね」

「そうよねぇ……駿はジンベル貴族じゃないし」

 凛がそう言う。かつて駿は、ジンベルの貴族位を返上し、ススロン王国に亡命した経緯があるのだ。結局その行為もジンベル王国を守るためのものであり、ヴァオティ国王もそのことは承知しているはずである。

「駿も延長か。期間は?」

 生馬が、訊く。

「夏希や凛ちゃんと同様、一年にしておくつもりだ」

「じゃ、俺も一年にするか。たしか、俺が来る十日くらい前に、駿が召喚されたんだよな」

「そうだったかな?」

 夏希は首を傾げた。あの頃は慌しかったから、よく覚えていない。

「おいおい。一番の先輩が、何を言ってるんだよ」

 拓海が、呆れたように突っ込んだ。

「ジンベルか。ずーっと、帰ってないよね」

 凛が、遠い眼をして、つぶやくように言う。

「確かに、一回行ってみたいわね」

 夏希はそう言った。二百日以上……こちらの暦でいけば半年近く……をジンベルで過ごしたのだ。いわばこちらの世界での故郷のようなものである。

「よし、暇ができたらみんなで里帰りだ。骨休めも兼ねてね」

 拓海が言う。

「いいね。賛成だ」

 生馬がすぐさま同意する。夏希を含む他の三人も、すぐに賛意を示した。



 駿が発案したシェラエズ王女のタナシス王国返還に伴う外交団派遣は、すぐに主要各国の賛同を得られた。シェラエズの手紙の効果もあったのだろう、タナシス政府も外交団訪問を歓迎すると表明する。これを受け、早速各国代表が出発地であるルルト市に順次集結した。外交団長には、夏希が就任することとなった。

「お久しぶりですな、夏希殿」

 高原族長会議が送り込んできた代表は、なんとイファラ族の氏族長、サイゼンであった。かつてジンベルに攻め寄せた高原戦士たちの指揮を執り、その後生馬によって捕虜となり、さらにのちに夏希、拓海、エイラの三人を高原へ『拉致』し、平和回復の端緒を作ってくれたあの男である。

「これはサイゼン氏族長。その節は、お世話になりました」

 夏希は頭を下げた。サイゼンの背後には、ベンディスの姿も見える。彼も、随員として参加するのだろう。

「ところでベンディスさん。最近、リダの様子はどう?」

 サイゼンが他の代表への挨拶に向かったところで、夏希はハンサムな高原青年の耳元に口を寄せて、小声で問うた。

「あー、そのことですが、夏希殿のお力をお借りしたいのです」

 ベンディスが、真剣な眼差しを夏希に向けた。

「なにかしら?」

「リダを、拓海殿のおそばに置いてやってくれませんか?」

「おそばって……結婚させろ、とでも言うつもり?」

「拓海殿は本気でリダを愛していらっしゃるようですし、リダもその気です。年齢も年齢ですし……」

「あのー、リダってわたしより年下ですよね……」

 夏希は頬を掻いた。たしか実年齢で二歳近く、見た目では三歳くらい離れているはずだ。

「高原ではもう適齢期ですよ。平原の貴族の方は、もっと遅いようですが。あ、別に夏希殿が嫁き遅れている、などと言うつもりはありませんよ」

 ベンディスが、慌てて手を振って否定する。

「兄の欲目かも知れませんが、リダは本当にいい子です。ですが、あの顔の傷は、たいていの男性を遠ざけてしまう。拓海殿は、あの傷を含めてリダを愛して下さっている。ならば、拓海殿にリダの将来をお任せしてもいい、と思うのです」

「じゃ、リダがプロポーズすればいいんじゃないの?」

「しました」

「え」

「ですが、拓海殿は返答を濁したそうです。異世界人ゆえ、結婚するのは難しいとおっしゃって」

「そりゃ、そうでしょうね」

 結婚し、この地で家庭を築いてしまえば、当然元の世界に帰り辛くなる。

「そういうわけで、拓海殿の心を変えるためにも、リダを拓海殿のおそばに置きたいのです。なにか適当な仕事を見つけていただけませんか?」

「仕事ねえ」

 夏希は思案した。いずれ、ノノア川憲章条約が正式に制定されれば、拓海はおそらくノノア川憲章条約防衛隊のどこかの部局にポストを得るだろう。そこに、助手か何かとして押し込むことは可能だ。リダは高原の民としては高度な教育を受けているはずだし、実際賢い娘である。でも、その前に……。

