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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第二章 海岸諸国編
82/145

82 平和へと至る道

「嫌味よねぇ、この数は」

 洋上を滑ってゆく白い帆を数えながら、夏希は言った。

 和平会談関係者を乗せたルルト船籍の大型民間船は一隻。それを取り囲むように、ランクトゥアン王子が指揮するオープァ海軍と、復活したルルト海軍の軍船が十二隻いる。一応、護衛という大義名分だが、どう考えてもこれだけの数は不要である。

「嫌味だな、たしかに。大国タナシスといえども、軍船の数は限られているはずだ。今回の戦いで四隻喪失、八隻鹵獲だから、相当痛かったはず。輸送船の数も、激減しただろうし」

 拓海が満足げに応じる。

 和平会談代表団についてきた異世界人は、夏希と拓海だけであった。生馬はルルト市に残って戦後処理と共同軍の再建に当たっている。凛は一足先にハンジャーカイに戻って、戦争で混乱した平原共同体経済の建て直しを手伝っている。駿は海岸諸国をまわって、ノノア川憲章条約締結の根回しの最中だ。

 夏希の知り合いの中では、エイラとサーイェナもこの船に乗り込んでいた。議題が魔力の源に関連してくるので、人間界縮退対策本部関係者として参加するためだ。もちろん、二匹の使い魔も一緒である。

 ほどなく、進路前方にタナシス船が現れた。その船に案内されて、十三隻の艦隊はラドーム公国の首都である港町、グルージオンへと近付いていった。



 会談場所は、ラドーム公王宮内に準備されていた。

 夏希は四人目の代表として、三人のVIPのあとに続いて公王宮の回廊を歩んだ。平原代表は、ススロンの王子ビアスコ。高原代表はユーロアン氏族の氏族長アフムツ。そして、海岸諸国代表はルルトの王子ハルントリー。相手が王女であることを考慮し、王族が二人選ばれている。

 夏希は代表団に参加するまでアフムツ氏族長の名前すら知らなかったし、ハルントリー王子にはルルト王族が平原に亡命してきたときに挨拶で一回顔を合わせただけ。唯一ビアスコ王子だけは、平原時代にパーティの席で数回言葉を交わしたことがある。もちろん代表団入りが決まってからは、四人で何度も詳しく打ち合わせや下勉強をして、意思の統一は図ってあった。

 タナシス王国のエミスト王女は、すでに会談場所である広間で待ち受けていた。

 ……うわ。

 妹であったシェラエズ王女も結構な美人だったが、エミストはそれを上回る美しさだった。鋭く尖った感じの妹とは違い、おっとりと優しげなタイプだ。卵形の顔に、ぱっちりと大きな黒い眼。優美にカーブを描いた細い眉。控えめな唇。年齢は、二十代後半か。中国か韓国の人気女優、といった雰囲気である。

 二人の中年男性を従えたエミスト王女が、優雅に立ち上がった。近付く四人に向け、微笑を向ける。慈母じみた、見ているだけでこちらも微笑んでしまいそうな暖かみのある笑みだ。

 お互い自己紹介が済んだところで、一同は広間の真ん中に設えられた大きなテーブルの反対側に分かれて座った。エミスト王女の左右には、外務大臣と名乗ったロンドリーという禿頭の男性と、軍事顧問らしいレジエ将軍と名乗る細い口髭を蓄えた男性が座る。少し離れて下手には、記録係である書記が腰をおろした。

 一方の南の陸塊側は、すでに中年に達しているハルントリー王子を中心に、右にまだ若いビアスコ王子、左に初老のアフムツ氏族長が腰掛けた。夏希の席は、アフムツの左で、さらに少し離れたところにこちら側の書記が座る。

 ラドーム公王宮が手配した接待役や控えの書記は、壁際に置かれたベンチに腰を下ろす。双方の護衛がぞろぞろと広間を出て行き、公王宮の衛兵が扉を閉めた。

「まずははるばるラドームまでおいでいただいたことに感謝します」

 エミスト王女が、最初に口を開いた。その風貌に似つかわしい、優しげな声だ。

「ビアスコ殿下やアフムツ殿はともかく、わたしはそれほど時間を掛けずに来れましたが。まあ、しばらく平原暮らしを余儀なくされましたから、それを考慮すれば別ですが」

 ハルントリー王子が、穏やかな口調で嫌味を言う。

「捕虜の送還を開始してくださったことにも感謝します。しかし、ずいぶんとみなさんの海運事情は悪化しているようですね。船は余っているのに、いまだ四千名しか送還していただけないとは」

