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白き巫女と蒼き巫女【改稿中】  作者: 高階 桂
第二章 海岸諸国編
73/145

73 セレンガ、出撃

 昼前に、共同軍側はすべての準備を終えた。

 平原への入口を弧状に囲む防衛ラインは、ノノア川の流れによって東西に二分割されている。その東岸に配されたのは、市民軍八千名と高原戦士一万八千名の、合計二万六千名。西岸に配されたのは、各国防衛隊千九百名、市民軍八千名、高原戦士二万名の、合計二万九千九百名。東岸重視の配置なのは、密林内の平地は東岸の方が幅広く、タナシス側はこちらを主攻とすると判断してのことである。

 夏希が率いることになった決戦兵力である予備隊は、その後方ノノア川に掛かる橋の左右に展開していた。その数、九千五百名。予備から三百名を編入して四個編成された正規大隊千六百名、未充足の一個を含む予備大隊四個千五百名、高原戦士精鋭五千名、ワイコウ亡命軍八百名、それに突撃連隊の六百名からなる、きわめて質の高い部隊である。

 秘密兵器である『セレンガ』号は、生馬率いる選りすぐりの突撃連隊員百名、漕ぎ手など操船要員五十名を載せ、すでにノノア川に浮かんでいた。ただし、こちらの意図を悟られないために、その船体には折り取ってきた枝葉が被せられ、遠目にはその正体がわからないように工夫されている。

 夏希は生馬の案内で、『セレンガ』を見せてもらった。全長は二十五メートルほどで、川船としては非常に大きなものだ。幅は八メートルはあろうか。外観は、幅広のボートに寄棟屋根を被せたような形、というところか。小さな庇のついた開口部があちこちにあるが、いずれも小さく、そこから出入りすることはできない。

「今頃掃除?」

 数名の兵士が、川から手桶で水を汲んではセレンガにぶっ掛けているのを見て、夏希は問いかけるような視線を生馬に向けた。

「一番怖いのは火矢の攻撃だ。だから、あらかじめ木製の外板に水を含ませているんだ。そうすれば、着火しにくいからな。その上に、放水システムも完備してある。頂部に這わせたパイプから、手押しポンプで汲み上げた水を流すんだ。中も見せよう」

 生馬が渡り板を歩き出した。長身を折り、船尾にある狭い出入り口をくぐる。夏希も続いた。

 船内は、明るかった。一個だけだが、魔術の光が灯されていたのだ。

「エイラに特例で掛けてもらった。明り取りのために開口部を増やすわけにもいかないし、ランプに頼るもの出火が怖いからな」

 言い訳がましく、生馬が言う。

「なんか、臭いわね」

 夏希は鼻にしわを寄せた。油と何かの薬品を混ぜたような臭いが充満している。

「防水用樹脂と、潤滑用油の臭いだよ。推進用内輪を駆動する機構の軸受けだの歯車だのには、潤滑剤として柔らかい樹脂と椰子油を練ったものを使っている。防水用には、乾燥して硬化すると完全防水になるタイプと、粘性のあるタイプを併用している。いずれにしても、動き出したら相当水漏れするだろうから、あか汲み役は指名してあるが」

 船内には六つ、木製の箱のようなものが床から突き出していた。

「これが、内輪?」

「そうだ。内部に羽根車が入っている。そいつを回転させて、進むわけだ」

 箱の左右からは、一メートル間隔くらいで木製の歯車が取り付けられた金属製の棒が突き出していた。床に打ち付けられている腰掛のようなものには、自転車のペダルを思わせる機構がついており、そこにある大きな歯車が、金属棒の歯車と噛み合わされている。

「これ、ギア比とか漕ぐタイミングとか工夫しないと、まともに動かないんじゃないの?」

「実験してみたが、うまく行ったそうだ。長時間漕ぐわけじゃないからな。今日はとりあえずタナシスが作るであろう仮設橋にぶち当たるまで持ってくれればいい」

 厳しい表情で、生馬が言う。



 一方タナシス派遣軍も、順調に戦闘準備を整えていた。平原入口より十キッホほど北に、素早く仮設橋を設置する。水流に逆らわぬように縦に川船を並べてロープで繋ぎ合わせ、その上に半割りにした丸太を並べたものだ。さらに安定させるために、長い杭が何本も河床に打ち込まれ、川船に縛りつけられる。