「今回の外交団の護衛の一人として、採用しましょう。任務は、拓海直属の護衛ってことで、どう?」

「よろしいのですか?」

「わたしが団長だもの。問題なし。帰国したら、またなにかポストを与えるわ。これでいいかしら」

「ありがとうございます、夏希殿。このご恩、生涯忘れませんぞ」

 ベンディスが、感激の面持ちで夏希の手を握る。



 タナシス派遣外交団は、比較的小ぢんまりとした編成となった。あくまで儀礼的な訪問団であり、外交折衝のための事務方などの同道の必要がなかったからだ。ただし、人間界縮退問題に対する協議が行われるために、人間界縮退対策本部からはエイラとサーイェナを含む若干の人員が同行することになった。もちろん夏希は歓迎した。ユニヘックヒューマが一緒なら、船酔いに苦しまなくて済むし、いざという時に頼りになるコーカラットがついて来てくれるのも、心強い。

「で、相談って、なに?」

 連れだって現れたエイラとサーイェナに椅子を勧めながら、夏希は訪ねた。

「対策本部研究監視部門から、報告がありました。人間界の縮退は、一日あたり五キッホに減少したそうです」

 厳しい表情で、サーイェナが告げる。

「三メートルくらいか。だいぶ遅くなったわね。でも……」

 夏希は首を傾げた。魔力の源は七つ。人間界縮退対策本部が管理している三つ……うちひとつは魔物の賢者ニョキハンからの貸与品……は、事実上使用されていない。タナシス王国にある四つ……うちひとつは、ワイコウのそれを魔力を移し替えることによって奪取したもの……も、エミスト王女の言葉を信用するならば、使用が禁じられているという。

 どこも魔力の源を使用していないのであれば、人間界縮退はストップするはずだ。なのに、継続している。

「おかしいじゃない」

「おかしいです」

 エイラが同意する。

「まさか、人間界縮退と魔力の源が、ぜんぜん関係ないとか……」

「それは考えにくいです。タナシス王国も、縮退と魔力の源の使用との相関関係を、独自に発見していますし。ニョキハン殿も、言明していましたし」

 サーイェナが、言った。

「タナシス王国が嘘をついているのかな?」

「それも考えにくいですね。そこまでして魔力を使う理由を、思いつきません」

「じゃ、なんで縮退が続いているの?」

「魔力の源が、他にも存在するのかも知れません」

「ニョキハンは、七つと言っていたわよね」

「はい。ですが、彼も知らない八つめがどこかに存在し、その魔力が大量に使われ続けているのかも知れません」

「うーん。だとしたら、どこにあるのかしら」

 夏希は人間界の全体図……いわば世界地図を頭に浮かべた。平原地帯には……まずないだろう。高原の民が秘かに隠し持っている……ありえない。彼らは人間界縮退の脅威に直接晒されているのだ。使用は自殺行為である。それに、サーイェナの属する巫女一族が嘘をついているとも思えない。

 海岸諸国……西群島や東群島はどうだろうか。ありえない話ではない。どこかの小国や貴族領が、隠れて使っている可能性はある。

 あるいはタナシス王国内だろうか。タナシスはともかく、公国や自治州が隠していることはありそうだ。ひょっとすると、ラドーム公国にあるのかも知れない。人間界がこのまま縮退を続けた場合、最後に残るのはほぼ中央に位置するあの島だろう。北の陸塊の蛮族? これも考えにくい。自分で自分の首を絞めるようなものではないか。

「とにかく、八番目の魔力の源を探すしかないわね」

「そうです。そしてその使用をやめさせなければいけません」

 エイラがきっぱりと言う。

「この件に関しては、タナシス王国と協力できそうね。向こうに行ったら、議題のひとつにしましょう。南の陸塊にある可能性も考慮して、このことはわたしから駿の耳に入れておくわ」