 負けじと、エミスト王女が皮肉を口にする。送還された捕虜は、負傷者や奴隷兵士が中心で、精鋭正規軍兵士はそのほとんどがいまだルルト市郊外の捕虜収容所に留め置かれているのだ。もちろん、有利な取引材料になる、と考えてのことである。

「戦争で、かなり混乱しましたからな」

 しれっとした表情で、ハルントリー王子が答えた。

 しばらくのあいだ嫌味の応酬が続いたが、夏希は黙っていた。まだ、自分が口を差し挟む段階ではない。タナシス側に出席を要請されたとは言え、夏希の身分は平原共同軍参謀部参謀でしかないのだ。それぞれ高原、平原、海岸諸国の外交代表を名乗っている三人に比べれば、はるかに格下の存在である。

 実りのない会話に飽いたのか、アフムツ氏族長が話題を変えた。タナシス派遣軍の軍事行動が、南の陸塊に対する侵略行為であったとして、やんわりとエミスト王女を非難し始める……。



「……すっごい無駄な時間を過ごしたような気がする」

 宿舎で夕食を食べながら、夏希はそう拓海に感想を述べた。

 和平会談は、結局なんの成果も挙げられないまま、夕刻にいたってお開きとなった。唯一双方が合意したのは、翌日再開される会談の刻限だけであった。ちなみに、夏希が発言する機会は一度もなかった。ついでに言えば、タナシス側の二人の男性……ロンドリー外相とレジエ将軍……も一言も発しなかった。

「まあ、外交交渉ってものは、基本的にそういうもんだ。お互い腹を探り合って、相手がどこまで譲歩するかを見極め、その上でこちらの主張を展開し、妥協点を見出そうとする。時間が掛かって当然だよ。三次元空間には無限の点が存在するが、いわば双方がそこに正確にたどり着かなきゃならないわけだからな。どうでもいい条約一本結ぶにも、何十日も前から外務官僚同士が接触して根回しし、課長級やら局長級やらが細部まで詰めて、副大臣か次官クラスが99・9パーセントまでまとめ上げてから、始めて外相や首相やらが出てきて話し合って、握手してサインするんだ。ぶっつけ本番で行われる和平会談なんて、マラソン化するのが通例だ」

 向かい合って米飯を掻き込んでいた拓海が、苦笑する。

「でも、時間を掛けられないんでしょ?」

 いまだルルトには一万六千のタナシス兵捕虜がいる。共同軍の復員も進められ、平原市民軍は解散し、高原戦士も大半が故郷へと向かった。さらに海岸諸国市民軍もその半数以上が市民生活に戻ったが、それでもまだルルト市とその周辺には三万近い部隊が捕虜管理、戦後処理、さらに警備警戒などのために残留している。彼らに給食するだけで、毎日大量の食料とお金が消えてゆくのだ。

「まあな。しかしここでの拙速はまずい。もっと相手を追い込まないと。明日はワイコウの魔力の源返還要求で攻めてもらうつもりだ。そこから魔力の源買い取り、へ話を持っていければ好都合。……ところで、エミスト王女をあんたはどう見る? 聞いた話じゃ、かなり切れそうだが」

「見た目はおっとりお姉さまだけど、知恵は働くわね。今日は一回も補佐役の助けを受けずに、こちらの三人相手に一歩も引かずやりあったし。かなりタフな印象よ」

 久しぶりのコーヒー……戦争中は当然ルルト-ラドーム間の貿易は途絶していた……をしみじみと啜りながら、夏希は答えた。

「政治や軍事に関する知識や見識はどうだ?」

 拓海が、眉根を寄せて訊く。

「それは……直接会話しないとわからないわね」

「折を見て、そこらへんを探ってくれないか。まずはなぜ竹竿の君を出席者に指名したのか、あたりから話をすれば、自然だろう」

「わかった。やってみる」



 翌日の会談冒頭で、エミスト王女が議題をいきなり人間界縮退問題に誘導する。

「殿下。たしかに人間界縮退問題は懸念すべき問題ですが、ここは和平交渉の場です。人間界縮退問題は、和平条約が結ばれ、双方の外交関係が正常化してから改めて取り組めばいいことでしょう」