「この戦、負けるかも知れぬな」

 作業の様子を見守りながら、シェラエズ王女はそっとつぶやいた。

「なにをおっしゃいますが、閣下」

 ランブーン将軍が、聞きとがめる。

「状況が、事前情報とあまりにも違いすぎる」

 南の陸塊一の強国であるルルト王国と、その南に位置するワイコウ王国の仲は良くない。これは、事前情報通りであった。それに基づき、シェラエズはワイコウ王国に事実上の降伏である『中立宣言』を行わせ、首尾よく魔力の源を確保した。

 だが、政治的に統一されておらず、平和は保たれているものの主要国家間では対立が続いているはずの平原各国は、その軍事力を統一運用してタナシス派遣軍に対し激しい抵抗を続けている。さらにその上、平原とはろくに接触もなく、一部では軍事的ににらみ合っていたはずの高原諸族が、何万もの戦士を派遣し、平原諸国と肩を並べて戦っている。

 予想外の展開である。シェラエズは、優秀な軍人の常として、今回の遠征を楽観視せず、かなり苦戦することを想定して慎重に戦略を組み立て、実行してきた。だが、現状はシェラエズが想像したもっとも悲観的な設定を上回っていた。

「もちろん、わたしも武人だ。簡単に音をあげたりはしない」

 シェラエズは妖艶に微笑むと、ランブーン将軍を見据えた。半ばお目付け役として、姉のエミスト王女に押し付けられた副司令官だったが、なかなかに優秀な男である。すでにこの遠征で、シェラエズの信頼も勝ち得ていた。王女の笑みと視線を受けて、ランブーンがやや赤面する。

「仮設橋設置終了次第、予定通り攻撃を開始するぞ。敵の指揮官は有能だが、間違いをしでかすこともあるだろう。敵の失策を期待して作戦を立てることは愚かだが、敵の失策を見逃さずそこに付け入るのは賢いやり方だからな」

 やがて、作業が終了した。一個団五百名の自治領兵が実際に渡ってみて、強度と安全性を確認する。

「よろしい」

 設置完了の報せを受けたシェラエズ王女は、ただちに攻撃開始を下命した。


 タナシス軍は、やはり東岸を主攻としていた。先鋒は、すでに麻薬の影響下にある奴隷歩兵団四個二千名。そのあとに、正規軍十九個団九千五百名が順次続く。狂戦士と化した奴隷歩兵を突撃させ、共同軍側戦線を混乱させているあいだに、正規軍の陣形を整えて勝負に出ようという作戦である。

 駆け足で突っ込む奴隷歩兵たちに、一万を越える高原弓兵から矢が降り注ぐ。何本も矢を受けても倒れぬ奴隷歩兵に対し、防柵の内側に三重に陣取る市民兵士が長槍を突き立てた。防柵を突破しようとする奴隷歩兵には、高原投げ槍兵が容赦なく投げ槍を投ずる。

 防御陣地が、拓海の当初構想通り浅いものながら水濠付きであれば、あるいはこの狂戦士たちによる突撃を防げたかもしれない。または、守備についていたのが市民軍ではなく、精強な共同軍正規大隊であったならば。

 ごく一部ではあったが、麻薬でハイになり、痛みを感じなくなっている奴隷歩兵が防柵を乗り越え、市民軍兵士たちのあいだに踊り込んだ。すぐさま駆けつけた高原投げ槍兵がこれを刺殺しようとするが、狂戦士はしぶとく抵抗し、曲刀を振り回す。

 市民軍長槍隊の横陣が乱れたせいで、さらに多くの奴隷歩兵が防柵の内側に入り込んだ。数箇所で、防柵そのものが引き倒される。

 開戦からものの数分で、共同軍西岸部隊の統制は乱れ始めた。



「やべぇ」

 戦場全体を見渡せる櫓の上で、拓海は呻いた。

 ノノア川東岸の状況は安定していた。しかし、西岸は早くも危機的状況にある。特に市民軍部隊は浮き足立っているようだ。横陣は崩れつつあり、高原投げ槍兵によるカバーが間に合っていない。このままでは、高原弓兵部隊に被害が及ぶだろう。