 小船が、波の穏やかなルルト港内を滑るように進んでゆく。

「やっぱり、あんたの差し金だったか」

 諦め顔で、拓海が言う。その背後では、金髪頭に濃緑色のターバンを巻きつけた小柄な少女が、生真面目な表情で控えていた。

 ルルト王族がこぞって参加してくれた派手な外交団出発式典が終わり、出席した外交団の面々は小船に分乗し、外港で待ち受ける船に向かっているところであった。

「結婚はともかく、付き合うくらいはいいでしょうに。もう、その、やっちゃったの?」

 夏希はリダに聞こえない程度の小声で……何人もの水夫がパドルで漕いでいるので、ひそひそ話ならばそうそう周囲には聞こえない……訊いてみた。

「リダには手を出しちゃいないよ。彼女の自己申告によれば、処女だそうだし」

 怒ったかのような口調で、拓海が言い返す。

「俺は自他共に認めるスケベだが、結婚に関しては保守的でね。一生面倒見切れない相手と、結婚するつもりはないよ」

「ほう。意外ね」

「まあこの世界、金さえ払えばいくらでも楽しめるからな」

「そうね」

 夏希は同意した。ここでカマトトぶっても仕方がない。目立ちはしないが、平原でも海岸諸国でも、セックス産業はそれなりに盛んである。もっとも、ほぼすべてが男性相手の売春である。それゆえ、貴族や上流市民の女性同士が擬似性交することが、社会通念上タブーではないのだが。ちなみに、男性同士のそれはタブー視されている。そのような趣味の人は一定数いるはずなので、ばれないように楽しんでいるのだろうか。

「駿はもてるから、結構遊んでいるみたいだな。生馬は最近禁欲的だ。イブリス王女に操でも立てているのか、遊びに誘っても乗ってこないんだ。まあ、元から硬派だったしな。ところで、あんたと凛ちゃんも浮いた話を聞かないな。男を作った様子もないし。やっぱりこの地の習慣に従って、女同士で……」

 拓海が、矛先を夏希と凛に向ける。

「ストップ。それ以上訊いたら、セクハラよ」

 夏希は慌てて言った。どうも、この手の話は苦手である。



 タナシス派遣外交団そのものが乗る商船、シェラエズ王女と、最後まで残った主に士官からなる五十名ほどのタナシス派遣軍捕虜が乗る商船、それに護衛の軍船二隻。合計四隻の船団は、穏やかな天候に恵まれ、何事もなく中継地点であるラドーム公国の首都グルージオンに到着した。

 グルージオンでは、タナシス王国外交官と海岸諸国外交官のあいだで、タナシス派遣軍の行動に伴う損害補償に関する交渉がすでに始められていた。夏希は公王宮へ出向き、カミュエンナ公女王に挨拶したついでに、海岸諸国外交団にも会って話を聞いてみたが、どうやらタナシス側はかなり強硬姿勢を見せているらしい。

 グルージオンで一泊し、護衛兼案内役としてタナシス海軍軍船一隻を加えた船団は、ほぼ真北のアノルチャ州州都アノルチャへと向かった。

 ラドームを出航して二日目の昼ごろ……ルルトを出航してからは通算五日目となる……、船団は無事に北の陸塊が望見できる海域に到達する。

「ほう。いきなり乾燥した感じだな」

 手すりにもたれて陸地を眺めながら、拓海が言う。

「そうね」

 夏希は同意した。南の陸塊の濃い緑色に慣れた眼からすると、北の陸海の茶色と黄褐色が目立つ海岸は、いささか奇異に見える。

「空気も乾いていますわね。こんなに海が近いのに」

 潮風を味わうかのように吸い込んだエイラが言った。

「あー、気温が低いと、空気が含むことができる水分は減るんだ。だから、場所によっては海沿いに砂漠ができたりするんだ」

「さばく?」

「えー、極端に乾燥した土地にできる、ほとんど水のない砂や岩場のことだ。砂浜を数千倍に拡大したところを、想像してもらえるかな」

 拓海が、エイラに説明する。理解に至らなかったのだろう、エイラがきょとんとした顔で拓海を見つめた。

「気温と言えば、やっぱり涼しいわね」

 夏希はむき出しの腕をさすった。今はかなり強い日差しに晒されているからいいが、日影に入れば半袖では肌寒さを感じる程度の気温だろう。

「アノルチャに着いたらまず衣類の調達だな」

「古着屋を漁るしかないわね」

 夏希は愚痴っぽく言った。もっとも経済が発達した海岸諸国でさえ、既製服というものは売られていない。庶民は手作りするか、古着を購入するのが普通だ。お金がある者は縫製屋にオーダーメイドするし、さらに富裕な者は使用人に仕立てさせる。貴族や大商人は、自前で専門のお針子を雇い入れているので、彼女らがせっせと主人やその家族の服を作ることになる。スタイルの流行り廃りはあるようだが、それは何十年もの間隔を開けて徐々に浸透してゆくものであり、同じ地方の住人はそのほとんどが似たような衣服を……身分や富裕の差による違いはあれど……身につけているのが、普通であった。


第八十三話をお届けします。

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