 ビアスコ王子が、苦言を呈する。

「いや、タナシスが南の陸塊遠征を決意したのも、もとは人間界縮退が原因です。この問題の対策を無視して、和平は難しいでしょう。ぜひここで話し合い、両者協力して対策を考えるべきです。そうは思いませんか?」

 熱っぽい口調で語ったエミスト王女が、大きな眼で一点を見据える。視線の先がアフムツ氏族長であることに、夏希は気付いた。

 しばらく人間界縮退問題に関するやり取りが続く。結局エミスト王女は、和平条約の中に人間界縮退問題に対する取り組みをタナシス王国と南の陸塊諸国の共同で行う、という文言を盛り込む、という言質を得たことに納得し、ようやくその議題を取り下げた。

「では、こちらからお話をさせていただきます。王女殿下。ワイコウに存在した魔力の源は、人間界縮退対策本部の所有物でした。あなた方は、これを強奪した。和平に先立ち、この返還を要求いたします」

 ハルントリー王子が、強い口調で要求する。

「これは異なことを。魔力の源に、そもそも所有権など発生しないでしょう」

「はあ?」

「魔力の源は、はるか昔から存在した自然物。いわば、海や山や川のようなものです。ひとが所有できるものではありません。ワイコウにあった物も、ワイコウが管理していたに過ぎません。タナシス遠征軍は、ワイコウ政府から合法的に管理権を譲り受けて、魔力の源の移し替えを行い、本国に持ち帰っただけです。管理権移転に関する、公文書も残っています。返還など、必要ありません」

「失礼ながら、それは屁理屈ですな、殿下」

 ハルントリー王子が、鼻で笑った。

「例えば土地には、所有権が発生しますぞ。それを奪うのは、窃盗です」

「土地の所有権は、きわめて制限されたものです。それは真の所有権とは違います。いわば、一時的な利用権に過ぎません。自分の土地に流れている川だからといって、その水をすべて堰き止めたり、毒物を垂れ流したりする権利はありませんよ」

「そんな極論を」

「極論ではありません」

 若干悲しげな表情で、エミスト王女が続けた。

「人間界縮退問題でわかったように、魔力の源はいわばこの地に住む者すべてを守る存在なのです。共有の財産と言えます。その管理は、個人や小組織に任せられるものではありません。下手をすれば、すべてが魔界に飲み込まれかねないのですよ。いずれ、魔力の源は正当なる国際組織の管理下に置かれるべきでしょう。もちろんわが国は、すでに以前から魔力の使用を全面的に禁止しています。かつてワイコウが管理し、きわめて正当な方法でわが国に管理権が移った魔力の源は、当面わが国が管理させていただきます。これは、人間界を守る正当な行為なのです」



 夏希に発言のチャンスがめぐってきたのは、昼食休憩のしばらくあとのことであった。

 双方が実りのない議論にいささか倦み、無言でにらみ合いに入ったところで、夏希は頃合よしとしてエミスト王女を見つめ、言葉を発した。

「ところで王女殿下。なぜわたしを会談メンバーに入れるように要請されたのですか?」

「ひとりくらい、武人がいてもよろしいでしょう。こちらにも、レジエ将軍がいますし」

 話題が変わったことにほっとしたのか、やや安堵じみた笑みを浮かべながら、エミスト王女が答える。

「武人なら、別にわたしでなくとも……」

「あなたが一番有名ではないですか、竹竿の君」

 エミストが、笑みを深くする。

「それに、あなたに会ってみたかったのですよ。竹竿を華麗に操る美しき戦女神。評判どおりの美しい方ですね。優秀な武人とも、聞き及んでいます」

「わたしよりも優秀な武人など、高原にも平原にも海岸諸国にも、大勢いらっしゃいます」

 三代表のことをおもんばかって、夏希はそう発言した。

「でも、女性はあなただけでは? もうひとつの理由は、会談にわたくし以外に女性が参加して欲しかったからです。男性ばかりでは、華がなくていけませんから」

 冗談めかしたつもりか、ちらっと歯を見せる笑顔を夏希に向けたエミスト王女が、器用にウインクする。



「そう来たか。こりゃ、長引くぞ」

 夏希の報告を聞いた拓海が、唸る。

「こちらは賠償請求したい。タナシスは侵略行為を認めず、謝罪したくない。当然、賠償にも応じない。賠償に応じれば、侵略を認めたことになるからな。だから、魔力の源を買い取った、ということにして、南の陸塊に金を払えば丸く収まる、というのが駿と俺が描いたプランだったが……美人王女様が魔力の源管理権説を唱えるとなると、支払いには応じてもらえそうにないな」