 ……早すぎるが、負けるわけにはいかない。

 拓海は作戦計画の変更を決断した。決戦兵力は、敵にそれを回避する余地があるうちに投入すべきではない、というのは、戦術の大原則である。ポーカーで言えば、相手が余裕でホールド(降りる)を決断できる段階で勝負に出てはならないのだ。もはやホールドできないところまで追い詰めた状態で、こちらがすべてのチップをつぎ込むのが、大勝する秘訣である。

 その原則を、拓海はげた。すでにタナシス軍右翼部隊は、続々と平原に侵入し、隊列を整えつつある。まず間違いなく、質の高い正規軍部隊だろう。十分に陣形を整えたこれら部隊が前進を始めれば、数で勝っていても市民軍と高原戦士だけでは対抗しきれない。防衛ラインを突破され、平原での機動戦に持ち込まれれば、量よりも質がものを言ってくる。戦場レベルでの正確かつ速やかな部隊機動は、訓練でしか身につけることはできないからだ。すなわち、錬度が高い方が断然有利となる。

「竹竿の君に指示。予備軍すべてを左翼後方へ。適宜防衛線を補強しつつ、敵捕捉に備えよ。続いて『セレンガ』に指示。計画通り突入せよ」



「出航する! 係留索切れ! 漕手、前進低速! 舵左一点!」

 生馬の命令が、『セレンガ』船内に響き渡る。

 羽根車ひとつ当たり六基のペダルがゆっくりと漕がれ、セレンガがのっそりと動き出した。たちまちあちこちから水漏れが始まる。淦汲み担当が、さっそく活動を開始した。

 生馬は脇の小窓から頭を突き出して、前方を確認した。ノノア川の中央に乗ったことを確認してから、頭を引っ込めて命令をがなる。

「よし、舵中央! 漕手、前進中速!」

 漕手のペダルの動きが早くなった。樹脂が摩擦で熱せられたのか、船内に異様な臭いがこもり始める。それまでは比較的静かだった船内が、急にやかましくなった。ぎしぎしという軋むような音に、金属がこすれ、あるいはぶつかり合うがちゃがちゃという音が重なる。水漏れも悪化し、淦汲み担当者の動きも慌しくなる。

 船外では、船首部分に被せてあった枝葉が、風圧を受けて徐々に川面に落ち始めた。銅板で補強し、さらに先端部に鋳鉄の塊を取り付けてある衝角が、彫刻刀の刃先を思わせる禍々しい姿をあらわにする。



「阻止しろ」

 内心の狼狽を押し隠し、シェラエズ王女は冷静な声音で命じた。

 敵の意図は明白だった。仮設橋を切断し、タナシス派遣軍の兵員移動を阻止する。その上で、ノノア河岸の一方に集中的に兵力を投入、量で押し切る作戦だ。

 いまのところ、ノノア川西岸の戦況はタナシス軍有利のまま進んでいる。東岸も、有利ではないが予定通りに推移している。

 おそらくは、ノノア川を下ってくるあの船は敵の切り札だろう。これを阻止できれば、この戦いに勝つ可能性は増大する。そしてもちろん、阻止に失敗すれば、まず間違いなくタナシス派遣軍は敗北するだろう。

「予備部隊すべてを一時的に投入してもよい。場合によっては、奴隷歩兵に麻薬を使わせろ。絶対に、あの船を阻止するのだ」

 重ねて、シェラエズは命じた。



 タナシスの仮設橋まで約八百メートルの位置で、生馬は前進高速を命じた。

 すでに、セレンガはタナシス軍支配地域に入り込んでいた。両岸から、さかんに矢を浴びせられつつあるが、損害は皆無だ。外板は分厚い板を張り合わせてあるから、矢が突き立っても貫通することなどあり得ない。

「生馬様、前方に複数の篝火かがりびが見えます!」

 船首部の覗き穴から進路前方を見張っていたソリスが、そのままの姿勢で報告した。

 こんな真昼間に篝火は必要ないし、戦闘中に戦場で米を炊くこともあるまい。間違いなく、火矢の準備だろう。火薬を使った兵器が普及するまでは、火矢は枢要な対艦攻撃手段だったのだ。

「ポンプ稼働! 放水開始! 量は半量でいい!」

 生馬は待機していたポンプ係に命じた。二人の兵士が、ゆっくりとした速度で手前の手押しポンプを押し始める。船底から汲み上げられた水が、パイプを通じてセレンガの外板上部に導かれる仕組みである。

 セレンガが、仮設橋まで六百メートルの位置に達した。待ち構えていた奴隷弩兵隊が、左右両岸から火矢を浴びせかけてくる。鏃に布を巻き、焼夷性の樹脂と油を混ぜたものを浸み込ませ、点火したものだ。薄いオレンジ色の炎を引きながら、数百本が一度に宙に舞う。

「ポンプ全量!」

 生馬が命じる。

 すでに、セレンガの外板は大量の水で濡れていた。そこへ、二百本を越える火矢が突き刺さる。

 小さな炎を無数にまとわりつかせながら、セレンガは前進を続けた。火矢自体は燃えているものの、すでにたっぷりと水分を含んでいるうえに、常に水が上から流され続けているので、外板に着火することはない。

 さらに火矢が飛ぶ。樹脂と油が燃える黒い煙の尾を引きながら、セレンガはなおも北進を続けた。



 夏希率いる予備部隊九千五百の投入で、ようやく共同軍左翼が安定する。

 狂戦士化した奴隷歩兵二千名は、ほぼ壊滅していた。だが、彼らの犠牲によって稼いだ時間を使い、タナシス王国正規軍十九個団九千五百名は整然たる方陣を整えて、共同軍防衛線に襲い掛かりつつあった。

 このままでは持たない、と判断した夏希は、グリンゲ将軍に高原戦士五千名を預け、左翼戦線のもっとも西側から逆襲に出るように要請した。一時的にしろ、タナシス軍の勢いを止めることができれば、防衛ラインを強化する余裕が生まれるはずだ。



「川船です!」

 ソリスが叫ぶ。

 岸に舫ってあった川船十数隻が、兵士を満載してノノア川に乗り出しつつあった。

 仮設橋までは、あと三百メートル足らず。

「開口部を密閉しろ! 漕手、前進全速! 舵固定! 総員、衝撃に備えろ! 一気にぶつけるぞ!」

 思わず咳き込みたくなるような異臭が充満する中、生馬は怒鳴った。

 セレンガが、ぐんと加速した。


 タナシス側が狙ったのは、『セレンガ』への移乗であった。

 突っ込んできたセレンガに、舷側を触れさせんばかりに寄せて、何名かが飛び移ろうとする。半数ほどが成功し、燃え尽きた火矢を手がかりにセレンガの外板にしがみ付く。要領のいい者は、手にした槍などを外板に突き立て、手がかりとした。

 一隻の川船が、セレンガの速度を見誤り、その舷側と接触した。さながらビリヤードの球のごとく弾き飛ばされた川船から、何名もの兵士がバランスを崩して川面に落ちる。

 別の一隻は、不運なことにセレンガの正面に出てしまった。強化された衝角が、川船を易々と打ち砕く。二つ折りになった川船は、二十名ほどの兵士を道連れにして、セレンガの船体下に消えた。

 突き進むセレンガに、さらに川船が群がる。一足先に船体に取り付いた兵士たちが、手にした得物で外板を突き始めた。継ぎ目に刃先をねじ込んだり、閉められた開口部を探り当てたりして、なんとか船体内部に被害を及ぼそうと試みる。



 三十数名のタナシス兵士を張り付かせたまま、セレンガが驀進する。仮設橋までの距離は、もう五十メートルもない。

 仮設橋を守っているタナシス兵たちが、橋上から退避を開始した。だが、全員が逃げおおせる前に、セレンガの衝角が仮設橋に接触した。

 川底に突き刺した杭も、セレンガの運動エネルギーを止めることはできなかった。衝角にぶつけられた川船が、まるで爆発したかのように細片となって飛び散る。道板代わりの半割り丸太が弾かれたように宙に舞い、セレンガの前半分が水煙と木片に包まれる。しがみ付いていたタナシス兵たちも、衝撃で振り落とされ、川面に消えた。

 めりめりばきばきという音響を残して、セレンガが仮設橋を突き抜けた。あとに残されたのは、十メートルを優に超える断絶部であった。

 タナシス派遣軍は、ノノア川の両岸にその戦力を二分することとなった。


第七十三話をお届けします。

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