「どうするのよ」

「とりあえず、双方納得できる条項だけ署名して、戦争状態を終わらせるしかないな。休戦状態が長引くのは、まずい。そのうえで、金の話は継続する。タナシス遠征軍が南の陸塊で生じさせた物資の消費や住民の徴用に関する支払いは認めているんだから、生じた損害に対する補償という形なら、支払ってくれるだろう。額に関しては、揉めるだろうが」

「捕虜はどうするの?」

「ほとんどは帰すしかないだろうな。シェラエズ王女も、こうなってくると切り札として使い辛くなる」

「大国相手の外交は、難しいわね」

 夏希は憤然として腕を組んだ。タナシス王国は負けたと言っても、敗戦国になったわけではないのだ。力も面子も失っていない相手に頭を下げさせるのは、難しい。

「しかもこちらは寄り合い所帯だからなぁ。一刻も早く駿に、ノノア川憲章を発足させてもらわないと」

 渋い表情で、拓海が言う。



 和平会議三日目は、劇的前進が見られた日であった。

 冒頭から南の陸塊代表団が、タナシス王国に対する金銭的要求を一時的に棚上げし、和平条約締結を先行させるという提案を行う。タナシス側は、その提案に原則的に賛成した。

 そのあとはとんとん拍子であった。昼前に、和平条約の骨子が固まる。昼食休憩と午後半ばまでかけて、双方がその骨子を検討し、条文化したものをその後つき合わせ、協議を重ねる。夕刻までには、条文内容の調整が済み、和平条約本文がラドーム公国の書記の手によって清書された。

 夏希は写しを手に入れると、それを精読した。内容は、戦争状態の終結、勢力圏が南の陸塊北岸とラドーム公国南岸のあいだの海洋であることの再確認、正常かつ友好的な外交関係の継続の確約、南の陸塊諸国によるタナシス王国への不干渉、おなじくタナシス王国による南の陸塊諸国への不干渉、現在南の陸塊諸国が管理しているタナシス捕虜(シェラエズ王女を含む)の条約署名後五十日以内の送還、タナシス派遣軍が南の陸塊で行った物資調達、住民徴用、動産および不動産の利用、毀損した財産に対する補償などに対する支払いの確約と、その詳細に関する交渉の継続、人間界縮退問題に対する双方の協力体制の構築、本条約は署名後に暫定的に効力を発生するが、完全なる締結にはタナシス王国政府および南の陸塊諸国政府による批准を必要とする、などであった。

「ねえ、拓海。署名と批准って、どう違うの?」

「署名は代表が内容に納得してサインすることだ。だが普通、それだけでは国際条約などは発効しない。政府の条約加入賛否を握っている機関……たいていの場合議会だな……の承認を得なければならない。これが批准だ。南の陸塊諸国なら、国王の裁可や御前会議、族長会議の承認が必要になる。この条約のままだと、あまりにもタナシス側に有利だからな。金の支払いをのらくらと躱し続けると、批准してやらんぞ、と圧力を掛けるためだ」

「なるほど」

 署名準備が整った頃には、とうに日は暮れていた。植物油ランプが数多く灯された広間には、立会人として公女王カミュエンナを始めとするラドーム公国の重要人物も多数詰め掛けていた。もちろん、南の陸塊とタナシスの主だった随行員も同席している。

 夏希はやや緊張して、三人の代表のあとについて広間へと入っていった。すでに大テーブルに座っているエミスト王女に会釈してから、椅子に腰掛ける。

 ……緊張するなぁ。

 条約に署名するなど、生まれて始めてのことである。

 ラドームの官僚が、条約内容を朗々と読み上げた。双方の代表団に、遺漏がないことを確かめさせる。

 各人の前に、ペンとインク壷が置かれた。ペンは、おなじみの割り箸みたいなつけペンだ。

 ラドームの官僚が、書類をエミスト王女の前に置く。ペンを取った王女が、すらすらと署名した。書記が署名の上から柔らかい布を押し当て、余分なインクを吸い取る。この世界に、吸い取り紙というものはまだ存在しない。

 書類を取り上げた官僚が、それをハルントリー王子の前に置いた。ついで、ビアスコ王子が署名する。その下に、アフムツ氏族長。

 次は自分の番だと思ってペンを取り上げた夏希だったが、ラドーム官僚は夏希の前を素通りして書類をロンドリー外務大臣の前に置いた。落ち着いた表情で、ロンドリーが署名を済ませる。

 ……身分順なんだ。

 ようやく、夏希は気付いた。まずは大国の王女で、次期女王であるエミスト。次に、海岸諸国最大国家の王子。そして、平原有力国の王子。アフムツは、氏族長だから有力貴族待遇だったのだろう。ロンドリーは、高位な貴族に違いない。

 そのまま隣のレジエ将軍に署名させるかと思われたラドーム官僚だったが、意外にも彼が次に書類を差し出したのは夏希にであった。戸惑いを隠せないまま、夏希はその指差す場所に何度も練習したこの世界の丸っこい文字で自分の名を書いた。

 ラドーム官僚が、レジエ将軍の前に書類を置く。ペンを置いた夏希は、将軍が署名する姿をぼんやりと眺めた。ジンベルのような小国の、成りたて貴族よりも地位の低い貴族がいるとも思えない。レジエ将軍は、平民の出なのであろう。にもかかわらず、大国タナシスで将軍の地位にまで上り詰め、次期女王の傍らで助言役をこなし、そしてこうして全権代表の一員として署名までしてしまう。……タナシスは、見た目よりも進んでいる国家なのかも知れない。

 ラドーム官僚が、七人の代表が全員署名した書類を掲げて、立会人たちに見せた。期せずして、拍手が巻き起こる。別のラドーム官僚が、もう一通の書類をエミスト王女の前に置いた。双方が保管するために、原本二通が作成されるのである。



「たいへんお世話になりました、殿下」

 無事和平調印がなされた翌日、夏希は船団出航前に公王宮を訪れ、ラドーム公国公女王カミュエンナに礼を述べた。

「和平が成立し、本当によかったです」

 カミュエンナが、首をわずかにかしげて笑顔を見せた。

「ラドームはタナシス王国に属していますが、文化的にみれば南の陸塊に近い。友人の立場に戻れたことは、本当に嬉しいです。……これはごく個人的な感情で、公女王としての立場で言う言葉ではありませんが、ラドームが南の陸塊侵攻の策源地となったことは、遺憾であり、無念でもあります」

「おやめください殿下。殿下やラドームの人々の立場は、十分に理解しております。南の陸塊では、誰一人として殿下やラドーム人を心憎く思ってはおりませんよ」

「そう言ってくださると、心が休まります」

 カミュエンナが、寂しげに微笑む。

 小国のうえ独立国ではないせいか、カミュエンナは高貴な立場にも関わらず夏希には気さくに接してくれていた。歳が近いせいもあり、何回か顔を合わせるうちに夏希は愛嬌ある顔立ちの褐色の肌の娘のことを、すっかり気に入っていた。カミュエンナも夏希のことを好いていてくれるようで、今日も通されたのは謁見の間ではなく、カミュエンナがいつも使っているらしい私室であった。

「わたしは帰国させていただきますが、補償交渉に関しては、まだ当地で継続して行われます。ご迷惑をお掛けすることになりますが……」

「迷惑などとんでもない。微力ながら、双方の陸塊の平和のために寄与できるのは、わたくしにとってもラドーム人民にとっても、喜ばしいことです。願わくば、その交渉が早期に終結し、みなさんとタナシス王国が真の友人となれる日が一日でも早いことを期待します」

 カミュエンナが、手を伸ばすと膝の上に置いていた夏希の手をきゅっと握った。

「ありがとうございます、殿下。ご期待に副えるよう、努力します」


第八十二話をお届けします。

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